路上観察:横浜・ビール発祥の地(2010年6月6日)
1859年横浜開港は、西洋文化の多くが日本で初めて横浜に上陸することを意味しました。横浜から日本全国へ広まったものは多々あります。
ビール醸造・販売もその一つ。そのことは知っていましたが、具体的な場所は知りませんでした。先日、散歩途中に「日本最初のビール醸造・販売の地」に偶然出くわしました。
「山手外人墓地」から徒歩十分弱の距離、坂を下る途中、横浜市立北方小学校に隣接した所です。
道路に面して「麒麟園」と刻まれた立派な門柱、左右は立派な石垣。しかし少々おかしい。門は行き止まりで、よじ登りでもしない限り中に入れません。
路上観察を標榜するものの目覚しい物件に出くわさない私ですが、これはトマソン(無用門)に分類できます。しかも「麒麟園」の格調高い名称。曰く因縁のありそうな感じが漂っていました。
少し戻って横に回れば、そこは児童公園。ただし、児童公園には不似合いな大きな石碑がありました。
案内には以下の記述が。
『麒麟麦酒開源記念碑
1870(明治3)年、アメリカ人ウィリアム・コープランドは横浜・山手にビール醸造所/スプリング・バレー・ブルワリーを設立し、日本で初めて産業として継続的にビールの/醸造・販売を行いました。コープランドはその功績から、「日本のビール産業の祖」と/呼ばれています。
1885(明治18)年、スプリング・バレー・ブルワリーの建物と土地は、日本在住の外国/人経営の会社ジャパン・ブルワリーに引き継がれ、1888(明治21)年に「キリンビール」/が発売されました。そして、1907(明治40)年、ジャパン・ブルワリーの事業を引き継ぎ/麒麟麦酒株式会社が創立。1923(大正12)年の関東大震災まで、この地においてビールを/醸造しました。石碑はこの地がキリンビール発祥の地であることを記念して、1937(昭和/12)年に建立されたものです。
※石碑建立当時は、スプリング・バレー・ブルワリーの設立は1872(明治5)年とされていましたが/その後の調査で1870(明治3)年であることが判明しました。(注:/は改行を意味する)』
改めて石碑を見れば、上部に『麒麟麦酒開源記念碑』と刻まれています。本文は長文のため読取りを断念しました。
しからばコープランドはどうなるかと思いました。が、石碑に向って左後方に、大人の背丈より一回り低いもう一つの石碑がありました。
正面には『文化遺跡/日本最初の麦酒工場/横浜市長 半井清』、裏面には『昭和三十七年二月十一日W・コープランド氏の/命日に建てる 横浜ペンクラブ』と刻まれていました。
尾根続きの根岸の森林公園近くに滝があり(今はか細い流れ)、山元町付近には湧水があります。他にも湧水があるかと思いますが、ここも恐らく湧水があったと推測しました。いずれ何か判るでしょう。
(2010年6月10日記録)
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