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2011年9月30日 (金)

最近の読書から:『原発の闇を暴く』

1.『原発の闇を暴く』、広瀬隆・明石昇二郎、集英社新書0602B、780円+税

 

 原発事故を、「放射能で死んだ人いません」とか、「交通事故による死者は年間5000人近い(H21年に24時間以内死亡者)」とか、二物衝撃的な言い回しで矮小化することにどれほどの意味があるだろうか。

 健康の概念を、WHO憲章前文は「身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」と定義する。原発事故の晩発性の身体的影響、終の棲家を追われ天職を断念し、子供たちの小さな世界さえ破壊してしまう精神的・社会的な影響に思いを通わせなければ、原発事故の本質には迫れない。

 

 原子力関連の識者・専門家・科学者たちを二分すれば推進派と反対派になる。広瀬は作家として長年原発問題に取り組んで大きな足跡を残し、明石はルポライターとして取り組むテーマの一つが原発問題、共に識者で反対派に位置付けられる。

 二人の対談は、(1) 福島第一原発事故が「犯罪」に該当するかどうか、(2) その責任者が誰であるかを、実名を挙げて明確にしたい、(3) 放射能被害を隠蔽しようとする者を強く批判したい(大半はマスコミ)、(4) これから起こり得る大事故の危険性をあらかじめ摘発しておく、を核にして展開する。

 「マスコミ報道で重用されるのは、原発推進派に分類される“識者”や“専門家”“科学者”と称する人々です」、「“識者”や“専門家”“科学者”の中には原発に反対する人も数多くいるのですが、彼らが報道に登場する頻度は原発推進派のそれに遠く及びません。不偏不党・中立公正とは名ばかりで、顕かな偏向報道状態にある」。

 二人は2011年3月11日を遥かに遡る時点から原発安全神話に潜む盲点を追求してきた。しかし、顧みられることなく原発事故に至ったとに無念の思いを抱いているだろう。

 読者の原発に対する立ち位置によっては、この対談は愚痴ともぼやきとも思えるだろう。しかし、そう思えば本質を見逃すことになる。

 3月11日以来、さしたる根拠も感じられないままに増大させた各種許容値等、心配ないと言いながら後退する事故状況、安全だといいつつ具体的な動きの鈍い対応。半年余の間で見聞きしたことを思い返せば、少なくとも二人の発言は充分に吟味されて良い。
 各人の原発への思いは一旦脇に置いて、多くの人に読んで頂きたい。

 

 なお、本書の後書きで多少触れられているが、二人は2011年7月8日付で、勝俣恒久・斑目春樹・寺坂信昭(Aグループ=行政等責任者)山下俊一(Bグループ=研究者)ら32人を東京地検特捜部に告発した。

   (2011年9月29日記録)

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