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2011年6月 3日 (金)

読書:最近の読書から(2011年4月19日)

1.『対談・彫刻家の眼 佐藤忠良・舟越保武』
         佐藤忠良・舟越保武著、講談社

 近現代具象彫刻は近づきやすいので、荻原守衛や中原悌二郎ほか片手で足りないほどの作者を上げられる。その中で、佐藤忠良、舟越保武に親近感を覚える。

 佐藤忠良は3月末にほぼ一世紀の生涯を閉じた。舟越保武は2002年に鬼籍に入っている。二人は1912年生まれだから、随分と長い期間に渡って制作を続けたものだ。そして、大きな足跡を残した。

 1月に「世田谷美術館・佐藤忠良展」を鑑賞。昨年は、舟越保武の「原の城」を笠間・日動画廊で30年ぶりに、長崎で「二十六聖人記念碑」を始めて目の当たりにした。

 それらの伏線があった。30年近くを経過して二人の対談集を引っ張り出して再読した。面白くて再々読。

 

 二人の間に、深い友情、相互の尊敬が感じられる。「これからも舟越保武は、何事もなかったようなあの顔で、私の前を歩いていくのであろう。-- 佐藤」、「ライバルという意識はないのですが、彼の存在は、いつも私の左前方三十度の方角にあります。-- 舟越」。本文、すなわち対談のそこかしこに雰囲気は漂ようが、後書きの言葉が全てであろう。

 二人の周辺の多くの先輩・友人が語られている。本郷新、柳原義達、小磯良平、猪熊源一郎、高村光太郎、清水多嘉示、朝倉文夫、きりが無い。松本俊介について、「僕は友だちというと俊介に集中しているね。-- 舟越」「いい友だちを持ってるなあ。-- 佐藤」。佐藤も何度も会っている。私は個々には認識していたが、佐藤・舟越と同時代を生きたのかと改めて思う。松本俊介が長命であったら、そのようなことも思う。

 佐藤の「群馬の人」制作の背景には、今ではとても考えられな美しい話が潜んでいる。舟越の「原の城」のポーズについても言及している。多少前屈して力なく手を垂れているあの姿から、とめどない悲しみを感じる。あのポーズしか無いと。

 「大変な自信のあるような話になるようだけど、君や僕が似たような他の作家と並んで、尻尾を巻いて逃げなきゃならないほどのことはないと思う。しかしそこが問題で、我々の彫刻は決して次元の高いものではないかもしれない、と思う。君を巻き込んでは申し訳ないけど、我々の彫刻あたりが物差しの最低ラインになって、その辺から語られてもいいんじゃないかな。この程度のことで何だかんだ言われていたんでは駄目だと思うんだ。本当を言えばね。-- 佐藤」「我々を踏み台にしてもらわなくてはならないわけだ。-- 舟越」。後進にはなかなか厳しい言葉だ。

 

 30代前半に、なぜこの本を購入したか記憶はない。途中に挿入される写真に興味を持ったかも知れない。対談は70過ぎて行われているが、しみじみと理解できるような思いがするのは私が年を重ねたからだろうか。夭逝した友人達の思いも代弁されているような気がする。

 

注:残念ながら古書しか入手できないようだ。あるいは、近所の図書館で探して頂くか。

   (2011年6月1日記録)

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