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2011年11月15日 (火)

能・狂言:横浜能楽堂普及公演 --- 横浜狂言堂 ---

   狂言組 狂言「清水座頭」
          シテ(座頭)    野村万禄
          アド(瞽女)    野村万蔵

       狂言「蝸牛」
          シテ(山伏)    小笠原匡
          アド(主人)    野村太一郎
          小アド(太郎冠者) 則久英志

   会場  横浜能楽堂
   公演  2011年11月13日(土)
   鑑賞  2011年11月13日(土) 14:00~15:40(休憩15分)

 

 毎月第2土曜日に開催される狂言二番の普及公演、毎回、満員だったり満員に近かったりする。

 

1.清水座頭

 独り身の瞽女(ごぜ)が行く末を案じて清水の観世音に祈願、一夜の参篭を始める。そこへ一人の座頭が妻乞いの祈願に現われ、参篭の場所を探す最中に瞽女につまずく。二人は口論になるが、お互いに盲目のためと判って仲直り、座頭が持参した酒を酌み交わす。興にのって座頭は「平家」を語り、瞽女は小唄を詠って楽しむ。やがて各々は、観世音の「西門に配偶者がいる」とのお告げを受けるが・・・。

 狂言は滑稽味を帯びた表現形式と認識しても的を外すとは思えない。しかし、この演目に滑稽味は皆無で、むしろ弱者へ寄り添う思いと弱者の力強さが描かれる。そして、いつ成立したかは判らないが、古くからそういう視点があったことに共感を覚える。
 座頭の語る「平家」、瞽女が詠う小唄は聴き所、演者には音楽性も要求される。あるいは、演者に得手・不得手な演目があるかも知れない。野村万禄・野村万蔵の語り・小唄にしみじみとした情緒を感じた。そのような芸能にも親しむ機会を持ちたいと思った。

2.蝸牛

 長寿の薬になるという蝸牛(かたつむりの意)を探してこいと主人に言われた太郎冠者、蝸牛とは「頭は黒く、腰に貝をつけ、折々角を出し、藪にいる」と主人から教えられる。やがて太郎冠者、藪で休む山伏の頭は黒く、腰にほら貝、頭に突き出した結袈裟の様子から、山伏に蝸牛かと問えば、山伏はそうだと答える。太郎冠者は山伏を主人の元に連れ帰るが・・・。

 狂言らしい狂言、大いなる笑いを誘う。と同時に物を知らない事とは如何なるものかに気付かされる。後半の掛け合い、山伏が「でんでんむしむし、でんでんむしむし」と踊るような調子で囃やすと、太郎冠者は「雨も風も吹かぬに、出な、かま打ち割ろう」と平板な調子で唄う。この調子の変化が実に見事、豊かな音楽性を感じた。全体的に若々しい振る舞いが感じられた。

 

 狂言らしくない「清水座頭」と狂言らしい「蝸牛」の組合せから、狂言の奥深さを感じる。別の視点に立てば、唄や語りが物語の中心を占めることに気付く。古来より唄や語り、信心が人間にとって欠かせないものだったことも判る。古典に親しむのはなかなか難しいものがあるけれど、その中にあって狂言は以外にとっつきやすいのではないか。これからも折に触れて接したい。

   (2011年11月15日記録)

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