« 最近の読書から:『観光アート』 | トップページ | 美術:パンプキン・プロジェクト(9月18日限り) »

2011年9月16日 (金)

路上観察:音楽堂建築見学会 vol.1 (長文)

 音楽堂とは神奈川県立音楽堂のこと、見学会とは建築見学+講演+ミニ・コンサートの内容。2011年9月13日15時~15時40分で実施されました。

 

 建築建学は開演1時間前から、楽屋、楽器庫、ステージ、オーケストラ・ピット、音響室、ホワイエのコースを自由に見学しました。面白かったことを幾つか披露します。

 控え室は、新築時に建物の外であった場所に増築したため、そこにあった柱を部屋の中央に取り込んでしまった。楽器庫は、後から増築したため天井が極端に低く、出演待ちの演奏家が頭をぶつける事もあるとか。ステージを客席から見るとさほど大きく感じないけど、ステージに立つと結構広い。オーケストラ・ピットの蓋が開けてあったが、オーケストラ・ピットのあることを初めて知った。

 

 講演は1時間弱、前半は「藤森教授のレクチャー:音楽堂コンペ秘話 前川・丹下対決」、後半は「専門家登場:音楽堂の音響設計担当者 石井聖光氏に訊く」。

 

 藤森教授とは、建築家、建築史家。東大名誉教授にして現工学院大学教授。路上観察や何冊かの著書で承知しています。

 「ミース(・ファン・デル・ローエ)やバウ(ハウス)、コルビジェの建築の流れ、日本では戦後になってコルビジェ派が力を付けてくる。丹下(健三)の力が大きい。音楽堂コンペは師弟対決でコルビジェ風前川(国男)案に。丹下案は落選すると思って提出したようだが、その前のコンペのNHKホールで精魂尽き果てていたそうだ。

 打放しコンクリートは日本がリードした技術。(オーギュスト・)ペレが最初に小さな教会を作ったが、その後は作っていない。次はレイモンドが日本で。その6年後にコルビジェがスイス学生会館を。その場に前川がいた。

 コンクリートは時代が下がるにつれて悪くなる。建設時の写真を見ると手でコンクリートをこねている。今はポンプで運ぶ。そのため水分を多くしたシャブコン。今日見てもしっかりしている。耐震設計だけが当時の基準だったけど、それは仕方ない。日本の優れた成果と見直した。」

 建築家の名前程度は判りますが、基礎知識がないので大雑把な把握しかできませんでした。しかし、音楽堂の素晴らしさが証明されたようで、子供の頃から親しんできた私もなぜか嬉しい気分。子供の頃、打放しコンクリートなどと知りませんでしたが、広いガラス面との構造が、何かとても新しいものと感じていました。中学校が近くなので、隣接の掃部山公園に写生や遊びに来ていたので良く見ていました。

 

 専門家・石井聖光とは、東大名誉教授。東大生産技術研究所渡辺研究室にて神奈川県立音楽堂の音響設計を担当。藤森との対談形式で話が進んだ。藤森は、かっての上司と紹介した。

 「昭和26年、前川が事務所に来てくれと。先輩がいるのに院生の私に。音楽堂を建てるので協力の依頼だった。

 ホール設計の資料がなかったが、ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールの資料が入手できた。他のホールの音響設計の経験はなく、音楽堂が初めてだった。内山岩太郎(当時の神奈川県知事)が音楽を愛し、復興のために音楽をと。

 当時、音響の良し悪しは物理測定をしていない。作図でやっていた。ラジオが好きだったので、マイクをアンプに繋げた手製の機器を作った。昭和40年ごろまで続いた。模型実験もやっていない。効果は予想できたが音速が早くて、当時の状況では成り立たない。今なら周波数を高めてやるのだが。

 残響は、1.5秒。大きなオーケストラは無理だが室内楽なら良く聴けるだろう。このデータはあった。誰さんの推奨値、誰さんのと。その当時は外国に行けなかったので、1.5秒で良いだろう。当時は1300席で、客一人当たり5立方メートルもない。今のホールは10立方メートル。天井や何かは計算式を用いて。素材の吸音率が判らず、国立公衆衛生院の残響室を使わせて貰って実験した。試行錯誤、工事途中で少しづつ実験した。

 人の急音率は、実験室に人を並べて測定したりもしたが当てにならない。出たとこ勝負。幸いにして良いとの評判を受けた。

 木を使ったホールだが、当時は木かコンクリート打ちしかなかった。テックスは見てくれが悪い。木はベニアしかなかった。後方の天井は一寸三分、前方は五分の厚み。壁の穴は、直接音の反射の悪さを防止するためだが、後年わかったことは、普通の人にはわからない程度だった。

 残響は想定どおりといえばその通りだが、多少短い。上手く使ってほしいと。

 前川は音楽を愛する。建築と音響の立場がぶつかると、なぜだと聞いて対案を出してきた。前川ほど的確に対案を出した人はいない。凄い能力を持った方。コルビジェの話を直接聞いたことはない。当時、院生であった私に丁寧に接してくれた。」

 名前は承知していました。穏やかな方で。話も実に的確。藤森のリードで、素人の私には充分すぎるほどの話が聞けました。
 話に歴史を感じました。今なら音響設計するために、模型と音響機器やレーザー、シミュレーション、充分な基礎データが容易に準備できるでしょう。当時は大変な苦労をしたことが伝わってきました。まさに歴史の生き証人です。

 

 この後の「木のホールの音響体験ミニ・コンサート」は、大谷康子(vn)と小山さゆり(pf)。

 クライスラー「愛の喜び」「レチタティーボとスケルツォ・カプリス(vn独奏)」、エルガー「朝の挨拶」、アラール「椿姫ファンタジーより乾杯の歌」、サラーサーテ「チゴイネルワイゼン」。
 アンコールにモンティ「チャルダッシュ」、客席中央上手ドアー(多分)から大谷が登場、客席を移動しながらの演奏。

 演奏も素晴らしかったけど本日は音響が主役。色々な演奏を聴いてきましたけど、改めて良く響くホールであることを実感しました。定員1000人余のホールですが、まるでサロンコンサートのようです。客席などに多少窮屈な思いもしますが、これからも大事に使いたいものです。

 

 ブランクがあって最近また音楽堂に行く機会が年に5・6回はあるでしょう。ブランクの前は、スメタナ・クヮルテット、ベルリンフィル・ゾリステン、ポール・トゥルトゥリエ、赤い鳥、上條恒彦+小室等と六文銭、朱里エイコなどが記憶に残ります。当時、音楽は何でも音楽堂、そういう時代だったと思います。古い話ですが。

  (2011年9月15日記録)

| |

« 最近の読書から:『観光アート』 | トップページ | 美術:パンプキン・プロジェクト(9月18日限り) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 路上観察:音楽堂建築見学会 vol.1 (長文):

« 最近の読書から:『観光アート』 | トップページ | 美術:パンプキン・プロジェクト(9月18日限り) »