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2012年3月16日 (金)

随想:朝日「原発は退場すべきか」記事に対する私の考え(長文)

 2012年3月15日朝日新聞朝刊科学面に、「原発は退場すべきか」との設問に対する日本原子力学会長の聞取り記事が掲載された。その内容が、私には理解できない。ざっくばらんに言えば支離滅裂だと思う。一部引用ではニュアンスが伝わりそうもないので、次に全文引用するが、クレームが生じれば全文引用に関しては考慮する。

 

 『福島第一原子力発電所であのような大事故が起きるとは思っていなかった。シビアアクシデント(過酷事故)の対応が十分ではなかった。大量の放射性物質の放出はどんなことがあっても防がなければいけない。それを防ぐのが私たち科学者や技術者の責務だ。それができなかったのはいくら反省してもしきれない。

 だからといって原子力発電がだめだということではない。今回の事故という持別な問題と、原子力の安全という全体の問題は違う。

 エネルギー保障や産業界への貢献など、原子力はまだまだ必要な技術だ。その大前提として安全確保が重要だ。原子力発電の潜在的なリスクを認識し、いかに防ぐかが大切だ。多重防護によって安全は確保できる。原子力は人類が扱える技術だと私は思っている。

 絶対の安全はない。絶対の安全があると思考停止するのが一番怖い。安全性を高めるため、改善が常に必要だ。その意識を持つことが大切だ。安全の向上のため、現場で原子力に関わる人が高い感受性を持ち、最新の知見を反映し続ける努力を怠ってはならない。

 原子力学会は単なる学術組織ではない。研究者のほか電力会社やメーカーの技術者もいる、現場を知り抜いた専門家集団だ。専門家としてなぜ今回の事故が起きたのか、いかに原子力の安全を確保すればよいのかを指摘しないといけない。学会としての報告書をこの1、2ヵ月で示したい。

 閉鎖的で「原子カムラ」と批判されていることは真摯に受け止めないといけない。低放射線の影響や除染など、みなが知りたかっていることをきちんと伝えることが必要だ。私たちの情報の発信のやり方はこれまで一方的だった。本当の意味でコミュニケーションが成り立っていなかった。

 専門家集団として原子力学会が今ほど存在意義を問われている時はない。だが、事故から1年がたち、私たちが十分変わったとは言えない。もっと変わらないといけない。事故の被災者の声を受け止め、原子力の現場をよく知っているプロとして何を発信するかが問われている。』

 

 十分な反省をして頂くことを切望するとして、その次の「だからといって原子力発電がだめだということではない」はどういう脈絡から言えることだろうか。かなり飛躍しないと、この結論に至らないだろう。

 「今回の事故という持別な問題と、原子力の安全という全体の問題は違う」が全く判らない。チェルノブイリ・スルーマイルとは異なる、日本は別だと言って、現状肯定に都合の悪いものを切り離してきた。そういうセンシティブな思考体形が今回の事故を引き起こしたと考える。福島第一原発事故も切り離そうということだろうか。

 原発に絶対的な安全はない事を知ってしまった今、再稼動などありえないと思う。が、再稼動を仮定して再び事故が発生すれば、また全体から切り離して特別な問題と考えようとすることは容易に想像できる。

 チェルノブイリ・スルーマイル、ここ数日のうちに判明した、アメリカ・ネブラスカ州の原子力発電所火災、韓国の原子力発電所の電源供給停止事故およびその隠蔽、幸い大事には至らなかったようだが。

 その他を含め、これら全ての原子力発電所事故を鳥瞰すれば、原子力発電所事故は限りなく発生している。労働災害における経験則の一つにハインリッヒの法則がある。原子力事故にも何らかの経験則が見出せそうに思うが、如何なものだろうか。

 

 後半に興味深い言い回しがある。「絶対の安全はない」「最新の知見を反映し続ける努力を怠ってはならない」「私たちの情報の発信のやり方はこれまで一方的だった」「事故から1年がたち、私たちが十分変わったとは言えない」。

 これって、原子力発電は安全でない、安全なものには成し得ないと言っていることに他ならないだろう。「原子力発電がだめだということではない」とはどこからも導けない。再稼動ありき、原発継続で辻褄を合わせようとしているとしか考えられない。

 私は、演繹的に原子力発電所の安全を否定できない。しかし、福島第一原子力発電所の事故は、帰納的に原子力発電所が安全でないことを証明した、悲惨すぎる出来事ではあるのだが。
 よって、私は原発再稼動に反対し、脱原発を支持する。

   (2012年3月15日記録)

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コメント

日本原子力学会長が演繹的に原発再稼働の意義を説明できていません。
そのような意見に、論理的に反論する必要は無いと思います。

悲しくも、原発=危険が帰納的に証明されています。
そして収束していない、収束のための最善策も無いのに再稼働とは無責任極まりない話です。
他の原発で同様の事故が起きたら、
今の時点では、福島同様に収束できないということなのに再稼働とは…。
ふざけた話です

以上私も原発再稼働は反対、脱原発賛成です。

投稿: 坊主とその妻 | 2012年3月21日 (水) 23時31分

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