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2012年5月25日 (金)

随想:肩肘はらずに現代美術いや仏教美術

 まず、次の二枚の写真をご覧頂きたい。一枚は雑誌「芸術新潮 2012年5月号」の表紙、他の一枚は「宝誌和尚立像(京都・西往寺)」(注1)。
Murakami1 Murakami2

 本屋で表紙を見たときに、この立像が思い浮かびました。作年代は平安時代(11世紀)ですから、およそ1000年前に顔の中の顔というアイディアがあったということ。私の知る範囲ですから、もっと年代を遡れる似たような仏像があるかも知れません。

 顔の中の顔と書きましたが、説明には次のように記されています。『宝誌和尚中国の僧侶で、神通力のある怪異な人物として有名であった。梁の武帝が画家に宝誌の姿を写させようとしたところ、和尚は指で自分の顔の皮を裂き、そこから十一面観音が顔を現したが、慈悲や威嚇の顔に自在に変化したので描くことができなかったという。』

 とすると、顔の中の仏さんを描けなかったので、和尚の顔で代用したことになります。でも表現としては顔の中の顔。

 胸の中の仏さんを見せているのは「ラゴラ尊者坐像(京都・萬福寺)」、口から仏さんを吐き出しているのは「 空也上人立像(京都・六波羅蜜寺)」です。

 往時、美術は仏教に向かう流れが最も大きかったことでしょう。よって、斬新なアイディアと仏教が結びついた、言い換えれば仏教美術も往時の現代美術として発展してきたことになりそうです。

 気ままに美術に接してきましたけど、少しは知識を深めないと思うばかりで終わってしまいそうです。ちなみに、ここで取り上げた作品で見ていないのが村上隆だけというのも、少し笑えます。

 注1:東京国立博物館特別展「仏像 一木にこめられた祈り」展カタログより

   (2012年5月25日記録)

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