演劇:利賀フェスティバル2010・第二日目
「SCOT Summer Season 2010」、「利賀フェスティバル」の方が通りが良いか。8月27日は「葵上」「風の歌が聴こえる」「ディオニュソス」の三公演を見聞きした。
1.池の下「葵上」
演出 長野和文
作 三島由紀夫
出演 鬼頭理沙 六条康子
深沢幸弘 若林光
稲川美加 葵
看護婦 飯田武
会場 利賀山房
公演 2010年8月27日
2006年、利賀演出家コンクールで「犬神」を上演、優秀演出家賞を受賞、2007年に同作品を利賀フェスティバルにて上演。
若林光の妻・葵が入院する病院。深夜、光が妻を見舞う。看護婦は、葵が夜な夜なうなされていること、頻繁に見舞いに来る女性がいることを告げる。そこへ、かっての光の恋人・六条康子が銀色の車に乗って現われる。康子は過去の愛を回想し、よりを戻そうと迫る。葵の様態が急変すると康子はいなくなる。光が自宅に電話すると、いないはずの康子が電話に出る。光は、夜な夜な見舞いに来る女性が康子の生霊と知る。そして光は・・・・。
演劇と舞踏の融合を志す劇団。合掌作りの劇場・利賀山房は、観るに柱が視界を邪魔するが、かえって能舞台の各柱を連想させる。
背中合せに置かれた椅子の奥のほうに、葵は背中を客席に向って座っている。腰まで届くかと思える長い髪が、手前の椅子に垂れている。ほとんど動きはないが、様態の急変を、頭が前に倒れる結果、髪の毛が徐々に引き上げられることで表現する。
光は、禁欲的な動き・台詞回しで、二人の女性の間を揺れ動く気持ちを内に秘めている。康子は、光るとよりを戻そうとする年上の女性を、前に前に進んでいく台詞で表現する。
全体的に大きな動きはなく、あたかも現代能的な雰囲気を感じさせた。淡々と演じられることが必須と思うこの演目は、演劇と舞踏の融合を目指すこの劇団に適している。
この劇団はこれで二度目だが、様式美を前面に出すようなスタイルが特徴であり、成功していると感じた。興味深かった。
2.「風の歌が聴こえる」
曲目 1.恨五百年 打楽器独奏
2.散調 伽倻琴独奏
3.ポリョム(執念) 伽倻琴+打楽器
4.ペンノレ(舟歌) 長鼓・歌+打楽器
5.密陽(ミリャン)アリラン 歌+打楽器
演奏 池成子 伽倻琴・長鼓・歌
高田みどり 打楽器(マリンバ)
会場 利賀創造交流館
公演 2010年8月26・27日
伽倻琴(カヤグム)は韓国を代表する伝統楽器、片側を膝の上において奏する小型の琴。長鼓は鼓の大きなもので、撥で叩いて演奏する。
歌を伴う 4.ペンノレ(舟歌)、5.密陽アリラン が高揚感を誘発して楽しかった。
ペンノレは、魚を相手に暮らす漁師の一般の風俗を歌った民謡。密陽アリランは娘心の切なさと気高さを歌い、500年近くも民衆に愛され続けている大衆的、伝統的民謡の代表格。だそうである。
韓国語で歌われる歌詞の意味は判らないけれど、歌唱は素朴で情感は伝わってくる。思わず足踏みしたくなる思い。特に 5.密陽アリラン は仕草も加わって、会場全体がクレッシェンドしていく様子。
前半の三曲はやや単調に思えた。くり返し聞くと良さが判ってくるかも知れないが。伽倻琴は12弦(?)の旋律楽器ではあるが、どちらかと言えば伴奏楽器ではないか。もっとも独奏楽器だとしても、現代楽曲のように軽快に演奏されるものでもないだろうが。打楽器との組み合わせも地味な感じがした。
とにかく尻上がりに高揚してくる気持ち、異国、特に身近な韓国の伝統音楽もまた良いものだ。若い頃は言葉がわからないのになどと思うこともあったが、言葉がわからなくても伝わるものがあると思うようになった。多少は成長したのか。
3.SOT「酒神 ディオニュソス」
演出 鈴木忠志
原作 エウリピデス
出演 新堀清純 テーバイの王・ペンテウス
内藤千恵子 ペンテウスの母・アガウエ
蔦森皓佑 ペンテウスの祖父・カドモス
竹森陽一、他4 ディオニュソス教の僧侶
高野綾、他2 ディオニュソス教の信女
会場 新利賀山房
公演 2010年8月27・28日
酒の神ディオニュソスがテーバイの町にやってくる。だがテーバイの王ペンテウスはディオニュソスを神と認めない。そこでディオニュソスは、ペンテウスの母親をはじめとしてテーバイの女たちを自らの教えに帰依させ、山に集めてしまう。ディオニュソスの教えがテーバイの市民を浸透するのを恐れたペンテウスは、ディオニュソスを捕らえようと女に扮して山に出かけるが・・・・。
SCOTを代表する演目。既に何回も観ているが、新利賀山房において上演されるのを観るのは初めて。かなり舞台が狭いと感じた。それにしても、緊張感を持って演じられるていた。くり返し演じられる演目も良いものだ。
それにしても役者の層が薄くなってはいないか。新堀清純が昨日の「新・帰ってきた日本」、「ディオニュソス」、「シラノ・ド・ベルュジュラック(多分)」が、主役あるいは主役級で出ずっぱりである。新堀は二十年ほど観ていて、重厚さも感じるようになってきた。しかしそれ以上のベテランはともかく、同年代あるいは続く年代がどうなっているのだろうか。
都合により二日間の観劇だったが、物足りなさを感じた。最低三日間は欲しいところだが、ただ、演目に新鮮味が不足するのも確か。三日でも四日でも、客を引き付けるプログラムを来年は期待したい。
(2010年9月2日記録)
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