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2011年8月14日 (日)

2011年原爆忌を通過して(2) (長文)

 今年の原爆忌は、東電原発事故をどのように扱うか。8月6日の広島、9日の長崎、各々の原爆忌における市長挨拶も注目しなければなりません。

 

 2011年8月6日の広島市長平和宣言は、東電原発事故について次のように言及しています。

 『今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿させるものであり、とても心を痛めています。震災により亡くなられた多くの方々の御冥福を心からお祈りします。そして、広島は、一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援しています。

 また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。

 日本政府は、このような現状を真摯(しんし)に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。』

 被爆者や被爆関係者に留まらぬ多くの人々を代表する広島市長の平和宣言は、もっと毅然としたものであって良いと思います。「心を痛めて、日本政府にエネルギー政策を見直すこと」を迫るだけで足りるでしょうか。何とも歯がゆい言い回しと受け留めました。「その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿させる」、核兵器と原子力の平和利用は、究極において同じ状態に至ることを認識しながら、何をためらっているのでしょうか。

 

 2011年8月9日の長崎市長平和宣言は、東電原発事故に一歩踏み込んでいると感じます。

 『今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然(がくぜん)としました。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住民の姿はありません。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰ることができるのかもわかりません。

 「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅(おび)えることになってしまったのでしょうか。

 自然への畏(おそ)れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか……、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。

 たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。
 福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました。』

 「原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です」とは、原発の否定です。その道のりの困難さをおぼろげに想像できない訳ではありませんが、まずは方向性を示すことが何より大切です。その方向性を示したことに、長崎市を代表する市長の見識を感じました。

 

 2011年8月9日朝日夕刊は、長崎市平和宣言の骨子を次のようにまとめます。

 『●長期間を要しても、より安全なエネルギーを基盤にする社会へ転換を図る。
  ●原子力に替わる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要。
  ●オバマ大統領は被爆地や世界を失望させず、「核兵器のない世界」に向け、リーダーシップ発揮を
  ●核保有国や国際社会は「核兵器禁止条約」締結の努力を。日本は、この動きを推進することを求める。』

 同日の東京新聞夕刊は、長崎市平和宣言の骨子を次のようにまとめます。

 『▽被爆国で放射線被害が繰り返されたことにがくぜん
  ▽どんな社会をつくるのか根底から議論、選択する時。原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要
  ▽非人道的な核兵器はいらない
  ▽国際社会は核兵器締結への努力を
  ▽今後も世界に向けて核兵器廃絶を訴え続けていくことを宣言』

 両者に大きな差異を感じませんが、両者とも日本政府への訴えが欠落しています。すなわち、「非核三原則の法制化と北東アジア非核兵器地帯の創設。高齢化する被爆者の援護の充実」です。もちろん、まとめる記者の主観とスペースに依存するわけで、欠落と指摘するのも酷かも知れません。さして長い文章でもありませんから、全文を読めば事足ります。

 

 私は、原発が日本の各地に多数建設されたことが国民の責任とは思いません。明日は8月15日、敗戦記念日です。一億総懺悔にも与しません。為政者は、国民が仮に判断を間違ったとしても、高い見識をもって方向を正す責務と権限を信託されている筈です。
 と、ここまで書いて空しくなりました。それについては改めてまとめる機会を持ちます。

   (2011年8月13日記録)

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