随想:東京新聞記事「再稼動を問う」について(続)
東京新聞・2012年5月8日朝刊22面に、同紙6日朝刊の「再稼動を問う」の続報「発足遅れる規制庁 オウンゴールで迷走?」が掲載された。
ここでオウンゴールに例えられるのは、民主・近藤洋介衆議院議員の同紙インタビューに対する回答のことで、私の思いは8日にブログ記事を掲載した。とりあえず、関連部分を次に再掲しておく。
『-原子力規制庁の発足まで待つべきではないのか。
「規制庁に変わっても、専門家やルールは大きく変わらない。本の中身は同じで、表紙だけ変えれば安心だというのは、意味合いがよく分からない。ためにする議論という気がする」』
付け加えた私の思いは次の通り。
『近藤議員が、あるいは推進派の方が、表紙だけ変えようとしていると感じてしまう。私は、表紙だけ変えて安心などとは思わないし、多くの方も思わないだろう。このような考え方の下、組織見直しを進めようとしているのだろうか。問題含みの発言と感じる。』
多くの方が問題含みの発言と感じたのだろう。近藤議員は8日の再取材で『規制庁ができても安全技術の知見は変わることはない、と申し上げたかった』と釈明したそうだ。
そうとしても、『知見は変わることはない』とはこれまた問題発言である。知見が変わろうと変わるまいと、経産政務官の近藤議員が、現体制にしろ規制庁ができたにしろ、圧力をかけるような発言をして良いだろうか、良い訳がない。
オウンゴールは、選手が最善の結果を求めてプレイした中のちょっとした行き違いで起こること、仮に恣意的なプレイで相手に1点献上するなら、それは八百長だ。
近藤議員の発言は果たしてオウンゴールだろうか。
(2012年5月10日記録)
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