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2010年5月

2010年5月31日 (月)

音楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団創立40周年記念演奏会

  曲目     :マーラー・交響曲第2番ハ短調「復活」

  指揮     :金聖響
  独唱     :澤畑恵美(Sop)
         :竹本節子(Msop)
  合唱     :神奈川フィル合唱団
  合唱団音楽監督:近藤政伸
  演奏     :神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  会場     :神奈川県民ホール・大ホール(1階20列41番)
  公演     :2010年5月29日(土)15:00~16:40

 

 ステージ一杯に楽団・合唱団。左側の第一ヴァイオリンが7列。右側の第二ヴァイオリンが6列、その後ろにオルガン、その奥にハープ2台など。定期では一番後方席から鳥瞰していますが、今日はなぜか1階中央に座っているので全体が良く見えません。

 最初の音がでて、定期会場のみなとみらいホールとは音が随分異なると感じました。乾いた、広がっている、残響時間も短いでしょう。オペラ会場として使われ、ピットに神奈川フィルが入ることが多いのですが、大概は3階席で見聴きしますので音はあまり気にしませんでした。しかし、シンフォニーを聴くとそういうことにも気付くのかと。

 焦燥を感じさせるヴァイオリンの短い旋律が低声部に引き継がれて、やがて管が入ってくる。ここらあたりで、いつにも増して良い演奏と感じました。40周年の節目のコンサートであるとの思いを共有していることもあるでしょう。

 重く長い第1楽章を終え、軽やかな第2楽章が始まって少しほっとします。その後から第3楽章は私の気持ちが少々緩みました。マーラーは長い。

 アルト(メゾソプラノ)の歌声とともに第4楽章が始まります。私は地の底から響くように感じました。竹本節子の重厚な歌唱が気持ちを一気に引き締めます。そして終章に向けて気持ちを高揚しました。短い楽章ですが結構重みがあります。

 「復活」の標題は第5楽章の歌詞に基づくそうですが、一番最初に入場した混声合唱団がようやく歌いだします。ソプラノとともに「復活するのだ」と。合唱団は4月23日にマーラー・交響曲第3番を歌っていますので、それから1ヶ月ほどで仕上げたのでしょうけど、良くまとまっています。澤畑恵美は3月の「ボエーム」のミミを聴いていますが、ここでは華々しい役割ではありません。しかし、「復活するのだ」と盛り上げていく重要な役割、クリームが少し入った白いドレスとともに映えました。

 良い演奏だったと思います。挨拶する金聖響も心なしか高揚しているように見えました。管楽器が順に祝福を受けました。ステージ裏で奏されホルンなどを含めて、美しく感じました。打楽器も祝福を受けました。わかりにくいけど劇的な役割を見事に。そしてソロをとったコンサートマスタ・石田泰尚、客からも一際大きなな拍手、人気があります。実力とともに。

 

 40周年記念演奏会という意識は、演奏者だけでなく客にもあったと思います。結果、素晴らしい演奏会になりました。
 できることなら、定期会場のみなとみらいホールで聴きたかった。それとソワレで。帰りに寄り道してカクテルでも飲んで余韻を楽しみたかった。本当のことを言えば中華街のショットバーで短時間過ごしたのですけど、薄明るかったから気分は今ひとつでした。

 40周年記念誌が配布されました。初代常任指揮者が黒岩英臣は1985~1990年、そのころ定期ではありませんが神奈川フィルの演奏を片手ほどは聴いています。が、どちらかといえばバロックに興味が行っていたのでそこまで。どういう風の吹き回しか、2009年から定期会員になってオーケストラ回帰。今後、恐らく動けなくなるまで続くと思います。少なくとも50周年までは元気でいたいものです。

 付け足しです。珍しく妻帯同。音楽は敬遠気味の妻、話題はベルリンフィル・ゾリステンまで遡ります。30年ぐらい前か。いきなりマーラーでしたけど感激していました。少しはコンサートに足を向けるようになるでしょうか。

   (2010年5月31日記録)

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2010年5月28日 (金)

美術:平明・静謐・孤高-長谷川潾二郎展(2010年5月27日)

  会場    平塚市美術館
  会期    2010年4月17日(土)~2010年6月13日(日)
  休館日   月曜日
  開館時間  9:30~17:00、入館は16:30まで
  入場料金  一般:700円
  鑑賞日   2010年5月27日

 

 長谷川潾二郎について知ることは多くありません。と言うより、洲之内徹の「猫」という短文と白黒図版を通して知り(*1)、その後、彼の所蔵した作品で構成された「気まぐれ美術館」と称する展示・展覧会(*2)で、数点を何回か観ただけです。

 1週間前「朱雀の洛中日記:由布院美術館」で「気まぐれ美術館」に含まれる佐藤渓の話題を拝読。少し「気まぐれ美術館」モードに陥っていました。
 26日、朝日新聞夕刊の美術展紹介で、埋もれていた作家に焦点をあてた「長谷川潾二郎展」が掲載されていました。

 場所は平塚、自宅から一時間もあれば到着するので、翌日出かけた訳です。自宅から一番近い横浜美術館の「ボンペイ展」は会期末が近づくにも関わらずまだ出かけていないと言うのに。こういう感じって判って頂けるでしょうか。

 

 小さな作品ばかり120数点、大半が油彩で薄い塗りですが、いずれも丁寧に描きこんであります。制作年は1918~1985年に渡りますが、その間にフランス留学が一年ほどあります。作品は何年も費やして完成しているようで、個々の作品の製作期間を調べると長谷川の律儀さを感じられそうです。機会あれば短文を読んで下さい。

 難解な作品は一点もありません。風景画は生活圏の範囲内から対象が選ばれているように思えます。静物画は物の配置が実に律儀ですけど、難解さに向うわけでなく、単純とも思える方向に向っているようです。

 それに音が感じられませんが、これ、悪い意味で言っていません。音が絵の中に吸い込まれてしまったように感じられます。浮かんだのが「閑さや 岩にしみ入 蝉の声 芭蕉」、ここに漂う気配はセミのうるさい泣き声ではなく静謐、似ていると思います。

 孤高は作品から感じられる面もありますが、要所に本人の書いた短文が展示されていて、そちらからより多くの手がかりが得られます。

 ひととおり見終わると「平明・静謐・孤高」と謳われた意味が判ります。うまいキャッチ・コピーのようですが、実は、見事に本質を凝縮していると感じました。

 特に印象に残った作品は、長谷川を知るきっかけにもなった「猫」ほか「気まぐれ美術館」に含まれる作品。風景画の「時計のある門(東京麻布天文台)」。静物画は全体的に好きになりました。

 図録(*2)より「猫」ほかを引用しておきます。ちなみに猫の名前は太郎、履歴書があって展示されています。
001 002 003

 

 平日午後、思ったより客は多かったですが、それでも混雑には程遠い展示室。ゆったり見ることができました。ただ、携帯電話を受けた客1名、相手からかかってきたとしても受けるべきではないでしょう。そのことが気に入りませんでした。

 参考 (1) 絵のなかの散歩:洲之内徹著:新潮社発行 P246
    (2) 気まぐれ美術館 -洲之内徹と日本の近代美術- 図録 P107

  (2010年5月28日記録)

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2010年5月27日 (木)

常識って!?:「2010年5月27日朝日新聞朝刊・天声人語」について

 まず2010年5月27日朝日新聞朝刊の天声人語。
 『聴くのは楽しいが、ストラビンスキーの春の祭典」は指揮者には難曲中の難曲らしい。故岩城宏之さんは豪州での本番の舞台で、演奏が途中で止まる大失態を演じてしまった▼曲は不協和音が連続して複雑だ。岩城さんによれば、疲れ果てたラストに最大の難所が来るという。そこで指揮棒を振り間違えて演奏は「崩壊」した。音の消えた会場は凍りつき、体がガクガク震えた。途中からやり直したが、恥じ入るほかはなかったそうだ▼さて、自らを「楽団の指揮者」にたとえる鳩山首相である。(以下省略)』

 この一文に対して、Twitterで苦言を呈したのが amneris84(江川紹子さん)。
 『朝日の「天声人語」に、指揮者の故岩城宏之さんがストラヴィンスキーの《春の祭典》を振り間違えた話が出ている。これを書くなら、最後までちゃんと書いて欲しい。オケが止まった後、岩城さんは何が起きたか分からない聴衆に向かって「私が間違えました」と謝った。オケのせいにせず、自らの責任を明確にしたことで、団員たちは岩城さんへの信頼をさらに増した、と語っていた。オーストリアでの出来事。失敗は誰にもあるだろうが、その後の対応がこの話のポイント。なのに、なぜそれを省いたのか?「天声人語」の筆者に問いたい』

 私はTwitterで70人ばかりをフォロー中、タイムラインを追っていますが、他へコメントを送ったことはありませんでした。しかし余りにも不適切な引用と思ったので、amneris84にコメントを送りました。
 『「終了後、一人落ち込む岩城の周りに楽団員が集まりなぐさめてくれた。自分のミスだと客へ説明した岩城に、楽団員は限りない信頼感を抱き、きずなはより深まった」と後段を記憶。「雨降って地固まる」の「雨降って」を取り上げた。取り上げるなら「地固まる」の方ですよね。 』

 この後外出、帰宅後にタイムラインをおったところ amneris84。
 『素晴らしい比喩!朝日に苦情のメールを出した中で、この比喩、使わせていただきました~。事後報告でごめんなさい RT @fukanok 「雨降って地固まる」の「雨降って」を取り上げた。取り上げるなら「地固まる」の方ですよね。』

 

 天声人語が引用した一文は「岩城宏之:楽譜の風景:岩波新書・黄版250」に収められていたと思います。引用したかったのですが、今、手元にありません。記憶をもう少し呼び起こします。

 「暗譜で指揮していたのですが、ある箇所で指揮棒は空を切り、音楽は続かなくなりました。古いスコアを使って暗譜したため、ある箇所で2ページ一緒にめくることが多く、その部分の記憶が曖昧だったようです。少し前から再開したが、楽団員は同じミスをすると思い、その部分は指揮者を見ないようにして演奏、乗り切った」。演奏後は前述のとおり。私の記憶は大筋で間違いないと思います。

 音楽を止めてしまったのは事実。しかし、指揮者の責任であることを明確にした、楽団員の協力で演奏会を乗り切った、今まで以上に固い信頼が生まれた、そちらに本意はあります。

 天声人語の引用は本意で無い部分を切り出した、あるいは無理筋の引用。偉大な指揮者の名誉を傷つけていると思えます。どうした朝日新聞。

 Twitterに取り組んでいない方、始めてみませんか。私は以降、小さな思いを発信していこうと思います。

  (2010年5月27日)

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随想:ブログ・デザイン変更

 ブログ開設以来4年ほど使用したブログ・デザインを、10日ほど前に変更しました。様子を見ていましたが、現在の実力でこれ以上のものはできそうにありません。このブログ・デザインを暫らく使用することにしました。

 バナー背景写真は季節ごとに適当なものに差し替えるつもりです。現在使用している背景写真は、次の2枚の写真から制作しました。ツールは高機能フリーグラフィックソフト“GIMP”を利用しました。
Dsc_0005 Dsc_3689

 ココログの場合、CSS(Cascade Style Sheet)のみを設定できます。テンプレートは、“DECO Web”の一つを使わせて貰いました。自分で作り始めたのですがHTMLとの関係が判らず、細かい部分が調整できなかったので、そうしました。そこから背景写真の使用や、サイズを調整しました。

 なお、利用規約に著作権ロゴを表示する旨の規定があります。しかし、テンプレートに著作権表示が含まれていませんのでそのまま利用しています。意識的に外したわけではありません。

 時間がたてばなじむと思います。どうかご愛顧願います。

  (2010年5月27日記録)

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2010年5月25日 (火)

演劇:中野成樹+フランケンズ『寝台特急“君のいるところ”号』

   作      ソーントン・ワイルダー『寝台特急ハヤワサ号』より 
   誤意訳・演出 中野成樹

   会場     こまばアゴラ劇場
   公演     2010年5月20日(木)~30日(土)、詳細要確認
   鑑賞     2010年5月24日 17:30~20:50(休憩なし)

 

 「中野成樹+フランケンズ」は初めて観ます。この演目は2000年初演で、今回が4回目。初回上演時間が40分、再演が55分、再々演が65分、今回が80分、次回は120分予定だそうです。大事に育ててきたことが感じられます。

 中野成樹は青年団に一時期在籍していたそうで、そのためか現代口語演劇のスタイルをとります。ソーントン・ワイルダーと相性は良いと思います。ただ、
今なぜソーントン・ワイルダーなのか、そこに興味の中心があります。

 

 ニューーヨークからシカゴに向う寝台列車の車中、風景の描写。舞台上にはホワイトーボード状の作り物が3つ。それぞれに線路を模した作り物が貼り付けてあります。パイプ椅子が8脚、組み合わせを変えながら車中を表現します。

 乗客は医者、ヒステリックな女性、夫婦など。ルームライトが点灯しなかったり、なくし物がでたり、朝6時に起こしてくれと頼まれたり、ボーイは要領得ないままに仕事をこなします。

 夫婦の妻が具合悪くなり別の部屋で安静にしています。夫は様子を見に行ってまた戻ります。ボーイに請われて医者も様子を見に行きますが、部屋を間違えたりして、やがて妻を診断すると既に亡くなっています。
 線路を二つ繋げて天国への階段に、妻は天使と相談し、やがて階段を登っていきます。妻と天使の話し声は客には聴こえません。

 寝台車が州境を超える描写、列車外の自然の描写。一部は繰り返されたり、ストップモーションであったり。打ち上げどうするかとか、楽屋裏の会話があったりします。

 16時間を経て寝台列車はシカゴに到着します。ヒステリックな女性はボーイとコーヒーを飲みにいくことに決めます。1ヵ月後にボーイは仕事をやめると最初に宣言しているのですが、その理由が最後に暗示されます。

 

 誤意訳とあるし、原作を読んでいないので詳しくは判りませんが、何となく想像はつきます。戯曲「我が町」を連想します。描かれるのは人生模様。
 役者は上手だし、いやみも違和感も感じません。良くできています。しかし人生模様の描写で留まっていて良いのかな。私たちはもっと複雑な世界に対峙しているのだから。一歩前に進めたら、誤意訳の方向性はそちらに向うべきではないでしょうか。

  (2010年5月25日記録)

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映画:オーケストラ(2009年フランス作品)

   出演  アンドレイ・フィリポフ(指揮者)      アレクセイ・グシュコブ
       アンヌ=マリー・ジャケ(ヴァイオリニスト) メラニー・ロラン

   監督  ラデュ・ミヘイレアニュ
   原案  ヘクトール・カベッロ・レイエス、ティエリー・デ・グランディ
   脚本  ラデュ・ミヘイレアニュ、アラン=ミシェル・ブラン、マシュー・ロビンス
   音楽  アルマン・アマール

   公式HP 映画「オーケストラ」公式サイト

   場所  チネチッタ
   鑑賞  2010年5月24日

 万に一つも有り得ないような話。ところが事実は小説より奇なり、下敷きとなる話があるようです。調べてもたどり着くことは出来ませんでしたが。

 それはともかくとして、体制、人種差別、音楽ビジネスなどの香りを漂わせながら、娯楽作品として大いに楽しめる仕上がりです。クラッシック音楽を敬遠している方にも、たぶん、違和感無いと思います。これからご覧になる方もおられるからストーリーは省略します。

 

 オープニングで流れる音楽はモーツァルト・ピアノ協奏曲第21番、実に美しい曲です。一部しか演奏されませんので、もっと聴かせろと叫びたくなります。音楽会じゃないって。

 エンディングで流れる音楽はチャイコフスキ・ヴァイオリン協奏曲、これまた美しい曲です。エンディングと言うより、クライマックスの15分ほどに渡って響き渡ります。

 音楽的に言えば、この映画はモーツァルト・ピアノ協奏曲第21番からチャイコフスキ・ヴァイオリン協奏曲に向けてクレッシェンドしていきます。その間、様々な曲が挿入されています。興味あれば公式ホームページに楽曲リストが掲載されています。知った曲を探す楽しみ方もありそうです。私は半分くらいでした。

 最近はあちこち緩んでいますが涙腺も、娯楽作品とは言いながら涙が滲んできました。
 社会の隅に追いやられた中年男・女たちの成功譚だから。既に成功を収めているヴァイオリニスとの過去が見えてくるから。それを媒介する音楽が素晴らしいから。実際のコンサートでは有り得ない大音量で音楽が響き渡るから。30年の時間を感じられるから。国家に対して個人は弱い存在と気付かせてくれるから。

 指揮者役のアレクセイ・グシュコブ、ヴァイオリニスト役のメラニー・ロラン、他、過去を背負った存在感が滲み出ています。半分は役者選びで成功したと思います。

   (2010年5月25日記録)

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2010年5月23日 (日)

随想:芸術的な拍手(2010年5月23日)

 コンサートにおける拍手は何かと話題になりますが、そのことについて少しまとめます。自らの心がけと音楽を愛する皆様への多少の参考として。

 神奈川フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会で配布されるリーフレット「SONORITE」、2010年度から常任指揮者・金聖響の「コラム」が掲載されています。そして、第263回(5月21日)のそれに、以下の内容が掲載されていました。関係部分のみ引用です。それでも長すぎると思いますが、誤解のないよう、まとめず、そのままを掲載します。

 『最後に皆さんに一つお願いがございます。
 前回の定期演奏会、沢山のお客様にご来場頂いたことをこの場をお借りして心から御礼申し上げます。マーラー3番を皆さんと共有させて頂いたことは本当に幸せな時間でした。ただ一つ、是非今後皆様にお願いしたいことかあるのです。演奏の最後の瞬間です。最後の和音が響き渡り、完全に消えゆくまでは、拍手を待って頂けないでしょうか?音には響きがあります。みなとみらい大ホールは素晴らしい音響を持ち、その残響時間は2秒もあります。そして心の中の残響は更に長い時間、響き渡るのではないでしょうか?ブラボーや拍手は人それぞれのタイミングで頂くものだと思いますが、音楽を同じ場所で体感しているのですから、指揮者の手が降りてからでも遅くはないと思うのです。過去にマーラーの9番を演奏させて頂いた時に、最終楽章が終わってから1分以上拍手がありませんでした。心から感激しました。あの時間が今でも忘れられない経験になっています。今回の田園でも、ベートーヴェンが描いた物語と音の余韻や響きを、演奏後の静寂を作り出すことで、かみしめることが出来る時間にして頂ければと思います。拍手を頂戴する側の私がこんなことを書くのも恐縮の極みですが、ご理解、ご協力いだければ幸甚に存じます。』

 残響時間2秒の工学的な意味は脇においても、最後の和音は減衰しながらも2秒以上響くと言うこと。最後の方が聴こえるか聴こえないかは別にして。最後が休符ということだってあるでしょう。音楽が完全に終わってからの拍手は必須。神奈川フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会のみのこととも思えませんので。

 ここまでで用は済んでいます。以下は付け足しにつき、気が向いたら読んでください。

 

 細々と音楽を楽しんできましたが、30年位前でしょうか、雑誌で次のような記事を読んだことがあります。古い話ですから私の頭の中で脚色されているかも知れません。聖響さんの言うマーラー9番以降云々と、言っていることは同じです。

 今は亡きチェロ奏者・トルトゥリエが鈴鹿(?)の演奏会で、サンサーンスの白鳥を演奏した時、演奏を終えても暫らく静寂が続き、やがて少しづつ拍手が始まった。そのことを、トルトゥリエは鈴鹿(?)のお客さんは音楽をよく理解していると評しました。

 

 私が中学生の頃(半世紀も前)、中学生向けのレクチャーコンサートの1回は演奏会形式でオペラ・カルメンでした。詳しいことは忘れましたが、司会者が「今日のお客さんは拍手が上手だ」と。引率の先生がうまくリードした為に違いありませんが、中学生に対してそう言いました。拍手に上手い下手があると、その時に知りました。聖響音楽堂シリーズの会場でもある神奈川県立音楽堂でした。

 

 上手な拍手は難しい、知識も経験も必要でしょう。でも下手な拍手は少しの注意で避けられそうです。いずれは芸術的な拍手ができるようになりたい、気持ちよくコンサート会場を後にするために。

 蛇足ですが、当日は音楽が終わり一呼吸間をおいて拍手が始まりました。

   (2010年5月23日記録)

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2010年5月22日 (土)

音楽:神奈川フィル第263回定期演奏会

  指揮  ロッセン・ゲルゴフ

  独奏  仲道郁代(pf)

  演奏  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目  池辺晋一郎  :照葉樹林 ~弦楽オーケストラのための~
      ショパン   :ピアノ協奏曲第2番ヘ短調
      ショパン   :ノクターン20番(ソロ・アンコール)
       (休憩)
      ベートーヴェン:交響曲第6番へ長調「田園」

  会場  横浜みなとみらいホール(1階29列24番)
  公演  2010年3月12日19:00~21:00

 

 指揮のロッセン・ゲルゴフ、1981年ブルガリア生まれ、まだ30歳に届かない。エネルギッシュな指揮ぶり、指揮台の上で跳び上がり落ちた時に音がしたほど。それぐらい大きなアクションで振りとおしました。若さが前面に出ていると感じました。

 ロッセン・ゲルゴフは2009年に群響を指揮しているので、今回が初来日ということではありません。神フィル定期の後、京都市交響楽団。12月に大阪センチュリー交響楽団、九州交響楽団、札幌交響楽団を指揮する予定になっています。これから各地で聴くことができると思います。詳しくは公式HP(日本語あり)を参照願います。

 「池辺晋一郎:照葉樹林」は1995年作品、音のクラスターが次々に湧き出る感じですが、印象的な旋律がでてくることはありません。多少聴きなれない音が響きますが、特異な奏法はありませんでした。録音だとつらいこともありますが、生なら現代曲もおもしろい。
 作曲者にしてみなとみらいホール館長の池辺晋一郎が会場にいて、祝福を受けていました。

 「ショパン:ピアノ協奏曲第2番」、1番に比べてなじみが少ない。音は固まって聴こえた印象が強い。曲のせい、音のバランスもあるでしょうか。もやもやした思いが残りました。
 ソロ・アンコールにノクターン20番、全体的に力強さがみなぎった一夜でしたから、実に繊細な印象でした。機会を探してソロ・コンサートを聴きたいです。

 「ベートーヴェン:交響曲第6番へ長調「田園」」、少し早いと感じましたが、時間は楽章間を含めた41分ほどでしたから平均的。繰り返しなど細かくは判りませんが。明るい感じで力強い「田園」でした。もう少しくすんだ、しっとりした感じも良いと思いますが、まだ若いですから先のことでしょう。とにかく元気な「田園」。

 

 昨シーズンから定期を聴いていますが、その間に他オーケストラを聴いたのはブリュッヘン・新日本フィルだけです。他オーケストラを聴かないと、神フィルの特徴が判らないかもしれません。追々、足を向けましょう。

   (2010年5月22日記)

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文楽:第171回公演・第二部『新版歌祭文・団子売』

   演目  ・新版歌祭文
          野崎村の段
          油屋の段
          蔵場の段
       ・団子売

   会場  国立劇場・小劇場
   公演  2010年5月8日(土)~5月28日(月)
   鑑賞  2010年5月19日(水) 16:00~20:10(休憩 25+10分)

 

・新版歌祭文

 近松半二作の世話物。歌祭文とは「近世俗曲の一。死刑・情死などの事件やその時々の風俗をつづった文句を、門付け芸人が三味線などの伴奏で歌って歩いた。山伏が錫杖(しゃくじょう)を振り鳴らし、ほら貝を吹いて、神仏の霊験を唱え歩いた祭文の芸能化したもの。上方に始まる。→祭文(引用:デジタル大辞泉)」。新版とは、お染久松の心中事件の先行作を踏まえて新たに書き下ろした作品の意。

 「野崎村の段」、冒頭に祭文売りが登場して「ご評判の繁太夫節、本は上下綴じ本で六文、お夏清十郎の道行々々」と売り歩く。久松の親・久作、一冊を買うが、これが後に重要な役割を果たします。あらすじは「歌舞伎好きの手帳」さんを参照願います。

 竹本文字久太夫、竹本綱太夫、竹本住太夫と語り次ぎます。後二人は人間国宝、全編通しての山場と知れます。最近、綱太夫、住太夫はブラインドでも聞き分けられそうな気がしてきました。声で判ると言われればそれまでですが、表現力や重厚感とはこういうものだ、という感じがします。

 人形遣いは、娘おみつを吉田蓑助、久三の小助を桐竹勘十郎、丁稚久松を豊竹清十郎、娘お染を桐竹紋寿。蓑助が人間国宝、恋に破れたと知って尼になる薄幸なおみつを存分に感じさせます。勘十郎は小助のコミカルな役割りを。勘十郎が色々な役を遣うのをみましたが、これから核になるのだろうと思います。

 三味線は良い気持ちで聴くだけ、良し悪は未だに判りません。音色の艶やかさ激しさに比べて、存在は地味かも知れません。素人には難しいですが、回数を重ねて徐々に判っていくと思います。

 この段だけで満腹になった感じ。見ごたえ、聞きごたえありました。

 「油屋の段」、お染・久松の恋愛とは異なるストーリーが絡みます。追いかけられなくなりました。「蔵場の段」、お染・久松の仲はうまく収まりそうになるのですが、それを知らないお染・久松は死を選びます。蔵の窓から顔を出す久松、井戸端にたたずむお染、顔を見合わせます。やがて久松は縊死、お染は井戸に身を投げます。

 「油屋の段」「蔵場の段」は見ているだけでした。初めて見て何もかも判ることなどありません。一度見ると、判ったことが増えますので、勉強の方向性も見当はつくと言うものです。判らないから出かけないでなく、少し判るところがあるから出かけるで、良いのではないでしょうか。その程度のレベルでも、実に面白いと思います。

・団子売

 景事。初春の町に団子売りの杵造・お臼夫婦がやってきます。口上に始まり、米を餅にするまでの過程を踊りで表現します。そこに夫婦和合・子孫繁栄の思いが込められています。

 太夫は竹本南都太夫他、三味線は野澤錦吾。人形遣いは杵造が吉田幸助、お臼が吉田一輔。若手・中堅どころの面々。

 人形が踊るとは、何を以って踊っていると判断できるのか、いつも不思議に思います。でも人形が踊っているのですよね。人の振りの特徴をとらえ、人形ならではの振りを加えて見事に。前の出し物が心中の重い結末であったのを、幸助・一輔は気分一新して、劇場から送り出してくれました。

  (2010年5月21日記録)

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2010年5月19日 (水)

最近のブログから(2010年5月19日)

 興味を抱いたあるいは触発された「ツイッター」「ブログ」などを整理しました。気付いたのが最近ということで、参照記事の新旧はこだわりません。

(1) アンパンマンショップ:5月のごあいさつ(?)

 アンパンマンも活字文化の退潮を憂いています。新聞の週刊誌化か、立派な論調を維持する新聞もあるようですから、十派一絡げにしてはいけませんけど。

(2) 一平の雑記録:東国原知事「寝てない!けんか売ってんのか!」 大荒れ記者会見書き起こし(2010.5.18)

 TVニュースで東国原宮崎県知事の怒り心頭に達したような画像が繰り返し放映されました。そこに至る場面を、一平さんが書き起こしたものです。本音に迫る記者のテクニックか、そうであったとしてても適切か、異なる情報源で判断する必要があります。極めて煩雑な時期、怒り出したい気持ちも判らなくはないと思えます。

(3) テレビ朝日|ザ・スクープ:「検察史上類を見ない犯罪」の真相(2010.5.18)

 ザ・スクープスペシャル第31弾、TV放映された番組のアーカイブです。内容は「検察の裏金問題」を内部告発しようとして逮捕、有罪判決を受けて刑期満了した三井環さんに迫るものです。恣意的に仕組まれたものか。多くの情報源にあたれる事はネット化社会の大きな利点。ゴミも多いから、個人の判断力はますます重要になりそうです。
 後半に「三陸ミステリー 岩手少女殺害事件の真相」に迫る。ネット上でフリーライターが追求している事件を大手メディアが取り上げたもの。

(4) QAB開局15周年記念報道特別番組:どうなる普天間移設(2010.5.14)

 琉球朝日放送制作による、副題に「朝まで徹底生激論」。TV放映された番組のアーカイブです。東京基地局制作のものとは立ち位置が異なることに気付きます。数時間で結論など出るわけはありませんが、当事者に近い情報は貴重だと思います。そういう思いは持っていると思っていますが、似て非なるものだと気付きました。

(5) タマキのナンヤラカンヤラ:バックナンバー 2010年1月(2010.1.1)

 「『オモイ』というワケのわからない曖昧模糊とした意味不明の言葉を某国首相が記者会見で25回も連発するのを採取。そこでコノ『オモイ』を他の言葉に置き換える「問題」作成されました。天田サンによると25か所の空欄すべてを「思い」という言葉で埋めた人物は「オモイ星」の「オモイ星人」としては100点満点。次期総理大臣候補とのことです。皆さん0点めざして日本語を鍛えてください。」
 ズバッと言い切らないもどかしさが首相のスピーチにあると思います。いや、あると言い切ろう。

(6) 週間オブイェクト:滑走離陸するヘリコプター(2010.5.1)

 「なぜ、ヘリコプターに滑走路が要るの」と疑問を抱く人は私の他にもいるようです。ここに動画添付で説明されています。垂直離着陸機オスプレイも最大積載の場合は、垂直上昇できないようです。滑走して、翼の揚力を利用するということでしょう。技術的な疑問は解消しました。

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2010年5月18日 (火)

路上観察:「たまリバー50キロ」完歩計画(2010年5月17日)

 「たまリバー50キロ」は、東京都と神奈川県の境を流れる多摩川の左岸(東京側)に設けられた遊歩道のこと。上流側は羽村取水堰、下流側は大師橋緑地、その間の実距離53Km。

 上流側起点で主な通過地点を整理するとつぎのとおりです。

   00Km   羽村取水堰(JR青梅線羽村駅)
   14Km   立日橋  (多摩都市モノレール柴崎体育館駅)
   20Km   関戸橋  (京王京王線中河原駅)
   23Km   是政橋  (西武多摩川線是政駅)
   28Km        (京王相模原線京王多摩川駅)
   32Km過ぎ      (小田急小田原線和泉多摩川駅
   37Km過ぎ 二子橋  (東急田園都市線二子玉川駅)
   42Km過ぎ 丸子橋  (東急東横線多摩川駅)
   45Km過ぎ ガス橋  (東急多摩川下丸子駅)
   50Km   六郷橋  (京浜急行六郷土手駅)
   53Km   大師橋緑地(京浜急行空港線大鳥居駅)

 Googleマップで「羽村駅」を検索すると0Km地点にポイントされますから、地図を移動して53Kmを感じて下さい。写真は、0Km表示、0Km地点から上流側を望む、1.5Km付近の六郷水門、8Km過ぎでカヤック(?)を担いだ集団を見かけた。
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 標高差のほとんど無い53Kmならば12時間で歩けそう、あくまで思いですけど。距離10Kmごとに10分休憩、そのうち1回を食事休憩で20分追加すると、12時間で多少の余りが出ます。と皮算用。

 過去実績に神戸六甲全山縦走、距離56Km・累積標高差3000m、がありますので、多少強気です。でもそれは過去の栄光、30Km過ぎたらどうなるか判らないのが現在の実力。

 ゆえあって53Kmを完歩しようと思い立ちました。目標は皮算用の12時間、6月中には近いところまで到達したいと思います。いきなりは無理ですから少しづつ距離を延ばして。

 と言うわけで、17日昼過ぎに思い立って下流側起点に立ちました。既に15時を過ぎていたので、3時間で行ける所まで。

 結果、大師橋緑地出発が15時18分、二子玉川到着が18:08分。所要時間2時間50分、まとまった休憩なし、写真撮影・トイレ休憩あり。距離15.6Km、時速5.5Kmでした。

 全コースを歩いていませんが、歩いた範囲で次のような特徴がありますよ。

   信号や自動車道を横断することはありません。立ち止まる要素はありません。
   コースは自転車と共用です。
   基本的に舗装されています。工事中で砂利道の部分がありましたけど。
   トイレ・水のみ場は適当な間隔で設置されています。
     (水のみ場はありますが、飲料は適当に準備してください)
   日陰は無いに等しい。とくにこれからは帽子が必要。
   1Kmごと、所によってはその中間にも距離表示が路面に描かれています。
     (無いところもありました。工事中だから、あるいは見落しか)

 以降、歩いたら報告します。もし途切れたら、挫折したと思って深追いしないで下さい。軟弱ですが。

 東京都が「たまリバー50キロコースマップ」を発行しています。私は、昨年の「第2回多摩川ウォーキングフェスタ」に参加した時に頂きました。こちらを参考に探したら如何でしょうか。もし興味があるようでしたら。

  (2010年5月18日記)

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2010年5月17日 (月)

文楽:第171回公演・第一部『碁太平記白石噺・他』

   演目  ・祇園祭礼信仰記
          金閣寺の段
          爪先鼠の段
       ・碁太平記白石噺
          浅草雷門の段
          新吉原揚屋の段
       ・連獅子

   会場  国立劇場・小劇場
   公演  2010年5月8日(土)~5月28日(月)
   鑑賞  2010年5月12日(水) 11:00~15:30(休憩 25+10分)

 

・祇園祭礼信仰記

 金閣寺の段、此下東吉との碁に負けた松永大膳は怒って碁笥を井戸に投げ込み、手を濡らさずに取れと命じます。此下東吉は、雨どいを外して滝の水を引き込みます。

 爪先鼠の段、松永大膳に切り付けて捕まり桜の木に縛り付けられた雪姫は、祖父・雪舟に倣い桜の花びらを足でかき寄せて鼠の絵を描くと、魂の入った鼠は動き出して縄を食いちぎります。

 見どころは初めて見ても良く判るし、記憶に残ります。通しでないから全体観は今ひとつ判らない面もありますけど。事前にさっと調べておけばよいのですけどなかなかできません。

 出演は、三味線の鶴澤寛治、雪姫を初めて遣う桐竹勘十郎、他中堅・若手。どことは言えないのですが、いま少し足りないものがあるように感じました。

 面白かったのは此下東吉が木を上り下りする場面、人形が仕草を繰り返すと、金閣が迫に沈み、それにつれて風景も変化するから、まさに木に上るが如く。そればかり面白がってもいけませんが、見るたびに何か面白い仕掛けがあるように思います。

 

・碁太平記白石噺

 浅草雷門の段、姉を訪ねて奥州から江戸へ出てきた田舎娘のおのぶが、だまされそうになったり助けられたり、浅草寺門前の賑わいとともに描き出されます。今も昔も大差ない。

 新吉原揚屋の段、花魁の宮城野は新しい奉公人・おのぶの訛りに聞き覚えがあり、生まれを聞いて姉妹と判ります。おのぶは父が殺され、母も亡くなり、姉妹で敵討ちしようと苦しい旅をしてきたと話します。敵討ちのために廓を抜け出そうとする宮城野、影で聞いた主人の惣六は曽我兄弟を引き合いにして性急な行動をたしなめ、機を待つように諭します。

 新吉原揚屋の段、傾城・宮城野と奥州訛りのおのぶ、思慮深い惣六の組み合わせ。始めは面白く、やがて引き込まれる思いです。

 出演は、おのぶを吉田文雀、宮城野を吉田和生の師弟が遣い、新吉原揚屋の段の切を豊竹嶋太夫。文楽は太夫の語りを聴くなどと言われますが、今回、豊竹嶋太夫の語りが心に沁みました。声が良い、宮城野・おのぶ・惣六の語り分け、後は何でしょうか。細かい分析はできませんが、とにかく心に沁みました。初めての経験でした。

 

・蓮獅子

 親獅子は子獅子を谷底に突き落とし、自力で這い上がる子獅子のみを育てると言います。試練を乗り越えた親子獅子は、毛を振り立て、牡丹に戯れて、千秋万歳を寿ぎます。

 TV放映で歌舞伎の連獅子を見ましたけど、文楽では、最後の毛振りをどうやるか、初めて見る前は不思議に思っていました。今回は二回目で既にそういう思いはないけれど、とにかく人が踊るように人形が踊ります。

 最初に見たとき、子獅子を谷底に落ちる場面は人形を投げたと記憶します。今回は人形遣いごと飛び降りました。記憶違いか、いずれもあり得るのか。

 

 第一部全体として、引き込まれる部分はところどころありました。が、何か一つ足りないものがある思いが残りました。出演者の個々の技能が判るわけはないのですが
 文楽はまだ十数回ですが、少しは感想らしきものが湧くようになりました。まだ早い、もっと見ろ。そうかもしれませんね。とりあえず、今週、第二部に出かけます。

  (2010年5月16日記録)

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2010年5月12日 (水)

路上観察:英連邦戦没者墓地(2010年5月6日)

 横浜・山手の外国人墓地は、異国情緒ただよう観光名所として知られています。が、横浜の外国人墓地は私の知る限りで他に三ヶ所あります。JR山手駅至近の根岸外国人墓地、根岸森林公園近くの中国人墓地・中華義荘、さらにJR保土ヶ谷駅を最寄り駅とする英連邦戦没者墓地です。
 先日、近くに出かける用があったので、足を延ばして英連邦戦没者墓地を見学しました。

 山手・根岸・中国人墓地の三ヶ所は、大きく言えば横浜山手に位置します。が、英連邦戦没者墓地は少し離れて横浜市保土ヶ谷区狩場町に位置します。正月に開催される箱根駅伝の花の二区、JR保土ヶ谷駅を通過し、難所権太坂を登りきった付近と言えばおよその見当はつくでしょうか。国道1号から少し脇に入ったところです。

 英連邦戦没者墓地の名称から推察できる通り、他の三ヶ所とは性格を異にしています。
 すなわち、第二次世界大戦の時の英連邦戦死者のための墓地で、戦地で日本軍捕虜になり日本の収容所に送致されてから亡くなった人たちも含まれるそうです。英連邦ですから、イギリスはもとより、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、インド、パキスタンの方たちです。他にアメリカ、オランダの方たちも埋葬されているそうです。

 この墓地は、現在でも日本政府が管理・整備をしています。良く手入れされて、美しい風景を作り出しています。しかし、美しい風景ではあってもこれ以上に増えて欲しいとは思いません。如何なる理由があろうとも。
 アジア・太平洋戦争を身近に感じて緊張しました。

 

 バス通りに面した門および掲示されているプレートです。
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 墓地への入口およびプレートです。
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 一番大きな区画、入口側と背面の小高い位置から見た風景です。
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 ベンチが置かれている道を進むと、異なる区画が現れます。
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 蝶々が一匹、初夏を感じて平和な場面です。しかし、「西部戦線異状なし」、名画の幕切れを思い出します。
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 参考:横浜の外国人墓地

  (2010年5月12日記録)

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2010年5月11日 (火)

最近のブログから:普天間基地問題(2010年5月10日)

 「ツイッター」「ブログ」などに掲載されるフリーライターや個人の記事は、既存メディアとは異なる論調をとるものが少なくありません。既存メディアに出演するコメンテイターや司会者、記事の論調が偏っていると主張するものもあります。

 今回は「普天間基地問題」を考えるヒントになりそうな「ブログ」記事をいくつか抽出してみました。「ツイッター」を追い、「ブログ」を参照して、既存メディアの視点にはない記事を選びました。

 既存メディアを含む多くの記事から自分の基本的な考えを導き、修正を継続しながら結論をまとめる。それが私には必要です。しばらく追っかけを続けます。
 なお引用は改行は適当に省きました。

 

(1) 池田香代子ブログ:沖縄 市町村の呼びかけ(2010.4.25)

『4・ 25県民大会に参加しよう! 無料バス運行……県民大会宜野湾市実行委員会では、4.25県民大会へ多数の市民を参加してもらうため、当日、宜野湾市役所及び宜野湾市立博物館より会場までの無料バスを運行いたします。」(宜野湾市)』。主催者発表で9万人の沖縄県民大会、各市町村からバスなどを仕立てて住民が集まるという事実の整理ですけれどインパクトあります。事実の強み。

(2) 内田樹の研究室:基地問題再論(2010.5.7)

『アメリカ政府がほんとうのところどう思っているのか、私にはわからない。けれども、日本はアメリカに対して反抗できないという「属国」条件を日本の軍事専門家たちが「定数」にして、そのコメントを述べていることはわかる。彼らのその現状認識が十分にリアリスティックなものであることを私は喜んで認める。
けれども、その場合には、やはりコメントをするたびごとに「われわれはアメリカの軍事的属国民であり、軍事に関しては、アメリカの意思に反する政策決定をすることができないのだ」ということを明らかにし、「だから」という接続詞のあとに、自説を展開していただきたいと思う。
あたかも主権国家が合理的な判断として国内に外国軍基地を置くという「選択している」かのように語るのはフェアではないと私は思う』

(3) DIAMOND online:「米軍に普天間基地の代替施設は必要ない!」(2010.5.7)

『普天間基地問題の決着期限が迫るなか、鳩山政権は辺野古沿岸につくる桟橋滑走路と、徳之島の既存の空港を併用する移設案を提案した。しかし、地元や米国側の同意を得られる見通しは立っておらず、日本国内は鳩山政権批判一色に染まっている。しかし批判するだけでは何も変わらない。そもそも同基地の代替施設の不要論は米国内にもある』

(4) リアリズムと防衛を学ぶ:普天間移設、および軍事は政治の道具だということの意味(追記あり)(2010.4.22)

『軍事問題を考え、議論するときに犯しがちな誤りは3つあります。第一の誤りは軍事の論理だけで議論して他の観点を無視することです。軍事的に正しいことが、他の論理でも正しいとは限りません。また、軍事の論理が必ずしも常に優先されていいわけではないのです。第二の誤りは他の観点だけで考え、軍事の論理をあたかも無いもののように扱うことです。たとえその時は無視したとしても、決断から生じる軍事的な結果は、あとで必ず受け取らなければなりません。第三の誤りは、軍事以外の論理ででてきた結論を正当化するために、軍事の論理を都合よく曲解して「これは軍事的にも合理的なんだ」と自分や他人をダマすことです』

(5) すみっち通信:鳩山首相沖縄訪問への米メディア反応(2010.5.6)

『米大手紙を含むほとんどのメディアが事実を淡々と伝えている。これを読んだ米国民は一体どう受け止めるだろう。・米政府が現行計画から譲歩しない理由は? ・日本政府がいったん合意した事柄を反故にしたいという理由は?
 ・米軍基地の施設地をなぜ日本政府が探すのか? ・米国が赤字にまみれてる状況で、誰が新基地を作る費用を出すのか? ・9万人という人間が基地にNOといってるのに無理強いするのか? 単純に事実を並べた記事から、これだけの疑問を米国民は引き出すことができる』

(6) とある素人の歴史考:普天間の問題は普天間だけの問題ではない(2010.1.14)

『本質的問題となっているのは、琉球王朝/日本(島津家・江戸幕府・大日本帝国政府)/中国(元・清・中華民国・中華人民共和国)/アメリカの間で揺れ動き、翻弄されてきたこの地域そのものに対する理解と洞察であり、その歴史・文化を踏まえた上で、次の世代にどのように何を残すべきなのか、ということを、日本民族自体が無視し、無知であり続けてきたことそのものなのだろう』

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2010年5月 9日 (日)

演劇:青年団第62回公演『革命日記』

   作・演出 平田オリザ

   会場   こまばアゴラ劇場
   公演   2010年5月2日(日)~16日(日)、詳細要確認
   鑑賞   2010年5月8日 15:00~16:40(休憩なし)

 

 街中の一戸建て住宅、その二階は革命集団の活動拠点。住人である夫婦は、アトピー療養のためもあって子どもを元革命メンバーの妹夫婦に預けていたりする。

 今夜は、翌日の空港侵入と大使館占拠の手はず確認のためにメンバーが集まることになっている。が、まだ全員揃わない。居る者の間で、空港侵入と大使館占拠を同時に実行するというリーダーの方針変更について口論し、一旦は手はず確認を始めるのだが。

 近所の奥さんが地域活動の役員になって欲しいと訪ねて来て、表札と旦那の名前が違うと言ったりする。メンバーの日常を引きずる様々なことが連続する。

 リーダー達が来ると、方針変更について一人が詰問する。恋人でもあるメンバーは明日の実行に加わることになっている。リーダーはそういう状況だから気持ちがゆれると言うが議論は紛糾する。リーダーはより大きな組織を背景にして個人の事情に矮小化する。いや矮小化でなく正論なのか。

 

 平田オリザは「この戯曲を書いた十数年前、個と集団の問題ばかりを考えていたが、直接のきっかけはオウム事件」。そして「革命を、宗教に、あるいは芸術に置き換えても良い」と言う。初演は2008年1月、評判が良かったので比較的早く今回の再演につながったとも言う。

 英題は「REVOLUTIONISTS」のようで、邦題より内容が鮮明になる思いがする。リーダーもメンバーも革命を信じている。いや、強引に自分を納得させているのかも知れない。それが証拠にどこか白けた感じもある。目指すものが革命でなくても、組織と個人の関係を抽出すると似たような状況はどこにでも出現する。そういう状況が良く伝わる。

 観客に背中を向けたり聞き取れない声、現代口語演劇のスタイルがリアリティを高める。二階にある劇場の下手側床に開口部があり、階下につながる階段として使っているのも面白い。役者もうまく、リーダーに激高する場面で襟足が紅潮していく様にも感心する。背中に表情がある。

 初演は観ていない。なぜ早い機会に再演が実現したか。評判が良かったということは事実だろう。
 2008年1月からの大きな変化は2009年9月の政権交代、革命に値するだろう。が、よたよたする現状はどう認識したら良いか。私も遠巻きにしているに過ぎないが。そういう状況にぶつけたとも思える。考えすぎか。

 4月からこまばアゴラ劇場の出し物を観ているが、それぞれに客層が異なる。比較すれば今回の観客の年齢は高い。
 当日は満員、さほど広い観客席ではないが。追加公演も決定。時宜を得た問題提起と考える。良い舞台、見逃す手はないように思います。

  (2010年5月9日記録)

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2010年5月 7日 (金)

路上観察:神奈川県庁舎の一般公開(2010年5月4日)

 恐らく生涯を横浜市民で終わるであろう私、行政手続きは最寄りの区役所で済みますから、横浜市役所に足を踏み入れたことがありません。いわんや神奈川県庁など。

 と思っていましたが、市役所より先に県庁に入り込みました。5月3・4日、昨年に続いて第2回県庁一般公開がありましたので、4日に散歩がてら見学してきました。

 

 県庁正面からキングと称される塔を見上げたところ。玄関脇のプレートに刻まれた文字から、歴史と威厳が感じ取れます。県庁舎としては4代目、昭和3年(1928年)完成とのこと。
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 3階にある知事室です。中に入れませんが、入口から見学できます。奥に掲げられたパネルを拡大しました。左の一部は「Inauguration Ceremonies Program」と読み取れますが、行かれていたんでしょうね。右は自筆(?)の「運と愛嬌」、人生哲学でしょうか。
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 第三応接室および調度品です。窓から眺める日本大通りのイチョウの木が目に鮮やかです。
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 大会議場およびカーペットです。カーペットのデザインは県花やまゆりでしょう。
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 屋上に出て、いつもは見上げるキングの塔を真横から見ます。横浜税関のクイーンの塔、開港記念館のジャックの塔、象の鼻パークから大桟橋を、いつもとは異なる視点で眺めました。
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 昭和初期に流行した帝冠様式と言う現代建築に和風の瓦屋根を載せた造り、塔上には五重塔の頂部の九輪を思わせる作り物が見えます。帝冠様式にはナショナリズムの台頭が背景にあるようです。

 見学会は多少なりとも知見が広がります。好む好まざるに関わらず出かけるべきでしょう。心がけます。

  (2010年5月7日記)

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2010年5月 6日 (木)

路上観察:秦野・震生湖から渋沢・頭高山へ(2010年5月2日)

 2010年5月2日、小田急秦野駅起点、震生湖、渋沢丘陵、頭高山、小田急渋沢駅終点のルートをウォーキングしました。距離12.7Km、歩行時間3時間20分。概要は以下のとおり、詳細はホームページを参照願います。

 震生湖から頭高山に至る渋沢丘陵は静かな緑陰が続き、秦野盆地から丹沢山塊への眺望が開けます。著名な見所はありませんが、震生湖を後にしてからは、時々ハイカーとすれ違う程度で、街中の喧騒とは無縁の世界でした。頭高山周辺は八重桜の里として有名だそうで、盛りは過ぎていましたが名残を観ることができました。

 コース案内標識もよく整備されています。危険な場所もありません。コース途中から渋沢駅に向うルートもあり、コース短縮も可能です。

  (2010年5月6日記)

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2010年5月 3日 (月)

美術:『ダムタイプ・S/N』と『光琳・燕子花図屏風』

 奇をてらった訳ではありません。この2点の作品鑑賞に焦点を絞り展覧会を回りました。観終えて、両者に共通するのは今でも斬新なこと。経た年月に隔たりはありますが。
 結局、森美術館から根津美術館経由で渋谷まで散歩することになりました。

 

  名称    六本木クロッシング2010展:美術は可能か? 
  会場    森美術館(東京六本木)
  会期    2010年3月20日(土)~2010年7月4日(日)、詳細はこちら
  鑑賞日   2010年4月29日

 ダムタイプ「S/N」を観るのが主たる目的。申し訳ないけど他の作品は二の次。

 「S/N」は1993~5年(?)に上演されたパフォーマンス、今回は1994年の記録映像上映。私は1994年12月にライブを観ました。が、あまりの衝撃に全体を良く認識出来ませんでした。改めて観たいと思いビデオ記録を探したのですが未発売のようで、そのままになっていました。

 上映は2時間おき、所要時間80分、途中入場不可、途中退場可。13時上映開始の5分前に到着。受付前で上映時間を確認していたら、「13時の上映を観るなら、場所は順路の後ろの方だから出口から逆行して下さい」と案内してくれました。多謝。

 「S/N」とは、電子工学や通信工学などで用いられる技術用語、信号対雑音比を意味します。マジョリティを信号、マイノリティーを雑音に例えたと思って間違いないでしょう。

 15年を経て観る映像は、やはり衝撃的でした。テーマはエイズ・ジェンダー・セクシャルマイノリティ。さらに伏流としての人種・国籍・障がい者などの少数者差別。映像は極めてあたりまえのことを表現しますが、それを衝撃と感じるのは感じる側に何か弱みがあるからでしょう。

 観る予定の方、観ようと思った方もいるかも知れません。内容にこれ以上踏み込みませんが、一人でも多くの方に観て頂けたら良いと思います。もし興味あれば、以前に私が書いた文書はこちら

 この作品の陳腐化する時があるとすれば、それは全ての人に平和が訪れた時だと思います。そんな時代もあったよねと、思い返せる日は来るでしょうか。

 

  名称    新創記念特別展第5部
        琳派コレクション一挙公開 国宝燕子花図屏風 
  会場    根津美術館(東京表参道)
  会期    2010年4月24日(土)~2010年5月23日(日)、詳細はこちら
  鑑賞日   2010年4月29日

 尾形光琳作・六曲一双の「燕子花図屏風」は、金箔地に群青と緑青の二色のみで描かれ、繰り返しパターンが指摘されるなど意匠性の高い作品です。そのようなスタンピングされた知識は一旦忘れて見入ります。

 細かいところを描き込まない、それゆえ燕子花の群青と緑青の鮮やかさが目にしみます。大きくは二色ですが色調は微妙に変化しています。300年前ほどの作品だそうですが、古さを感じさせることはありません。

 この季節、この作品を観ることのできる楽しさを感じました。

  (2010年5月3日記)

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