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2011年11月 5日 (土)

随想:この人・百話一芸 第14回「琉球舞踊家・宮城能鳳」 (長文)

 2011年11月3日14時~15時50分、第14回横浜能楽堂講座「この人・百話一芸」。ゲストは琉球舞踊家・宮城能鳳、聞き手・進行は元NHKアナウンサーの葛西聖司。

 宮城能鳳の略歴は次のとおり。
 1938年生まれ。幼少より父徳村磯輝から琉球古典舞踊の手ほどきを受ける。15歳より玉城源造、宮城流・流祖宮城能造に師事、組踊、琉球舞踊を学び、女形として卓越した技法を習得する。86年国指定重要無形文化財「組踊」保持者(総合認定)、96年沖縄県指定無形文化財「沖縄伝統舞踊」保持者(総合認定)。07年から沖縄県立芸術大学名誉教授として後継者の養成にも力を注ぐ。06年重要無形文化財「組踊立方」保持者(人間国宝)。09年国指定重要無形文化財「琉球舞踊」保持者(総合認定)。04年沖縄県文化功労賞、09年旭日小綬章、09年与那原町制60周年記念「特別功労賞」受賞。

 

 いつもは前半が百話だけど、この日は祝儀舞踊「かぎやで風(かじゃでぃふう)」から始まった。ただし素踊り、地謡は録音。ゆったりした踊りだが、扇子を持った手が急に加速したり、形を作らずにすくっと立つ瞬間があったりして、日本舞踊とは違う。詳しくはないが、そんな印象を抱いた。

 

 横浜能楽堂には何度も出演しているそうだが何時もと異なる贅沢な試み、それは衣装を着けない素踊り。多少抵抗があり、緊張したという所から話が始まった。

 (写真を投影しながら)「かぎやで風」は能で言えば「翁」に相当する。沢山の人で踊ることもある。「かぎやで」とは、能の太郎・次郎冠者のかじゃから、あるいは鍛冶屋から取られたなどとも言われ、健康・平和を願う踊りで、子供の頃から習い始める。入門であり、卒業でもあり、ずっと踊り続ける出し物。武道の手法が入っており、突き・当て、アクセントが付く。突きでも一瞬、力が入る。二才踊り(薩摩の在藩奉行を歓迎するための舞踊)、若者の踊り。優美だけでない、神聖だけでもない。

 人間国宝は、立ち方では一人。琉球舞踊ではなく組み踊りで。三つの柱は、歌あり、舞いあり、台詞回しあり。「組の踊りを聴きに行く」と言うように総合芸能。女踊り、青年踊りもしっかりできないといけない。

 14・5才から踊りを始めたが、これは沖縄では一般的。父が古典音楽、舞踊のたしなみがあり、幅広く知っていた。廻って宮城能造に師事した。

 衣装は古典の場合、大体決まっている。女性の美しさは体の線で表し、表情は作らない。視線が大事で、深い悲しみ、深い愛情、深い恨みを表す。摺り足がしかっりしていないと。能と同じ出し物に「羽衣」がある。似ているけど少し違う。男性は農夫、海の国なのに。

 若い頃、勤めていた。音大を目指してピアノを習っていた。(高校)3年の時に母が無くなり、家を支えていた母が亡くなったので勤めに出た。コンクールで三年連続で賞を受けた。新人賞、最優秀賞、チャンピオン。力があれば毎年受けて良い。始めるのが遅かったので、一生懸命にやった。

 組踊りで指定を受けたのは1972年。それまでは舞踊などやって何になるんだと周りから言われた。首里(宮廷?)では男性が舞踊を守ってきたが、地方では女性が舞うものだと言われていた。舞踊でやっていこうと決断したのは組み踊りの指定がきっかけ。琉球舞踊のレーパートリーは多種多様だが、恋愛物は少なく「手水」だけ。?、仇討ちは多い。

 歌詞をしっかり歌ってくれると踊りやすい。哀調を帯びた台詞は、台詞を「聴きに行く」と言われることが良く判る。所作の「押手」「なより」などは重要、なよなよしてはいけない。なよなよすると汚くなり、気持ち悪い。一本芯を通す。女性だから女性踊りができると思ったら間違い。

 後半、女踊「天川(あまかー)」、雑踊「花風(はなふう)」を素踊りする。

 

 毎回思うこと。名人とは、恵まれた素質に、たゆまない努力を重ねて、さらに極めて一部の人が到達できるのだろうということ。素踊りは実力を曝け出すと言われるが、始めて琉球舞踊を観る私が名人の芸を見極めることなど不可能。名人が醸し出す雰囲気は感じられたが。衣装を付け、地謡の付いた踊りを一度、観てみたいものだ。

   (2011年11月4日記録)

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