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2011年9月13日 (火)

路上観察:横浜に残る浦島伝説

 東海道53次第三番目の神奈川宿の江戸方見付附近から上方見付附近までを散歩(2011年9月12日)しました。神奈川宿については以前に書いているので、今回は新たに知りえた「浦島太郎伝説」についてまとめます。

 東海道を下ると神奈川宿附近は左手が海(今は大分遠い)、右が丘陵地帯になります。現在も、丘陵の一角に「浦島丘(範囲は判らない)」の地名があり、その海側に「亀住町」「浦島町」の町名があります。

 

 神奈川警察署脇の第一京浜と第二京浜を結ぶ道路沿い、そしてJR東海道線と京浜急行線に挟まれた「慶運寺」は、「浦島寺」と言われます。横浜開港当時は、フランス領事館になった歴史も残ります。

 境内に「横浜市地域有形民俗文化財 浦島太郎伝説関係資料」の案内があります。

 『横浜市神奈川区にも伝わる浦島太郎伝説は、観福寿寺に伝えられていた縁起書に由来すると考えられますが、同寺は慶応四年(一八六八)に焼失したため、縁起の詳細についでは確認できません。しかし、『江戸名所図会』『金川砂子』などの文献には縁起に関する記述がみられます。

 それらによると、相州三浦の住人浦島太夫が丹後国(現在の京都府北部)に移住した後、太郎が生まれた。太郎が二〇歳余りの頃、澄の江の浦から龍宮にいたり、そこで暮らすこととなった。三年の後、澄の江の浦へ帰ってみると、里人に知る人もなく、やむなく本国の相州へ下り父母を訪ねたところ、三百余年前に死去しており、武蔵国白幡の峯に葬られたことを知る。これに落胆した太郎は、神奈川の浜辺より亀に乗って龍宮へ戻り、再び帰ることはなかった。そこで人々は神体をつくり浦島大明神として祀った、という内容です。

 この浦島伝説が伝わっていた観福寿寺の資料は、同寺とゆかりの深い慶運寺(本寺)と、大正末期に観福寿寺が所在した地に移転してきた蓮法寺(神奈川区七島町二一番)に浅されでいます。

 慶運寺に移された浦島観世音は、浦島太郎が龍宮から玉手箱とともに持ち帰ったと されるもので、亀の形をした台座の上に「浦島寺」と刻まれた浦島寺碑や浦島父子搭とともに、浦島伝説を今日に伝えるものです。』

 かなり大雑把な話ですが、伝説はこのようなものなのでしょう。以前、丹後半島を旅行した時に浦島伝説の神社に詣でましたが、おそらくそこと関係しているのでしょう。

 写真は、登録資料の「浦島寺碑(旧観福寿寺旧在)」「浦島親子塔(旧観福寿寺旧在)」。他に「フランス領事館跡碑」「本堂全景」です。
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 なお登録資料の「本尊浦島観世音(旧観福寿寺蔵)」は何かの機会に拝観させて頂こうと思っています。「伝供養塔」「顕彰歌碑 太田唯助作」は探しませんでした。

   (2011年9月13日記録)

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