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2012年5月14日 (月)

美術:平塚市美術館「木下晋展」 (2012年5月13日)

 実現することは少ないが、印象深い展覧会は二回三回と出かけたくなる。一回目を会期末近くに出かけることが多いので、二回目に出かける前に大抵は会期切れになる。時間に余裕が無いわけでなし、計画的に展覧会巡りすれば良いようなものだが。

 平塚市美術館「木下晋展」は4月30日に鑑賞したが、本日、H子(妻)が観たいと言い出し、私ももう一度観たいと思っていたので、道案内を兼ねて同行した。

 H子は、2007年利賀フェスティバルからの帰路、新潟南魚沼・富岡ホワイト美術館に寄った際に木下晋を観ている。私が平塚に行ったことは承知しているが、5月11日東京新聞夕刊の「あの人に迫る」で木下晋が取り上げられて、いてもたってもいられなくなったようだ。

 

 H子の感想は断片的に聞いた。「5年前には思い至らなかったことも感じた。木下晋の社会的弱者への眼差しは本人の若き日の境遇が大いに関係しているだろう。(年老いた)母親の上半身裸の全身像は身内にはなかなか描けるものではない、それも若き日の境遇が関係しそうだ。元ハンセン病患者の詩人Sにあえばやはり驚くだろう(身内に障害者がおり、ボランティアとして様々な方にお会いしているが)、日頃からもっと強く意識していないといけない」など。

 私は前回観終えてから少し考えていた。木下晋は、対象が社会の隅に置かれた人たちに向かった時に最も真価を発揮するのではないか。それは今日、納得した。対象と木下の緻密な表現方法が、両者を引き寄せ合っているのだろう。
 例えば、須之内徹(生前は描きたいとの申し出をやんわり断ったそうで、作品は没後に描いた)やギリヤーク尼崎(舞踏家、私はライブを見ていない)の作品も展示されているが、私は盗んでも手元に置きたい(須之内徹の名画の条件)とは思わない。実際を知らないが、社会の隅に置かれた人でなく、木下の射通すような視線が感じられない。

 元ハンセン病患者の詩人Sについては、H子と同じ思いを抱いている。宮本常一「忘れられた日本人」の中の「土佐寺川情話」に、山道で宮本がハンセン病患者と出会う場面が描かれている。最初ははっとして、少しして落ち着き、後で胸の痛む思いをしている。もし私がハンセン病患者の方と会う機会があったら、どういう態度で接することができるか、Sや木下に試されているような気もする。何とも心許ない。

   (2012年5月14日記録)

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コメント

木下晋は私も惹かれます。
私が観た作品は「ごぜ」さんでした。
瀬戸内芸術祭での衝撃的な出合いでした。

投稿: strauss | 2012年6月 3日 (日) 01時03分

 インパクトありますよね。技法と描く対象の親密性が独特の世界を生み
出していると思います。私も最初は直島でした。

投稿: F3 | 2012年6月 3日 (日) 14時53分

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