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2010年7月 5日 (月)

随想:この人・百話一芸 第9回(2010年7月3日)

 

横浜能楽堂講座「この人・百話一芸」は、古典芸能の第一人者をゲストに迎え、前半で来し方の事などを聞き、後半で至芸を見聞きする構成になっています。

 今回のゲストは琉球音楽・三線奏者の人間国宝・照喜名朝一。聞き手は元NHKアナウンサー・牧港襄一。沖縄出身で沖縄NHK等勤務したことから、本来の聞き手であるNHKアナウンサー・葛西聖司が引っ張り出したようです。

 前後半で1時間45分(休憩15分)の予定が、約2時間に延びています。

 後半の演奏された曲目は次のとおりです。プログラムにない短い曲が2曲、最初に演奏されました。

  (1) 雑踊「浜千鳥」
      中川和恵・石黒愛菜・小松雅子

  (2) 雑踊「取納奉行(しゅぬぶじょう)」
      児玉道子・児玉絹枝・児玉小百合

  (3) 雑踊「鳩間節(はとまぶし)」
      平良豊子

  (4) 雑踊「加那(かな)よ-天川(あまかー)」
      児玉洋子・児玉由利子

  (5) 独唱「二揚(にあぎ) 仲風節(なかふうぶし)」
      照喜名朝一

   【地謡】  歌・三線  照喜名朝一・照喜名朝之
         筝     名嘉ヨシ子

 

 独唱「二揚 仲風節」は張り詰めた高い調子の歌。言葉はわかりませんが、心の底から湧き出す切なさが伝わってきました。

 今は立派な劇場で歌われますけど、元来は、生活に密着していたのでしょう。自分が歌ったら相手も歌い、そしてまた自分が歌う、すなわち歌合戦の場面が彷彿されます。

 歌がコミュニケーションの手段とすれば誰もが歌った筈ですけど、相手を納得させる技術の高いものが有利であることは当然。歌の上手いものが良い思いをする(例えば、宮本常一著・忘れらた日本人・対馬にて)。

 歌を聴きながら、伝統的な風習の存在が頭の中を駆け巡りました。歌の背後に生活が見えました。私だけの感じ方かも知れませんけれど。

 

 踊りは全体に魅力的でした。何となく琉球舞踊のイメージはあります。手の動きが印象的で、動作は大きくなく円滑、顕な決めポーズは無いような。それに沿ってはいるのですが、が、各々はコミカルな仕草を含んでいたりして面白いです。 特に印象が強かったのは最初に観た「浜千鳥」、手の動きが特に鮮やかでした。

 

 前後しますが、前半の話から興味深いところを整理しておきます。言葉が良く聞き取れないところもそこそこにあったのですが。

 古い写真を投影して。戦前の物はこの一枚しか無い。皆焼けてしまった。戦争中はどうすれば生きられるか、そういう気持ち。3月4月は飛行機、軍艦、上陸艇に囲まれ、しょっちゅう移動していた。

 戦前から三線はあった。家宝みたいなもの。大切なものとと貸し出し用があった。小さい頃、大切なものは近づけなかった。おもちゃの三線を作ってもらった。その頃の覚えた曲を爪弾く、もしもしけめよ。

 戦後建てた家の写真を投影して。裏山の頂上で歌った。ガマもあった。山を降りてさまよっていたら、戦場になっていたのでどうなったことか。ガマにいた。

 10代の頃から祝いの式で弾いていた。年寄り・女・子どもしかおらず三線の弾けるのは自分だけだった。みんなを喜ばせようと色んな歌を覚えたが、皆泣いている。恋人などが戦争に行っている。

 人間国宝になったのは、エアー沖縄をやめてすぐ(航空関係事業をしていた)。連絡があったので、試験はありますかと聞いたら笑っていた。

 他に仕事の話など。音楽の話などもあったが聞き取れない、言葉のわからない部分も少なからずありました。

 

 淡々と話していましたが、戦争の思いは色濃く残っていると感じました。現在の沖縄の状況に及びませんでしたが、どのように思っているのでしょうか。もっと沖縄の事を知らなければいけないと、そんな思いも強くしました。

   (2010年7月4日記録)

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