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2011年4月21日 (木)

演劇:新国立劇場「ゴドーを待ちながら」

  作    サミュエル・ベケット
  翻訳   岩切正一郎
  演出   森 新太郎

  出演   ヴラジミール  橋爪 功
       エストラゴン  石倉三郎
       ボッゾ     山野史人
       ラッキー    石井愃一
       少年      柄本時生

  会場   新国立劇場・小劇場
  公演   2011年4月15日(金)~5月1日(日)、詳細要確認
  鑑賞   2011年4月19日(火) 19:00~21:50(休憩15分)
  参考   公式HP

 

 「田舎道。一本の木。夕暮れ」、東日本大震災の光景に重なる。瓦礫を掻き分けて延びる道、一本だけ残った松の木、早や40日ほどが過ぎた。

 この戯曲は何度となく観たが、今、再び観る巡り合わせ。自然の摂理とは言え、人々の築いた幸せを一瞬で奪う不条理。残された人々は、それでも生きなければならない条理。演劇は生きることを後押ししてくれるのだろうか。

 

 田舎道は土間の中央を貫くように作られている。客席は、田舎道の両側に対向して作られている。田舎道の端に一本の木。

 今回の台本は新訳。上演時間は一番長いが、繰り返しのような部分も省略なしで演ずるためのようだ。

 

 橋爪功はTVで良く見るが芸達者と思う。過去に舞台を観た記憶は定かでないが、改めて身体表現の凄さを確認した。例えば、歩くにしろ走るにしろ、場面場面に応じた歩きであり走りなのだ。全身から滲み出す表現に打ちのめされてしまう。ストーリーを牽引するヴラジミールに見事に嵌っている。

 石倉三郎もTVで見るが、舞台に立つとは知らなかった。全体にぶっきらぼうな表現と感じたが芸風か。思いを貫きたいのにヴラジミールから離れられないエストラゴンを良く感じさせた。

 橋爪と石倉の組合せどんなものかと思っていたが、終わってみれば実にうまい組合せだ。中だるみしそうな長時間の舞台を見事に繋いだ。

 山野史人のボッゾと石井愃一のラッキー、二人の繰り出すコミカルな場面は大いなる息継ぎ、緊張感を和らげた。一幕後半のラッキーの長台詞で、客席の一部から拍手が沸いた。柄本時生の少年は爽やかで世代間ギャップが表現された。いつの時代でも若者の方が冷静なのかも知れない。

 

 今日も、次の日も、ゴドーは現れない。明日はきっと来ると言伝しておきながら。しかし、期待を裏切られても、明日に向わなければならないのはヴラジミールだけではない。律儀で健気なことが尊く思えてくる。

   (2011年4月21日記録)

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