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2012年10月26日 (金)

随想:この人・百話一芸 第18回「加藤武・俳優一代記」(長文)

 2012年10月20日14時~16時00分、第18回横浜能楽堂講座「この人・百話一芸」。ゲストは、俳優で文学座代表の加藤武、聞き手・進行は元NHKアナウンサーの葛西聖司。伝統芸能世界からの出演者が多いこのシリーズでは異色。面白い話で飽きさせない。私に下地がないので誤解もありそうですが、大雑把に話をまとめておきます。

 

 (呼び方は?)役者と呼ばれたい。「小田原町(登場時に掛声が、生まれた築地の旧町名)」に嬉しいね。役者60年。その前の早稲田の学生の時に『番場の忠太郎』を演じた。小田原町には芝居好きが多く『木阿弥・招魂社』を演ったこともある。(落語家の)桂伸治もいた。青梅線沿線のどこかへ行って、新舞踊・落語・最後に『番場』。自分達が楽しんで、それで500円貰った。当時は大金だった。

 (写真を写しながら)
 『用心棒(S36年)』。黒澤監督には足を向けて寝られない。思いやりがあった。後に三船敏郎の出番があるシーンで30何回も駄目を出された。三船は何も言わなかった。その後も呼んで貰った。
 『仁義なき戦い』。深作監督は好きなようにやらしてくれる。逃げ回る役だった。
 『勇者(日米合作、S40年)』。相手が(男はつらいよのたこ社長)太宰久雄。監督はフランク・シナトラ、ハワイで撮影。日本軍の武器をアメリカは持っていた、戦利品。役者を大事にしてくれ、名前入りの椅子を用意してくれた。
 『乱』。自分が出演した最後の黒澤作品。馬に1日中乗っていた。弁当の時も。兜も被りっぱなしだった。怒られっぱなし。トイレの時は降ろしてくれた。昔は竹筒で馬上から用を足した。
 市川昆監督。やさしい人柄。金田一、決め台詞の「良し判った」で胃薬を飲みながら噴出す場面、胃薬にクリープを使用したが湿り気があって跳ばない。龍角散を使った。

 NHKで植木等と野球少年で共演した。フランキー堺とは同期、良いバンドを持っていたが、役者になってしまった。残ったメンバーがクレージー・キャッツを結成。

 (野村万才(作?)の話によると英語を教えたとか)大学を出て新生中学校の英語教師を1年やった。その後、文学座へ。なぜか文学座に行きたかった。北村一夫はストレートで入ったので先輩になった。英語教師は事志が違っていたから。その時の生徒が総見に来てくれた。

 杉村春子との『遊女夕霧』は震えながらやった。びしびしと怒られた。声は小さくしても良く通る声を出すようにと。杉村は美声でなかったが、何にでもなる。怒ってくれる人がいるのは大事、今はいない。『女の一生』『降るアメリカに袖は濡らさじ』は、杉村のために書かれた。

 『降る』は岩亀楼の遊女の話。文学座初演、新派でも上演された。
 『松五郎伝』は文学座初演。ガンさん(丸山定夫?)が無法松。私の時は荒木道子だったが、出演前に杉村が「ガンさんは良かった」って言ったが、思いやりないな。(わざと言ったんでしょうね)。

 太地喜和子と『遊女夕霧』。太地の事故を最初に知った。『唐人お吉』を演じている時だった。後輩はかわいくなくちゃ。自分(加藤)は一場だけで帰れるのに、喜和子はいきなりふところに飛び込んできて「最後まで見ているの」と言った。注意すると翌日には直っている。普段はそうでもないのに舞台での色気。

 (今の)仁左衛門は格好良かった。初代水谷八重子は風流な(円玉の女房)。身内の役者に厳しいが、外部の者には優しかった。『降る』では、杉村が亀遊を見舞いに行く、八重子の亀遊は面影が最後まで残った。

 (60年は悔いないですかに)60年は物足りない。もっと怒られなければ。この年になると重鎮と言われるが芸は奥深い。その後、教えてくれたのが(文楽の竹本)住太夫、言葉に奥行きがある。

 築地の魚河岸の三男坊。能舞台に立つのは初体験。(三味線を弾いた師匠が、通信教育のお弟子さんみたい)。あれこれ手を出している。父母が清元をやっていた。父が語りで母が三味線。小唄は清元から。歌舞伎などの内容が判っていないと、語るのは「いけないわよ(声色)」。

 小唄『高時』『いつしかに』、おまけで『?』。

 S20年、歌舞伎座閉館に立ち会う。空襲による炎で燃え落ちた。はなやかな光景が思い出されて悲しかった。大八車におばあさんを載せ避難した時、見ていた。落ち着いてから家に帰ったら、おばあさんが死んでいた。

 

 加藤武の名前を知らないことはないけれど、新劇は若い頃に何回か観たことがある程度。以降、ほとんど観ないから舞台の記憶はありません。しかし、それでも一芸に秀でた人の話しは興味深いものがあります。今になっていろいろ見聞きしておけば良かったと思っても後の祭り。この範囲内で言えば、太地喜和子の舞台を観なかったことが最たるものか。杉村春子は『華岡青洲の妻』で観ましたが、記憶に定かでありません。

   (2012年10月26日記録)

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