随想:偉大とは方向を与えることだ
東電原発事故の影響について「ただちに健康に影響が出るとは考えていない」との表現が多用される。この表現が間違っているとは思わないが、知りたいことが言い尽くされていないことも事実だ。
「ただちに」と「間をおいて」、「出る」と「出ない」を対峙させて条件を整理すれば、
1.ただちに出ない そして 間をおいて出ない
2.ただちに出ない そして 間をおいて出る
3.ただちに出る (そして 間をおいて出ない)
4.ただちに出る (そして 間をおいて出る)
となる。「ただちに健康に影響が出ない」としても、「間をおいても出ない」のか「間をおいたら出る」のかはっきりしない。すなわち、先の見通しが利かない。
インターネットで「放射能漏れに対する個人対策(山内正敏・スウェーデン国立スペース物理研究所)」を見つけた。転載自由と記されているが、ここではリンクを張った。
この一文には、『どこまで放射線レベルが上がったら行動を起こすべきか(赤信号と黄信号)』との指針が簡明にまとめられている。
インタネットで「山内正敏氏「放射能漏れに対する個人対策」を読む際に考慮すべき点とは」も参照できる。両者の一読をお勧めするる。ただし、出所を含めて個人的に判断願う。
私は記された通りに行動できるとは思えないが、行動指針として記憶に留める。
さて「放射能漏れに対する個人対策」の紹介は、内容の貴重なこともあるが、何より物事に真正面から対峙していると感じたからだ(正当な資料と判断する)。それに比して「ただちに健康に影響が出るとは考えていない」との言い回しには責任回避の意識を感じた。
類稀な事故に直面する現在、東電(広く電力会社)・関係官庁・関係有識者・報道機関は、一般市民の安全確保の行動指針となる簡明な情報を最優先で広報すべきと考える。『偉大とは方向を与えることだ』との先哲の言葉を思い起こして欲しい。
(2011年3月27日記録)
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