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2011年4月27日 (水)

随想:この人・百話一芸 第12回「雅楽演奏家・芝祐靖」

 2011年4月24日14時~16時10分、第12回横浜能楽堂講座「この人・百話一芸」。ゲストは雅楽演奏家・芝祐靖、聞き手・進行はNHKアナウンサーの葛西聖司。

 きちんとしたメモを取れなかったので雑駁な記録だが、以下に要点をまとめる。興味あれば、そのことを承知して一読願う。

 

 芝はパンフルート様の和楽器を演奏しながら、橋掛りから本舞台に登場。演奏楽器の話から始まる。

 名前は排簫(はいしょう)、中国の楽器だが、中国では現用されていない。さらなるルーツはルーマニア・?のパンフルート。正倉院に管の残欠と帯があり、管を帯に嵌めれば18管と判って復元。曲は古代歌謡をもとに作曲した「あげまき(少年のこと)」。

 雅楽奏者は、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、横笛、琵琶、十三絃、鞨鼓(かっこ)、太鼓(たいこ)、鉦鼓(しょうこ)を演奏できる。中国唐時代は陽旋法だったが、日本には合わない。おかしいと思ったことが凄い。改革が出来たから1000年続いている。今は日本にだけ残る。

 (傍らに琵琶が置いてある)
 背面が客に見えるように置いてあるのは宮内庁の置き方。4絃でペルシャ系、撥は小さい(薩摩琵琶の形状と異なる)。楽器自体は6Kgほどあるけど、少し削ってもらった。

(以下、本人作成のスライドを投影しながら)

 三歳の写真はヴァイオリンを手にしている。雅楽奏者は洋楽もやる。明治維新の際、洋楽も宮内庁楽部で演奏することになった。

 芝家は15代前位(?)に興る。奈良には一字姓の家がある。狛系。音楽の家。父の祐泰は伝統的な縦書きの楽譜を、西洋譜に書き換えた。古代歌謡は歌った。万葉集などはリズムが付いていたと思う。リズムで言葉を覚える。

 皇太子殿下・美智子様のご成婚祝典序曲を作曲(洋楽)し、宮内庁学部の舞台で演奏し、ありがとうと言われた。聴いた人は限られている。

 アイルランド大統領が来日した時に「威風堂々」を演奏してしまい問題になった。そのため大統領を迎える音楽を作曲した。(退職の時?)皇后様(美智子妃)がピアノ、私がフルートで二重奏をした。あまりはっきり言わなかったが、新しい世界で音楽をやりたかったようだ。

 国連での演奏(昭和34年)が初めての海外公演。

 室町時代の楽人、豊原統秋は「笛竹の調べにつけてものぞ想ふ世に合わぬ音は有るも甲斐なし]と詠んでいる。思うと転がった。

 長野五輪の開会式では、私(龍笛)と宮田ますみ(笙)が演奏(君が代)した。

 国立劇場で「武満徹・秋庭歌一倶」など演奏した。武満に感動した。

 「Music from Japan(海外公演、場所は聞き漏らす)」は私の曲で構成、モダンダンス(写真から勅使河原三郎と思える)とも共演した。総立ちの拍手だった。

 儀式・祝祭の演奏に拍手はない。スタジオプレーヤーは。それが宮内庁樂所を出た理由。

 一芸では、琵琶譜を実演、弟子の龍笛と琵琶の二重奏で越殿樂を。最後に龍笛演奏、14年修行している弟子との差に愕然、まさに一芸を極めた感じ。名誉の為に添えるが、弟子の演奏も立派なものだったのだが。

 

 雅楽を聞いた経験は少ない。大阪いずみホールで四天王寺樂所による一夜のコンサート、利賀フェスティバルにおける宮田まゆみの笙の演奏(確か高田みどりのパーカッションとのデュオ)。演奏会でないけれど、奈良東大寺二月堂のお水取り(総称でなく十二日深夜に行われる)の際の演奏。興味は持っているけれど、聴く機会がない。芝祐靖の百話一芸に接して、雅楽のコンサートにも出かけたくなった。気が多いか。

   (2011年4月26日)

 

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