指揮 ゲオルグ・クリストフ・ビラー(トーマス・カントール)
独唱 ウーテ・ゼルビッヒ(ソプラノ)
シュテファン・カーレ(アルト)
マルティン・ペッツォルト(テノール/ 福音史家)
クリストフ・ゲンツ(テノール)、
マティアス・ヴァイヒェルト(バス)
ゴットホルト・シュヴァルツ(バス)
演奏 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
曲目 J.S.バッハ:マタイ受難曲
会場 横浜みなとみらいホール(2階4列26番)
公演 2011年2月25日15:00~18:15(休憩15分)
「マタイ受難曲」を初めて聴いたのは、確か1985年のバッハ生誕300年で来日した聖トーマス協会合唱団、カントルはハンス・ヨアヒム・ロチェ、福音史家はペーター・シュライアーだった。当日券が無かったけど立席を発券してくれた。3時間余の立ちっぱなしは結構きつかったけど。
再び聖トーマス協会合唱団、「マタイ受難曲」を聴くのは今回で5回目。判らないことの方が多いようなものだが、それでも惹き付けられる。ただし、もう立席で聴けるほど若くない。A席だけど前売券を購入しておいた。今回もほとんど満員だった。
初めに特記すべき出来事をまとめておく。
ソプラノ・ソロの女性以外は、他のソロ、コーラス、ソプラノ・リピエーノは全て男性、遠目にも判る日本で言う小学校高学年くらいの男の子達が多くいる。私の経験上では、この編成は聖トーマス協会合唱団のみ。日頃の訓練の賜物であろう。
クリストフ・ゲンツが体調不良で出演見合わせ、テノール・アリアはマルティン・ペッツォルトが歌うとの告示があった。また、アルトのシュテファン・カーレは合唱メンバーでもあり、ソリストの席と何回か行き来した。コーラスの少年一人が開始直後に舞台から退いた(前回も一人いた)。第二オーケストラにビオラ・ダ・ガンバが加わっていたが初めての経験、あるいは今まで気付かなかっただけか。
みなとみらいホールにはオルガン前席があるけど、舞台横席とオルガン前席には客を入れていなかった。祭壇の位置に相当するのだろうか。
左右二群のオーケストラがプロローグを奏で始める。地味だが艶やかで深みのある響きと受け留めた。ゲヴァントハウス管弦楽団として一度聴いたことがあるけど、どのような場合でも伝統の重みを感じる。マタイは器楽パートだけでも聴き所が多い。全体を通して素晴らしい演奏だった。
プロローグの途中から左右二群のコーラスが入ってくる。クリアさが少し不足しているように感じた。各声部がセパレートしていないような。でもすぐに解消した。3時間余に及ぶ演奏を見事に歌いきった。音楽的には女性を加えた合唱団のほうが安定するだろうが。遠目にも子供子供した少年達が合唱に加わっている様子は、伝統を継続する重みがある。
独唱は、キリストが音量不足で響かなかったのが不満。私の席は二階席であることも関係するだろうが、他はそれほど感じなかった。通常はどの程度のキャパシティで演奏されるのだろうか。福音史家はテノールパートも歌ったので大変だったろう。
35.アリア「忍べよ,忍べよ,偽りの舌われを刺す時」のヴィオラ・ダ・ガンバが実に印象的に響いた。39.アリア「憐れみたまえ,わが神よ,したたり落つるわが涙のゆえに」、42.アリア「われに返せ,わがイエスをば!」のヴァイオリン・ソロはあまりにも美しすぎる。60.アリア「見よ,イエスは我らを抱かんとて御手を拡げたもう」のオーボエ・ダ・カッチャ(多分)も物語の先行きを見事に暗示した。曲も演奏も見事。
45.レチタティーヴォ「マタイ伝27-15~22」の悪人の無罪放免を求める場面で、コーラスが「バラバ」とfffぐらいで声を張り上げる部分。私はここでバラバが安堵の深い息を吐く映画の一場面を思い出すことが多いけど、今回も見事に一場面が浮かんだ。それにしても一回しか叫ばないのが実に劇的。
ゲオルグ・クリストフ・ビラーの指揮は、後姿を見ていてシンプルだが、指示は良く行渡っていると感じた。ソリストにやや不満を感じたが、全体的に見事な演奏だと思った。
視覚的にも楽しいので、一度はライブでマタイ受難曲を聴くことをお勧めしたい。病み付きになるかも。
演奏を終えて余韻を噛み締める間も無しに拍手が始まったのは興ざめだ。演奏者にも失礼だと思うのだが。こういう時こそ「沈黙は金」、素晴らしい沈黙は素晴らしい演奏に匹敵すると思うのだが如何でしょうか。
(2011年2月28日記録)
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