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2011年9月

2011年9月30日 (金)

最近の読書から:『原発の闇を暴く』

1.『原発の闇を暴く』、広瀬隆・明石昇二郎、集英社新書0602B、780円+税

 

 原発事故を、「放射能で死んだ人いません」とか、「交通事故による死者は年間5000人近い(H21年に24時間以内死亡者)」とか、二物衝撃的な言い回しで矮小化することにどれほどの意味があるだろうか。

 健康の概念を、WHO憲章前文は「身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」と定義する。原発事故の晩発性の身体的影響、終の棲家を追われ天職を断念し、子供たちの小さな世界さえ破壊してしまう精神的・社会的な影響に思いを通わせなければ、原発事故の本質には迫れない。

 

 原子力関連の識者・専門家・科学者たちを二分すれば推進派と反対派になる。広瀬は作家として長年原発問題に取り組んで大きな足跡を残し、明石はルポライターとして取り組むテーマの一つが原発問題、共に識者で反対派に位置付けられる。

 二人の対談は、(1) 福島第一原発事故が「犯罪」に該当するかどうか、(2) その責任者が誰であるかを、実名を挙げて明確にしたい、(3) 放射能被害を隠蔽しようとする者を強く批判したい(大半はマスコミ)、(4) これから起こり得る大事故の危険性をあらかじめ摘発しておく、を核にして展開する。

 「マスコミ報道で重用されるのは、原発推進派に分類される“識者”や“専門家”“科学者”と称する人々です」、「“識者”や“専門家”“科学者”の中には原発に反対する人も数多くいるのですが、彼らが報道に登場する頻度は原発推進派のそれに遠く及びません。不偏不党・中立公正とは名ばかりで、顕かな偏向報道状態にある」。

 二人は2011年3月11日を遥かに遡る時点から原発安全神話に潜む盲点を追求してきた。しかし、顧みられることなく原発事故に至ったとに無念の思いを抱いているだろう。

 読者の原発に対する立ち位置によっては、この対談は愚痴ともぼやきとも思えるだろう。しかし、そう思えば本質を見逃すことになる。

 3月11日以来、さしたる根拠も感じられないままに増大させた各種許容値等、心配ないと言いながら後退する事故状況、安全だといいつつ具体的な動きの鈍い対応。半年余の間で見聞きしたことを思い返せば、少なくとも二人の発言は充分に吟味されて良い。
 各人の原発への思いは一旦脇に置いて、多くの人に読んで頂きたい。

 

 なお、本書の後書きで多少触れられているが、二人は2011年7月8日付で、勝俣恒久・斑目春樹・寺坂信昭(Aグループ=行政等責任者)山下俊一(Bグループ=研究者)ら32人を東京地検特捜部に告発した。

   (2011年9月29日記録)

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2011年9月28日 (水)

路上観察:手水の使い方

 神社の参拝前に手水を使います。神社によっては、手水舎に「手水の使い方」を掲示しています。この説明が様々で興味深く、どこかへ出かけた折に収集しています。

 久しぶりにHPを更新しました。今までの分類に、「文章・イラスト付」「文章・写真付」を付け加えて再分類しました。よろしければ覗いて下さい。

   (2011年9月28日記録)

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最近の読書から:『原発文化人50人斬り』

1.『原発文化人50人斬り』、佐高信、毎日新聞社、1500円

 

 野田首相は、国連演説で「日本は、原子力発電の安全性を世界最高水準に高める」と言ったそうだ。日本の原発は絶対安全であった筈で、演説は辻褄が合っていない。

 東電原発事故は、絶対安全が単に神話であったことを白日の下に晒けだした。 なぜ神話が成立したのか、絶対安全でなければどの程度の危険を内包するか、私は知らない。しからば、大筋くらいは見通せるように基礎知識を蓄えることが急務だ。

 

 本書は書名からも察しが着くように、原発を近く遠くに取り巻く人物に焦点を当てているところだ。

 「第1章 原発文化人を原発戦犯」では、神話を作り出した政治家・評論家・文化人・タレントなど50名の名前を挙げる。その中で「中曽根康弘、渡部恒三、与謝野肇の政治家トリオ。斑目春樹、近藤駿介の専門家コンビ。吉本隆明、梅原猛の知識人もどきがA級戦犯である」と指摘する。B・C級を含めて大抵の人は見分けられるだろう。

 「第2章 反原発の群像」では、高木仁三郎、松下龍一、広瀬隆、小出裕章、忌野清志郎に言及する。忌野清志郎を除けば、東電原発事故が起こるまでは隅に置かれていた感じが強い。ただし、そのことが実績や正義の観点で劣ることを意味しない。体制とソリがあわなかったと言うことだ。

 どの範囲まで網をかけたかは不明だが、私が持ち合わせる知識で、納得できそうな人、判断の付かない人、入り乱れている。

 

 「第3章 東京電力の歴史と傲慢」「第4章 メディアと原発の危険な関係」で、全ページ数の1/3強を占めるが、章題に昨今の状況を重ね合わせると、およそは推察できる。本書の重心は「第1章」「第2章」にあると言える。

 本書は、原発を取り巻く人物像を手っ取り早く理解する人名事典の位置づけ。自分なりの原発人名事典を作る契機にしたら良いだろう。私が行った本屋では平積みされていたので一度手にしたら如何か。その先はじっくり考えて。

   (2011年9月27日記録)

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2011年9月23日 (金)

能楽:『 神 秘 域(かみ ひそみ いき)― OUR MAGIC HOUR 』

   番組  三番叟
         三番叟  野村万作
         千歳   深田博治

       三番叟
         三番叟  野村萬才
         千歳   高野和憲

             Photo

   演出  杉本博司

   会場  神奈川芸術劇場ホール
   公演  2011年9月21日(水)
   鑑賞  2011年9月21日(水) 19:00~20:40(休憩20分)

 

 客入りは二割に届いただろうか。舞う方も観る方も、主催者・共催者・関係者も含めて気の毒な状況だった。台風15号が最接近した時間帯で、客が劇場に移動する手段を失っていた。
 私が自宅を出る17時40分過ぎに運転していた横浜近辺の公共交通機関は、横浜市営地下鉄と横浜市営バスのみだった筈。私は地下鉄を選択。

 

 ヴァリエーションがあっても、「三番叟」を一夜に二回演奏するのは類稀というより、かってなかったのではないか。それに野村万作・萬才という親子にして師弟の共演、杉本博司の演出が興味深い。開催中の「ヨコハマトリエンナーレ2011」が共催である。

 

 舞台は仮設。目見当で三間四方よりは広く、地謡座と一体化しているのだろう。舞台前方左右に目付け柱・ワキ柱の意味だろう、二尺ぐらいの柱が立つ。鏡板の位置に杉本撮影(多分)の松並木の写真。橋掛かりは舞台後方から後に真直ぐに延び、そこから直角に下手に曲がっていた。

 照明が落ちているところに千歳・三番叟・囃し方・地謡が登場する。途中から照明が入る。地謡は一端席に着くが、声を発することなく鏡の間に戻る。三番叟だけが演奏されるので、「翁」の形式だけが踏襲されたと思うが、「翁」を観ていないので想像だ。

 野村万作は、今年6月に「簸屑」の太郎冠者を観ている。その時と顔付きが違って見えた。前半の「揉ノ段」が終了すると、後見座で黒式尉の面を付けて「鈴ノ段」、動きの止まることが無いので、肉体的にきついものがあると感じられた。天下泰平は、古代より連綿と繋がる人々の思いであることも伝わってきた。

 舞楽・振鉾(えんぶ)でも、大地を踏みしめる所作を見た。時間を遡れば伝統芸能はどこかに収束するかも知れない。断片的な見聞しかないが、若いときから興味を持っていたら今頃は少し判ったことがあったように思う。

 

 休憩後、舞台前方左右の柱が外されていたが、これだけで雰囲気は随分変わる。松林の写真も取り払われ、替わりに「雷(いかずち)」を染め抜いた幔幕が、舞台上と舞台後方に掲げられていた。

 野村萬才は現代劇でも良く見かけるが、やはり顔付きが引き締まっていた。悪くとらないで欲しいのだが。それに、いつもより若く見えたが、多少見下ろす位置関係だったからか。万作の衣装は伝統的なものだったが、萬才の衣装は紺地に白く雷が染め抜いてあった。進行に従って、幔幕が雷が光ったのも印象的だった。

 

 伝統芸能に限らないが、舞台に立つような人は一流の技能を保持する。その技能の深さを容易に見抜くことなど素人にできる筈がない。ただ、比較すれば万作と萬才に差があることは気付く。萬才の若さと言ってしまえばそれで終わりだが、所作や口跡に確かな差がある。絶対的には見抜けないが、相対的には感じられるところが興味深い。

 杉本の意図はそこにあるのだろう。笛の藤田次郎と松田弘之にしても音色が異なる。藤田の方は高調波を多く含む鋭い感じが強く、松田の方は柔らかい感じがした。笛の差か、技能の差かは確かめられないが、差のあることは確かに感じた。

 通常の能舞台に演出が加わることは無いと思うが、今回程度の試みは興味深い。極端に過ぎれば歌舞伎に近づくのだろ。変化しないことに伝統を見出す方も多いだろうが、私は蓄積が少ないから抵抗は無かった。

 それと同じ曲目を並べるのも実に面白かった。今回は、親子・師弟だったが、流派による差なども面白いのではないか。次なる機会を杉本博司に期待しよう。

   (2011年9月23日記録)

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2011年9月22日 (木)

路上観察:単独世界一周のヨット「酒呑童子3」が横浜港・象の鼻桟橋に

 9月17日、ヨットで8度目の単独世界一周を成功させた斉藤実さん(77)を新聞報道で知り、添えられた写真から横浜港のぷかりさん橋に帰港したと認識しました。

 愛艇は「Shuten-dohji(酒呑童子)3」、数日前の夕方の散歩で「象の鼻桟橋」に係留されているところを現認しました。ぷかり桟橋から回航されたのでしょう。

 本日(9月22日)、横浜は台風一過の綺麗な青空が広がっていたので、大桟橋周辺の写真撮影に出かけました。もちろん「Shuten-dohji 3」が係留されていれば、それも写真に収めようと。
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 ヨットにしては大型ですが、それにしても世界の海を航海するのにこの大きさかと思いました。船体の一部には赤錆びも出ていて過酷な航海が想像できました。デッキで動いている方がおりましたけど齋藤実さんでしょう。
 暫らく眺めていました。自分には遠い世界の出来事、凄いな凄いな、とただ思うだけでした。

 いつまで係留されているかは知りませんが、連休中に横浜港附近に出かけたら「象の鼻桟橋」に寄ってみませんか。偉業を成し遂げた斉藤実さんと愛邸「Shuten-dohji 3」を見られるかも知れません。

   (2011年9月22日記録)

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2011年9月20日 (火)

音楽:神奈川フィル第274回定期演奏会

  指揮  下野竜也

  独奏  石田泰尚(Vn)
      山本裕康(Vc)

  演奏  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目  シベリウス     :アンダンテ・フェスティーヴォ
      ニールセン     :ヴァイオリン協奏曲
      グルダ       :チェロと吹奏楽のための協奏曲
      ラヴェル      :スペイン狂詩曲
      セギーニャ・アブレウ:ティコ・ティコ(アンコール)

  会場  横浜みなとみらいホール(1階13列22番)
  公演  2011年9月16日19:00~21:25(休憩15分)

 

 今回公演に寄せた下野のメッセージで、一夜のキーワードは「プチ・ガラコンサート」。録音を含めて聴いたことのない曲ばかり、通常ならば敬遠したくなるプログラム構成です。

 

 「シベリウス」、少し肌寒の透きとおった空気に包まれたような、音が鳴り響くのに静寂さも感じられるような印象の弦楽。シベリウスの大曲を聴きたい思いが湧きました。

 「ニールセン」、ソロ・コンサートマスターの石田がソリストで登場。定期と何回かの練習時の様子を見ただけですが、シャイな方のようです。演奏も繊細と感じますが、それはひ弱さを意味しません。
 めずらしい事ですが、第1楽章を終えた所で拍手、彼の演奏への敬意の表出でしょう。

 「グルダ」、チェロ首席の山本がソリストで登場。それまで正装だった楽員が黒のシャツ姿で登場。「へ」の字を左右反転した配列で、長いほうに管楽器奏者、その後方にコントラバスが一挺。短い方にはギタートリオ、すなわちギター・ドラムス・ウッドベース。
 山本も黒のカジュアルな服装。第一楽章はジャズ風、第三楽章はカデンツァなど5楽章からなる珍しい楽曲。ソロも良いけど、神フィルの管もなかなか、それにギタートリオのアクセント。遊び心を感じさせました。

 この後、長めの舞台転換。休憩していても誰も文句は言わないだろうに、下野が登場して暫しのトークタイム。お忍びで来ていた金聖響を、情報が入ったとかで急遽舞台に引きずり出して、マーラー・シリーズや来期のプログラムなどの話題を。客を飽きさせない配慮に頭が下がります。

 「ラヴェル」は神フィルの総力結集だが、コンチェルト2曲で盛り上がっているので少し損したかも知れません。演奏に不満があるわけではありませんが、そういう廻り合わせもあります。

 「セギーニャ・アブレウ」、下野が山本を引っ張ってきて、石田・山本のソロを加えてラテンの名曲を。アンコールで再び盛り上がりました。

 

 終えてみればいつにも増して音楽の素晴らしさ、楽しさを感じた一夜でした。食わず嫌いを反省した一夜でもありました。

 それにしても、この高揚感は何なのでしょうか。演奏者次第で退屈してしまいそうな曲、録音では楽しさが伝わり難い曲、生の音楽を聴ける幸せを感じます。それどころで無い方の多くいることも承知しているのですが。

   (2011年9月20日記録)

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2011年9月17日 (土)

美術:パンプキン・プロジェクト(9月18日限り)

 スッシリー・プイオック「パンプキン・プロジェクト」、ヨコハマトリエンナーレ2011のアーティスト・プロジェクトの一つですが、2011年9月17・18日の期間限定で開催(*1)されます。会場は横浜美術館からシャトルバスで30分ぐらい離れた横浜市環境活動支援センターですが、その他を含めて詳細はこちら

 17日の終了間際に鑑賞しました。およそ10m四方ぐらいの南瓜畑、周囲にとうもろこしソルゴー(*2)が植えられて垣根の役割をしています。作者は、そこでカービングをしています。南瓜は取り入れしたものでなく蔓についたままです。
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 出来上がった作品の一部です。
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 会場は、展示温室・ハーブガーデン・実習ほ場ほかがあります。、隣接してこども植物園、児童遊園地があって散歩に最適です。今は端境期で咲いている花が少ないのですが。

 歩いて10分ほどの所に横浜の外人墓地の一つ、英連邦戦死者墓地があります。敷地は接しているのですが入口が離れています。歴史に触れることも有意義かと思います。

 18日限りです。興味あれば、散策を兼ねて鑑賞に出かけてみませんか。

 

*1 制作された作品は、9月中はそのまま展示されるそうです。朽ちていく様子を含めて作品との主旨。

*2 以下の内容の掲示がありました。『牧草等による環境対策奨励事業 実証圃  この作物の栽培により (1)土砂の流出防止、(2) 土ぼこりの防止、(3) 農薬散布時の飛散防止ができます。このような環境に配慮した技術を普及するため、展示を行います。』

   (2011年9月17日記録、19日追記)

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2011年9月16日 (金)

路上観察:音楽堂建築見学会 vol.1 (長文)

 音楽堂とは神奈川県立音楽堂のこと、見学会とは建築見学+講演+ミニ・コンサートの内容。2011年9月13日15時~15時40分で実施されました。

 

 建築建学は開演1時間前から、楽屋、楽器庫、ステージ、オーケストラ・ピット、音響室、ホワイエのコースを自由に見学しました。面白かったことを幾つか披露します。

 控え室は、新築時に建物の外であった場所に増築したため、そこにあった柱を部屋の中央に取り込んでしまった。楽器庫は、後から増築したため天井が極端に低く、出演待ちの演奏家が頭をぶつける事もあるとか。ステージを客席から見るとさほど大きく感じないけど、ステージに立つと結構広い。オーケストラ・ピットの蓋が開けてあったが、オーケストラ・ピットのあることを初めて知った。

 

 講演は1時間弱、前半は「藤森教授のレクチャー:音楽堂コンペ秘話 前川・丹下対決」、後半は「専門家登場:音楽堂の音響設計担当者 石井聖光氏に訊く」。

 

 藤森教授とは、建築家、建築史家。東大名誉教授にして現工学院大学教授。路上観察や何冊かの著書で承知しています。

 「ミース(・ファン・デル・ローエ)やバウ(ハウス)、コルビジェの建築の流れ、日本では戦後になってコルビジェ派が力を付けてくる。丹下(健三)の力が大きい。音楽堂コンペは師弟対決でコルビジェ風前川(国男)案に。丹下案は落選すると思って提出したようだが、その前のコンペのNHKホールで精魂尽き果てていたそうだ。

 打放しコンクリートは日本がリードした技術。(オーギュスト・)ペレが最初に小さな教会を作ったが、その後は作っていない。次はレイモンドが日本で。その6年後にコルビジェがスイス学生会館を。その場に前川がいた。

 コンクリートは時代が下がるにつれて悪くなる。建設時の写真を見ると手でコンクリートをこねている。今はポンプで運ぶ。そのため水分を多くしたシャブコン。今日見てもしっかりしている。耐震設計だけが当時の基準だったけど、それは仕方ない。日本の優れた成果と見直した。」

 建築家の名前程度は判りますが、基礎知識がないので大雑把な把握しかできませんでした。しかし、音楽堂の素晴らしさが証明されたようで、子供の頃から親しんできた私もなぜか嬉しい気分。子供の頃、打放しコンクリートなどと知りませんでしたが、広いガラス面との構造が、何かとても新しいものと感じていました。中学校が近くなので、隣接の掃部山公園に写生や遊びに来ていたので良く見ていました。

 

 専門家・石井聖光とは、東大名誉教授。東大生産技術研究所渡辺研究室にて神奈川県立音楽堂の音響設計を担当。藤森との対談形式で話が進んだ。藤森は、かっての上司と紹介した。

 「昭和26年、前川が事務所に来てくれと。先輩がいるのに院生の私に。音楽堂を建てるので協力の依頼だった。

 ホール設計の資料がなかったが、ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールの資料が入手できた。他のホールの音響設計の経験はなく、音楽堂が初めてだった。内山岩太郎(当時の神奈川県知事)が音楽を愛し、復興のために音楽をと。

 当時、音響の良し悪しは物理測定をしていない。作図でやっていた。ラジオが好きだったので、マイクをアンプに繋げた手製の機器を作った。昭和40年ごろまで続いた。模型実験もやっていない。効果は予想できたが音速が早くて、当時の状況では成り立たない。今なら周波数を高めてやるのだが。

 残響は、1.5秒。大きなオーケストラは無理だが室内楽なら良く聴けるだろう。このデータはあった。誰さんの推奨値、誰さんのと。その当時は外国に行けなかったので、1.5秒で良いだろう。当時は1300席で、客一人当たり5立方メートルもない。今のホールは10立方メートル。天井や何かは計算式を用いて。素材の吸音率が判らず、国立公衆衛生院の残響室を使わせて貰って実験した。試行錯誤、工事途中で少しづつ実験した。

 人の急音率は、実験室に人を並べて測定したりもしたが当てにならない。出たとこ勝負。幸いにして良いとの評判を受けた。

 木を使ったホールだが、当時は木かコンクリート打ちしかなかった。テックスは見てくれが悪い。木はベニアしかなかった。後方の天井は一寸三分、前方は五分の厚み。壁の穴は、直接音の反射の悪さを防止するためだが、後年わかったことは、普通の人にはわからない程度だった。

 残響は想定どおりといえばその通りだが、多少短い。上手く使ってほしいと。

 前川は音楽を愛する。建築と音響の立場がぶつかると、なぜだと聞いて対案を出してきた。前川ほど的確に対案を出した人はいない。凄い能力を持った方。コルビジェの話を直接聞いたことはない。当時、院生であった私に丁寧に接してくれた。」

 名前は承知していました。穏やかな方で。話も実に的確。藤森のリードで、素人の私には充分すぎるほどの話が聞けました。
 話に歴史を感じました。今なら音響設計するために、模型と音響機器やレーザー、シミュレーション、充分な基礎データが容易に準備できるでしょう。当時は大変な苦労をしたことが伝わってきました。まさに歴史の生き証人です。

 

 この後の「木のホールの音響体験ミニ・コンサート」は、大谷康子(vn)と小山さゆり(pf)。

 クライスラー「愛の喜び」「レチタティーボとスケルツォ・カプリス(vn独奏)」、エルガー「朝の挨拶」、アラール「椿姫ファンタジーより乾杯の歌」、サラーサーテ「チゴイネルワイゼン」。
 アンコールにモンティ「チャルダッシュ」、客席中央上手ドアー(多分)から大谷が登場、客席を移動しながらの演奏。

 演奏も素晴らしかったけど本日は音響が主役。色々な演奏を聴いてきましたけど、改めて良く響くホールであることを実感しました。定員1000人余のホールですが、まるでサロンコンサートのようです。客席などに多少窮屈な思いもしますが、これからも大事に使いたいものです。

 

 ブランクがあって最近また音楽堂に行く機会が年に5・6回はあるでしょう。ブランクの前は、スメタナ・クヮルテット、ベルリンフィル・ゾリステン、ポール・トゥルトゥリエ、赤い鳥、上條恒彦+小室等と六文銭、朱里エイコなどが記憶に残ります。当時、音楽は何でも音楽堂、そういう時代だったと思います。古い話ですが。

  (2011年9月15日記録)

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2011年9月14日 (水)

最近の読書から:『観光アート』

1.『観光アート』 山口裕美、光文社新書488

 「観光アート」は言葉としてこなれないが著者の造語、「アートを見ることを目的とした旅」「アートを活用した観光、まちおこし」の意味合いを内包する。意味に彼我両方の視点があるのは、著者がアートイベントやプロジェクトに関わってきて彼我の仲介役を意識しているからである。

 しかし、読者の多くが「アートを見ることを目的とした旅」に関心があるとするならば、本書の後半を占める「第4章 一度は訪ねてみたい美術館100」から、好きな美術館を選んで出かけたら良いようなものだ。
 多くは知らないが、それでも新鮮な話題を振りまいてくれる美術館、古くに設立されたにも関わらず今も輝きを放ち続ける美術館が含まれている。

 とは言いながら、どうして「観光アート」のような動きが顕著になってきたかを知ってから旅に出ることも、より良い鑑賞・旅のためには必要だろう。「第1章 観光と現代アート」で大まかな知識が得られる。まあ、疑問が続出するかも知れないのだが。

 「第2章 現代アートの新名所」では、香川県直島の地中美術館、十和田市現代美術館、金沢21世紀美術館などが紹介されている。「第3章 アートプロジェクトの新潮流」では、新潟県十日町市を中心に開催される越後妻有アートトリエンナーレや横浜トリエンナーレが紹介されている。
 行く先を決めかねるなら、ここで取り上げられている美術館やプロジェクトをまず目的地としたら良いだろう。

 私は専門家でなく、生活の潤いとしてアートに接するだけだ。横浜在なので東京・横浜周辺の美術館には時々出かける。年に数回は本書で取り上げられるような遠方の美術館に出かける。「観光アート」を実践してきたようなものだが、私の場合、知識は後付けだった。それも悪くなかったが。

 生活に潤いを付け加えたいと思う方は、「観光アート」というコンセプトに立ち入ってみては如何か。本書はその手掛かりを与えてくれるだろう。新書の性格上、最小限の白黒図版しか挿入されていないが、各美術館のホームページなどを参照することで、立体的な知識が形成できるだろう。

   (2011年9月14日記録)

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2011年9月13日 (火)

路上観察:横浜に残る浦島伝説

 東海道53次第三番目の神奈川宿の江戸方見付附近から上方見付附近までを散歩(2011年9月12日)しました。神奈川宿については以前に書いているので、今回は新たに知りえた「浦島太郎伝説」についてまとめます。

 東海道を下ると神奈川宿附近は左手が海(今は大分遠い)、右が丘陵地帯になります。現在も、丘陵の一角に「浦島丘(範囲は判らない)」の地名があり、その海側に「亀住町」「浦島町」の町名があります。

 

 神奈川警察署脇の第一京浜と第二京浜を結ぶ道路沿い、そしてJR東海道線と京浜急行線に挟まれた「慶運寺」は、「浦島寺」と言われます。横浜開港当時は、フランス領事館になった歴史も残ります。

 境内に「横浜市地域有形民俗文化財 浦島太郎伝説関係資料」の案内があります。

 『横浜市神奈川区にも伝わる浦島太郎伝説は、観福寿寺に伝えられていた縁起書に由来すると考えられますが、同寺は慶応四年(一八六八)に焼失したため、縁起の詳細についでは確認できません。しかし、『江戸名所図会』『金川砂子』などの文献には縁起に関する記述がみられます。

 それらによると、相州三浦の住人浦島太夫が丹後国(現在の京都府北部)に移住した後、太郎が生まれた。太郎が二〇歳余りの頃、澄の江の浦から龍宮にいたり、そこで暮らすこととなった。三年の後、澄の江の浦へ帰ってみると、里人に知る人もなく、やむなく本国の相州へ下り父母を訪ねたところ、三百余年前に死去しており、武蔵国白幡の峯に葬られたことを知る。これに落胆した太郎は、神奈川の浜辺より亀に乗って龍宮へ戻り、再び帰ることはなかった。そこで人々は神体をつくり浦島大明神として祀った、という内容です。

 この浦島伝説が伝わっていた観福寿寺の資料は、同寺とゆかりの深い慶運寺(本寺)と、大正末期に観福寿寺が所在した地に移転してきた蓮法寺(神奈川区七島町二一番)に浅されでいます。

 慶運寺に移された浦島観世音は、浦島太郎が龍宮から玉手箱とともに持ち帰ったと されるもので、亀の形をした台座の上に「浦島寺」と刻まれた浦島寺碑や浦島父子搭とともに、浦島伝説を今日に伝えるものです。』

 かなり大雑把な話ですが、伝説はこのようなものなのでしょう。以前、丹後半島を旅行した時に浦島伝説の神社に詣でましたが、おそらくそこと関係しているのでしょう。

 写真は、登録資料の「浦島寺碑(旧観福寿寺旧在)」「浦島親子塔(旧観福寿寺旧在)」。他に「フランス領事館跡碑」「本堂全景」です。
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 なお登録資料の「本尊浦島観世音(旧観福寿寺蔵)」は何かの機会に拝観させて頂こうと思っています。「伝供養塔」「顕彰歌碑 太田唯助作」は探しませんでした。

   (2011年9月13日記録)

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2011年9月12日 (月)

随想:鉢呂経産相発言に問題はあるか? (3)

 鉢呂経産相の最後の仕事である辞任記者会見(2011年9月10日21時30分開始)の記録がある。ボランティアによる文字起こしも掲載されているので参照願いたい。

 記録によれば経産相辞任会見は、記録開始の8分45秒から49分50秒まで続いている。

 記録は辞任会見終了後も続いていて、1時間8分13秒過ぎに次の話し声が記録されている。文字起こしは次のようになっている。

  記者1「たぶん書いた記者なんて現場見てないんでしょ?」
  記者2「うん…」

 記者1・記者2としているが、会見場にいた誰かであって、必ずしも記者であるか否かは定かで無いと思う。例えば、カメラ・クルーなどの可能性もありえる。しかし、その会話が為されていたことは確かだ。

 その少し前の1時間7分25秒過ぎに、文字起こしにはないが、私は次の話し声を認識した。

  「明日もうあたらしい人きまるの」
  「陛下が今北海道に・・・」
  「?」
  「あの自民党のプリンスの加藤さんじゃないですよ。」
  「?」
  「簡単にやめるよな。」
  「はい」
  「ほんまに何でやめるかよう判らないですよね。
   書いた記者もおかしいでしょう。」
  「やめたいんだ。」
  「書いた奴おかしい。わざと狂ってる。」
  「?」

 この後で前述の話し声になる。記者と断言できないが、会見参加者の誰かであることは間違いない。

 それにしても「書いた奴おかしい。わざと狂ってる。」は本音だろう。会見参加者の中にもこのように感じる方がいるということを、皆さんはどう思いますか。

 私は、「特に問題となる発言ではない」との思いは変わらない。

 私が見聞きした範囲の新聞記事やTV報道は、判を押したように「経産相の発言は許されない」との調子。それが反って如何わしいと思う。

 

 なお、記録の49分50秒過ぎから、次の不規則発言が挟まっている。所属、氏名不明のこれは記者だろうが、随分と横暴な発言だ。こういう発言を記者クラブは許容するのだろうか。ペナルティを与えるべきだ。公表すべきだ。

 所属、氏名不明「具体的にどう仰ったんですか?あなたね、国務大臣をお辞めになられる、その理由ぐらいきちんと説明しなさい」

 鉢呂「私も非公式の記者の皆さんとの懇談ということでございまして、その一つひとつに定かな記憶がありませんので」

 所属、氏名不明「定かな記憶がないのに辞めるんですか。定かな事だから辞めるんでしょう。きちんと説明ぐらいしなさい、最後ぐらい」

 鉢呂「私は国民の皆さん、福島県の皆さんに不信の念を抱かせたこういうふうに考えて…」

 所属、氏名不明「何を言って不振を抱かせたか説明しろって言ってんだよ」

 鉢呂「ですから、今、お話したとおりでございます」

 フリーランス田中「そんなやくざ言葉やめなさいよ。記者でしょう。品位を持って質問してくださいよ」

 鉢呂「大変すみません。私は精一杯話してるおるつもりで、ご理解をいただきたいと思います」

 フリーランス田中「恥ずかしいよ、君はどこの記者だ!」

  (2011年9月12日記録)

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2011年9月11日 (日)

随想:鉢呂経産相発言に問題はあるか? (2)

 既に前鉢呂経産相になってしまったが辞任に至る経緯が未だに納得できない。主義主張以前の、言葉の理解や新聞などメディアの情報伝達に関する課題としてである。

 いま問題とされる発言は「死のまち」と「放射能うつす」だ。後者はオフレコ談話の途中にあったようだが、的確な事実が報道されているとは思えない。ここでは「死のまち」のみ取り上げる。

 

 ある状況を目の当たりにして、もちろんそれまでの経緯も踏まえて、「死のまち」と表現したところで、私はかなり的確な情報伝達がなされたと思うだけだ。ましてや、前後の文脈を踏まえれば問題になる要素などない。

 疑問を感じたら、出来る限りオリジナルな発言なりを探して自分なりの判断をすべきだと思う。asahi.com(2011年9月9日18時16分)に「鉢呂経産相発言の詳細」が掲載されていたので、末尾に引用しておく(一致期間で削除されてしまうだろうから)。

 これを読んでも私の判断は変わらない。多くの人との思いと食い違うのだろうか。
 人間の活動を継続するために言葉は重要だ。言葉がゆがめられれば人間の活動がゆがめられる。腑に落ちないことは、自分なりに吟味することが大切だ。メディアの言説も自分なりのフィルターを通す必要がある。

 それにしても辞任してしまったら、かえって原発事故の影響下にある福島県民や多くの方々を見捨ててしまうように思えて、それが残念

 

 『●鉢呂吉雄経済産業相が9日午前の閣議後記者会見で触れた「死のまち」発言の詳細は、以下の通り。

 昨日、野田佳彦首相と一緒に(視察した)東京電力福島第一原子力発電所事故の福島県の現場は、まだ高濃度で汚染されていた。事務管理棟の作業をしている2千数百人がちょうど昼休みだったので話をした。除染のモデル実証地区になっている伊達市、集落や学校を訪れ、また佐藤(雄平)知事、除染地域に指定されている14の市町村長と会ってきた。

 大変厳しい状況が続いている。福島の汚染が、私ども経産省の原点ととらえ、そこから出発すべきだ。

 事故現場の作業員や管理している人たちは予想以上に前向きで、明るく活力を持って取り組んでいる。3月、4月に入った人もいたが、雲泥の差だと話していた。残念ながら、周辺町村の市街地は、人っ子ひとりいない、まさに死のまちという形だった。私からももちろんだが、野田首相から、「福島の再生なくして、日本の元気な再生はない」と。これを第一の柱に、野田内閣としてやっていくということを、至るところでお話をした。

 除染対策について、伊達市と南相馬市も先進的に取り組んでいる。大変困難ななかだが、14市町村の首長が、除染をしていくと前向きの形もでてきている。首長を先頭に、私も、住民のみなさんが前向きに取り組むことで、困難な事態を改善に結びつけることができると話した。政府は全面的にバックアップしたい、とも話した。 』

   (2011年9月11日記録)

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2011年9月10日 (土)

随想:鉢呂経産相発言に問題はあるか?

 鉢呂経産相発言が問題だとの新聞記事。私の知る最も詳しい発言内容は、朝日新聞9月10日朝刊3面の記事中(記事が要旨を掲載、私がまとめたものではない)にある。

 『【「死のまち」発言(要旨)】
 事故現場では、大変厳しい状況が続いている。福島の汚染が経済産業省の原点ととらえ、そこから出発すべきだと感じた。
 事故現場の作業員の方々は予想以上に前向きで、活力をもって取り組んでいる。しかし残念ながら、周辺町村の市街地は、人っ子一人いない、まさに死のまちというかたちだった。野田首相の「福島の再生なくして、日本の元気な再生はない」を柱に、内閣としてやっていくと、至るところで話した』。

 記事中の「人っ子一人いない、死のまちというかたちだった」から「死のまち」を抽出、この部分を捉えて問題としたのだろう。

 

 東京新聞9月10日朝刊1面記事に、宮城県の村井嘉浩知事の次の談話が掲載されている。「原発の影響で福島に活気がなくなっていることを憂慮したのだろう。被災者の感情を逆なでするのが真意ではないと理解している」。朝日に宮城県知事発言は掲載されていない。福島県知事の談話はいずれも掲載されていない。

 

 私は経産相発言の脈絡に問題となる部分があるとは思わない。村井知事の談話と同じ理解である。しかし、朝日新聞9月10日夕刊11面は「当然、大臣辞任を」の見出しにエスカレートしている。東京新聞9月10日夕刊2面は「鉢呂氏、責任論強まる」の見出しだ。

 

 私は経産相発言に問題を感じないので、なぜこうも急な展開をするのかが判らない。揚げ足を取ろうと待ち構えている人が多いからこうなるのではないかとも思う。これまでの経産相の発言を加味すればなおさらそう思える。

 明9月11日で大震災から半年が経過する。現状を鑑みれば、問題の本質は経産相発言にあるのではなく、別の所にある筈だ。

   (2011年9月10日記録)

追記:掲載後、Ustreamを閲覧したら辞任会見の場面だった。途中からだったので、後で見直そう。それにしても、どういう力が働くのでしょうか。

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2011年9月 7日 (水)

音楽:みなとみらいクラシック・クルーズ Vol.30

  出演  中野振一郎(Cemb)、
      工藤重典(Fl)

  曲目  ランチタイム・クルーズ(12:10~13:10)
       B.ガルッピ      :アンダンテ ハ長調(チェンバロ独奏)
       J.Ph.ラモー     :鳥たちのさえずり ホ短調(チェンバロ独奏)
       J.B.de.ボワモルティエ:のみ ホ短調(チェンバロ独奏)
       J.N.P.ロワイエ    :スキタイ人の行進 ハ短調(チェンバロ独奏)
       G.F.ヘンデル     :ソナタ イ短調 HWV362
       J.S.バッハ      :G線上のアリア
       C.P.E.バッハ     :ハンブルガーソナタ ト長調

      ティータイム・クルーズ(14:30~15:35)
       F.クープラン     :恋のうぐいす(チェンバロ独奏)
       D.スカルラッティ   :ソナタ 変ホ長調 K.193(チェンバロ独奏)
       J.Pf.ラモー     :ロンド形式によるミュゼット(チェンバロ独奏)
       F.レハール      :メリー・ウィドウ・ワルツ(チェンバロ独奏)
       G.F.ヘンデル     :歌劇『クセルクセス』より ラルゴ
       A.マルチェロ     :オーボエ協奏曲ハ短調より アダージョ
       G.P.テレマン     :ソナタ ヘ短調

  会場  横浜みなとみらいホール・大ホール
  公演  2011年9月6日

 

 定員2020名の大ホールでのチェンバロ演奏、か細い音量のチェンバロが大ホールを充分に鳴らすことなどありえません。チェンバロ下の箱は音量補強の増幅器でしょう。それでも、バロック音楽を普及講演で取り上げる企画が嬉しい。

 

 いずれのクルーズも同じ進行。前半は中野の話を挟んでチェンバロ独奏。後半は主に工藤の話を挟んでフルートとのデュエット。

 中野の話は、チェンバロはドイツ語、フランスではクラブサン、アメリカはハープシコード、イタリアはチェンバロと呼ばれる。宮廷の音楽に使われた。鍵盤は二段。白鍵・黒鍵がピアノと逆だが、製作者や国、時代によって様々。など。
 演奏は、順を追って一段鍵盤、二段鍵盤の連結、リュートストップを使用した曲目でした。チェンバロの特徴が良く理解できます。

 工藤はまず、中野さんは話が上手くて聞きほれていたら出番だと言われた。今日はフルートだが、当時はリコーダー。チェンバロとの相性が良い。など。

 

 「ヘンデル:ソナタ イ短調」を除けば小品ばかりで、肩肘を張ることはありません。「ラモー:鳥たちのさえずり」、「クープラン:恋のうぐいす」は鳴き声の、「ボワモルティエ:のみ」は跳ね回る動きの、描写を楽しく聴きました。「バッハ:G線上のアリア」、「ヘンデル:ラルゴ(オンブラ・マイ・フ)」はどう編曲されても名曲です。

 一番面白かったのが「レハール:メリー・ウィドウ・ワルツ」のチェンバロ独奏。チェンバロでメリー・ウィドウって。中野振一郎にとっては珍しくないようです。

 一時期はバロック主体に聴いていましたが、最近はオーケストラを聴く機会が多いです。サロンコンサートなどを探してまた出かけたくなりました。

 

 次回は10月5日(水)、きりく・ハンドベルアンサンブルです。

   (2011年9月7日記録)

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2011年9月 5日 (月)

音楽:ようこそ二十五絃筝の世界へ

  演奏 4plus(よんぷらす)
      メンバー 木村麻耶・佐藤亜美・日原暢子・町田光

  曲目      :情熱大陸のテーマ (二十五弦筝四重奏)
     宮城道雄 :中空砧 (十三弦筝独奏)
     吉松隆  :なばりの三ツ -十七弦独奏のための-
     三木稔  :華やぎ (二十絃筝独奏)
     伊福部昭 :二十五弦筝曲 琵琶行 -白居易ノ興に效フー
       (休憩)
     長澤勝俊 :樹冠 (二十五弦筝×3・尺八)
          :イギリス民謡集より
            「南の風」 (二十五弦筝独奏)
            「誰かと誰かが麦畑で」 (二十五弦筝独奏)
            「船漕ぎ」 (二十五弦筝独奏)
     野坂恵子 :津軽 (二十五弦筝独奏)
     J.S.バッハ・根本卓也編曲
          :トッカータとフーガ二短調 (二十五弦筝四重奏)

  会場 横浜みなとみらいホール屋上庭園(レクチャールームに変更)
  公演 2011年9月3日18:30~20:15(休憩15分)

 

 メンバーは若手の4人、交代で簡単な解説を担当してレクチャー・コンサートの趣き。コンサートへは時々出かけますが、純粋に邦楽だけのコンサートは多分初めてで、筝の種類の解説などが参考になりました。

 前半は絃の数の異なる筝の曲を並べて音や演奏の変化を感じさせ、後半は二十五絃筝の魅力を引き出す狙いがあったように思います。特に後半は、邦楽のコンサートというより邦楽器を使用した現代曲のコンサートの印象を強く感じました。

 

 筝の音色は独特で硬質な感じがしますが、爪で弾くことによるものでしょう。「イギリス民謡集より・南国の風」では爪を使わないと言っていましたが、柔らかな音色に変化して興味深く聴きました。

 「J.S.バッハ・トッカータとフーガ二短調」はオルガン曲、筝の演奏、特に出だしの持続音をどうするかと思いましたが、トレモロで処理していました。他曲に比べて異色ですが、違和感はさして感じません。なぜ鍵盤曲でなくてオルガン曲なのか、他にもクラッシック曲の編曲はあるのか、興味あるところです。

 どの曲か忘れましたが、胴をたたく奏法は特殊奏法なのでしょうか。絃を擦ったり、柱を揺らすのは特殊奏法ではないでしょう。とすれば、現代曲のわりには、筝の伝統奏法(良くわかっていませんが)の延長線上にあると感じました。

 絃が増えるにつれて胴の幅も広がり、体を大きく動かす必要が生じて、演奏するのも結構重労働と思えます。左手は、右手と同時に絃を弾いたり、押して音を揺らしたり、柱を調整したり、結構忙しいことが判りました。

 

 意識して筝の曲を聴くのも初めてで、散漫な感想しか出てきません。しかし、演奏に退屈することなどありませんでした。特に後半、二十五絃筝に独特の世界を感じました。ただ、4張の筝では音色の変化の乏しいことも事実で、もっと低く調弦される二十五絃筝などもあるようですから組合せたら面白ろそうです。とにかく二十年ほどの歴史しかない新しい楽器のようですから、特徴を生かした新作曲の発表なども待たれます。

   (2011年9月5日記録)

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2011年9月 4日 (日)

美術:空海と密教美術展

  名称   空海と密教美術展
  会場   東京国立博物館 平成館
  会期   2011年7月20日(水)~9月25日(日) 、詳細は要確認
  鑑賞日  2011年8月31日(水)
  参考   公式HP

 

 30分待ちを覚悟しましたが待つことなしに入場できました。各展示は観客が三重・四重くらいに取り囲んでいました。

 我が家は真言寺院の檀家ですが、特定の宗教・宗派を信心しているとの感覚は稀薄です。それなのに宗教、特に仏教系の美術展に出かけるのはなぜでしょうか。

 

 展示は四つに分けられていました。

 「第一章 空海-日本密教の祖」。「弘法大師像」「空海筆・聾瞽指帰(ろうこしいき) 」など、空海自身に関係する物の展示。

 「第二章 入唐求法-密教受法と唐文化の吸収」。804年に入唐した空海は、2年間で唐文化を吸収、密教奥義を修め、師から密教流布を託されます。師から託されたり、空海自らが持ち帰った唐時代の絵画、仏像、法具などの展示。

 「第三章 密教胎動-神護寺・高野山・東寺」。空海ゆかりの高雄山寺(現神護寺)、高野山、東寺(教王護国寺)に関わる絵画、書、仏像、工芸などの展示。

 「第四章 法灯-受け継がれる空海の息吹」。空海の息吹が色濃く残る9世紀から10世紀の絵画、書、仏像、工芸の展示。

 

 4・5点の空海直筆は力強い筆跡。「風信帳」など1000年余を経て存在することに感動します。
 経典、文書の類は内容を理解できず、体裁、字面を観るのみ。曼荼羅ば曼荼羅と判りますが意味は不明。国宝の「両界曼荼羅図(高雄曼荼羅)」などを目の当たりにして流れた時間の長さを感じるのみです。

 空海請来の五鈷鈴・五鈷杵などの密教法具は、1000年余の時を経たとは思えない美しさを残しています。大切に扱われてきたのでしょう。数が多いので一つ一つじっくり観比べる余裕はありません。

 親しみを感じるのは仏・神像。第二章途中の「兜跋毘沙門天立像(東寺)」。30年ほど前に奈良国立博物館の模刻を目にして以来、強く記憶に残ります。その後本物を観て、再び間近で観て、都城護持のために羅城門楼上に安置されていた美しくも厳しい顔立ちの神像と改めて思いました。若き日の感性、過ぎにし春を思い返しました。

 最後の部屋は、東寺講堂に安置される21体の仏像のうち8体で「仏像曼荼羅」を再現するもの。見事と思う反面、物足りなさも感じました。理由は明白、最近は西に移動する機会も耐えましたが、いずれ東寺に出かけましょう。

 国宝・重文指定のない展示品を探すことが難しいくらいの企画展、展示替えも多いのでもう一度出かけたいと思います。

   (2011年9月4日記録)

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2011年9月 1日 (木)

美術:ブリジストン美術館「青木繁展」

  名称   没後100年 青木繁展-よみがえる神話と芸術
  会場   ブリジストン美術館
  会期   2011年7月17日(日)~9月4日(日) 、詳細は要確認
  鑑賞日  2010年8月31日(水)

 

 29歳に届かずこの世を去った青木繁の没後100年展。会期末が近づいてようやく出かけました。それにしても展示作品の多いこと。

 展示は「第1章 画壇への登場─丹青によって男子たらん 1903年まで」「第2章 豊饒の海─《海の幸》を中心に 1904年」「第3章 描かれた神話─《わだつみのいろこの宮》まで 1904-07年」「第4章 九州放浪、そして死 1907-11年」「第5章 没後、伝説の形成から今日まで」に分かれています。

 

 展示室に入る前に「かつて東京美術学校に在るの日 青木生」と添え書きのある自画像。暗い調子の中に強烈な存在感を主張しています。

 第2章。青木繁の一枚と言えば、22歳の時に発表された「海の幸」を採ります。初めて観た時、イメージに対して随分小さな絵、習作みたいな絵だと感じました。そういうことを超越して、労働の喜びに満ち溢れた素晴らしい絵だとも思いました。この絵と対峙するは三回目、そこそこのサイズと思うようになった他の印象は変わりません。

 第3章。「わだつみのいろこの宮」も何時見てもいい絵だと思います。完成度において「海の幸」に勝りますが、それゆえに激しい思いが後退していると思います。難しいものです。

 初めて観たと思うのですが、恋人の福田たねをモデルにした「女の顔」、正面を見つめる鋭い眼差しに忘れがたいものがあります。「海の幸」初め、青木の絵の多くにたねに似た顔が描かれているのは衆知のことです。

 今回、印象に残ったのが「海」をテーマにした作品、卒業後にたねや仲間と旅した布良の海、点描で描かれた海や絶筆となった「朝日」に描かれた海。今回はなぜか気になりました。出展リストに寄れば、所蔵先が多岐に渡るようですから、今まではまとめて観る機会はなかったのだと思います。

 

 主要な作品は三回目の鑑賞になりますが、ようやく冷静に観られるようになったと思います。次の機会があればより細かく観られるでしょう。それまでに少し知識を仕入れておきます。芸術新潮2011年7月号で「没後100年 青木繁 ゴーマン画家の愛と孤独」を特集しています。

 入場者は比較的多く、作品によっては二重三重といったところ。残る会期はわずかですが、まだご覧になっていないようでしたら、「海の幸」「わだつみのいろこの宮」を観に出かけませんか。

   (2011年9月1日記録)

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演劇:女中たち

  作    ジュン・ジャネ
  翻訳   篠沢秀夫
  演出   李潤澤(イ・ユンテク/劇団コリペ)

  出演   マダム      裵美香(ベ・ミーヒャン)
       女中・クレール  坂本容志枝
       女中・ソランジュ 久保庭尚子

  会場   タイニーアリス
  公演   2011年8月24日(水)~28日(日)
  鑑賞   2011年8月25日(火) 14:00~15:45(休憩なし)
  参考   韓国・日本・韓日合同の3ヴァージョン中の韓日合同の回

 

 女中には差別的な意味合いが含まれ、通常は家事手伝いなどと言い換えられる。時代を遡れば、高位な女性の職業の呼称であったにも関わらず。原作の「女中たち」にも高位な女性の職業のニュアンスがあるらしい。しかし、乗り越えられない彼我の階級。

 

 マダムの寝室、下手に大きな開き窓、家具調度は洋風で赤いハイヒールなどが置かれている。衣装は和服、マダムは赤色っぽい下着姿、上着は衣桁に掛かり、クレールの喪服姿は先行きの暗示か。上手隅のミシンと粗末なベッドは女中部屋だろう。和洋折衷ではあるが違和感はない。

 マダムはマダムらしく振舞い、クレールは女中らしく慇懃に振舞う。目覚まし時計が鳴るまでは。
 もうすぐ本物のマダムが帰る。実は、クレールがマダムに、ソランジュがクレールになり切って「マダムごっこ」をしていた最中だ。伏線がある。女中たちは旦那の小事を密告し旦那は囚われの身になっていたが、電話で予想外の釈放の連絡が届いた。

 帰ったマダムは置かれた物の位置が変わったり、クレールの化粧の残りでマダムの古い化粧品の使用を知る。電話の受話器が外れていることを問えば、旦那が釈放の連絡のあったことを知る。喜び勇んで出かける段取りを女中たちに命ずる。女中達はしきりに睡眠薬入りの菩提樹花のお茶を飲ませようとする。

 密告の事実もやがて気付かれるだろうと思いながら、マダムごっこを続ける女中たち。

 

 1時間40分を言葉の礫で繋ぐ女中たち。難解な戯曲だが、ディテイルは明確になった。調べれば、坂本はSCOT・第三エロチカ、久保庭はACM・SPAC・SCOT・フリー、経験豊かな女優たちであり、「女中たち」はイ・ユンテクの下で半年余りの研鑽を積んだとのことだから、押して知るべしか。
 マダムのベ・ミーヒャンは、わずかにたどたどしさを感じさせる日本語だが、そこにマダム然とした雰囲気が漂い、なかなか良い組合せだ。フランスの戯曲を韓日の俳優が演じる違和感など一片もない。

 乗り越えようとして乗り越えられない一線。それらを超越するように世の中は動いてきた筈だけど、反って強化されている様に感じる。女中をお手伝いさんと言い換えたところで潜在意識を変えることは、上っ面の言葉のようにはいかない。甘い言葉に気をつけろか。
 「女中たち」は上演機会の多い戯曲と思うが、理由はその辺りにあるのだろう。他のヴァージョンも観たかった。

   (2011年8月31日記録)

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