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2011年2月 2日 (水)

路上観察:歌川広重の東海道53次三島・沼津

 借りていた本を神奈川県立図書館に返却し、その足で横浜市立図書館に向いました。どちらも自宅から歩ける距離でありがたく思います。いずれも東海道53次に関する本を参照するためです。

 先日、旧東海道三島宿から東田子の浦まで歩き、それについてはホームページに前半後半、そして感想を掲載済みです。纏める過程で少し気になることがありました。

 それは歌川広重の東海道53次の内・沼津が日も暮れて先を急ぐ三人の人が描かれていることです。天狗の面を背負った諸国勧請と思われる人はともかく、残るは子供連れの女性です。箱根を越えたら三島泊りで良いと思いませんか。
Numazu

 『沼津は水野出羽守(三万石)の城下町である。天保十四年(一八四三)の沼津宿の人口は五千三百四十六人、家数が千二百軒、本陣三軒、脇本陣一軒、旅龍五十六軒だったという。当時の三島宿の旅龍が七十四軒であったから、三島宿に比べれば数の上では少ないが、城下町の沼津宿の方が品のよい旅龍が多く、箱根越えをした女性や子供連れは三島に泊まらずに、沼津まで足を延ばした。(引用:いま街道は・東海道偏、企画・執筆:静岡新聞社、発行:静岡新聞社)』。

 このそような状況まで把握して描いたのでしょう。ちなみに小田原から三島間は32Km、沼津までなら38Kmです。

 三島は、朝もやの中を馬や駕籠、徒歩で出立する旅人が描かれています。三嶋大社の鳥居で、これから箱根に向うことが判ります。
Mishima_2

 こうなると小田原・箱根も確認したくなります。箱根山のロングショットとアップショットで描かれています。
Odawara Akone

 小田原・箱根・三島・沼津の四枚で、各々の宿場を特徴を把握するとともに、天下の剣・箱根越えの厳しさも表しているのでしょう。

  注:図版出展:http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Tokaido53_Mishima.jpg 他

   (2011年2月2日記録)

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