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2011年8月

2011年8月29日 (月)

路上観察:第14回いわて花巻イーハトーブの里ツーデーマーチ(道中編2 2011年8月20-22日)

 岩手県花巻市で開催された第14回いわて花巻イーハトーブの里ツーデーマーチに参加しましたが、第1日・第2日のマーチング後、および後日の道中についてまとめました。宮沢賢治童話館、羅須地人協会、角館・田沢湖・小岩井牧場からJR盛岡駅に至るドライブでした。

 詳細記録はホームページに掲載してあります。よろしければ、そちらも一読願います。

  (2011年8月28日記録)

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2011年8月28日 (日)

路上観察:第14回いわて花巻イーハトーブの里ツーデーマーチ(道中編1 2011年8月19日)

 岩手県花巻市で開催された第14回いわて花巻イーハトーブの里ツーデーマーチに参加しましたが、その前日の道中はJR一関駅から花巻駅に至るドライブ、平泉で毛越寺・中尊寺、花巻で萬鉄五郎記念美術館・宮沢賢治記念館によりました。

 詳細記録はホームページに掲載してあります。よろしければ、そちらも一読願います。

  (2011年8月27日記録)

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2011年8月25日 (木)

路上観察:第14回いわて花巻イーハトーブの里ツーデーマーチ(2011年8月20・21日)

 岩手県花巻市のJR花巻駅前なはんプラザ多目的広場をスタート・ゴールにして宮沢賢治ゆかりの地などを歩く、第14回いわて花巻イーハトーブの里ツーデーマーチに参加しました。第1日は「20Km・宮沢賢治文学散歩の道コース」、第2日は「10Km・宮沢賢治生家と詩碑を歩こうコース」でした。

 第2日は歩く向きこそ逆でしたが、主な経由地は第1日に含まれていました。急遽、参加コースを変更したためですが、宮沢賢治に対する思いがより深まりました。宮沢賢治の著書を多く読んでいませんが、一通り読んでから再び花巻を訪れたい思いを抱いて帰ってきました。

 詳細記録はホームページに掲載してあります。よろしければ、そちらも一読願います。

  (2011年8月25日記録)

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2011年8月21日 (日)

いわて花巻イーハトーヴツーデーマーチ•第2日

いわて花巻イーハトーヴツーデーマーチ•第2日
空模様と昨日のペース(必ずしも自分のペースで歩けない部分もある)から、10Kmコースに変更して参加しました。

コースは、部分的に異なる経路もありますけど、主要な経由地は昨日通過した所ばかりでした。でも、昨日よりは細かく観られました。スタートは10時、ゴールは12時半過ぎでした。

ゴールしてから賢治が独居生活した建物、羅須地人協会を観に行きました。現在は花巻農業高校の敷地内に移築されています。

2日間の滞在で、花巻は何をおいてもまず賢治、少し遅れて高村光太郎、萬鉄五郎、新渡戸稲造のようです。

その後移動して角館に来ています。明日は角館を散策してから盛岡に移動、横浜に戻ります。

    (2011年8月21日記録)

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2011年8月20日 (土)

第14回いわて花巻イーハトーヴの里ツーデーマーチ•第1日

第14回いわて花巻イーハトーヴの里ツーデーマーチ•第1日
今日は20Km、賢治文学散歩の道コースに参加しました。賢治生家(当時のものでない)、賢治墓所、下の畑、独居自炊の地、賢治イーハトーヴ館などを経由しました。

途中、イギリス海岸の案内板がありました。給水ポイントのおばあさんの話では、1週間前は見えていたそうですが、その後の雨で増水した為、今日は見えないとのことでした。川底の地形で、渇水時にしかみられないようです、残念。見たかった。
私は、イギリス海岸が何かに出ていると、象牙海岸が思い浮かぶのです。「象牙海岸と名前まで付け••」、竹内まりやですね、古すぎるか。

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2011年8月19日 (金)

萬鉄五郎美術館(2011年8月19日)

萬鉄五郎美術館(2011年8月19日)
早朝に横浜発、平泉の毛越寺、中尊寺経由で花巻に入りました。

まず、萬鉄五郎美術館へ。夏休み企画なのでしょう、絵本の原画展を開催していました。佐藤虫良や朝倉摂も含まれていてそれなりに楽しみました。ただ、肝心の萬の作品が小品ばかりであてが外れました。今の時期だからか、いつもそうなのか、初めての訪問なので詳しくは判りませんが。

時間に余裕が有ったので、明日の予定の宮沢賢治記念館にも寄りました。20年ぶりくらいの2回目の訪問。深奥な世界に浸りました。いや、浸りきれないですね。深すぎます。

明日はイーハトーヴツーデーマーチの20Kmに参加します。

写真は、萬鉄五郎美術館の正面です。

(2011年8月19日記録)

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2011年8月18日 (木)

文楽:曽根崎心中 付り観音廻り(長文)

  演目  近松門左衛門作 曽根崎心中 付り観音廻り

        プロローグ
             鶴澤清冶
          胡弓 鶴澤清志郎
        観音廻り
             豊竹咲甫太夫
             鶴澤藤蔵、鶴澤清馗、鶴澤清丈
          お初 桐竹勘十郎
        生玉社の段
             竹本津駒太夫
             鶴澤清志郎
        天満屋の段
          切  豊竹嶋太夫
             鶴澤清冶
        徳兵衛おはつ 道行
             竹本文字久太夫、豊竹呂勢太夫、豊竹咲甫太夫、
             豊竹靖太夫
             鶴澤清介、鶴澤藤蔵、鶴澤清志郎、鶴澤清馗、鶴澤清丈
        フィナーレ

        人形役割

             平野屋徳兵衛 吉田蓑助
             長蔵     桐竹紋臣
             天満屋お初  桐竹勘十郎
             油屋九平次  吉田幸助 、他

  構成・演出・美術・映像  杉本博司
  作曲・演出        鶴澤清冶
  振付           山村若

  会場  神奈川芸術劇場
  公演  2011年8月14日(日)~16日(火)
  鑑賞  2011年8月15日(月) 17:00~19:25(休憩20分)

  参考  公演概要
      平成二十二年十月地方公演・曽根崎心中

 

 開催中の「ヨコハマトリエンナーレ2011」において、「神秘域」のユニークなタイトルで作品展示する杉本博司は日本を代表する現代美術作家の一人です。

 その杉本が構成・演出・美術・映像を担当する「杉本文楽 曽根崎心中」は今年三月に公演予定でしたが、東日本大震災の影響により全てキャンセルされました。
 このたび、三日間の特別公演が実現したのは杉本の執念かと思います。というのも、三月の主催者は神奈川芸術劇場、今回の主催者は「公益財団法人小田原文化財団」です。この財団を詳しく知りませんが設立者が杉本のようですから、いわば自主公演。

 

 ところで「杉本文楽 曽根崎心中」とは何でしょうか。少し長くなりますが、解説(*1)の一部を引用しておきます。

 『現行の文楽『曽根崎心中』は、近松の原文ではない。歌舞伎での1953(昭和28)年の復活上演とその流行をうけ、1955(昭和30)年、松竹・因会が復活した。戦時演目の作者として新作の腕を磨いた野澤松之輔(1902-1975)が作詞・作曲した、同名の別作である。
 このたびの2011年『杉本文楽 曽根崎心中』公演で、『曽根崎心中』の近松の原文が、初演以来308年(改作『お初天神記』から数えても278年)ぶりに蘇る。『杉本文楽 曽根崎心中』の上演意義は、この一転に尽きる。』

 私の文楽鑑賞は知れたものですが、「曽根崎心中」を過去二回観ています。現行上演形式(以下、現行とする)と「杉本文楽」の異同を私なりに整理します。

 

 プロローグ - 舞台後方から前方に向かう花道状のスロープは、客席中央に伸びる花道に繋がる。定式幕はなし。客席の照明が落ると、三味線を抱えた清冶が花道前方のセリで舞台に現れる。予想外の演出。

 三味線は繊細、冥土から死者達を呼び出すようでもある。スポットライトに浮かぶ清冶は、姿も音色も美しい。途中から加わる清志郎の胡弓も哀調を帯びて、これから始まる物語を暗示する。 

 観音廻りの段 - 大型スクリーン2張がハの字型に据えられている。回転する床はなく、上手側に太夫と三味線が歩いて座る。スロープ奥から勘十郎の遣うお初が進み出る。人形は黒装束の一人遣い。スクリーンに観音廻りの社寺やお初の顔が映し出される。花道先まで進んだお初は、セリ上がった十一面観音にしなだれかかるようにしてセリに沈む。

 艶やかな衣装を着けた人形は、一人遣いゆえに小振り。後方席や二・三階席からは見づらいと思う。勘十郎は、自らも踊るように身をくねらせたり人形を高く掲げる場面もあって、14分ほどだが大変だと思った。

 この段は地味で、現行で割愛されるのも仕方なさそう。ただ、往々にして人形遣いに関心が向くが、ここは太夫・三味線に耳を傾けるべきなのだろう。信仰心の厚いお初がなぜ心中にまで至るのか、落差の大きさを示すことが、この段の伏線にあると思った。
 蛇足だが、十一面観音は「杉本博司著・現な像」に挿入された写真の仏さんだろう。杉本は古美術商でもあったのだ。

 

 現行にプロローグはなく、観音廻りの段は割愛されます。ここまでは初めて観聴きしたことになります。

 

 生玉社の段 - 全ての人形が黒装束の三人遣い、主遣いは舞台下駄をはいていない。演出的には「観音廻りの段」の延長線上にある。

 舞台下駄をはかないのは、足許を隠す手摺がなく、船底もないためであろう。それより舞台の広さ、花道のあることが大きいように思う。舞台下駄・手摺・船底がないので人形遣いの移動の制約は消滅する。ただ、足遣いは足の位置が下がるので窮屈そうだ。それと、遣い手三人が同じ高さになるので、人が密集する感じだ。
 これらは、以降に共通する。

 ここで二十分の休憩。

 

 天満屋の段 - 天満屋の店先。下手に玄関の構が。一階の座敷から二階に上る階段の書割が据えられている。ただ現行のようなリアルなものではなく、それとわかるシンプルなもの。ホリゾントに紅白梅図屏風を思わせる模様が描かれた赤地の大きなのれん(?)が掲げられている。

 人形の振りに関して気になることが一点。縁側に腰掛けたお初が、縁の下に隠した徳兵衛の前に足を垂らし、足で心中の覚悟をただす劇中一の名場面。

 現行は、徳兵衛はお初の足をとり、自分の喉笛をかき切る仕草をして決意を知らせる。

 今回は足があったようには見えなかった。この前後でお初の裾が上手く捌けず、徳兵衛の顔に被ったりしていた。そのために見えなかったのか。私は足は使わずに裾で喉笛かき切る仕草をしたと感じた。女性の人形に足が無いことを思えば、その方が往時の再現には相応しいと思ったのだが。
 事実は定かでない。はっきり確認できた方がおられたら教示願いたい。

 

 徳兵衛・おはつ道行 - 「此の世の名残り。世も名残り。死にに行く身をたとうれば あだしが原の道の霜。一足づつに消えてゆく。夢の夢こそ哀れなれ。」と太夫が語る。太夫・三味線は下手側に位置していた。
 下手から徳兵衛・お初が現れ中央に進み、そして花道を前に進む。幕切れ、二人は向き合い、徳兵衛は脇差でお初の胸を突く。逆反るお初。徳兵衛は剃刀で喉をかき切り、お初に覆いかぶさる。花道の上でこの状態をどう始末つけるか、セリで下りるしかない。

 予定時間40分、随分と長い道行きだ。蓑助・勘十郎の熱演をもってしても少し長い。ただ、観音廻りするほどに信仰心の厚いお初、もとより二人が望む死でもなく、決意の上とは言え葛藤を振り払うために、この長さが必要だったように思う。物語を予め知って観ている私と、芝居を観て物語を知る往時の人々の差かも知れない。逆に言えば、現行があっさりしているのだ。

 

 フィナーレ - 太夫・三味線・人形遣い、多分囃子も。全員が舞台に揃っての挨拶。蓑助・勘十郎は花道からセリで上がってから全員の中に。人形遣いは出遣いでなかったので、黒頭巾をとって初めて顔を見せる。

 

 全体的に感じたことを整理しておきます。

 上演時間は、現行より30分ほど長いと思います。

 演出の一番の特徴は、舞台奥から続く花道にあったと思います。
 現行は上手下手の移動、すなわち左右の移動主体。花道で前後の移動が可能になり、彼岸と此岸の概念が喚起されました。「観音廻りの段」で舞台奥からお初が登場する場面は、プロローグの三味線であの世から呼び出されたことになります。現行とは、舞台機構に留まらぬ様々な変更が必要になりそうですが、実に興味深いものがありました。

 花道による空間の広がりは、人形遣いの移動量増大に結びつきます。そのために、伝統的な手摺・船底・定式幕・舞台下駄は邪魔になるでしょう。このことは一人遣いならともかく、三人遣いの場合は遣い手が密集する感じをもたらします。特に心中の場面、セリの上に人形2体と遣い手6人が団子状になって乗ります。愛の昇華する名場面の美しさを大分損ねたように思います。

 原典に限りなく近づいたこと。お初の信仰心の厚さなど物語の本質に迫ったこと。死に行く者の物語のようであって、実は死者を呼び出して物語らせていること。興味深い点が多々ありました。そして、見栄えの悪さなどの課題も感じました。再考のうえ再演の機会のあることを期待します。

 ところで、太夫たちの素直な感想はきけないものでしょうか。とても興味があります。

 *1 神奈川芸術劇場「杉本文楽 曽根崎心中」上演台本+解説

   (2011年8月18日記録)

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2011年8月15日 (月)

路上観察:横浜三渓園ザリガニ釣り(2011年)

 アクセスログを調べたら、8月2日掲載の「横浜三渓園ザリガニ釣りのご案内(2011年)」へのアクセスの多いことが判明しました。これは案内だけしておいてザリガニ釣りの様子を報告しないのも申し訳ないと思い、8月14日昼過ぎに三渓園にでかけました。

 蓮の花の盛りは過ぎていますがつぼみが沢山残っていて、暫らくは楽しめると思います。ザリガニはどうでも良いけど蓮の花を観たい方もお出かけ下さい。睡蓮は完全に時期を過ぎていました。
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 ザリガニ釣りは、蓮池と睡蓮池で可能です。餌(するめの切れ端)を付けた釣竿は、正門を入ってすぐのところで貸してくれます。注意事項を一読してから釣始めます。子供ばかりでなく、大人も混じって結構多くの方がザリガニ釣を楽しんでいました。
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 ただ、ザリガニがつれている様子が見当たりませんでした。私達も大人二人が挑戦しましたが、一匹を釣り損ねただけで、あとは全く反応なし。今年はザリガニが少ないのでしょうか。それとも腕のせいでしょうか。と言うわけで、ザリガニの写真がありません。

 どなたかチャレンジしてみませんか。16日(火)までです。

   (2011年8月15日記録)

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2011年8月14日 (日)

2011年原爆忌を通過して(2) (長文)

 今年の原爆忌は、東電原発事故をどのように扱うか。8月6日の広島、9日の長崎、各々の原爆忌における市長挨拶も注目しなければなりません。

 

 2011年8月6日の広島市長平和宣言は、東電原発事故について次のように言及しています。

 『今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿させるものであり、とても心を痛めています。震災により亡くなられた多くの方々の御冥福を心からお祈りします。そして、広島は、一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援しています。

 また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。

 日本政府は、このような現状を真摯(しんし)に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。』

 被爆者や被爆関係者に留まらぬ多くの人々を代表する広島市長の平和宣言は、もっと毅然としたものであって良いと思います。「心を痛めて、日本政府にエネルギー政策を見直すこと」を迫るだけで足りるでしょうか。何とも歯がゆい言い回しと受け留めました。「その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿させる」、核兵器と原子力の平和利用は、究極において同じ状態に至ることを認識しながら、何をためらっているのでしょうか。

 

 2011年8月9日の長崎市長平和宣言は、東電原発事故に一歩踏み込んでいると感じます。

 『今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然(がくぜん)としました。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住民の姿はありません。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰ることができるのかもわかりません。

 「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅(おび)えることになってしまったのでしょうか。

 自然への畏(おそ)れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか……、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。

 たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。
 福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました。』

 「原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です」とは、原発の否定です。その道のりの困難さをおぼろげに想像できない訳ではありませんが、まずは方向性を示すことが何より大切です。その方向性を示したことに、長崎市を代表する市長の見識を感じました。

 

 2011年8月9日朝日夕刊は、長崎市平和宣言の骨子を次のようにまとめます。

 『●長期間を要しても、より安全なエネルギーを基盤にする社会へ転換を図る。
  ●原子力に替わる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要。
  ●オバマ大統領は被爆地や世界を失望させず、「核兵器のない世界」に向け、リーダーシップ発揮を
  ●核保有国や国際社会は「核兵器禁止条約」締結の努力を。日本は、この動きを推進することを求める。』

 同日の東京新聞夕刊は、長崎市平和宣言の骨子を次のようにまとめます。

 『▽被爆国で放射線被害が繰り返されたことにがくぜん
  ▽どんな社会をつくるのか根底から議論、選択する時。原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要
  ▽非人道的な核兵器はいらない
  ▽国際社会は核兵器締結への努力を
  ▽今後も世界に向けて核兵器廃絶を訴え続けていくことを宣言』

 両者に大きな差異を感じませんが、両者とも日本政府への訴えが欠落しています。すなわち、「非核三原則の法制化と北東アジア非核兵器地帯の創設。高齢化する被爆者の援護の充実」です。もちろん、まとめる記者の主観とスペースに依存するわけで、欠落と指摘するのも酷かも知れません。さして長い文章でもありませんから、全文を読めば事足ります。

 

 私は、原発が日本の各地に多数建設されたことが国民の責任とは思いません。明日は8月15日、敗戦記念日です。一億総懺悔にも与しません。為政者は、国民が仮に判断を間違ったとしても、高い見識をもって方向を正す責務と権限を信託されている筈です。
 と、ここまで書いて空しくなりました。それについては改めてまとめる機会を持ちます。

   (2011年8月13日記録)

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2011年8月13日 (土)

美術:ヨコハマ トリエンナーレ 2011(その2:無料展示案内)

  名称   ヨコハマ トリエンナーレ 2011
       「OUR MAGIC HOUR ------ 世界はどこまで知ることができるか?」
  会場   横浜美術館・日本郵船海岸倉庫・その他周辺地域
  会期   2011年8月6日(土)~11月6日(日)、休館日があるので詳細は要確認
  参考   公式HP

 

 横浜トリエンナーレの一般入場券には、特別連携セット券(当日券1800円)とヨコハマ トリエンナーレ 2011券(当日券1600円)があります。これを高いと思うか安いと思うかは人それぞれでしょう。観た後でなければ何ともいえないと思う方もおられるでしょう。

 一部作品ですけど入場券を購入しなくとも作品を観られます。以下に整理しますので、それらを観て興味を惹いたら、入場券を購入して多くの作品を観たら如何でしょうか。もちろん、有料展示がそれらを越えるか下回るか、私が保障できるものでもありませんが。

 

 横浜美術館の周辺。

  1.美術館屋上に「ウーゴ・ロンディノーネ:虹の詩」。
  2.美術館前に「ウーゴ・ロンディノーネ:月の出11月」他の12体。
  3.美術館玄関脇に「島袋道浩:ハムはできるか・復興と発酵」。
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  4.美術館正面工事現場塀に「カールステン・ニコライ:autoR」。
  5.美術館横(ランドマークタワー側)に「オノ・ヨウコ:DREAM」。
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 横浜美術館のエントランスホール。有料ゾーンではありませんので入場券なしに観られます。確認済です。

  6.「イン・シウジェン:ワン・センテンス」。
  7.「オノ・ヨウコ:TELEPHONE IN MAZE」。
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 横浜美術館グランドギャラリー。少し遠目ですが、入口側有料ゾーンの展示作品。

  8.「ライアン・ガンダー:本当にキラキラするけれど何の意味もないもの」(右手前)
  9.「前田征紀:THE SEVEN EASONS」(奥)
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 反対側を向けば、出口側有料ゾーンの展示作品。

  10.「森靖:絶対領域-竜」(右端)
  11.「ヴェナンツォ・クロチェッティ:平和の若い騎士」(中央人の左)
  12.「デワール&ジッケル:カワウソと鱒」(中央人の後方)
  13.「阿部泰輔:どこから来てどこへ行くのか ルネ・マグリット《王様の美術館》」(階上の天井)
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 横浜美術館から、徒歩にて横浜創造都市センター(YCC)に向かう途中。

  14.北仲橋際に「島袋道浩:人間性回復のチャンス(北仲橋際)
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 横浜創造都市センター。

  15.屋上に「ピーター・コフィン:無題(ハンド・フラッグ)
  16.建屋内に「ピーター・コフィン:無題(グリーン・ハウス)
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 これで網羅していると思います。

   (2011年08月13日記録)

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随想:2011年原爆忌を通過して(1) (長文)

 8月6日から9日までの朝日新聞・東京新聞の社説・論説をいつもより丁寧に読みました。残念ながら、他紙にまで目を向ける余裕はありませんでしたが。今年の原爆忌は、東電原発事故をどのように扱うか、各々の見識が問われる筈ですから。

 

 2011年8月6日東京新聞朝刊一面に掲載された名古屋本社論説主幹・深田実の「原発に頼らない国へ(*1)」は、文章も易しく、多く人の心に響くであろう、秀逸の論説だと思いました。 

 『原発には賛否さまざまな議論があります。脱原発への一番の反論は、電力が足りなくなったらどうするのか、ということです。しかし、それには人の命と安全は経済性に優先すると答えたい。人間を大切にするというのが私たちの従来の主張だからです。核の制御の難しさはもちろん、日本が四枚のプレート上にある世界有数の地震国であることも大きな理由です。』

 九電玄海原発再稼動の動きに際して、経産相の安全であるとの発言の、どこに安全が担保されているかを確認できず、いらいら感が募りました。東電原発事故を引き起こした既存システムが、原因解明無しに、システム改善無しに安全を宣言しても、少なくとも私は信用しません。それらが解明され、改善されたとしても、それで安全が保障されるわけでもありませんけど。

 『原発のない国へ、という挑戦はもちろん容易ではありません。日本は現在エネルギーの大半を海外に頼っています。経済活動に支障は出るでしょうし、弱い立場の人を苦しめることも許されません。実現には年月も努力も必要です。しかし、指針を掲げねば前へとは進めません。』

 今までの延長線上で物事を考えません。指針に掲げる「原発に頼らない国へ」を実現するために為すべきことを、私なりに考えていきます。

 

 2011年8月6日東京新聞朝刊社説「もっともっと太い声で 原爆忌に考える(*2)」は、井上ひさし・少年口伝隊を基にした原爆をテーマとする朗読劇「少年口伝隊1945」を取り上げて原発のない次世代にと訴えます。ここで岡本さんとは、朗読劇の演出家です。

 『岡本さんがこの夏の舞台で最も力を入れたのは、口伝隊が「進駐してきた米兵をやんわりやさしく慰めろ」という、当局からの要請を伝える場面です。

 ついこの間まで、徹底抗戦を主張していた大人たち。為政者の変わり身の早さに少年たちは「こがあ、さかへこ(さかさま)な話があってええんじゃろうか」と憤慨します。

 “さかへこ”なのは、日本だけではありません。原爆を落とした当の米国は、終戦から八年後、米ソの緊張が高まる中で、書くの平和利用を提唱し、原爆で破壊した日本に、原子炉と核燃料を与えて自陣に引き入れます。

 日本政府は米国の”厚意”にいたく感激し、核の恐怖と原詩の夢を切り分けて、原子力発電所の建設に邁進します。当時、日米合同で広島に原発を造る提案(米下院の決議案など)さえありました。米国の世界戦略にのっとって、恐怖を夢で塗りつぶそうとしたわけです。まさに“さかへこ”です。』

 “さかへこ”は広島の方言でしょうか。聞き慣れない言葉に“さかさま”より強いニュアンスを感じます。3月11日以来、いや時期を区切る必要もないのですが、肝心なところで政治は、多くの国民とは“さかへこ”な対応をしているとように感じるのは私だけではないことが判りました。

 

 2011年8月6日朝日新聞朝刊社説「原爆投下と原発事故 核との共存から決別へ(*3)」は、核兵器廃絶と脱原発を一緒に論じることで、両者を相殺してしまう主張になっているように感じます。

 『核エネルギーは20世紀の科学の発達を象徴する存在である。
 私たちは、一度に大量の人間を殺害し、長期にわたって被爆者を苦しめてきた核兵器の廃絶を繰り返し訴えてきた。
 世界各国に広がった原発も、同じ燃料と技術を使い、危険を内包する。ひとたび制御を失えば、人間社会と環境を脅かし続ける。その安全性のもろさが明白になった以上、原発から脱却する道も同時に考えていかなければならない。
 世界には推定で約23000発の核弾頭がある。原発の原子炉の数は約440基だ。
 道のりは長く、平坦ではないだろう。被害者の歴史と現在に向き合う日本が、核兵器廃絶を訴えるだけではなく、原発の安全性を徹底検証し、将来的にはゼロにしていく道を模索する。それは広島、長崎の犠牲者や福島の被害者、そして次の世代に対する私達の責任である。
 核との共存ではなく、決別への一歩を先頭を切って踏み出すことが、ヒバクの体験を重ねた日本の針路だと考える。』 

 大筋において異論を挟む余地のないように思えますが、『原発の安全性を徹底検証し、将来的にはゼロにしていく道を模索する。』が、主張として弱いと思えます。今までは原発の安全性を徹底検証してこなかったのでしょうか。絶対安全は、東電原発事故で完全に棄却された筈です。現状を踏まえた主張になっているとも思えません。『原発をゼロにしていく道を模索する』も毅然としたところがありません。

 

 私は東京新聞の主張に共感を覚えました。指針を掲げねば前へとは進めません。為政者の変わり身の早さも監視しなければなりません。これらを考えの基盤に据えて、物事を良く見聞きし、そして判るように努めます。

   (2011年8月13日記録)

 

 

 

(*1) 2011年8月6日東京新聞朝刊一面 名古屋本社論説主幹・深田実「原発に頼らない国へ」 

 広島・長崎の原爆忌が巡ってきます。毎年訪れる日ですが、今年は特別です。三月に福島原発事故が起きたからです。私たちは、日本は原発のない国に向かうべきだと考えます。

 原発には賛否さまざまな議論があります。脱原発への一番の反論は、電力が足りなくなったらどうするのか、ということです。しかし、それには人の命と安全は経済性に優先すると答えたい。人間を大切にするというのが私たちの従来の主張だからです。核の制御の難しさはもちろん、日本が四枚のプレート上にある世界有数の地震国であることも大きな理由です。

 原発の安全、安価、クリーンの神話は崩れ去りました。私たちは電力の自由化、自然エネルギー庁の新設、徹底した情報公開を提言します。詳しくは、論説特集(14・19面)をお読み下さい。

 原発のない国へ、という挑戦はもちろん容易ではありません。日本は現在エネルギーの大半を海外に頼っています。経済活動に支障は出るでしょうし、弱い立場の人を苦しめることも許されません。実現には年月も努力も必要です。しかし、指針を掲げねば前へとは進めません。

 放射能被害は、被爆国の国民として、また福島の惨状を知った同胞として、深刻かつ重大に受け止めねばなりません。よく考え、議論し、行動しようではありませんか。一人の理想は小さくとも、合わせれば世界の理念にもなるでしょう。

 戦後日本の経済成長は世界を驚かせました。大いに誇るべきです。だが原子力については平和利用の名の下、その恐るべき危険性を見過ごし、原発の立地は多くを地方に押しつけてきました。率直に反省すべきことです。

 歴史を学ぶのは未来を考えようと思うからです。原子力の過去を知るほど、今が私たちの変わらねばならない時だと考えます。それは欧米では再生エネルギーの活用という形で始まっているのです。

 世界では、原発は中国やインド、中東などで増えそうです。各国の事情はあります。しかし核はますます拡散し、巨大事故や核テロの危険性も増えると懸念します。日本は持ち前の技術と結束力で、原発が亡くても豊かな社会が築けるというモデルを世界に示すべきです。それは、日本の歴史的役割でもあるのです。

 

(*2) 2011年8月6日東京新聞朝刊社説「もっともっと太い声で 原爆忌に考える」 

 いつにも増して特別な日になりました。ヒロシマの歴史はフクシマの今にも続いています。たとえ核兵器が廃絶されても、この国に原発がある限り。

 爆心地から東へ四百六十メートルの広島市袋町小学校では、焼け残った西校舎の一部が、平和資料館として一般に公開されています。

 当時の面影を伝える玄関脇で、横長のパノラマ写真が来訪者を出迎えます。撮影は十月五日。「爆心地から南方面を望む」という説明がついています。
 まさか福島で原発が

 原爆ドームを中心に、コンクリートの建物の四角い基礎の部分だけを残して、見渡す限り平たんな廃虚になってしまった広島の街。ところどころにがれきの山がうずたかく積まれ、橋の下には、壊れた家の材木がたまっています。はるか瀬戸内海に浮かぶ似島の三角形が、はっきりと見渡せます。

 原爆がテーマの朗読劇「少年口伝隊(くでんたい)一九四五」の制作者、富永芳美さん(61)の頭の中で、原爆の焦土と津波にさらわれた東北の港町が重なりました。震災翌日、袋町小学校に足を向け、写真の前で黙とうをささげると、少し気持ちが落ち着きました。でもまさか、福島で原発が爆発しようとは。

 少年口伝隊は、井上ひさしさんの作品です。昨年のこの日、本欄で「太い声で語りんさい」の見出しとともに、取り上げました。原爆で社屋を失った中国新聞社に組織された少年たちが、焼け跡を駆け回って口伝えでニュースを読んだ史実が基になっています。

 「大事なことはただ一つじゃ。かならず太い声で読まんさいよ」。この短いセリフの中に、反戦、反核の“太い声”を上げ続けた井上さんの思いが凝縮されています。さもないと、人は声の大きな方へ、便利な方へと、ついついなびいてしまうから。
 ヒロシマから共感を

 昨年の七月が広島初演。ことしも七月中に市内で計五回、うち一回は原爆を生き延びた被爆電車の中での公演でした。

 原爆投下から間もない九月、広島は枕崎台風の高潮に襲われました。脚本には「やがて広島は、汚れた水をたたえた湖になった。二千十二名の命が湖の底に沈んだ」と書かれています。

 そして、口伝隊の少年たちをむしばむ放射能。目の前で進行する福島の現実を考えたとき、演出の岡本ふみのさん(32)は「今ここで、これを演じてもいいのだろうか」と自問しました。

 岡本さんはそこでもう一度、東北や福島の現状を見直します。核の恐怖は過去のものではありません。ヒロシマ、ナガサキ、フクシマと三たび続いた核の過ちを、もうこれ以上繰り返してはなりません。だから、ヒロシマがフクシマに寄せるヒロシマならではの共感を、一人でも多くの人に伝えたい、伝えなければならないと、考えを改めました。

 岡本さんがこの夏の舞台で最も力を入れたのは、口伝隊が「進駐してきた米兵をやんわりやさしく慰めろ」という、当局からの要請を伝える場面です。

 ついこの間まで、徹底抗戦を主張していた大人たち。為政者の変わり身の早さに少年たちは「こがあ、さかへこ(さかさま)な話があっとってええんじゃろか」と憤慨します。

 “さかへこ”なのは、日本だけではありません。原爆を落とした当の米国は、終戦から八年後、米ソの緊張が高まる中で、核の平和利用を提唱し、原爆で破壊した日本に、原子炉と核燃料を与えて自陣に引き入れます。

 日本政府は米国の“厚意”にいたく感激し、核の恐怖と原子の夢を切り分けて、原子力発電所の建設に邁進(まいしん)します。当時、日米合同で広島に原発を造る提案(米下院の決議案など)さえありました。米国の世界戦略にのっとって、恐怖を夢で塗りつぶそうとしたわけです。まさに“さかへこ”です。

 長崎では、原爆の犠牲者で、平和のシンボルのような永井隆博士さえ「原子力が汽船も汽車も飛行機も走らすことができる。(中略)人間はどれほど幸福になるかしれないね」(「長崎の鐘」)と書いています。

 しかし、博士はそのすぐあとに「人類は今や自ら獲得した原子力を所有することによって、自らの運命の存滅の鍵を所持することになったのだ」と添えました。
 原発のない次世代へ

 フクシマは教えてくれました。地震国日本では、原子の夢にまどろむことはできないと。核の恐怖と原子の夢、ヒロシマとフクシマの空は続いているのだと。

 私たちも去年以上に、もっとずっと腹の底から“太い声”を絞り出し、核兵器のない国同様、原発のない国を次の世代に残そうと、語らなければなりません。

 

(*3) 2011年8月6日朝日新聞朝刊社説「原爆投下と原発事故―核との共存から決別へ」 

 人類は核と共存できるか。

 広島に原爆が投下されて66年の夏、私たちは改めてこの重く難しい問いに向き合っている。

 被爆体験をもとに核兵器廃絶を世界に訴えながら、核の平和利用を推し進める――。

 核を善悪に使い分けて、日本は半世紀の間、原子力発電所の建設に邁進(まいしん)してきた。そして福島第一原発で制御不能の事態に陥り、とてつもない被曝(ひばく)事故を起こしてしまった。

■平和利用への期待

 こんな指摘がある。

 日本は、広島・長崎で核の恐ろしさを身をもって知った。なのにその経験を風化させ、いつしか核の怖さを過小評価したために再び惨禍を招いたのではないか。

 歴史をさかのぼってみる。

 かつては被爆者自身も核の平和利用に期待を寄せていた。

 1951年、被爆児童の作文集「原爆の子――広島の少年少女のうったえ」が刊行された。平和教育の原典といわれる本の序文で、編纂(へんさん)した教育学者、故長田新(おさだ・あらた)さんは書いている。

 「広島こそ平和的条件における原子力時代の誕生地でなくてはならない」

 長田さんの四男で、父とともに被爆した五郎さん(84)は当時の父の心境をこう解説する。

 原爆の非人道性、辛苦を克服しようと父は必死に考えていた。原爆に使われた技術が、平和な使途に転用できるなら人間の勝利であると――。

 平和利用への期待は、被爆体験を省みなかったためではなく、苦しみを前向きに乗り越えようとする意思でもあった。

 53年12月、アイゼンハワー米大統領の演説「原子力の平和利用」を機に、日本は原発導入に向け動き出す。54年3月、日本初の原子力予算が提案された。

 その2週間後、第五福竜丸が水爆実験の「死の灰」を浴びたことが明らかになる。原水爆禁止運動が全国に広がったが、被爆地の期待も担った原発が後戻りすることはなかった。

■影響の長期化は共通

 それから57年――。

 広島、長崎、第五福竜丸、そして福島。ヒバク体験を重ねた日本は、核とのつきあい方を考え直す時に来ている。それは軍事、民生用にかかわらない。

 放射線は長い年月をかけて人体にどんな影響を及ぼすのか。原爆についていま、二つの場で議論が進む。

 一つは原爆症認定訴訟。国は2009年8月、集団訴訟の原告と全面解決をめざす確認書をかわし、救済の方針を示した。

 しかし昨年度、認定申請を却下された数は前年の倍以上の5千件に及んだ。多くは原爆投下後、爆心地近くに入り被爆しても、放射線と病気との因果関係が明確でないと判断された。

 被爆者手帳をもつ約22万人のうち、医療特別手当が受給できる原爆症に認定された人は7210人と3%強。前年の2.8%から微増にとどまる。

 もう一つの場は、原爆投下後に降った黒い雨の指定地域を広げるかどうかなどを考える厚生労働省の有識者検討会だ。

 広島市などの調査で、放射性物質を含んだ黒い雨の降雨地域が現在の指定地域の数倍だった可能性が浮上した。指定地域にいた人は被爆者援護法に基づく健康診断などを受けられる。

 健康不安に悩む多くの住民の声を受け、国は指定地域を科学的に見直す作業を続けている。

 一方、原発事故が起きた福島では長期にわたる低線量放射線の影響が心配されている。

 福島県は全県民を対象に健康調査に着手した。30年以上にわたって経過を観察するという。

 まず3月11日から2週間の行動記録を調べ、場所や屋外にいた時間などから被曝線量を推計する。

 被爆と被曝。見えない放射線の影響を軽減するため、息の長い作業が続く点が共通する。

■次世代への責任

 核エネルギーは20世紀の科学の発達を象徴する存在である。

 私たちは、一度に大量の人間を殺害し、長期にわたって被爆者を苦しめてきた核兵器の廃絶を繰り返し訴えてきた。

 世界各国に広がった原発も、同じ燃料と技術を使い、危険を内包する。ひとたび制御を失えば、人間社会と環境を脅かし続ける。その安全性のもろさが明白になった以上、原発から脱却する道も同時に考えていかなければならない。

 世界には推定で約2万3千発の核弾頭がある。原発の原子炉の数は約440基だ。

 道のりは長く、平坦(へいたん)ではないだろう。核被害の歴史と現在に向き合う日本が、核兵器廃絶を訴えるだけではなく、原発の安全性を徹底検証し、将来的にゼロにしていく道を模索する。それは広島、長崎の犠牲者や福島の被災者、そして次の世代に対する私たちの責任である。

 核との共存ではなく、決別への一歩を先頭を切って踏み出すことが、ヒバクの体験を重ねた日本の針路だと考える。

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2011年8月11日 (木)

美術:ヨコハマ トリエンナーレ 2011(その1:会場案内)

  名称   ヨコハマ トリエンナーレ 2011
       「OUR MAGIC HOUR -- 世界はどこまで知ることができるか?」
  会場   横浜美術館・日本郵船海岸倉庫・その他周辺地域
  会期   2011年8月6日(土)~11月6日(日)、休館日あり、詳細は要確認
  鑑賞日  2011年8月7日、8日、9日

  参考   公式HP
       横浜美術館
       日本郵船海岸倉庫(BankArtNYK)
       新・港村
       黄金町バザール2011

 

 特別連携セット券(一般当日券1800円)は、トリエンナーレ会場である横浜美術館と日本郵船海岸倉庫、特別連携プログラム会場であるの新・港村と黄金町バザール2011に入場可能です。

 ヨコハマ トリエンナーレ 2011券(一般当日券1600円)は、トリエンナーレ会場である横浜美術館と日本郵船海岸倉庫のみが入場可能です。

 1会場は1日有効で、連続しない日でも可能です。また、新・港村と黄金町バザールはパスポートを発行してくれるので、会期中は何回でも入場可能になります。

 

 開場時間は11時00~18時00(入場は30分前まで)の7時間です。この時間でどの程度の鑑賞が可能になるか、私の主観ですが目安を整理しておきます。私の場合ですが、普通の企画展などの鑑賞は比較的早い方です。

 映像などを丹念に観るとすると、少なくとも横浜美術館は2.5~3.0時間ほど必要と思います。日本郵船海岸倉庫は多少短くなりそうですが、極めて長時間の映像もありますので、はまればそれ以上が必要になるかも知れません。食事・休憩や移動時間を加味すると、トリエンナーレ会場で1日を費やしそうです。

 特別連携プログラムは、トリエンナーレ会場の鑑賞の後にがんばって新・港村まで鑑賞したとしても、黄金町バザールは会場が離れているので1日に収めるのは難しいような気がします。
 もちろん、全てを鑑賞するとの方針なら、それなりの時間配分をすれば可能とは思いますが。

 

 不案内の方や情報が欲しい方は、横浜美術館内にサポートセンターを最初に訪れたら良いでしょう。会場間の循環バスなどの運行状況も確認できると思います。

 なお、撮影不可を指定された作品を除けば、マナー遵守で写真撮影は可能です。未整理ですが、私の撮影した一部作品をこちら(横浜美術館横浜創造都市センター)に掲載しました。参考まで。感想は追って掲載します。

   (2011年08月10日記録)

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2011年8月 7日 (日)

ヨコハマトリエンナーレ2011 巡回中

ヨコハマトリエンナーレ2011 巡回中
BankArt NYKから横浜美術館に向かう途中の看板、島袋某さん。本当にそうだと思う。
感想などは追って。

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音楽:みなとみらいクラシック・クルーズ Vol.29

  出演 ハマのJACK
       白井篤(Vn)、三又治彦(Vn)、佐久間聡一(Vn)、御法川雄矢(Va)、
       海野幹雄(Vc)、玉川克(Vc)、海野春絵(Pf)、柴田祥子(Pf)、
       三又暎子(Pf)、横手梓(Pf)

  曲目 ティータイム・クルーズ(14:30~15:30)
       J.S.バッハ   :無伴奏チェロ組曲第1番よりプレリュード
                  海野幹雄(Vc)
       ショパン    :序奏と華麗なるポロネーズ
                  海野幹雄(Vc)、海野春絵(Pf)
       チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみわり人形」より
                行進曲、ロシアの踊り、花のワルツ
                 横手梓(Pf)、柴田祥子(Pf)
       モーツァルト  :弦楽四重奏曲第19番「不協和音」より第1楽章
                 三又治彦・佐久間聡一(Vn)、御法川雄矢(Va)、玉川克(Vc)
       ベートーヴェン :弦楽四重奏曲第16番より第3楽章
                 三又治彦・佐久間聡一(Vn)、御法川雄矢(Va)、玉川克(Vc)
       木村裕編曲   :ハッピーバースデー変奏曲(アンコール)
                 全員

  会場   横浜みなとみらいホール・大ホール
  公演   2011年8月3日

 

 「ハマのJACK」の演奏は初めて聴きます。演奏曲目を見てもお判り頂けるように、様々な音楽を、様々な演奏者の組合せで演奏するスタイルのようです。クラシック音楽の普及に力を入れているのではないでしょうか。

 反面、音楽は楽しいのですが中途半端な思いを感じさせます。40分の短い時間の中に詰め込んだ演奏会では仕方ないかも知れません。

 その中で、『無伴奏チェロ組曲第1番よりプレリュード』『バレエ音楽「くるみわり人形」より行進曲、ロシアの踊り、花のワルツ』は、比較的良く聴く音楽ですから、全体がイメージできて楽しみました。後者は二台のピアノによる演奏で新鮮でした。

 『序奏と華麗なるポロネーズ』は、これがショパンなのかと思いました。演奏があまり映えない感じでした。それとアンコールの『ハッピーバースデー変奏曲』は、編曲が面白くなく、尻すぼみになってしまった思いがしました。

 

 夏休みのためでしょう、小さな子供連れのお母さんが何人もいました。赤ちゃんが途中で泣き出したりもしました。演奏会にもよりますが、私は子供連れのお客さんを許容して良いと思います。子供連れだって音楽を聴きたい時もあるでしょう。でも、ドアの傍に位置して、泣き出したりぐずりだしたらすぐ外に出るぐらいの配慮は、お客さんにあって良いと思います。

 水飲み場で、蛇口に届かない子供を抱き上げてあげました。音楽が好きになれば良いと思いました。

 

 次回は9月6日(火)、中野振一郎(チェンバロ)&工藤重典(フルート)です。いつも当日券ですが、前売で前の方の席を確保したほうが良さそうです。

   (2011年08月07日記録)

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2011年8月 5日 (金)

映画:コクリコ坂から

  企画・脚本    宮崎駿
  原作       高橋千鶴・佐山哲(角川書店館)
  参考サイト    公式サイト
  場所       横浜ブルク13
  鑑賞       2011年7月30日

 

 1963年(昭和38年)の横浜が舞台となる青春物語。

 主人公は16歳の少女・海、港の見える丘の上で、女性ばかりが住む下宿屋・コクリコ荘を切盛りしています。毎朝、庭の旗竿に「ご安航を祈る」を意味する国際信号旗「UW」を掲げます。

 もう一人の主人公・俊は、父の操るタグボートで学校の途中まで通います。俊は、丘の上の「UW」旗を見て「1UW」旗をタグボートに掲げて応答します。しかし、海の位置では「1UW」旗が見えません。ある時、下宿の二階に住む間借り人から、「1UW」旗を掲げたタグボートが通ると知らされます。

 二人は、一年違いの同じ高校に通う生徒。そこから物語りは展開します。学園騒動、ふと気付いた二人の出生の秘密。興味あれば、後は映画で確かめてください。

 

 スタジオ・ジブリの作品を初めて見ました。物語にそれほど深い内容を感じませんが、主人公達と同じ頃に学生だった私は、そういう世界があったかも知れないと思いました。何よりも興味を抱いたのは、1963年の横浜が舞台という点でした。例えば、古いJR桜木町駅などの描写に、そうだったなと思いました。

 コクリコ荘は、どこにあったのでしょうか。
 かすかな記憶を手繰り寄せると、根岸から磯子辺りの光景のように感じました。丘の上に磯子プリンスホテル、中腹に(美空)ひばり御殿、海縁には商店街(美空ひばりの生家も一角にある魚屋さん)、何より目の前は海でした。
 今は、目の前の海は埋め立てられて、様相は大きく変わっていますが。

 映画の舞台となる海に下る傾斜地のイメージは、私の中では磯子辺りです。山手は、地形的に海から切り立った崖の上になるので、映画のイメージにはそぐわないのです。

 まあ、場所を特定する意味などありません。しかし、7・80年の生涯のうちに、横浜が大きく変化することを再考させる意味で、良いきっかけになりました。

   (2011年08月05日記録)

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2011年8月 4日 (木)

演劇:平成23年度神奈川県歌舞伎鑑賞教室

     演目     解説「歌舞伎のみかた」 
                義経千本桜 渡海屋の場、大物浦の場 
                  渡海屋銀平実は新中納言知盛 尾上松緑 
                  源九郎判官義経       尾上松也 
                  相模五郎          坂東亀三郎 
                  入江丹蔵          坂東亀寿 
                  武蔵坊弁慶         市川團蔵 
                  銀平女房お柳実は典侍の局  中村魁春 

  会場  神奈川県立青少年センターホール
  公演  2011年7月26・27日 各日二回公演 
  鑑賞  2011年7月27日 15:00~ 

 

 国立劇場で24日まで上演されていた第80回歌舞伎鑑賞教室の引越し公演。
 歌舞伎鑑賞はまだ数回、興味深く感じていますが、まだ台詞も良く聴きとれない状態です。簡単に理解できるとは思いませんが、ただ物語りの概略や伝統に裏打ちされた所作を知るだけでも価値ありと感じます。

 

 解説は尾上松也、上手側客席から登場。紅白に分かれて戦うのは、平家の赤旗、源氏の白旗に由来すると。舞台に上り義太夫の説明、附打の男女の使い分け、義太夫の一節。下座の音楽の説明に移って、太鼓による雨音などの打ち分け。長唄連中による「サカナサカナサカナ」の合唱。後に魚尽くしの台詞の説明の前振り。何となく知っているが、解説でより鮮明になる。この回は学生さんが多かったが、他の回はどうだったのだろうか。

 

 渡海屋の場。頼朝に追われる義経一行は船で落ち延びようと天候の回復を待つ。ところが、船問屋渡海屋の主人銀平、実は平知盛、は平家の恨みを晴らすため、悪天候にも関わらず義経一行を出立させ、後から襲撃する思惑。自分達の船の灯りが全て消えたら負け戦と言いおいて出ていく。

 大物浦の場。娘・実は安徳帝を守りながら、座敷から沖の戦いを見守る女房お柳・実は典侍の局、船の灯りが消え負け戦を知る。正装の官女たちは海に飛び込み、安徳帝を抱いて局も海に飛びこもうとする時に、義経の家来がやってきておし留める。
 体中に手傷を負った凄惨な知盛、そこに安徳帝と局を伴った義経一行。なおも襲い掛かろうとする知盛に安徳帝の言葉、局は安徳帝を義経に後を頼んで自害。知盛は安徳帝に別れを告げて海に沈む。弁慶は知盛の死をいたんでほら貝を吹鳴し、安徳帝と義経一行は西国へ旅立つ。

 物語は史実に基づく訳でもなく、荒唐無稽とも思えますが、それが面白い。絵面としても美しく、観ていて引き込まれます。例えば、白糸威しの鎧で義経に向かっていく。それが血染めに替わる。海縁の岩の上で大きな碇を頭上に持ち上げる。碇を海に投込んで、やがて自分も引きずり込まれていく。
 台詞が良く聴き取れない、役者の演技の細かな所まで見る事ができないなど、判らないところは多々ありますが、判る部分だけでも結構楽しんでいます。思っています。
 これから、色々な演目を見るつもりです。能、文楽、歌舞伎に共通する演目に注目するのも、面白いと思っています。

 付け足し。阪神本線・阪神なんば線に大物駅があり、一時期、その近所に住んでいたことがあります。海岸線は随分遠くなっていたのですが、往時は白砂青松の海岸線が間近に広がっていたことは想像に難くありません。近所に佃もあって、ここの漁師が移り住んだことで東京の佃が生まれたそうです。調べれば、瀬戸内の海岸線に沿って数多くの物語がありそうです。ふらっと出かけたくなりました。

   (2011年8月4日記録)

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2011年8月 2日 (火)

路上観察:横浜三渓園ザリガニ釣りのご案内(2011年)

 蓮の花を撮影に出かけたら、池のほとりにザリガニ釣りの案内が掲示されていました。概要は次の通り、詳しくは添付のポスター写真で確認願います。

  月日 : 2011年8月12日(金)~16日(火)
  時刻 : 9:00~16:30(竿の貸し出し時間)
  場所 : 三渓園蓮池、睡蓮池
  料金 : 入園料のみ必要

 ザリガニを竿で釣ることなど知らない子供さんも多いでしょうね。めったに無い機会だと思います。子供さんと一緒に夏休みの一日を過ごされてはいかがでしょうか。
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   (2011年8月2日記録)

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