路上観察:平戸ツーデーウォーク道中編1
第4回平戸ツーデーウォーク(2010年9月25・26日)に参加する前後の道すがら、あるいはツーデーウォーク完歩後に巡った名所・旧跡をご案内します。
2010年9月24日。11時前に長崎空港到着、レンタカーを借用して平戸に向いました。ツーデーウォーク参加に自動車利用は軽い矛盾を感じますが、種々の条件を加味すると仕方ないかと。
平戸へ直行するつもりでしたが、西海橋に寄ることにしました。ハウステンボスの建屋を横目に見てから、直ぐに到着します。
西海橋は高校の修学旅行で訪れたことがあります。半世紀に少し不足するぐらいの古い昔のことです。
架橋当時は、固定アーチ橋として東洋一、世界第三位を誇る規模で、工業日本のシンボルの一つだったのでしょう。大村湾と外海を結ぶ急潮の伊之浦瀬戸に映る美しい姿も印象的で、修学旅行の立寄り先に選ばれたと思います。少し離れたところに第二西海橋が架橋されていました。
今は巨大建造物、横浜で言えばベイブリッジ、が少なくないので、改めて驚きませんが、様々な観点から時の流れを実感しました。(写真はいずれも、手前が西海橋、奥が第二西海橋)
平戸島のホテルに到着したのは15時少し前、平戸市役所を中心にした市街地の少し北側の海辺。荷物を置いて散歩に出かけました。
平戸和蘭商館跡。1609年に2隻のオランダ船が来航し、商館設置と貿易許可を願い出て、平戸オランダ商館は設置されました。しかし、鎖国政策の波に揉まれながら1941年に長崎出島へ移転、30年余で商館の歴史は幕を降ろしたそうです。周辺に、オランダ井戸、オランダ坂、日蘭親交記念碑(1925年)がありました。(写真は順に、商館跡、井戸、オランダ坂、記念碑)
フランシスコ・ザビエル記念碑。小高い位置にある崎方公園から市街街中心部が一望できます。右側幟の先辺りに市庁舎。背後の一角に、日本へ初めてキリスト教を伝えたスペイン生まれの宣教師フランシスコ・ザビエル来朝400年を記念した碑が建立(1949年)されています。(写真は順に、市街中心部遠望、ザビエル記念碑)
三浦按針(ウィリアム・アダムス)墓。乗っていた船が漂流し、豊後臼杵にたどり着いたイギリス人。崎方公園の一角に三浦按針の墓、その隣に夫婦塚があって驚きました。というのも、神奈川県横須賀市にある按針塚に何度も訪れていたので平戸にも、と思った次第です。書けば長くなるので、按針についてはこちらを参照願います。
ちなみに同船していたのがオランダ人ヤン・ヨーステン、東京八重洲にその名を残します。八重洲仲通りに、二人の乗っていたリーフデ号の彫刻がありましたが、今もあるでしょうか。(写真は、按針墓(左)と夫婦塚)
平戸教会・聖フランシスコザビエル記念聖堂。港を見下ろす小高い位置に建てられています。1931年完成でゴシック様式の荘重な建物。外壁塗装はパステルカラーの緑と白でおだやかな印象を受けます。規模から信者の多さが想像できます。前庭に平戸殉教者顕彰慰霊之碑が。(写真は順に、記念聖堂外観、内部、慰霊之碑)
港に向って階段を下る途中で振り返ると、寺院と教会の尖塔が同時に見えます。この風景が平戸観光の売り物の一つです。これを見て宗教の多様性を感じましたが、宗教はそれで言い尽くせないことが歴史と現状をで判ります。小雨がぱらついたので、ここで切り上げてホテルに戻りました。(写真は、寺院と教会の見える風景)
この他に、松浦家28代隆信の墓、六角井戸、大蘇鉄、港周辺の数々のモニュメントを見学しました。
夜、ホテルから夜景を撮りました。(写真は順に、平戸大橋、夜目にも見える潮の流れ、平戸城)
(2010年9月30日)
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コメント
充実した旅だったようですね。
ヤン・ヨーステンのレリーフは、ずいぶん前八重洲通を歩いていて見た記憶があり、調べてみたらまだ変わらずあるようです。八重洲という地名の由来だったとは知りませんでした。
遠いので、飛行機は仕方ないでしょう。
平戸は一度は行っておきたい所です。
投稿: strauss | 2010年10月 3日 (日) 17時04分