路上観察:第4回平戸ツーデーウォーク道中編3
2010年9月27日。昨晩、雨がぱらついていましたが、長崎は今日も雨だった。市電の一日乗車券を購入、まずは市電で長崎平和公園周辺に向います。
爆心地公園。平和公園は知っておりましたが、爆心地公園を知ったのは旅行前でした。同心円様に整備された中心にモニュメント、その上空500mで原爆が爆発したそうです。モニュメントの前に原爆殉難者名奉安の石の箱があります。箱の左側面に「原爆死没者名奉安数 152,276人 平成22年8月9日現在」と記されています。
少し離れて右側に、原爆で破壊された浦上天主堂の遺構が移築されています。(写真は順に、遠景、モニュメント、奉安数、遺構)
これから数時間は言葉を失います。言い表せない何かを胸にしっかり刻み付けないと。
原爆資料館。外人の方も少なくありません。皆さん、熱心に展示品に見入っています。展示品から判ることは、想像を絶する出来事が起きたということです。重い気持ちになりますが、目をそらすことはできません。「三度許すまじ原爆を」「あらゆる戦争の即時停止と発生防止」を祈念しながら進みます。
昨日、市内で多くの警察官を見かけました。ルース米国大使が来られていたからでしょう。多くの、特に核兵器保有国首脳は長崎・広島を訪れるべきです。
写真は撮りませんでした。機会があれば是非、自らの目で確かめてください。
浦上天主堂。被爆当時、東洋一の規模を誇っていたようですが、一瞬のうちに崩壊したのでしょう。遺構の一部は、爆心地公園、原爆資料館で観ることができます。現在の浦上教会に向うアプローチの脇に像や煉瓦壁が残されていますが、これも遺構だと思います。(写真は順に、現浦上教会、遺構(?))
平和公園。長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の報道映像などで知る平和祈念像が建てられています。高校生の時に一度訪れています。平和祈念像は、記憶にあるより小さいと思いました。しかし、込められた思いは大きなものでしょう。修学旅行生や見学者を多く見かけました。
平和祈念像があるこの一帯を平和公園と思っていましたが、実際は原爆資料館や爆心地公園、スポーツ施設を含めて平和公園のようです。(写真は順に、平和公園、平和祈念像)
日本二十六聖人殉教記念碑。原爆関係旧跡・施設とともに訪れたかったのがこの記念碑。彫刻家・舟越保武の代表作の一つと認識します。文献等で見ましたが、どのような環境に設置されているか興味ありました。
碑の背後に、記念館(閉館していました)、碑の右の少し盛り上がった部分に殉教地跡、道を隔てて記念聖堂があります。広々とした場所に建てられていると思っていましたが、意外と狭い場所でした。作品の価値に変わりはありませんが。(写真は順に、碑と記念聖堂、レリーフ全体、中央部、殉教地モニュメント)
この後は時間の許す限り市内観光しました。(写真は順に、国宝崇福寺、国宝大浦天主堂、グラバー邸。前夜散歩した中華街、眼鏡橋)
雨が降っていなければもう少し原爆関係旧跡を巡りたかったのですが、いずれ長崎再訪の機会持ちたいと思います。長崎、平戸、その中間を含めてキリスト教者受難の歴史をたどる機会も改めて持ちたいと思います。今回の旅行で、物事を調べたりする大まかな下地が出来たように思います。
(2010年10月3日記録)
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コメント
長崎ももう一度じっくり回りたい所です。
8月の句会で「天を指す平和の像や秋に入る」の句を出しましたが、広島の日同様8月になると何とはなしに空を見上げ、思いを馳せます。
句会は吉祥寺ですので、井の頭公園の彫刻園のアトリエでこの像が作られたこと、像の原型が見られること、出席された方でお会いになったことがある等話が弾みました。
投稿: strauss | 2010年10月 3日 (日) 17時14分
すみません書き漏れです。
お会いになったことがある相手とは、平和記念像の作者北村西望氏です。
投稿: strauss | 2010年10月 3日 (日) 17時16分
歴史に疎いのですが、でも時代時代に名を残す人の生き方は随分と興味あ
ります。三浦按針は異郷に歿しますが、故郷に帰りたかったでしょうね。そ
んな気がします。平戸は無理でも、近いうちに横須賀の按針塚に足を向けよ
うと思います。八重洲にも。
句は、思うことが多くてまとまりませんでした。少し気持ちが整理された
ら、駄句の一つ二つはまとめたいと思います。
平和祈念像の原型は井の頭公園で作られたのですか。北村西望の名は永遠
に残ります。機会あればまた訪れたいと思っています。
投稿: F3 | 2010年10月 3日 (日) 22時04分