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2012年9月 2日 (日)

随想:日本戦後史の起点は?

 今日の新聞を見てふと考えた。

 8月15日を終戦記念日とし、その日にアジア太平洋戦争を終えたとして新聞等でも取り上げられる。しかし、例えば「もういちど読む山川世界史(*1)」は、8月15日前後の経緯を次のように記す。

 『1945年2月、アメリカ・イギリス・ソ連3国首脳はヤルタ会談でソ連の対日参戦とその条件について密約した(ヤルタ協定)。4月アメリカ軍は沖縄に上陸し,日本本土は連日の空襲で荒廃して敗北は決定的であった。7月、アメリカ・イギリス・中国はポツダム宣言を発表して日本に降伏をよびかけたが、日本政府はこれを黙殺した。アメリカは8月6日広島に、9日には長崎に原子爆弾を投下した。ソ連も8日、日ソ中立条約を破棄して対日宣戦し、中国東北に進撃した。日本は8月14日ポツダム宣言を受諾し(15日国民に発表)、9月2日降伏文書に調印した。こうして第二次世界大戦は連合国の勝利におわった。』

 アジア太平洋戦争は、1945年9月2日、日本の敗戦で終了したことがグローバルな認識だろう。何でもグローバルと言うわりに、この辺りが徹底していない気がする。今日の新聞(朝日・東京)を見回しても、どこにもそのことについての言及がない。事実は事実として正確に認識しないと、グローバル化に対応できない気がする。

 9月2日の降伏文書の調印式の背景を、「戦後史の正体(*2)」は次のように記す。

 『一九四五年九月二日、東京湾に停泊していた米国戦艦ミズーリ号で降伏文書への調印式が行なわれました。ミズーリ号を調印の場にするというのは、トルーマン大統領自身が決めていた計画です。いったいなぜか。答えは、
 「日本の首都から見えるところで、日本人に敗北の印象を印象づけるために、(略)米艦隊のなかでもっとも強力な軍艦の上で行なう」(『トルーマン回顧録』)
 というのが、戦艦ミズーリ号が選ばれた理由でした。』

 調印式の様子は、「敗北を抱きしめて・上(*3)」に掲載の次の図版が、知る範囲でもっとも雰囲気を伝えていると思う。
19450902

 何を考えたか、知らないこと、うろ覚えのことが多いなと。近・現代史を勉強しようと。いざと言う時にきちんとした意見を表明できるようにしておこうと。

  *1 山川世界史(P251)・「世界の歴史」編集委員会編・山川出版社
  *2 戦後史の正体(P28)・孫崎亨著・創元社
  *3 敗北を抱きしめて上・ジョン・ダワー著・岩波書店

   (2012年9月2日記録)

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