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2011年2月

2011年2月27日 (日)

講演:KAAT(神奈川芸術劇場)オープントーク vol.1(長文)

  内容:第1部:劇場って何?(対談、約1時間)
       蜷川幸雄 彩の国さいたま芸術劇場芸術監督
            Bunkamura シアターコクーン芸術監督
       宮本亜門 神奈川芸術劇場芸術監督

     第2部:芸術監督って何?(座談、約1.5時間))
       串田和美 まつもと市民芸術館芸術監督
       宮田慶子 新国立劇場演劇部門芸術監督
       宮本亜門
       岩城京子 演劇ジャーナリスト/KAATクリエイティブパートナー

  会場 : 神奈川芸術劇場ホール
  日時 : 2011年2月26日 13:00~16:30(休憩15分、5分)

 

 電車事故で来場が遅れる人もいて、第1部は15分遅れで開演した。第2部は16時で終わり、その後に宮本亜門の質疑応答があった。

 客は3割くらいか。ホール定員は1000名ほどなのでガラガラ、現代演劇の先端を行くこれだけの芸術監督が集まっているのに、勿体ない思いがした。今年1月オープンの新しい劇場で、まだ知名度が低く、広報も不充分かも知れない。メンバー(KAME)登録しておくとメール案内が時々届く。

 一部聴き取り難かったり、脈絡を把握できない部分があった。それでも対談、座談は実に興味深かった。充分にメモが取れなかった。抜けている部分があり、曖昧なところもある。それを承知のうえで以下を参照願う。

 

 遅れている間に宮本亜門。芸術監督として何をするかまだ迷っている。国によって、役割・予算等ぜんぜん違う。まだ若葉マークの新人、皆さんと考えていく。

 

第1部:劇場って何?

蜷川:公演ぎりぎりまで変える。俳優を変えたこともある。この劇場は良い。さいたまは与野本町、なぜあんなところに作ったのか。文化行政がめちゃくちゃ。
宮本:なぜ芸術監督を引き受けた。
蜷川:高尚な理念はない。大勢に知られる劇場にしたい。少し先を行く芝居をやりたい。
宮本:蜷川は海外で成功した先駆け。
蜷川:自分で良いと思ったものをやる。自分でチェックする。外国人には論理的に説明しなければならない。ウニのように武装している。プロヂューサーが、(俳優に)この芝居のポスター貼って良いかと聞く。レパートリーシステムで使っているバトンは使えず、残りのバトンを使う。ローテーションシステムで来る予定の人と番う人が来たので帰して、自分も帰った。そういう風にしていかなければならないこともある。
以前、埼玉は4割ぐらいしか入場していなかった。そういう状態を改めたかった。当初はシェイクスピアだけの監督だった。若い女の子が芝居っていかがわしい。観たら面白いと沢山来るようになった。了解を得た上で、近所の人を30人位づつ招いて稽古を見てもらったこともあった。
宮本:横浜には人が集まりにくいと聞いていた。
  (金閣寺に主演の森田剛について)
蜷川:昔から言われている。アイドルを舐めたらいけない。森田は凄い。
宮本:チケットを売るために呼んだわけじゃない。
蜷川:チケットを売るために呼んでも良いじゃん。
宮本:物を作る時に鬱屈した角度があって、それが良い。客寄せのつもりはない。TVでもあの立ち位置でやり続けることが良い。
蜷川:とても良い。僕は宮本より丁寧にやるから、次は僕のに出演してねと言った(笑)。ネクストシアターは、マスコミとは違う回路で動いている若者にチャンスを与えよう。冒険に溢れた仕事をやろう。財団で守ろう。人徳だよ。
宮本:そう言われてしまうと。コクーンと埼玉は変えているか。
蜷川:公共の劇場である埼玉がになうことは、知られていないものでもやる。コクーンは社会と切り結ぶ。若い人たちにコンスタントに場を与えられるようにする。劇場が信頼されないと。緊張感を持ってやる。金はこれで良い。自分達で回していく。公共の劇場、金の心配をしないで良い。アングラから始めたので、自分の金を心配しないのが良いけど。
宮本:金を貰えることにプレッシャーがある。この劇場は大きい。定員1000名、見切れもあるので800~900名、かなり大きい劇場。(全体に照明を入れる)
蜷川:でかい。芝居の魅力は生。埼玉は2列くらい潰すけど、損失は何百万。3階は使わない。困難な状況は演劇にプラスになる。
宮本:日本の演劇はどうか。
蜷川:余り行かない。自分にやりそうな物は観ない。1回観ちゃって、良い所があると後で困る。
宮本:若い人は生活が苦しい。将来が見えない。
蜷川:自分が出てきたときは新劇を壊したいと思っていた。今は誰でも俳優になれる。書ける。欲望が小さいから、他に興味がない。Twitterとか鏡の向こうとコンタクトしている。批判はしないが不満はある。かって戦場は泥、泥が無ければ稽古場に泥を敷いて、感じてもらう。今しばらくはどこへ向うか考える。
宮本:ゴールドシアターは。
蜷川:シェイクスピアをやっていて空しかった。こまどり姉妹が歌いながら舞台を横切ったらぶっ飛ぶだろう。1ステージいくらか調べた。いま70才くらいだろうけど、同じような生活者が自分達で芝居をやったらどうかを、やりたかった。やったら大変。台詞を忘れたら、2・3列目に座ってプロンプター。仕掛けをしながらやった。歩けない人が歩けるように、台詞を言えない人が言えるようになった。
宮本:精力的に演出をしているが、この数って尋常じゃない。
蜷川:年に7~8、若い頃に売れなかったから均せば年に3~4。

 

第2部:芸術監督って何?

串田:松本の芸術監督7年前。更地の時から、見える見えないだけでなく初めからやれた。小劇場は立派な座席の予定だったが、ベンチに変えて貰った。
宮本:この劇場はぎりぎりになるまでは触れなかった。色々あった。
串田:コクーンの前、六本木の小劇場に愛着がある。小屋を大事にする。通行人からチラッと見えるような所が良いと思う。松本も同じ。
宮田:うらやましい。(新国立)は立派過ぎませんかあ~。外観、演劇が一番滋味。初台もアクセスが悪い。「わが町」は広すぎて人が小さく見えるとの意見もあったが、人なんて小さいものと判って貰いたい。使い倒すつもりでやっている。小劇場は良い。
宮本:各々は国県市の芸術監督。国ってどうですか。
宮田:公共ホールを預かった時から考える。国民は顔が見えない。全体に視野が向けられない。松本はレスポンスが早い。
串田:市長に電話して何とかする。
宮田:芝居が良いか悪いかは言われたが、今までやっていけないとは言われたことはない。
   最初のプログラム発表はドキドキしたか。
宮本:それを考えたら何も出来ない。開き直り。判りやすいものをいれれば、何でそんな判りやすいものを。最初、芸術監督って何だろう。自分の喜びとして演出をやっているので。
串田:野球なら優勝が目標。芸術監督はそれが決まっていない。決めるのが役割。コクーンは私企業、オーナーを説得すれば良い。国立は全員に賛成して貰えない。自分の価値観を判って貰えれば良いのでは。全ての人の税金で一部しか観ないものに使って良いか。5人しかすまない地域に橋を架けるようなもの。観ない人に認識させるのも大事。
宮本:観客動員は。
串田:もちろん多いほうが良い。経済効果と言われるが、それはそれ。企業ならば、5人しか利用しない橋は作らない。
宮本:沖縄に住んでいて、道が沢山出来ていくと感じる。必要があるのか、考えないで出来てしまうこともある。
串田:国立だから立派にしたのだろう。
宮田:例え1回でもワーという経験をすると、思っていてくれる。箱物が出来、ソフトを作るほうとしてはそういうことで良いかなと。受け皿があるのは限りない可能性がある。
宮本:二人が優勝と決めるのものは何か。
串田:俺は人間社会の中に芸術があると認めさせる。共存していることを判ってもらう。町が変わるとか人たちが認めてくれる。
司会:手ごたえとして感じることは。
串田:コクーン歌舞伎、市民100人が稽古して参加してくれた。佐倉義民伝、出演人ばかりでなく、家族も友達も喜んでくれる。地方に行くと、その土地の民話をやれとか言われるが、世界は一緒だろう。が、演劇は何か成り立つものが違うことはある。
宮田:公演に近い感じで勉強とか講演をやっている。こんなことも、あんなこともあるというきっかけ。色々なことをやると忙しい。理念と言いながら、気楽に演劇観て頂戴よ。やりたいことはやっていこうよ。3年でやりきれないから、(任期が)4年になって丁度良い。
司会:優勝とは。
宮田:テーマを決めてとりあえずそれが今年の目標。長期展望は頭にありながら、短いスパンで。一丸となって、一年たってどんな反応があるか楽しみ。「焼肉ドラゴン」で、最後にウォーといって泣くという感想があった。そういうことが凄い。(再演は)国立の財産。日本は使い捨て過ぎる。
   (宮本の体験や、岡田利規の話があったが、聞き取れなかった)
司会:コクーンは、駅から劇場までが激空間、松本は。
串田:松本全体だと思う。狭いのですぐ集まれる。昔に比べて今は立派で居心地悪い。そこで次の工夫、この空間で何かやる。昔、歌舞伎も浅草の外れに追いやられ、そこでいつか。
宮本:ここは恵まれている。沖縄にいる感覚。公共の劇場は劇団員を持つべきか。
宮田:研修所卒業生は半契約。登録しているが優先的に使うことはない。オペラ・バレーのエキストラなどにも。緩い劇団。若い人ばかりでは役に不足する。どうしたら良いか。
串田:カンパニーがあっても良いのではないか。
宮田:静岡(SPAC)でやっている。(どうするか)悩んでいる。
串田:共産圏で良いものが出来ていた。役者は何年も経て良くなる人もいる。それを守るのも大事。
宮田:役者が給料を貰ったらいかんだろうと思う気もある。
串田:今日会って、今日良い人ばかりではない。
宮田:亡くなった座長に、気長に見ろと。60になってよい役者になるかも。20~60まで面倒見るか。
宮本:公共で。
串田:自前(の劇団なら公演の)借金を返すまでは次は出来ない。そういう仕組みで日本の演劇は続いてきた。5人の橋のように架けない訳にいかない。だから国立。
宮本:世代でやってきた違いは。
司会:こんちくしょうのある方が摩擦はあるけど、何とか生きていけちゃうけど、それも嬉しくはない。
宮本:串田さんは好きですよね。
串田:その時はいらいらする。
宮田:役者は特殊技能。あらゆる創造が出来る役者。むき出しの肉薄しろと。
司会:ばれーだんさーは、クラシック、コンテンポラリー、何でもこなすとアスリート化する
宮田:役者は得意なこともあるけど、何でもできるか。(役者以外の)凄い才能に会うと、役者でやることないじゃん。
宮本:演劇はスタイルが多い。そういう所から入ってくるのが面白い。何がリアリズムかはまた別。養成所に繰り返し受かって練習するが、実舞台には出ない。養成所は何ですかと。
串田:カンパニーは作れっていうけど、万能であれとは言わない。

 

 質疑応答は省略。

   (2011年2月27日記録)

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2011年2月26日 (土)

随想:上関原発予定地・高江ヘリパッド予定地からのライブ中継

 

中国電力・上関原発建設予定地の海岸と海上、沖縄・高江ヘリパッド予定地から、マイクロ・メディアによるライブ中継が見られます。

 少しでも時間があれば、マスメディアでは報道され難い現地の状況を見てみませんか。とりあえず主義主張は脇においてでも、現地の状況を知ることは大切だと思います。

   (2011年2月26日記録)

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2011年2月23日 (水)

音楽:みなとみらいクラシック・クルーズ Vol.23(2011年2月22日)

  出演 ロシアン・ブラス
       サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー金管五重奏団

  曲目 ランチタイム・クルーズ(12:10~13:00)

       チャイコフスキー : バレエ音楽『くるみ割り人形』より
          行進曲/アラビアの踊り/ロシアの踊り(トレパック)
       チャイコフスキー : 四季 ~12の性格的描写~より
          クリスマス/炉端にて/謝肉祭
       ムソルグスキー  : 交響詩「禿山の一夜」

     ティータイム・クルーズ(14:30~15:300)

       モーツァルト   : 歌劇『魔笛』序曲
       ロッシーニ    : 歌劇『セヴィリアの理髪士』より
          「私は町の何でも屋」/「今の歌声は心に響く」/「ご覧、空がしらみ」
       モーツァルト   : 歌劇『魔笛』より「夜の女王のアリア」
       ヴェルディ    : 歌劇『リゴレット』より「愛する美しいおとめよ」
       ボロディン    : 歌劇『イーゴリー公』より「だったん人の踊り」

  会場  横浜みなとみらいホール・大ホール
  公演  2011年2月22日

 

 金管五重奏団の編成は、舞台下手から上手に向って第1トランペット、ホルン、チューバ、トロンボーン、第2トランペットです。トランペットは、曲によりピッコロ・トランペットに持ち替え。

 半円状に座るのが基本、多少並びを変えたり、ソロでは立ったり、オペラ曲では簡単な衣装を着けたりしました。金管だけの演奏会は初めてでしたが、エンターテイメントな一面もあり、とても楽しく聴きました。

 もちろん、その演奏は見事なものでした。さすがに、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー、以前のレニングラード・フィルハーモニー交響楽団のメンバーです。って、オーケストラの生演奏は聴いたことがありません。録音で聴くのとうわさで知るだけですが。

 「夜の女王のアリア」は第1がピッコロ・トランペットでソロ。『魔笛』の有名なソプラノのアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」ですが、難曲をいともた易く吹いたので驚きました。

 「私は町の何でも屋」は第2が、「今の歌声は心に響く」はホルンが、「ご覧、空がしらみ」はチューバがソロを取りました。

 元の曲を知っていることでより演奏を楽しめるのでしょうが、残念ながら私は半分位しか知りませんでした。でも、充分に楽しみました。

 ティータイム・クルーズの演奏を終えての退場は、「ピンクパンサー(?)」を演奏しながらの行進でした。アンコールの曲名を確認しませんでした。1曲目はトロンボーンがソロ。2曲目はラテン曲でしたが、手拍子を催促して良い心持で演奏会を終了しました。
 もう一度、存分に楽しみました。

 

 次回は3月9日(水)、東京交響楽団主席メンバーによる弦楽四重奏です。

   (2011年02月23日記録)

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音楽:神奈川フィル第269回定期演奏会

  指揮     金聖響

  独奏     南紫音(Vn)

  演奏     神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目     モーツァルト :ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調
         マーラー   :交響曲第5番嬰ハ短調

  会場     横浜みなとみらいホール(1階29列24番)
  公演     2011年2月19日14:00~16:00(休憩15分)

  参考     曲名クリックで演奏を聴けます

 

 モーツァルト・ヴァイオリン協奏曲第4番。南紫音はあざやかな萌黄色のドレスで登場、春らしい雰囲気を漂わせます。

 オーケストラに埋もれることなく、独奏ヴァイオリンが弾きまくる感じ。ヴァイオリンは少しくすんだ音色に聴こえましたが、底抜けに明るい音色より私は好きです。弾むように、軽やかに演奏された第三楽章も春らしく聴こえました。

 南紫音は初めて。まだ20代前半のようでが、神は二物を与えるようです。次の機会を楽しみにしたい演奏家です。

 

 マーラー・交響曲第5番。ハープと弦楽器で演奏される第4楽章アダージェットが、ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」で使用されています。美少年タジューが思い浮かぶでしょうか。

 第1楽章、トランペット・ソロによるファンファーレで始まり、ソロの終わりで総奏になります。
 曲中にソロのある交響曲は珍しくありませんが、始まりがソロである交響曲は他にあるのでしょうか。それだけに冒頭の十数小節、トランペットは緊張するように思いますけど、プロにはそのようなことはないでしょうか。聴く方も緊張します。

 第4楽章、他の楽章と比較したら、ここだけがエアーポケット落ち込んだような気がします。いや逆、ここだけが快適な飛行でしょうか。美しい旋律の楽章ですけど、アンニュイな感じが漂います。
 さて、タジューが頭に浮かんだかと言えば、聴くことに一生懸命でそれどころではありませんでした。

 

 終えてみて素晴らしい演奏でした。トランペット、ホルンを初めとする管楽器は見事でした。弦楽器は、脇役のモーツァルトで美しく、マーラーでは怒涛のような激しさも感じさせました。オーケストラと言う楽器の機能性が高いのだと思います。

 神奈川フィルを丸二年聴きました。素人ですから詳しく指摘できませんが、でも二年間で随分と変わったと感じます、もちろん良い方に。公開練習を聴きに行って勉強しよう。

   (2011年2月22日記録)

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2011年2月21日 (月)

読書:最近の読書から(2011年2月17日)

1.『よむ、詠む、読む』 高橋睦郎著、新潮社、1600円+税

 

 副題が『古典と仲よく』。本書は雑誌等に掲載した文書をまとめたもの。『「源氏物語」現在形』が2/5を占め、他で和歌、漢詩、歌舞伎などに言及。

 各々が完結していて古典という海原へ漕ぎ出すための示唆に富む。漕ぎ出した船が港に戻るように、古典に取り組んだ後に本書に戻った時、本書の真の面白さが理解できるだろう。

 とは言え今は海原に漕ぎ出すのみ、手がかりとなりそうな文章を五つ抽出した。

 

 (1) 『古典を読むに先立って現代語訳や注釈書を読んでおくことは、悪いことではない。ただし、読んだらいったんは忘れて、無染の心で原文に対すること(前書きに代えて)』

 (2) 『「読む」を仮名書きで「よむ」とすれば、日本語で詩歌の表現を意味する「詠む」と、表現された詩歌の享受を意味する「読む」とが、ほんらいの一つであることに気づかされる(前書きに代えて)』

 (3) 『在原業平に西行法師、さらにもう一人近代の石川啄木を加えて、これが和歌の三大スターではないだろうか(二人のスター ---- 業平 ・・・・ そして西行)』

 (4) 『第二次世界大戦に敗れた時、日本人一般の意識に上ったのは、純粋に自国固有の伝統的詩型と考えられて来た和歌でも俳句でもなく、漢詩の一句でした。杜甫の五言律詩「春望」の第一句「国破山河在」だったのです(漢詩への感謝)』

 (5) 『「文台引下ろせば即ち反古なり」、その覚悟の上に作られ、書かれた平生即辞世の句だからこそ、私たちの生きることの今日を励まし、私たちの生きることの明日へと導いてくれるのでしょう。(平生即辞世 ------ 日本詩歌の一伝統から)』

 (1) 取り組み方、(2) 特に短詩形の本質、(3) 華の系譜、(4) 漢字文化圏、(5) 生命力の根源、と理解。古典が照らし出す世界は多彩で興味深く、末永く付き合いたいもの。ただし暫らくは、源氏は脇におこう。

   (2011年2月21日記録)

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2011年2月18日 (金)

舞踊:Lingering Imagery of Reflection ―能《井筒》―

  構成・振付・出演  ボヴェ太郎

  能楽        笛  杉信太朗
            小鼓 曽和尚靖
            大鼓 河村大
            地謡 田茂井廣道

  監修        志賀玲子

  会場        神奈川芸術劇場エントランスホール
  公演        2011年2月17日 16:10~16:50

 

 伊勢物語を元に構成された能「井筒」、能「井筒」を元にした本作、という階層構造。面はつけない。衣装は、上半身ぴったりの長袖と下半身は袴(?)、上下とも色は黒。

 五階に至る吹き抜けのエントランスホールの一角に据えられた、白いシートで被われた平台は三間四方と思うが目見当では多少狭い。井筒の作り物はなく、地謡は上手に、囃方は正面奥に、舞台後方は壁だが、能舞台をさらに抽象化した能舞台であることは確か。

 私は舞台後方の二階から鳥瞰して見ていたので、ボヴェ太郎がどこから登場したかは判らなかった。気づいた時は、能舞台ならば中正面の方向から舞台に上がるところだった。

 地(舞台)から離れることなく腰を落として舞台を大きく旋舞する。ここまで進んで能と不即不離の現代舞踊が展開されると気付く。ボヴェ太郎の名前は聞き及んでいたが舞台に接するのは初めて、どのような方向性を志向しているかを知らなかった。

 静止し、腰を捻るようにして上半身を前に傾けたのは、井戸の水に自分を映す所作。能を現代舞踊で表現していることを確証。

 

 しかし、能を現代舞踊で表現する必然性は判然としない。一度で判ろうとすることが不遜だ。回を重ねるのはやぶさかではない。惜しむらくはボヴェ太郎が関西中心で活動していること、京浜地区で見る機会は限られる。

 面白く思ったことが一つ。舞台を含む空間が、非常に硬質な壁やガラスで囲まれていて残響が長く、謡いの鮮明さは薄れたが、小鼓・大鼓の音が尾を引いて、私は幽玄な思いを強くした。

 

 国際舞台芸術ミーティング(TPAM)の一演目、一般公開された。一部演目は認識していたがTPAMを知らなかった。知っていたら、もっと多くの公演等に出かけたものを。神奈川芸術劇場(KAAT)もオープンしたので、今年は横浜中心で計画を建てよう。

   (2011年2月18日記録)

付記:都合により更新が滞っていました。これ以降週3・4回更新を目指します。今後ともよろしくお願い致します。

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2011年2月14日 (月)

読書:最近の読書から(2011年2月12日)

『私の俳句修行』
  アビゲール・フリードマン著、中野敏子訳、岩波書店、2200円+税

 

 著者は女性、最近20年のうち8年ほどを日本で過ごす。日本語を習い始めて10年は経過。初来日は1986年で広島に2年滞在。1988年国務省入省、駐日大使館勤務は1992~5年、2000~3年。現役外交官として活動の傍ら俳句作り。同好の士を募って俳句の国際化にも貢献。

 

 外交官として講演を終え、懇親会で一人の男に会う。交換した名刺に沼杏俳句会と俳号が記されており、俳句を話題にして短い話をする。その間に挨拶の順番が回った男は「彼女は俳句の愛好者で、自作の句をいくつかご披露していただけるかもしれません」などと言って席に着く。

 何言うのと思うもマイクを持った著者は、日本語で「俳句は好きだが、作ったことはない」。それでも「私の大好きな日本語の俳句を述べます」と言って数句を暗誦する。

  夕晴れや浅黄に並ぶ秋の山    一茶
  山くれて紅葉の朱をうばひけり  蕪村
  故郷も今は仮寝や渡り鳥     去来
  行く我にとゞまるな汝に秋二つ  子規

 その場はひとしきり俳句の話題に満ち、後で男の所属する俳句会へ参加を勧誘される。

 導入部を細かく紹介したが、著者の日本語レベルや俳句の知識を理解頂くため。

 

 後日、案内状を受け取った著者は沼津御用邸の句会へ、多少のためらいを抱きながらも参加、修行の道を歩き出す。

 著者は英語と日本語で俳句を作る。外人が日本語を話しても驚かないが、俳句を作ればどうか。ワビ・サビ、余韻や伝統などは日本人だって難しい。しかし、著者の俳句修行は日本人と大して変わらない。悩みも同じだろう。思いが単刀直入に表出されているので反って判りやすい。

 初心者は共感する所も多いだろう。異文化に接する観点も興味深い。巻末の小句集から。

  turbulent water  between my fingers  -the cold
      春の水手を入れてなほ冷たかり

 俳句は面白いかも知れない。

   (2011年2月14日記録)

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2011年2月 9日 (水)

演劇:新国立劇場「焼肉ドラゴン」

  作・演出 鄭義信
  翻訳   川原賢柱

  出演   金龍吉・「焼肉ドラゴン」店主  申哲振
       高英順・竜吉の妻        高秀喜
       金静花・長女          栗田麗
       金梨花・次女          占部房子
       金美花・三女          朱仁英
       金時生・長男          若松力  他

  会場   新国立劇場・小劇場
  公演   2011年2月7日(月)~20日(日)、
         詳細要確認(ソウル、兵庫県、北九州公演あり)
  鑑賞   22011年2月7日(月) 18:30~21:25(休憩15分)
  公式HP  焼肉ドラゴン
  参考HP  あらすじ(Performing Arts Network Japan)

 

 初演は2008年、私は見逃した。今回が再演、新国立の最近の傾向から異質とも思えるが、秀作ゆえに多くの支持を集めたからだろう。これは名作だ。

 

 主人の名前からドラゴンと呼ばれる焼肉屋の店先、そこで繰り広げられる在日コリアン家族と周囲の人たちの生活。それを通して民族問題や太平洋戦争・済州島四三事件の影に迫るスケールの大きな物語。

 頃は1970(昭和45)年前後、大阪千里で国際博覧会が開かれ、「やったぜベイビー」などの流行語が飛び交い、金嬉朗事件などが起きた。場所は飛行機が頭上を頻繁に通り過ぎる水はけの悪い場末の低地。

 

 店主を演じた申哲振は、動きが多く賑やかな舞台の中で静。戦争で片腕を失くしながらも、働きに働いて家族を支え、家族に向けられる社会の仕打ちに耐えてまで社会に溶け込もうとする一徹さを滲み出させた。この物語の中心であり重心、確かな存在感。

 妻を演じた高秀喜は、いわゆる肝っ玉母さん、喜怒哀楽を隠すことなく、子供を愛し子供の楯となる強い母親像を浮かび上がらせた。

 子供達の生き方は様々だ。娘達は喜劇風でもあり飽きさせることはない。
 長男は、私立校に通うがいじめに合い、屋根の上に逃避場所を見つけるが、やがて自死する。社会の仕打ちを強く感じさせた。

 立ち退きを迫られ、長女夫婦は北朝鮮へ、次女夫婦は韓国へ、三女は日本人と結婚し、夫婦はありあわせの荷物をリヤカーに積んで新しい土地へ移っていく。それがどういうことか、その後どうなるかは、私が考えること。鄭義信は笑いに紛らせて大きな課題を突きつけた。

 長男は冒頭に屋根の上で「ここは大嫌いだ」と叫ぶ。そして幕切れに再び現れて「でも大好きだ」と。これもまた「わが町」だろう、涙誘われた。

   (2011年02月09日記録)

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2011年2月 7日 (月)

路上観察:東海道53次徒歩の旅・原宿先から江尻宿先まで

 2月3・4日、東海道53次徒歩の旅を続けました。第1日目は原宿先のJR東田子の浦駅から蒲原宿西木戸跡まで。第2日目は江尻宿の先、静岡鉄道狐ヶ崎駅まで。詳細は後日、先にハイライト三つをご紹介します。

 

 東海道を京都に向えば富士山は右手に見える筈ですが、吉原宿手前に左富士の見える地区があります。写真は歌麿の浮世絵・吉原宿(*1)に描かれたあたり。道を延長すると左手に富士山の見えることが想像できるでしょう。
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 図は本(*2)の表紙カバーですが、吉原宿は大分内陸に入り込んでいます。これが左富士の見える理由、道が北に向うからです。
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 吉原宿は位置を二度変えましたが、これは吉原宿以外にはない(*3)そうです。最初の元吉原は現在の東海道本線吉原駅近く、次の中吉原は現在の左富士地区辺り、いずれも津波に飲み込まれたそうです。(追記:新井宿も位置を二度変えているそうです。詳しくは追ってまとめます。2月11日)

 

 由比の西側は昔の面影を良く残しますが、それは追って。現在は桜海老で有名。過日、TV番組で見た由比漁港の浜のかきあげやで、昼には早いのでかきあげと味噌汁を食べました。後に昼飯を食べる場所が無かったので、結局、この日の昼食はかきあげ1枚。
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 由比漁港には沢山の漁船が停泊しています。海側には城壁のような東名高速道路。ふと福山市鞆町の県道バイパス移設計画が頭を過ぎりました。近隣住民の皆さんは難しい問題に直面していると思います。
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 由比の街並みを外れると名所さった峠。ここから見る富士山と田子の浦の景色は美しい。峠から興津側に少し下ったところが撮影ポイントですが、そこに見晴し台が設置されていました。姿を変えない山と海、それに東名高速道路、国道一号線、東海道本線が隣同士で行き交う姿はシュールな光景。
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 さった峠周辺のハイキングならば、興津から由比に向うのが良いと思います。富士山を正面に見て歩けます。下ってから由比で桜海老の昼食と組み合わせては如何でしょう。

 *1 引用:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ee/Tokaido14_Yoshiwara.jpg
 *2 引用:地図で旅する東海道・今尾恵介著・東京書籍発行
 *3 参考:いま街道は 東海道偏・静岡新聞社発行

  (2011年2月7日記録)

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2011年2月 4日 (金)

東海道徒歩の旅・薩埵峠

薩埵峠
東海道53次・由比から興津宿に向かっています。ただいま薩埵峠、少しかすんでいますが、富士山がきれいです。東名高速を走る自動車の音が這い上がってきます。

それにしても実に温かく、汗がこぼれ落ちています。

それでは、興津宿に向かいます。

   (2011年2月4日記録)

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2011年2月 3日 (木)

東海道徒歩の旅・東田子の浦から蒲原宿

東海道徒歩の旅・東田子の浦から蒲原宿
今日( 2月3日)、東海道徒歩の旅の続き、東田子の浦から蒲原宿までを歩く。由比宿までの予定が4kmほどショート。名所・旧跡への細かな寄り道だけど数が多いので以外に時間を食う。

詳しくは後日だが、本日のハイライトは吉原過ぎの左富士と富士川越え。

東海道を西に進めば、富士山は右手に見えるはずだが、吉原過ぎ道が北向きになるので、富士山が左手に見える地域がある。

富士川は、東海道線、東海道線新幹線、東名高速道路で渡ったことがあるけど、今日は徒歩で渡った。もちろん、橋の上ですけど。

明日も歩きます。今日の遅れを挽回、靜岡まで進んで帳尻を合わせるつもりです。

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2011年2月 2日 (水)

路上観察:歌川広重の東海道53次三島・沼津

 借りていた本を神奈川県立図書館に返却し、その足で横浜市立図書館に向いました。どちらも自宅から歩ける距離でありがたく思います。いずれも東海道53次に関する本を参照するためです。

 先日、旧東海道三島宿から東田子の浦まで歩き、それについてはホームページに前半後半、そして感想を掲載済みです。纏める過程で少し気になることがありました。

 それは歌川広重の東海道53次の内・沼津が日も暮れて先を急ぐ三人の人が描かれていることです。天狗の面を背負った諸国勧請と思われる人はともかく、残るは子供連れの女性です。箱根を越えたら三島泊りで良いと思いませんか。
Numazu

 『沼津は水野出羽守(三万石)の城下町である。天保十四年(一八四三)の沼津宿の人口は五千三百四十六人、家数が千二百軒、本陣三軒、脇本陣一軒、旅龍五十六軒だったという。当時の三島宿の旅龍が七十四軒であったから、三島宿に比べれば数の上では少ないが、城下町の沼津宿の方が品のよい旅龍が多く、箱根越えをした女性や子供連れは三島に泊まらずに、沼津まで足を延ばした。(引用:いま街道は・東海道偏、企画・執筆:静岡新聞社、発行:静岡新聞社)』。

 このそような状況まで把握して描いたのでしょう。ちなみに小田原から三島間は32Km、沼津までなら38Kmです。

 三島は、朝もやの中を馬や駕籠、徒歩で出立する旅人が描かれています。三嶋大社の鳥居で、これから箱根に向うことが判ります。
Mishima_2

 こうなると小田原・箱根も確認したくなります。箱根山のロングショットとアップショットで描かれています。
Odawara Akone

 小田原・箱根・三島・沼津の四枚で、各々の宿場を特徴を把握するとともに、天下の剣・箱根越えの厳しさも表しているのでしょう。

  注:図版出展:http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Tokaido53_Mishima.jpg 他

   (2011年2月2日記録)

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路上観察:東海道53次徒歩の旅・三島~東田子の浦(後半)

 1月24日、思い立ってJR三島駅からJR東田子の浦駅まで、旧東海道を歩きました。前半は既にホームページ掲載済みですが、後半も整理を終えてホームページに掲載済したので、お時間があれば参照願います。

 

 歩きながら思ったことを少し纏めます。

 三島を出ると沼津・原・間宿柏原(*1)・吉原・蒲原と続きます。沼津は沼沢地の港の意味かと、後はみな原が付くので、野原や沼沢地が続いていたのだろうと想像しました。

 道はほとんど直線で視界が開け、富士の姿に心癒しながら進んだのではないでしょうか。しかし、このような所で日が暮れかかり、宿場までまだ遠ければ随分心細かったに違いありません。ここだけに限らないでしょうけど。

 今は家並みの切れることはありませんので、橋の上や少し開けた場所でないと富士の姿は見えません。しかし、沼津を過ぎると人気は少なくなりますので、多少の心細さは覚えます。

 週に1・2回、東海道新幹線で行き来していた時には、そんなこと考えもしませんでした。しかし歩いてみると、そういう思いが湧いてきます。

  *1 間宿(あいのしゅく)、距離の長い宿場間の途中にできた休憩主体の小規模な宿場

   (2011年2月2日記録)

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