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2010年10月

2010年10月31日 (日)

美術:赤瀬川源平写真展・散歩の収獲(2010年10月27日)

   1.会場   横浜市民ギャラリー あざみ野
   2.会期   2010年10月22日(金)~11月7日(日)
   3.鑑賞日  2010年10月27日
   4.参考   公式HP

 

 路上観察の延長、散歩に持参するカメラが思わぬ被写体を捕らえる。

 大先生は、「写真に言葉がない。でも写真には表情がある。写真は何かを言いたがっている。それを翻訳するのがタイトルだけど、いつも誤訳の危険に満ちている」と言う。

 ディジタルカメラが普及し、カメラ付き携帯電話も多くの人が持ち歩く。誰にでも傑作を撮れるチャンスはある。しかし、表情を掴めるか、言いたがっていることを聞き取れるか。「こころあらざれば物あれど見えず、音すれど聞こえず」なのだ。

 今回の展示に特選はないような気がする。入選だろう。が、ここは作品を心行くまで鑑賞して、自らの感性を奮い立たせて傑作をものにするのが恩返しになりそうだ。

 基礎知識がないと何を言っているかわからないでしょう、ここらを参考に。興味を抱いたらせひお出かけ下さい。インタビュー映像が面白い。

 それから、同時開催の横浜市所蔵カメラ・写真コレクション展も面白い。写真の歴史がわかる。

   (2010年10月31日記録)

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2010年10月30日 (土)

美術:都筑アートプロジェクト2010(2010年10月27日)

 横浜市営地下鉄・センター北駅から徒歩10分も要しない、大塚・歳勝土遺跡公園と都筑民家園を主会場として「都筑アートプロジェクト2010」が開催されています。
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 会期は2010年11月5日まで、無料です。詳しくは公式ブログを参照して下さい。

 大塚遺跡が弥生時代中期の環濠集落、歳勝土遺跡が大塚遺跡に隣接する環濠集落の人々の墓地だそうで、住居復元や周囲を整備して明るい感じの公園になっています。遺跡公園に隣接する都筑民家園には、古民家一棟が移築されてのどかな空間になっています。

 ニュウタウンの中にある古代遺跡、古代遺跡と現代美術、結構シュールな感じがします。空模様を見計らいながら、散歩に出かけては如何ですか。

 小学校5年生160名による作品もあります。子供さんと一緒でも充分に楽しめると思います。横浜市歴史博物館も隣接していますので、見学して古代の様子を知るのも良いでしょう。

 私の感想をホームページに掲載しましたので、興味あれば参照して下さい。

   (2010年10月30日記録)

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2010年10月27日 (水)

講座:「知」の十字路・第3回

   名称  明治学院大学 2010年度公開セミナー
               「知」の十字路・第3回
   場所  明治学院大学横浜キャンパス
   日時  2010年10月19日 16時45~18時15
   講演者 辻井喬[堤清二](作家・詩人)
   対談者 原武史(明治学院大学国際学部付属研究所長)

 

 私小説的対談と言ったらおかしいでしょうが、そのような印象を抱きました。端から見れば羨ましい実績を築いてきたように思えますが、様々な葛藤もあったことが窺えます。

 その体験が言わせるのでしょうか、「主義主張は反対だけど、人間として魅力があれば会う気になるし相談する気にもなる」とか、「地位や肩書きでなく人間的魅力があれば、私は付き合う」と語ったのが印象的でした。人間的魅力が辻井のキーワードと思います。

 当たり前のことようですが、異なる主義主張の他人と昵懇にできるか、地位・肩書きの目くらましを食らわないか、と問われれば答えに詰まりそうです。反面、冷酷になれないのが弱点だったかも知れないと感じました。

 唐突ですが、話を聞いていて「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく 牧水」が浮かびました。これは青年の感傷だと思いますが、年を重ねたら払拭できるのか、そんな一面にも迫って貰ったら、さらに興味深いものが出てきたのではないかと思いました。

 そうは言いながら、こういう機会でもなければ話を聞くことなど適いませんので、それだけに一時間余の対談は大変興味深いものでした。


 長文のため、続きはこちらを参照願います。

   (2010年10月27日記録)

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2010年10月24日 (日)

随想:マスメディア

 

 前回の続き、朝日新聞 2010.10.22朝刊 東京本社14版(以下、新聞と言う)に関してもう一言。

 

 新聞は1面冒頭で『就任時などを除き、検事総長が会見に出るのは異例のこと。大林総長は「前代未聞の事態に至ったことを国民の皆様に深くおわびしたい」と述べる一方、「徹底した検証を行い、抜本的な改革案を講じたい」と組織改革に意欲を示した』と書いている。

 『組織改革に意欲を示した』と感じたようだが、何となく身内を褒めているような思いがする。問題発覚前なら、意欲的と表現するのもやぶさかでない。実際は追い詰められて言ったことではないか。市民感覚ではどうだろうか。

 

 新聞は3面社説で『検察の改革をめぐっては、柳田稔法相が第三者による検証機関の設置を表明している』『検察側に不都合な証拠も弁護側に開示するのはもちろん、被告に有利な証拠を見つけたときは速やかに伝える。これに反した場合は、法曹資格の取消しを含む厳しい処分を課す。単なる心構えではなく、そうした内容を盛り込んだ倫理規定の検討を急ぐべきだ。・・・・検察も弱さを抱えた人間の集団だという前提に立って、改革に取り組まなければならない』と書いている。

 検察外の動きあるいは提言がある中での組織改革は、意欲と結びつかないだろう。社説と1面冒頭のニュアンスは一致しているべきだろう。書き手の各々の立場が出ているような気もするが、それはまずいだろう。

 検証機関の人選も進んでいるようだが、最近、金科玉条のように頻出する民意とか、市民感覚を反映させる方法はないのだろうか。私は、プロがプロらしくふるまえば、民意とか市民感覚はもっと後退して良いと思っている。新聞は市民感覚や世論調査を大変に好んでいるようだから、言ってみたまでのこと。

 

 新聞は34面に『26日の聴取後、最高検は2人を地元の大阪に帰した。心境の変化を見るためだった。検察OBの弁護士は、「ヤメ検」と呼ばれる。大坪と佐賀に接触してきた関西のヤメ検を、地元に戻った2人は断ち切った。「最高検と後ろで手を握られるかもしれない」との不信感だった』と書いている。

 特に明示することは無いだろうが、『心境の変化を見る』のは最高検の誰か、『2人は断ち切った』は大坪と佐賀が、取材源だろう。だが本当に取材したことなのか、最高検は公式発表かリークか、それとも推測か。新聞を吟味しながら読むと、疑問が多々出る。

 

 『接触してきた関西のヤメ検を、2人は断ち切った』も、事実ならば凄いことだと思う。元検察官である弁護士を信用できないと言っている訳だ。それも素人でない、大坪と佐賀の元検察官(21日で懲戒免職処分だから)が言っているのだから。

 今後、何でも割り出す検察官と、手の内を充分知った元検察官の死闘が繰り広げられるのだろう。真実は一つ、矛と盾、壊れるのはどちらだろう。社会正義を十二分に意識した、マスメディアの正確な報道を期待したい。私はソーシャルメディアもアクセスしながら、自分なりの判断をするつもりだ。

    (2010年10月24日記録)

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2010年10月23日 (土)

随想:ソーシャルメディアとマスメディア(2010年10月23日)

 インターネットを媒介にしたツイッター・ブログ・SNSなどのソーシャルメディアは、ここ数年で急速に拡大したように思う。それらがもたらすものが何かといえば、マスメディアを経由しなくとも種々の情報・データを取得できる基盤であろう。

 種々の情報・データの多くは、個人や小集団が発信源であり、その中にフリージャーナリストや専門家、例えば現・旧国会議員や弁護士、も含まれる。ゆえに、多少の環境整備と努力を惜しまなければ、マスメディアからは得ることのできない情報・データを取得できることが少なくない。情報・データは、迅速であったり、機知に富んだり、専門性に裏づけされていたり、正義感溢れていたりする。

 一例として、「郵便不正事件の証拠品改竄事件」の数日来の話題に関して、私が感じた一部を整理して、大いに知見を広めていることを伝達したい。

 

 まずは「最高検察庁、『幻の記者会見』を開く(2010.10.22) by フリーランスライター畠山理仁のブログ」から。

 『この記者会見で撮影が認められたのは、大林宏検事総長の冒頭発言部分(2分間)のみ。それ以降の質疑応答部分(約50分)は会場からカメラマンが退席させられ、一切の撮影、録音が禁止された。』

 朝日新聞 2010.10.22朝刊 東京本社14版(以下、新聞と言う)を一通り読んだが、このことに触れた部分は見当たらない。そのような状況で行われた記者会見であることを事実として伝えることは大きなポイントだろう。当たり前だから言及しないのだろうか。

 

 畠山が『幻の記者会見』と言うのは次の理由によるものだろう。

 『 おかしい。「記者会見」なのに質疑応答部分の記録ができない。会見要旨も残らない。これは大変な損失ではないのか。』

 『それどころか最高検の事務方は、会見が始まる前に繰り返しこう言った。「当方も会見の録音は行ないませんので、録音はご遠慮下さい」
 公の場であるはずの記者会見が、なぜオフレコなのか。それどころか、会見の要旨も残されないのか。』

 畠山が憤慨しているであろうことは想像に難くない。私も、これほど大きな問題に直面しながらオフレコにするセンスが理解できない。

 新聞では、37面に『最高検幹部ら会見一問一答(要旨)』『検事総長発言(要旨)』が掲載されている。重要な問題だからこそ、要旨でなく全文を読みたい。要旨としているのは主要な部分を抽出したと言う以上に、確たる記録がないため後の問題発生に対応できないからではないか。ここは事実を記録したデータが欲しいところで、何らかの意志が入った情報では価値が半減する。新聞のみを責めるわけにはいかないが、マスメディアは抗議くらいはしているのでしょうね。

 

 畠山は、さらにフリージャナリスト・江川の激しい質問を記録しているが、新聞の一問一答にはそれらしい部分が見当たらない。
 新聞は、発言者による取捨選択をしているのだろうか。ゆえに要旨なのだろうか。質問社・者は記載が無いけれど記載すべきであろう。積み重ねれば、それからだってマスメディア各社の主義主張、センスも判ってくるだろう。

 

 新聞だけを読んでいたら判らないこともある。いや多いかもしれない。

    (2010年10月23日記録)

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2010年10月19日 (火)

随想:iPhone4 を使って

 iPhone4を使い出してから、2ヶ月ほど過ぎました。電話機能は殆ど使いませんが、その他の機能は少しづつ使えるようになっています。

 一番利用しているのが、Twitterです。私から発信することは殆ど無いのですが、現在、130ユーザー程をフォローしています。政治家、芸術家、フリーライターなど。自宅にいればPCでアクセスしますが、外出中はiPhone4を使っています。自ら発信することを模索していますが、何に利用するかは未だに閃きません。

 同じく利用しているのがスケジュール帳です。大した用はないのですが、コンサートなどの前売券をを購入しているので、その管理をしています。

 旅行中はブログを利用して記事を掲載しています。文字入力方式も何種類かあって、そこそこに使えますので短文なら支障はありません。ブルートゥースのキーボードも購入しましたが、自動車で出かける時ならともかく、まだ殆ど活用していません。

 頻度は落ちますが、電子メール、メモ帳、ボイスメモ、マップ、乗換え案内なども必要に応じて使っています。

 大体は3G接続しますが、マクドナルドの店舗に入る(殆ど入りません)とWiFiが利用できるので便利です。もう少し使い方が見えてきたら、有料のWiFiスポットに加入しようかと思っています。

 イアフォーンを携帯していないので音楽やYourTubeは使っていませんが、慣れてきたのでこれから利用するつもりです。

 

 気になるのは画面が小さいので見辛いです。当然ですが。映画館はシルバー料金で入場できる年ですが、裸眼でなんとか操作できています。
 視力が弱い方はちょっとつらいものがあるように思います。ただ、画面の拡大機能もあります(使えないアプリもある)ので、必要に応じて使っています。

 

 今後どうするか。徐々にアプリを増やして、便利に使い続けるでしょう。

 従量制の部分は少ないので一月の利用料金は7~8000円(本体分割を含む)で済みます。もし従量制だったとすると、過去2ヶ月のパケット代は25万円と12万円になるそうです。それだけ請求されるなら使えませんが。

  (2010年10月19日記録)

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2010年10月18日 (月)

講座:明治学院大学公開セミナー・「知」の十字路第2回

   名称  明治学院大学 2010年度公開セミナー 「知」の十字路 第2回
   場所  明治学院大学横浜キャンパス
   日時  2010年10月12日 16時45~18時15
   講演者 佐藤優(作家・元外交官)
   対談者 原武史(明治学院大学国際学部付属研究所長)

 

 第1回・佐野眞一(ノンフィクション作家)は所要のため聴講できませんでした。宮本常一に関する著書を読み、興味を抱いていましたので残念でした。

 第2回・佐藤優はセーター姿で現われました。報道等で承知していますが、実物はそれ以上に眼光鋭い印象です。事前に「獄中記・岩波現代文庫」を読み、Ustreamの一時間ほどの映像を見ました。しかし、その程度の付焼刃な行為はさして役に立ちませんでした。

 講座進行は、前半が講演、後半が対談の予定だと思います。しかし、佐藤優が占拠した感じで進行、話し方は対話と言うより交渉の現場に居合わせているように響きました。自ら先んじて行動するような、そういう場面で活躍してきたからではないかという思いがしました。あるいはそのような資質でなければ成り立たない職業だったかも知れません。

 残念ながら、私は話された内容を受け留めるだけでした。ただ、これから物事を考える契機になると思いました。

 以下は自分の為のメモです。しかし、興味を持つ方がいるかも知れませんので掲載します。なお、知的所有権関連の指摘があれば、掲載を取りやめますので承知おき願います。

 長文(原稿用紙約30枚)のため、続きはこちらを参照願います。

   (2010年10月17日記録)

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2010年10月16日 (土)

路上観察:第4回平戸ツーデーウォークのまとめ

 2010年9月25・26日に開催された第4回平戸ツーデーウォークに参加した様子は既にブログ掲載済ですが、文書整理のうえ、写真も多少追加してホームページに掲載しました。興味あれば参照願います。

 リンクは次のとおりです。

  

  第4回平戸ツーデーウォーク(第一日・第二日)
  第4回平戸ツーデーウォーク・道中編1
  第4回平戸ツーデーウォーク・道中編2
  第4回平戸ツーデーウォーク・道中編3
  第4回平戸ツーデーウォーク・道中編4

 

 現行ホームページの更新を続けいますが、裏で新たなホームページへの再編を進めています。追って、いまより見やすいホームページをご案内できると思います。

   (2010年10月16日記録)

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2010年10月13日 (水)

随想:四万アクセス越えに感謝

 2010年10月13日、四万アクセスを超えました。見て頂いている画面の上部右側の6桁の白抜き数字がそれです。

 今までアクセス頂きました多くの方々に心より感謝致します。

 

 最初の記事「美術館に行くこと」を書いたのが2006年6月11日でした。よって、4年4ヶ月を経て四万アクセスが実現しました。

 今までに書いた記事は、この記事で634件。最初の頃は10アクセス/日程度でした。最近は50アクセス/日程度に増えています。

 無名の個人ブログにどの程度のアクセスを頂けるか定かでありませんでしたが、ここまでの数字に至ったことに、とにかく感謝しています。

 

 最近反省していることは文書が長くなっていること。もう少し簡明な文書を心がけます。これからもよろしくお願いいたします。

    (2010年10月13日記録)

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2010年10月12日 (火)

文楽:平成二十二年十月地方公演・曽根崎心中

   演目   近松門左衛門作・曽根崎心中
          生玉社前の段
               竹本三輪太夫
               鶴澤清旭
          天満屋の段
           切   豊竹嶋太夫
               鶴澤清友
          天神森の段
           お初  竹本千歳太夫
           徳兵衛 豊竹睦太夫 、他

   人形役割 手代徳兵衛 吉田蓑助
         天満屋お初 桐竹勘十郎 、他

   会場  神奈川県立青少年センター
   公演  2010年10月11日(月)
   鑑賞  2010年10月11日(月) 18:00~20:00(休憩15分)

 

 およそのあらすじは次のとおり。

 堂島新地・天満屋の遊女・お初と、醤油商・平野屋の手代・徳兵衛は恋仲。
 店で誠実に働く徳兵衛に、実の叔父は姪と結婚させて店を持たせようと思うが、徳兵衛はお初がいるからと断る。しかし、叔父は徳兵衛の継母相手に結納を済ませてしまう。それでも固辞する徳兵衛を、叔父は勘当して大阪から出て行け、結納金を返せと言う。

 徳兵衛は継母からやっとのことで結納金を取り返すが、友人・九平次からの金策の依頼に応じ、その金を三日限りの約束で貸す。日が過ぎて、徳兵衛は九平次に貸した金の返済を迫るが、証文まであるのに落とした印鑑が押してあると、借金など知らぬと言い張り、人々の前で徳兵衛を詐欺師呼ばわり、殴る蹴るして面目を失わせる。

 死んで身の潔白を晴らそうと決め密かにお初を訪ねるが、見つかっては大変とお初は徳兵衛を縁の下に隠す。そこに九平次が客として訪れるが、お初に辛気臭いことを言われ、素っ気無くされて早々に立ち去る。

 九平次をあしらう間、縁の下の徳兵衛は、縁側に座ったお初の足首を自らの首にあてがい、死の決意を伝える。真夜中、店を抜け出したお初・徳兵衛は、手を取り合って天神の森に消える。

 

 元禄16年(1703)4月に起きた心中事件を基にした近松門左衛門の最初の世話物。昭和30年(1955)、野澤松之輔の脚色・作曲により復活上演。この名作が、なぜ忘れ去られていたかが不思議な気もします。私が文楽に、たまにでも足を運ぶようになったのはここ10数年のこと、それ以前のことは文献で多少知る程度ですが。

 見所は、「天満屋の段」縁の下の徳兵衛と縁側に座ったお初が死の決意を交わす場面と、「天神の森の段」道行の場面でしょう。ここに人形が演ずる美しさが結集すると思います。生身の人間では決して現せない美しさが。

 「曽根崎心中」を観るのは今回が2回目。最初は大阪の国立文楽劇場で、お初を吉田蓑助、徳兵衛を吉田玉男が遣い、太夫、三味線は失念しました。

 今回は、お初を桐竹勘十郎、徳兵衛を吉田蓑助が遣い、太夫は豊竹嶋太夫、三味線は鶴沢清友でした。最高の芸達者が揃ったと思います。吉田玉男が故人となって舞台上にいないこと、時の移ろいを感じました。それにしても筋の何と現代的なこと、人間の本質は変化していないのでしょうか。

 

 「天満屋の段」の二人が死の決意をかわす場面はやはり美しかった。女の人形に足はありませんが、この場面では白い足首が現われます。

 「天神の森の段」の道行きも美しかったのですが、道行という感じが少し稀薄な演出だったように思いました。
 記憶は薄れていますが最初に観た舞台は、人形が余り移動せずに、巻き取り式(?)の背景が一方向に移動することで、果てしなく続く死出の道のりを示していました。今回の振り付けは、大道具が移動することで道行きの感じを示していましたが、人形が上手に一度引き込み、再び出てきたことが果てしなく続く死出の道のりを稀薄にしたように思いました。

 そのような思いは残ったものの「曽根崎心中」、広く文楽は素晴らしい日本の無形財産だと感じさせてくれました。

   (2010年10月12日記録)

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2010年10月11日 (月)

文楽:講座『「文楽」へようこそ!』

 2010年10月10日14時~15時50分、主催:神奈川県民ホール、場所:神奈川県民ホール6階大会議室にて開催された、『第79回舞台芸術講座 シリーズ・日本の伝統《4》 「文楽」へようこそ!』を聴講しました。講師・実演は、太夫:豊竹咲甫太夫、三味線:鶴澤寛太郎のお二人。定員は250名ほどと目算しましたが満員。

 以下に解説の主要な部分をまとめますが、前提知識が不足しており必ずしも正確に記録出来ていないかも知れませんので、参考程度に止めて下さい。

 

 浄瑠璃は矢作の長者の娘・浄瑠璃姫に因む。浄瑠璃姫は、長者が信仰していた薬師如来、正式には薬師瑠璃光如来が住む浄瑠璃光世界に因む。薬師如来は病を治す仏様、浄瑠璃も人を治すことで通じている。

 竹本義太夫以降が浄瑠璃と呼ばれるので350年ほどの歴史となる。義太夫の評判が高くなったので、それ以前の出し物は古浄瑠璃として区別される。

 文楽には家元制度が無い。それは、義太夫が新たに作ったものは何もなく、古いものの良いところを集めたものだから。自分の地位・家柄で続くものでも無い。

 三味線は琉球から伝わったと書かれている。三線(さんしん)はニシキヘビ。浄瑠璃の太棹は、日本の伝統楽器と言われるが、部材は全て外国から来ている。音は琵琶に似ている。インドの楽器・シタールは、パキスタン・イラクではセタール、西に行くとヴァイオリン、東に行くと様々に変化する。イラクの高温多湿は大阪も似ている。

 胴は花梨、棹は紅木、音締は黒檀、駒は水牛の角。駒は4.5匁ぐらい、0.1匁単位で調節する。お客さんの入り具合などでも変える。表は猫皮で裏は犬皮(?)。調弦は長唄とも異なり、撥が象牙で小型、文楽以外はイチョウ型。奏法は打楽器的要素が強い。糸は絹糸をターメリックで染める。

 中国に入ると三弦、バーリー語・サンスクリット語。シルクロードを経由したものは三味線、海路来たものは三線。

 寿式三番叟で、「とうとうたらりたらりら、たらりあがりららりとう~」と歌われるの言葉はサンスクリット語で、「作物輝きて、きらきら光る」の意味、鈴を振り鳴らしているように見えるが稲穂を振って大地に戻して、感謝している。

 

 実演が行われるがなかなか演目がわかりません。経験が少ないので仕方ないところです。例えば、

 「そもそもこれは桓武天皇九代の後胤、平知盛幽霊なり」は義経千本桜。
 「でかしゃった、でかしゃった、でかしゃったよのう」は先代萩。登場人物の息でやる。三味線も息を詰めている。
 「鮒だ 鮒だ 鮒侍だ」は仮名手本忠臣蔵から大笑い。 他の三つほどは不明。

 ひらがなは読め、漢字は語れ、当ててあったら本読み(引用・出典のことか?)が大事と教えられるそうです。

 

 休憩の後、来年三月、神奈川芸術劇場にて公演される「杉本文楽・曽根崎心中・付り観音巡り」の宣伝を兼ねて、概要説明。見所は、

  1.現代美術作家・杉本博司がついに舞台芸術に挑みます
  2.「曽根崎心中」の原文が復活
  3.豊竹嶋太夫(太夫)・鶴澤清(三味線)・吉田蓑助(人形)と現代美術作家・杉本博司との夢の共演
  4.「観音廻り」は桐竹勘十郎の一人遣い、人形制作にはメゾン・エルメスのスカーフを用いたコンテンポラリーな衣装が実現

だそうです。その他、前舞台・後舞台が付け足され、二・三階席もあり、観音廻りでは杉本撮影の写真が舞台に投影されるようです。

 日本の現代美術における杉本博司の存在は大きなものがあると承知しています。曽根崎心中(今しがた観終えて帰ってきたところ、この講座とはたまたま日が接近していただけ)は、上・中・下の巻がある(新潮日本古典文学・近松門左衛門集)のですが、現在の文楽は上の巻の前半を割愛して上演(2回観た)します。また人形は三人遣いですが、近松の頃は一人遣いだったそうで、一部とは言え主要な役の一人遣いは今まで観たことがありません。文楽に良く通じていない私でも、随分と斬新な構成と想像できます。
 興味ある方は、神奈川芸術劇場(略称:KAAT)で調べて下さい。

   (2010年10月11日記録)

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2010年10月10日 (日)

音楽:神奈川フィル第266回定期演奏会

  指揮  キンボー・イシイ=エトウ

  独奏  篠崎和子(hp)

  演奏  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目  コープランド  :エル・サロン・メヒコ
      ヒナステラ   :ハープ協奏曲作品25
       (休憩)
      ドヴォルザーク :交響曲第9番ホ短調「新世界から」

  会場  横浜みなとみらいホール(1階29列24番)
  公演  2010年10月9日14:00~15:50

 

 キンボー・イシイ=エトウは、ニュウーヨークを中心にヨーロッパ・アジアで活躍、日本の著名なオーケストラと共演、2009年4月から大阪交響楽団の主席客演指揮者就任という経歴を持つようです。遠目にも若手指揮者と映りました。
手広く情報収集しているわけではありませんが、私は始めて聞く名前。

 演奏された三人の作曲家は、一時期をアメリカで過ごしたという共通点があるそうです。それゆえか否かは定かでありませんが、キンボー・イシイ=エトウとは相性が良いし、得意なのかも知れません。

 

 コープランドと言えば「エル・サロン・メヒコ」「アパラチアの春」と連想しますが、そこで終わり。録音を含めても、コープランドは初めて聴く作曲家です。聴きなれない音が含まれているのは民族楽器が含まれていたのでしょうか。結果、10分少々の短い曲ですが、とても魅力的に感じました。もちろん演奏も。近々、CDを入手しようと思いました。

 

 ハープと言えば優雅、ハープ協奏曲と言えばヘンデルのそれしか知りません。ヒナステラは初めて知った名前。そのハープ協奏曲は優雅な雰囲気は無く、胴を叩いたり、ダイナミックなリズムのラテン系の力強い音楽でした。全体的に印象が薄かったのですが、印象的な旋律が少ないからだと思います。何回か聴けばなじむかも知れません。そのような訳で、良く判らないというのが感想。聞いている分には楽しかったです。
 ソロの篠崎和子は篠﨑史子の娘さんのようです。篠崎だけ見て、ソリストは篠﨑史子と思っていました。

 

 ドヴォルザークの「新世界から」は、録音も含めて最も多く聴いた交響曲の一つだと思います。通俗名曲の一つでもありますが、改めて聴いて、通俗名曲も上等じゃない、と思いました。ダイナミクスの大きな、切れの良い演奏でした。キンボー・イシイ=エトウの「新世界から」だと思いました。
 神奈川フィルも、いつもに増して乗っていたように感じました。二三、アレット思うところはあったのですが、そんなことは関係ない、でした。

 

 9・10日と、横浜では「ジャズ・プロムナード」が開催されており、みなと未来ホール周辺でも多くのコンサートをやっております。帰り道、フリーのコンサートもやっていましたが他の音楽を聴く気にもならず、良い気持ちで家に戻りました。明日も予定ありですがコンサートではないので、どこかのコンサートを覗いてみようと思います。横浜に定着した秋のイベントですから。

   (2010年10月10日記録)

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2010年10月 9日 (土)

随想:車中にて

 山手線、渋谷から新宿までの短い間の出来事。三人掛けの席に妻と座りました。残る一席には、良く見ていませんが若い女性が既に座っており、中の子どもと対面するようにベビーバギーを支えていました。

 子どもの年は見当が付きませんけど、かなりしっかりしていて、大きな眼をしていました。顔立ちから阿修羅が思いうかびました。

 子どもが少し顔を回せば、視線は私の方に来ます。そして、視線は私の方に来たのです。時々、妻にも向います。女性も子どもの視線は判りますから、私の様子を伺ったりしていましたが、妻が一声二声かけたりして和やかなものでした。

 子どもの視線は相変わらず注がれています。泣くでもなく、笑うでもなく。その状態で新宿に到着。私が立ち上がったら泣き出しました。

 ひょっとして好かれていたのかな。リタイアして一年が過ぎ殺気が消えたかな。

  (2010年10月9日記録)

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2010年10月 7日 (木)

演劇:─現代劇の系譜をひもとく─Ⅰ 『ヘッダ・ガーブレル』

   作   ヘンリック・イプセン
   翻訳  アンネ・ランデ・ペータス/長島 確
   演出  宮田慶子

   出演  ヘッダ・ガーブレル    大地真央
       ヨルゲン・テスマン    益岡 徹
       エルブステード夫人    七瀬なつみ
       アイレルト・レーヴボルグ 山口馬木也、他

   会場  新国立劇場・小劇場
   公演  2010年9月18日(金)~10月11日(月・祝)
   鑑賞  2010年10月6日(水) 19:00~21:45(休憩15分)

 

 亡きガーブレル将軍の娘ヘッダは美しい女性だが気位は高い。テスマンとの6ヶ月近い新婚旅行から帰ってきたばかり。テスマンは旅の途中で博士号を取得するほどの学究肌だが傑出した才能を満ち合わせているわけでもない。ヘッダにとって打算の上の結婚であり、既に平凡な日常に飽き足らなくない。

 次の日、レーヴボルグが訪れていないかと、エルブステード夫人がやってくる。レーヴボルグはテスマンのライバルにして、かってはヘッダの恋人であった。
 エルブステード夫人はヘッダの古い知り合い、才気あるが酒におぼれやすいレーヴボルグを励ましながら、優れた論文を書きあげていた。そして、家を飛び出してレーヴボルグを追って来たのだった。

 タイトルは「テスマン夫人」でなく「ヘッダ・ガーブレル」。結婚はしたもののそれを肯定できないヘッダ。才気と凡庸の友人、かっての恋人と不倫とも思える関係が交錯しながら、意外な結末に向って進んでいく。

 
 
 この戯曲は1890年に書かれているが、ひとかけらの陳腐さも内在しない。まるで昨日、書き上がったような新鮮さすら感じられる。

 大地真央は、「モネ・日傘の女」を思わせる清々しい美しさと気位の高さを表してヘッダの存在を明確にした。時おり示すユーモア、他人への痛々しい思いを伴う、もヘッダらしさが滲みでていた。
 大地真央には華がある。その華が、ヘッダにとてもマッチしていた。

 益岡徹は、凡庸にして鈍感なテスマンを好演。TVでしか見たこと無かったけれど、舞台役者だと感じた。
 
 
 七瀬なつみにしても、山口馬木也にしても、他の役者も含めて、各々に不満はないのだけれど、美術等も含めて全体的に見ると、何か派手な仕上がりになっているように感じた。ゆえに、内面的な部分が少し後ろにいったような気もした。

 恐らく、肩寄せ合うような小劇場系の演劇を多く観ているからだと思う。新国立の小劇場とは言え、小劇場系に比べれば規模は圧倒的に大きい。とすれば、小劇場系では上演困難な演目、例えば昨年の「ヘンリー六世」、を中心にするのも良いと思う。

 このシリーズ、─現代劇の系譜をひもとく─、は「やけたトタン屋根の上の猫」「我が町」「ゴドーを待ちながら」を残す。残りを観てから、また考えよう。
 
   (2010年10月7日記録)
 

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2010年10月 6日 (水)

演劇:青年団第63回公演『Sables & Soldats』

   作・演出 平田オリザ

   会場   こまばアゴラ劇場
   公演   2010年9月16日(木)~10月6日(水)、詳細要確認
   鑑賞   2010年10月5日 19:30~21:05(休憩なし)

 青年団国際演劇交流プロジェクト2010との冠も付いています。そう、9月23日に「砂と兵隊」を観劇していますが、その仏語版です。

 日本語版との目に見える差異は次の点だと思います。
  ・仏語による上演(翻訳を投影)
  ・役者は仏人、ただし敵の兵隊A・Bは日本語版と同じ(仏語使用)
  ・日本語版と仏語版で、兵隊が5人と3人、家族が4人と2人

 全体の感想は日本語版にほぼ同じです。作・演出が同じだから大きく変化しないでしょう。台本がもつ面白みに変化はありませんが、役者の醸し出す面白みは差異がありました。どちらが良い悪いとかいう類のものではありません。民族差もあると思いました。

 特記すべきは、演出やその他スタッフが同一ならば、同じように仕上がるということでしょうか。もちろん、役者のキャパシティが充分にあってのことでしょうが。日本語版と仏語版の両方を見て、いちばん興味深かったのはその点です。

 駒場アゴラでは、10月6日に日本語版・仏語版を各1公演を残します。
 場所を移して伊丹AI・HALLでは、10月9日~11日に合わせて5公演があります。興味あれば是非お出かけ下さい。
 AI・HALLはJR伊丹駅前に立地し、関西居住の時に何回か出かけています。懐かしい思いがします。

   (2010年10月6日記録)

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2010年10月 5日 (火)

路上観察:横浜中華街国慶節(2010年10月01日)

 横浜中華街は、横浜の中でも異国情緒を強く感じさせる一帯です。催事でもあれば、異国情緒は一際色濃くなります。

 10月1日は中華人民共和国建国記念の国慶節で、慶祝の横断幕や獅子舞が中華街を彩どっていました。昼過ぎからパレードもあったようです。

 その日の16時過ぎ、山下公園近くに出かけていましたが、石川町近くのバス停に向いながら中華街の中の音のする方向に足を向けました。

 私の認識する限りで5組の獅子舞が、中華街の中を分担しているようでした。各々は、店頭から店内に入って邪気を祓い、ご祝儀を頂いていました。店によっては軒先にご祝儀を吊るしてありますので、獅子が伸び上がって口で銜えていました。獅子は二人使い、二人の連係がなかなか見事でした。民族楽器による囃子方、爆竹、周囲も結構賑やかでした。
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 10月10日は中華民国建国記念の双十節。やはり獅子舞やパレードがあるようです。秋の一日、横浜中華街に足を向けて、異国情緒を楽しんでみませんか。

 赤レンガ倉庫前ではオクトーバフェストも始まっています。数々の横浜のイベントはこちらで。

   (2010年10月5日記録)

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2010年10月 4日 (月)

随想:この人・百話一芸 第10回(2010年10月2日)

 2010年10月2日14時~15時45分、第10回横浜能楽堂講座「この人・百話一芸」。ゲストは筝曲家・作曲家の唯是震一。聞き手・進行はNHKアナウンサーの葛西聖司。

 唯是震一は今年で87歳とか、このジャンルも疎いので初めて舞台に接します。話の中で奥さんが中島康子と知りましたが、名前だけは聞いたことがあります。後半の一芸に参加した奥田雅楽之一(うたいち)は孫。

 

 前半の百話、下地がないので脈絡のわからない部分も多かったのですが、要点を掻い摘んでまとめておきます。興味あれば調べなおしてください。

 唯是というめずらしい苗字、遡れば岩手県遠野の苗字無しの家だったが、飢饉の時に米を殿様に提供、飢饉が収まって苗字を与えられた。祖父は、札幌農学校・クラーク博士の教え子七人の一人。

 大病をしたことがなかったけど、去年、早期がんの早期で胃を2/3切除した。

 北海道出身、昭和22年に埼玉県飯能へ。農家は、作った芋を着物と交換したので良い着物があって、着る機会として芸事を習う。教える報酬に芋を貰った。

 父は実業家、尺八で想山(?)を名乗る。母は山田流のお筝の演奏家、譜面を使わなかったが、宮城道雄が教育用に譜面を作ったので使うようになった。父は大らかであったが、音に厳しく、母もしかれれていた。母はおてんばで、テニスをやっていた。

 小学生でヴァイオリン、譜が読めた。小樽商大卒後、札幌鉄道局勤務。国鉄は17時に仕事が終わるので、その後にコーラスを楽しんでいた。北海道の大会で一位になり、神田共立講堂の全国大会へ。

 旅行中に上野の音楽学校を受験し、七人合格したうちの一人だった。試験官に宮城道雄・宮城喜代子がいた。とりあえず仮入学で、会社を休んで勉強し合格になった。退職の手続きをする時には事情が伝わっていた。

 大学時代は、多くのコンクールに入賞した。作曲は急に始めて訳でない。自分は周りの人に比べておじさん、筝を弾く人はいるが作曲は少なく、宮城道雄に樂理を薦められた。

 コロンビア大学留学、ヘンリーカウェルに作曲を師事。友人に元ソニー社長の大賀典雄。日本にTVのない頃、TVに初めて出演した。筝が注目された。

 1955年、カーネギーホールにて、ニューヨークフィルと「春の海」で共演。宮城道雄に出演要請があったが、アメリカにいる唯是が推薦された。3枚の円盤録音があり、一枚がNHKに、宮城道雄も聴いた。

 イタリアのTV曲には、吾妻歌舞伎に同行、独奏していた時に見つけられた。

 トムスコット(cl)とも共演した。宮城道雄は、妻の中島康子と共通の師。中島康子とはアメリカ滞在中に親交が深まった。玉三郎の楊貴妃も作曲した。

 

 後半の一芸では次の曲が演奏されました。(3)(4)は、プログラムに無い、いわばアンコール。

  (1) 「半夜」 筝:唯是震一
  (2) 「松虫」 筝:唯是震一、三弦:奥田雅楽之一、尺八:酒井師山

  (3) 「練習曲:お姉さま(?)」 筝:奥田雅楽之一
  (4) 「練習曲:啄木鳥、?」 筝:唯是震一

 筝曲をしっかり聴くのは初めてです。邦楽に広げても文楽・歌舞伎の浄瑠璃、能の囃し方を聞いた、限られた経験しかありません。邦楽器と洋楽の共演を聴いたことも多少ありますが、全般的に邦楽の理解が進んでいる訳ではありません。

 その前提の下に、筝はきらびやかな印象を持つものの、実に繊細な音色、繊細な奏法の楽器と思いました。(洋楽で言えば)トレモロやグリッサンドもありましたが、基本的にシンプル過ぎるように感じました。でも聴き慣れると、部妙な違いがあるようにも感じたのですが、今は弁別できません。

 この講座に出かけたのは3回目ですが、選好みしないで、何でも見聞きしようと思ったのがきっかけ。分野は何でも良いし、判る判らない、好き嫌いも、とりあえずは問題外。

 次回は、12月18日14時から「竹本駒之助(女流義太夫)」です。来年になって、2011年4月24日「芝祐靖(雅楽演奏家)」、7月17日「中村梅之助(俳優)」と予告されています。

   (2010年10月4日記録)

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2010年10月 3日 (日)

路上観察:第4回平戸ツーデーウォーク道中編3

 2010年9月27日。昨晩、雨がぱらついていましたが、長崎は今日も雨だった。市電の一日乗車券を購入、まずは市電で長崎平和公園周辺に向います。

 爆心地公園。平和公園は知っておりましたが、爆心地公園を知ったのは旅行前でした。同心円様に整備された中心にモニュメント、その上空500mで原爆が爆発したそうです。モニュメントの前に原爆殉難者名奉安の石の箱があります。箱の左側面に「原爆死没者名奉安数 152,276人 平成22年8月9日現在」と記されています。
 少し離れて右側に、原爆で破壊された浦上天主堂の遺構が移築されています。(写真は順に、遠景、モニュメント、奉安数、遺構)
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 これから数時間は言葉を失います。言い表せない何かを胸にしっかり刻み付けないと。

 原爆資料館。外人の方も少なくありません。皆さん、熱心に展示品に見入っています。展示品から判ることは、想像を絶する出来事が起きたということです。重い気持ちになりますが、目をそらすことはできません。「三度許すまじ原爆を」「あらゆる戦争の即時停止と発生防止」を祈念しながら進みます。
 昨日、市内で多くの警察官を見かけました。ルース米国大使が来られていたからでしょう。多くの、特に核兵器保有国首脳は長崎広島を訪れるべきです。
 写真は撮りませんでした。機会があれば是非、自らの目で確かめてください。

 浦上天主堂。被爆当時、東洋一の規模を誇っていたようですが、一瞬のうちに崩壊したのでしょう。遺構の一部は、爆心地公園、原爆資料館で観ることができます。現在の浦上教会に向うアプローチの脇に像や煉瓦壁が残されていますが、これも遺構だと思います。(写真は順に、現浦上教会、遺構(?))
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 平和公園。長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の報道映像などで知る平和祈念像が建てられています。高校生の時に一度訪れています。平和祈念像は、記憶にあるより小さいと思いました。しかし、込められた思いは大きなものでしょう。修学旅行生や見学者を多く見かけました。
 平和祈念像があるこの一帯を平和公園と思っていましたが、実際は原爆資料館や爆心地公園、スポーツ施設を含めて平和公園のようです。(写真は順に、平和公園、平和祈念像)
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 日本二十六聖人殉教記念碑。原爆関係旧跡・施設とともに訪れたかったのがこの記念碑。彫刻家・舟越保武の代表作の一つと認識します。文献等で見ましたが、どのような環境に設置されているか興味ありました。
 碑の背後に、記念館(閉館していました)、碑の右の少し盛り上がった部分に殉教地跡、道を隔てて記念聖堂があります。広々とした場所に建てられていると思っていましたが、意外と狭い場所でした。作品の価値に変わりはありませんが。(写真は順に、碑と記念聖堂、レリーフ全体、中央部、殉教地モニュメント)
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 この後は時間の許す限り市内観光しました。(写真は順に、国宝崇福寺、国宝大浦天主堂、グラバー邸。前夜散歩した中華街、眼鏡橋)
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 雨が降っていなければもう少し原爆関係旧跡を巡りたかったのですが、いずれ長崎再訪の機会持ちたいと思います。長崎、平戸、その中間を含めてキリスト教者受難の歴史をたどる機会も改めて持ちたいと思います。今回の旅行で、物事を調べたりする大まかな下地が出来たように思います。

   (2010年10月3日記録)

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2010年10月 2日 (土)

路上観察:第4回平戸ツーデーウォーク道中編2

 2010年9月25日。第一日目20Kmコースを完歩後に、昨日見残した市街地の散歩に出かけました。

 オランダ橋。正式な名称は幸橋、平戸市役所前の鏡川に架かる石橋、完成は1702年だそうです。国の重要文化財に指定されています。
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 三浦按針終焉の地。商売屋風の家の門前に石柱が建っています。石柱の正面に「ウィリアム アダムス(三浦按針)終焉の地」、脇に「一六二〇年(元和六年)五月十六日居宅であった此の地(木田弥次右ェ門宅)にて逝去す  当時五十七才」と刻まれています。
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 三浦按針の住居。現在は蔦屋と号するカスドースやごぼう餅を販売する店舗ですが、当時、三浦按針が住まいしたことから按針の館を名乗っています。コーヒーなども飲めますので休憩しましたが、古い造りであることは判ります。しかし当時から続くものかは確認できていません。
 なお、終焉の地から160mほど離れていますが、大きな邸宅だったのでしょうか。それも確認できていません。
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 寺院と教会の見える風景。ホテルに戻る道すがら、再び歩いてみました。美しい石垣は、ここに限らずどこでも見られました。石はどこから産出したのか疑問が残りました。
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 オランダ商館跡。旧跡について既に紹介しましたが、海縁に石柱が建っています。道を隔てた所に、2011年秋完成予定で当時の倉庫が復元工事中です。
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 川内峠。市街地から南西3Kmほどに、風光明媚な川内峠があります。ツーデーウォーク15Kmコースに含まれますが、私は通過していないので、ホテルに戻り自動車で向いました。さすがに歩きはしませんでした。
 日が翳ってしまいましたが、雄大な景色の片鱗を楽しみました。視界が利けば、五島列島や対馬が見えるそうですが残念。ポツンと吉井勇歌碑、「山清く海うるはしとたたえつつ旅人われや平戸よく見む」と刻まれています。超広角レンズを付けたカメラで撮りたい景色です。
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 2010年9月26日。第二日目15Kmコースの出発前に大バエ灯台、完歩後に魚藍観音に寄りました。

 大バエ灯台。漢字は大碆灯台、生月島の最北端の地に建っています。恐らくツーデーウォークに合わせての公開だと思いますが、職員の方が準備をしていました。30Kmコースはここまで来るのです。単純ですけど「喜びも悲しみも幾年月」「小学校唱歌灯台守」が頭に浮かびます。西を見ると五島列島の宇久島が鮮明に見えました。五島にも一度行きたいと思っています。
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 魚藍観音。生月観音とも。像高18mのブロンズ像。坐像のようですが、よく見ると上半身像。魚藍観音は、魚籃(魚籠)を持つもの、魚の上に立つものを拝観したことがあり ます。この魚藍観音は、手の下に魚が見えます。境内からは生月大橋、写真では確認できませんがアゴ漁の漁船が見えます。漁師町の守り仏でしょう。
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 寄ることが出来ませんでしたが、生月島にはガスパル様やダンジク様のキリスト教旧跡があります。平戸島と同様に、キリスト教と仏教は同居しています。長崎到着を遅らせても、寄るべきであったと今になって後悔しています。

 

 この後、一気に長崎市内まで自動車で移動しました。長崎市内の様子は次で。

  (2010年10月1日記録)

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2010年10月 1日 (金)

路上観察:平戸ツーデーウォーク道中編1

 第4回平戸ツーデーウォーク(2010年9月25・26日)に参加する前後の道すがら、あるいはツーデーウォーク完歩後に巡った名所・旧跡をご案内します。

 2010年9月24日。11時前に長崎空港到着、レンタカーを借用して平戸に向いました。ツーデーウォーク参加に自動車利用は軽い矛盾を感じますが、種々の条件を加味すると仕方ないかと。

 

 平戸へ直行するつもりでしたが、西海橋に寄ることにしました。ハウステンボスの建屋を横目に見てから、直ぐに到着します。

 西海橋は高校の修学旅行で訪れたことがあります。半世紀に少し不足するぐらいの古い昔のことです。

 架橋当時は、固定アーチ橋として東洋一、世界第三位を誇る規模で、工業日本のシンボルの一つだったのでしょう。大村湾と外海を結ぶ急潮の伊之浦瀬戸に映る美しい姿も印象的で、修学旅行の立寄り先に選ばれたと思います。少し離れたところに第二西海橋が架橋されていました。

 今は巨大建造物、横浜で言えばベイブリッジ、が少なくないので、改めて驚きませんが、様々な観点から時の流れを実感しました。(写真はいずれも、手前が西海橋、奥が第二西海橋)
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 平戸島のホテルに到着したのは15時少し前、平戸市役所を中心にした市街地の少し北側の海辺。荷物を置いて散歩に出かけました。

 平戸和蘭商館跡。1609年に2隻のオランダ船が来航し、商館設置と貿易許可を願い出て、平戸オランダ商館は設置されました。しかし、鎖国政策の波に揉まれながら1941年に長崎出島へ移転、30年余で商館の歴史は幕を降ろしたそうです。周辺に、オランダ井戸、オランダ坂、日蘭親交記念碑(1925年)がありました。(写真は順に、商館跡、井戸、オランダ坂、記念碑)
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 フランシスコ・ザビエル記念碑。小高い位置にある崎方公園から市街街中心部が一望できます。右側幟の先辺りに市庁舎。背後の一角に、日本へ初めてキリスト教を伝えたスペイン生まれの宣教師フランシスコ・ザビエル来朝400年を記念した碑が建立(1949年)されています。(写真は順に、市街中心部遠望、ザビエル記念碑)
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 三浦按針(ウィリアム・アダムス)墓。乗っていた船が漂流し、豊後臼杵にたどり着いたイギリス人。崎方公園の一角に三浦按針の墓、その隣に夫婦塚があって驚きました。というのも、神奈川県横須賀市にある按針塚に何度も訪れていたので平戸にも、と思った次第です。書けば長くなるので、按針についてはこちらを参照願います。
 ちなみに同船していたのがオランダ人ヤン・ヨーステン、東京八重洲にその名を残します。八重洲仲通りに、二人の乗っていたリーフデ号の彫刻がありましたが、今もあるでしょうか。(写真は、按針墓(左)と夫婦塚)
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 平戸教会・聖フランシスコザビエル記念聖堂。港を見下ろす小高い位置に建てられています。1931年完成でゴシック様式の荘重な建物。外壁塗装はパステルカラーの緑と白でおだやかな印象を受けます。規模から信者の多さが想像できます。前庭に平戸殉教者顕彰慰霊之碑が。(写真は順に、記念聖堂外観、内部、慰霊之碑)
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 港に向って階段を下る途中で振り返ると、寺院と教会の尖塔が同時に見えます。この風景が平戸観光の売り物の一つです。これを見て宗教の多様性を感じましたが、宗教はそれで言い尽くせないことが歴史と現状をで判ります。小雨がぱらついたので、ここで切り上げてホテルに戻りました。(写真は、寺院と教会の見える風景)
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 この他に、松浦家28代隆信の墓、六角井戸、大蘇鉄、港周辺の数々のモニュメントを見学しました。

 夜、ホテルから夜景を撮りました。(写真は順に、平戸大橋、夜目にも見える潮の流れ、平戸城)
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  (2010年9月30日)

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