美術:越後妻有アートトリエンナーレ(3)
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ディレクション・照明・美術
勅使川原三郎
出演 勅使川原三郎、佐東利穂子、川村美恵、
ジイフ、鰐川枝里、加見理一、山本奈々
高木花文、他ワークショップ経験者たち
会場 神奈川芸術劇場ホール
公演 2012年8月25日(土)~8月26日(日)、詳細要確認
鑑賞 2012年8月26日(日) 15:00~16:30(休憩なし)
「ダンス・ダンス・ダンス ヨコハマ 2012」が、みなとみらい・関内・山下公園周辺ほかを会場にして開催中。オープニング「横浜ベイサイドバレー、上野水香のボレロ」は行きそびれたが、興味深いプログラムがまだ残る。
勅使河原三郎を観る機会はなかった。横浜トリエンナーレ2008での短い演目を除けば。何か凄いものを期待していたが、観終えて物足りなさを抱いたのは何故か。
無伴奏ヴァイオリン曲で始まる。音楽は全て録音、クラシックやテクノポップ(?)、ノイズ(?)、ヘッドセットで拾うダンサーの呼吸音。時にびっくりするほどの大音量。
黒いシャツにパンツ、飾り気のない佐東利穂子が高速回転する。体幹の動きに手が遅れて付いてくるようで、糸を引くように見える。鍛え抜かれた肢体の動きがダンスの魅力だ。
黒いシャツにパンツ、飾り気のない勅使河原三郎が高速回転する。時に筋肉を硬直させた動きが混じる。舞踏に観られる動きと感じる。
そして二人が高速回転する。暫らくは、ダンスの範疇として理解できる身体表現だ。その後はなかなか難しかった。
例えば、ワークショップの経験者達が中心だろう。リーダーの指示でレッスンをしている場面がある。一人一人の表現は異なり、集団が発するパワーみたいなものは目指していないようだ。
例えば、舞台後方から一列になって前進、暗転の間に頭を内側にした円形に寝転ぶ。瞬間できれいな円形に並ぶことに驚嘆するが、さて何を感じたら良いか。
筋の通った説明になっていないし、コンテンポラリーに意味を求めるのも何だけど、背景ぐらいは認識したい。今になって勅使河原のインタビューを探した。
『より不安定で、より可能性のある、そしてより原点、より簡素な方法論からそれが如何なるものに発展していくか…そのプロセス自体を作品に出来ないかということです。つまり練習曲みたいなものですね。ピアノスタディみたいな。僕にとってのダンスメソッドというのは表現ではなくて、ただの練習なんです。その練習が作品にならないかってことを今回挑戦します。半作品のような作品ということですね。』
理解の難しいところだけど、一貫した思いが湧かなくても仕方なさそうだ。
観客は6割くらいの入り。舞台は広く、ダンサーが思う存分動き回っていた。照明、美術は簡素ながら美しかった。評価はこれから、いくつも作品を観てからにしよう。
(2012年8月28日記録)
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
東海道53次、川崎宿と神奈川宿の中間、武蔵国橘樹郡生麦村(現横浜市鶴見区)で発生した外国人殺傷事件、生麦事件は文久2年8月21日(1962年9月14日)のこと。今年は150年目にあたる。
現在、横浜開港資料館と横浜市歴史博物館で生麦事件に関する企画展を開催中異なる視点で事件に迫ってなかなか興味深い。
名称 生麦事件 激震、幕末日本
会場 横浜開港資料館
会期 2012年7月19日(木)~10月21日(日) 、詳細は要確認
鑑賞日 2012年8月21日(火)
名称 生麦事件と横浜の村々
会場 横浜市歴史博物館
会期 2012年7月29日(土)~9月23日(日) 、詳細は要確認
鑑賞日 2012年8月23日(火)
教科書に掲載されるような歴史的事件で、我が家からもっとも近い場所で発生したのが生麦事件。距離にして10Kmも離れていない。
その頃、外国人殺傷事件は少なくなかったようだ。資料館の展示に「清水清次の処刑」があったが、清水清次等の墓は保土ヶ谷道沿いの法亀山願成寺にある。願成寺から保土ヶ谷道沿いに少し開港場よりに進むと戸部刑場跡、清水清次等はそこで処刑され願成寺に葬られた。(写真は、清水清次等の墓)
墓の案内に『清水清次・間宮一 元治元年(1864年)十月二十二日鎌倉八幡宮のそばの茶屋で一休みしようと馬から下りた二人のイギリス士官を「憎むべき夷狄なり」として惨殺した。いわゆる維新の志士だったといわれている。両人とも相前後してつかまり戸部刑場で処刑されたが清水二十五歳、間宮十八歳だったという(注:鎌倉事件)』、『鳶の小亀 慶応二年(1866年)二月関内の遊郭で酒に酔って乱暴をはたらいていたフランス水兵を丁度居合わせた力士の鹿毛山長吉が投げとばしかけつけた鳶職の亀吉(通称小亀)が鳶口で殺した・・・と伝えられている。小亀は鹿毛山の罪も一身に引き受け、戸部刑場の露と消えた、という(注:鳶の小亀事件)』とある。
ちなみに我が家の墓は願成寺にあり、戸部刑場跡は中学校への通学路脇だった。身近に歴史の断片があった。
数ある外国人殺傷事件のなかで、生麦事件が歴史として記されるのは次の理由によるだろう。
殺傷されたのは女性一人を含むイギリス人4人の一行、殺傷したのは江戸から京都に向かう薩摩藩の島津久光一行。乗馬のイギリス人一行が大名行列に入り込んでしまったことがきっかけ。無礼者ということで薩摩藩士が斬りつけたことになる。すなわち、個人的な事件として済ますことができなかった。(写真は生麦事件現場・江戸時代末期・ベアト撮影・横浜開港資料館所蔵、企画展カタログ・横浜市歴史博物館発行より引用)
後に、事件の解決を迫るイギリスは鹿児島湾に軍艦を進めて交渉を迫るが、薩摩藩は「生麦事件に関する責任なし」と返答したため、薩英戦争が勃発した。
その頃、外国人は開港場(横浜関内)に居住したが10里以内、横浜の場合は東の六郷川(多摩川)、西は酒匂川までは自由に外出できたそうだ。日本の風習にうとい外国人の行動範囲がかなり広い。行き違いも少なくなかっただろう。
殺傷されたイギリス人一行は、陸路(保土ヶ谷道だろう)で馬を移動させておいて、自分達は開港場から神奈川までを海路で移動、そこから馬で江戸方面に進んだそうだ。
殺されたのはリチャードソン、上海在住の民間人で横浜に遊びに来て災難にあった。本人は日本に好感を抱いたようだ。資料に記載がある。
傷を負った二人は、神奈川まで逃げ戻り、ヘボン式ローマ字で知られる医師・ヘボン博士の手当てを受けたそうだ。点の知識が少しづつ繋がっていく。
展示資料を見ていると、教科書には載らない興味深い史実が判ってくる。古文書の展示も多いが、読み下しや解説で理解は進む。資料館展示に「イギリスに残された資料から」の副題もあるように、リチャードソンゆかりの写真展示もある。
150年の歳月は長いだろうか、短いだろうか。往時の様子と今を比べれば、想像を絶する変化を遂げたと思えるけれど、世界各地から届く情報を見聞きし、国内の様子も総合的に勘案すると、人間そのものの進歩は微々たるものと思える。戦争や諍いの絶えることがない。
以前、私がまとめた「生麦事件碑」も参考にして事件現場を訪れては如何か。現在、事件碑は高速道路工事のために、200mほど東京寄りに仮設されているそうだ。後のお楽しみは、キリン横浜ビレッジで如何か。
(2012年8月25日記録)
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
新横浜駅は1964年、菊名駅~小机駅間に開業、駅間距離1.7Km。どちらも横浜国際総合競技場(日産スタジアム)の最寄駅、新横浜駅は東海道新幹線との接続駅。
一駅散歩でも1.7Kmでは物足りません。そこで八王子方面に少し進んだ横浜小机城址市民の森(城山)を散策してから、鶴見川土手・鶴見川流域センター・横浜国際総合競技場経由で新横浜駅に至る約6Kmのコースとしました。
小机駅改札口外に市民の森への案内あり、途中に標識も建っています。今回は少しだけ異なる道を歩きました。途中、横浜線踏切から八王子方面を眺めると線路の右側に小高い山、山一帯が市民の森です。
第三京浜道路高架手前を右に折れて市民の森に入りますが、そのまま直進、高架を潜って急な階段を登ると左手に富士塚。木々に囲まれて全体を見極められません。一分もしないで頂に登れますが視界は開けません。ふもと(?)の広場からも視界が開けません。以前来た時は、丹沢山塊・富士山が見えましたけど。夏場は木が茂って景色を期待できませんが、富士信仰の一端を目の当たりにできます。
来た道を戻って市民の森へ。途中、新横浜駅方面に横浜国際総合競技場が見えます。
小机城址と冠が着きますが、本丸跡、二の丸跡、空堀跡などが残ります。二の丸跡にはベンチが据えられていますが遊具などありません。薄暗い道を辿って自然を満喫します。食事・飲料持参でのんびりするのも良いでしょう。
来た道を戻り、小机辻から伸びる道路に交差したら左手に進むと鶴見川土手に至ります。この辺りに遠い知り合いがあったので、子供の頃に何度も来ていますが、往時は鶴見川に堰があり、満々と湛えた水がオーバーフローしてゴーゴーと響きわたっていた記憶があります。いまはすっかり変わって、遊水地にテニスコートやサッカー場が並ぶ新横浜公園になっています。
横浜国際総合競技場の手前に鶴見川流域センター。
ミニ水族館には鶴見川流域に生息する小魚の展示、附近で採取された鮎も混じります。盥にザリガニやかにが放されて、子供達が掴んで遊んでいます。その他、洪水の記録など鶴見川に関する資料展示はちょっとした勉強になります。
横浜国際総合競技場は目の前、遠くに横浜ランドマークタワーも見えます。
こんなに巨大な施設を作ってしまって後はどうなるんだ。横浜マリノスの旗が風になびいて、爽やかな夏の光景を感じながら一周。広場の噴水で子供達が遊んでいます。子供は水が好きですね。
案内標識に添って歩けば新横浜駅はすぐ。
(2012年8月22日記録)
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
山下公園は横浜を代表する名所の一つ、何時行っても多くの人が散策したり、ベンチに座って海を眺めたりしています。
公園の最も大桟橋に近い所に「インドの水塔」があります。天井部の見事なモザイク模様を見忘れないで下さい。
公園の海縁に立てば「氷川丸」はすぐ判ります。船尾部の係留鎖にかもめ(?)が連なる光景が見られます。
「マリンタワー」は銀色に塗り替えて精悍な感じになりました。公園内にモニュメントがいくつもありますが、今回は「かもめの水兵さん歌碑」と「赤い靴はいてた女の子像」を。
公園前水域で、先に案内した横浜スパークリングトワイライト2012関連のヨットレースが行われていました。横浜港内は帆走禁止の筈ですから特別な光景です。
(2012年8月20日記録)
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
名称 ブリヂストン美術館開館60周年記念
オルセー美術館、オランジュリー美術館共同企画
「ドビュッシー、音楽と美術 印象派と象徴派のあいだで」
会場 ブリジストン美術館
会期 2012年7月14日(土)~10月14日(日) 、詳細は要確認
鑑賞日 2012年8月16日(木)
参考 公式ホームページ
ドビュッシーには「海」「牧神の午後への前奏曲」「子供の領分」など標題付き楽曲が多くあります。ピアノソナタ第何番等と言われるよりは身近に感じられます。しかし、標題が描写楽曲に繋がるものでしょうか。
「海」は各楽章に、Ⅰ.海の夜明けから真昼まで、Ⅱ.波の戯れ、Ⅲ.風と海との対話、と標題が付いて描写音楽と認識できます。「牧神の午後の前奏曲」は、マラルメ の『牧神の午後』に触発されたそうですから、マラルメを紐解かないと理解は進まないでしょう。「子供の領分」も各楽章に面白い標題がついていますけど、どうなんでしょう。
標題に限りませんし音楽に留まらないのですが、最近、作品の背景やその時代などに興味を抱いています。時間の余裕もできたこともあります。良い機会でもあるので出かけた次第です。
作曲家のアウトプットは楽曲ですが、作曲家を冠にした美術展とは何が展示されるか。自筆楽譜や出版された楽譜などは十分に想像範囲内ですが。
展示は、インプットを明確にすることでドビュッシーの創作活動に迫るものと捉えました。関連する作品を第1~10章に分けた展示は、繰り返しますが多彩・多様です。一回りしただけでなかなか理解できるものではありません。
印象に残ったのはドビュッシーの興味の及ぶ範囲。
美術家では、印象派のモネ・ドガ・ルノワール、象徴派のルドン・ドニ、その後のカディンスキー、作品を愛蔵したクローデル・北斎。詩人・文学者では、マラルメ・ヴェルレーヌ・メーテルリンクなど。作曲家では、フォーレ・サティ・ラヴェル・ストラヴィンスキー。舞台美術家では、ディアギレフ・ニジンスキーなど。
印象に残った作品も何点かありました。
「海」の楽譜の表紙に北斎の版画が使われるなど、ドビュッシーのジャポニスムへの傾倒は承知してましたが、北斎・広重の版画が何点も展示されていました。印象派・象徴派の絵が多数展示されることは当然ですが、ガレのガラス工芸作品も多数展示されていました。ニジンスキーの写真やドビュッシーとストラヴィンスキーが一緒に写った写真にも興味が向きました。
美術好きにも、音楽好きにも楽しめる企画と思います。片方だけ好きなら、この際、両方好きになってしまうのは如何でしょうか。期間に余裕があるので、夏休みの時期が終えたらもう一度出かけようと思います。
(2012年8月19日記録)
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ハラ ミュージアム アークは東京都品川にある原美術館の別館、榛名山麓の伊香保グリーン牧場の一角にある。現代美術ギャラリーと東洋古美術の観海庵、現代美術の屋外展示の構成。みどりの芝生に、三方向に延びる黒い建物が映える。今回は再訪。
近くに伊香保温泉街や榛名山・湖、もしかしてそれらへ行く道筋で寄るのだろうか。
チケット売り場附近から見た美術館、左右に延びる建屋が二つのギャラリー、奥にもう一つのギャラリーと観海庵。
正面、ハート型のオブジェは「KOKORO:ジャン=ミシェル・オトニエル」。ムラーノ・グラスの連なりは、写真で見るよりキラキラ輝いている。少し前に原美術館で開催されたオトニエル展は好評だったようだが、このオブジェも現代美術鑑賞への不安を和らげ、期待を高めてくれるように思えた。
ギャラリーの展示作品の中で「プリム祭:クリスチャン・ボルタンスキー」「ミラールーム:草間弥生」「真夜中の海:束芋」などが目に付くけど、私は大掛かりなインスタレーションや個人展を観ているので、これだけではインパクトが薄い。確かな存在感は感じるけど。
「Lotus:遠藤利克」は、うろのある大きな木の根のようだ。表面の炭化したマチエールが強烈、仏の座る蓮華座が思い浮かぶ。他に、李禹煥、ジャスパー・ジョーンズ、大竹伸郎、ナム・ジュン・パイクなど。
観海庵は東洋古美術を展示すると前述したが、正確には現代美術とのコラボレーション。例えば「BLACK SEA
:杉本博司」と「龍虎図:狩野探幽」が同居する。強く惹かれたのが「青磁下蕪花花瓶(国宝):南宋時代」、以前に観たことがあるけれど、今回はその深い青と艶に惹きつけられた。鑑賞時の心境も大きく関係するから、くりかえし観るのも悪くない。
屋外展示は、「キャンベルズ トマト スープ:アンディ・ウォーホル」、「限定と無限低:古郷秀一」、「SUNSPACE FOR SGIBUKAWA:オラファー・エリアソン」など。
良い環境の中で現代美術に接するのは楽しく喜ばしい。展示作品のラインアップは、今まで現代美術に接する機会の少なかった方には新鮮だろう。しかし私は、大掛かりなインスタレーションや個人展を観てきたので、物足りなさを感じた。観客層など、どういう方向性が志向されているのだろうか。暫らくは情報収集に務めよう、いつか再訪の思いが満ちるまで。
(2012年8月13日記録)
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「北越雪譜(*1)」は北越の雪を主題とし、風俗習慣、科学的随筆も交えて興味深い一編。時は江戸後期、現在の生活はおよそ一変しているだろうゆえに民俗学的な色彩も漂わして名著。一読して、暖国人の私に雪国の生活は興味深く刻み込まれた。
著者・鈴木牧之(ぼくし)は、越後塩沢の人、1770年(明和7年)生まれ、幼い頃から学問・俳諧・書画に励み、長じて家業の縮仲買・質屋に精励、鈴木家を塩沢屈指の地位に築きあげた一面も持つ。ちなみに牧之は俳号、本名は儀三冶(ぎそうじ)。
「鈴木牧之記念館」はJR塩沢駅近くにあって、「北越雪譜」の初版本、遺墨、雪国に関する民俗学的資料などが展示されている。どなたもお出かけ下さいとは言い難いけれど、「北越雪譜」に心惹かれる方は一度立寄られては如何か。
写真は左から、記念館全景、俳碑(そっと置くものに音あり夜の雪)、友人の証言、牧之生家(牧之通り)。
三国街道塩沢宿に入ると、古い民家風の建物が左右に連なる。雪国特有の雁木も見られる。建物は新しいものだが、景観条例に添って統一感が確保されている。素朴な意匠ではあるけれどけばけばしい広告類もなく、空中に架線もなく、大きな空に良くマッチする。飲食店や土産屋も点在するが、多くの観光地に見られるけばけばしさもなく、落ち着いているところが美しい。
牧之通りの名が冠されていて、建物に「北越雪譜」などから採られた小文が掲げられている。たどって歩くのも楽しい。
写真は左から、牧之通り、お医者さんも(右側)、家先の掲示、雁木。
牧之通りからそれた所に甍が聳える「信受山長恩寺」の一角で、鈴木牧之は永眠する。特に案内があるわけでなく、墓所を一周して見つからず、本堂で声がしたのを幸い確認してようやく探し当てた。墓石には何名もの法名が刻まれており、牧之の法名は左下に刻まれていた。縁といえば著書に感銘したことだけだが、敬意を表した。墓マイラーの末席に加わったかも知れない。
(*1) 北越雪譜・鈴木牧之著・岩波文庫 黄226-1
(2012年8月11日記録)
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「個人美術館への旅(*1)」など類書を多く見かける。個人美術館に限らないが、興味惹く美術館が各地に開館され、その訪問を目的に旅行する方も少なくないようだ。私もその一人。
先日、新潟からの帰路、興味惹く何箇所かに寄ったので順に紹介する。往路は、少し後にもう一度出かけるので今回は省略。
新潟南魚沼の稲の波の寄せる中に「トミオカホワイト美術館」の白い姿が確認できる。遠くにスキー場も見え、冬に白銀の世界に一変することは容易に想像できる。
八海山が間近に見える。ロープウェーが架かるそうで、美術館からもう少し奥まった所に乗り場がある。
名称の「トミオカホワイト」も、知らなければ外人?と間違えそうだ。「トミオカ」は画家・富岡惣一郎から、「ホワイト」は白銀の世界を多く描いたことから取られたのだろう。
9時過ぎに到着、小一時間を館内で過ごす。その間に訪れる人はなく、私一人で借り切り状態。何と贅沢な美術鑑賞。しかし運営は紆余曲折、現在は南魚沼市管理のようだ。訪れたのは週日だが、週末に多くの方が訪れるのだろうか。とても心配だ。
展示室は長方形の一室のみ、中央スペースに富岡使用の画材などの展示。富岡が作った「ジンクホワイト」など数種類の白絵具、長さ60Cmほどのペインティングナイフが目を引く。白銀の世界を描くために、既存の画材では足りなかった。
展示室の壁面に作品展示。大半は白と黒の無彩色の世界、色彩があれば紺色だったり濃い灰色だったり、時に小さな枯れ木の茶であったり。
例えば、白銀の世界に川の蛇行する様子を想像されたい。白銀の山の斜面に木が点々と連なる様子を想像されたい。
多くは抽象画のようだが、目を凝らすと、川の筋や山のひだが見えてくる。じっくり作品と対峙する。借り切り状態の静寂な環境は、何ものにも変えがたい時間だった。
富岡を雪を描きたかった。雪の白さも様々で、その表現のために様々な白の絵具を作り、雪を際立たせるために風景を選んだ。暖国育ちの私に、雪の見分けができないけど。富岡の画壇に占める位置を良く知らないが、私は好きだ。雪国の厳しさと、それゆえに豊饒の実りを約束する世界が見えるから。
今回が二回目の訪問。機会があれば白銀の時期に訪問したいものだ。
(*1) 個人美術館への旅・大竹昭子・文春新書272・平成14年発行
(2012年8月10日記録)
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
関越道・越後川口サービスエリアにて仮寝。寝ていて足下に新涼を感じ、目覚めて信濃川の見事な蛇行を目の当たりにする。今日、長崎忌。
(2012年8月9日記録)
| 固定リンク | 0
| コメント (4)
| トラックバック (0)
最近のコメント