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2010年4月

2010年4月30日 (金)

路上観察:大宰府散策(2010年4月19日)

 第13回久留米つつじマーチを終えて、折角の機会だからもう一泊して大宰府散策をすることにしました。泊まりは福岡天神。

 西鉄福岡(天神)駅で大宰府散策きっぷを購入。散策きっぷには、大宰府までの往復切符と天満宮参道の指定店で梅が枝餅・抹茶セットを頂けるチケットが含まれます。他に太宰府天満宮宝物殿拝観などの割引券が付きます。チョピリお徳です。

 出発は9時。15時までに戻るとして6時間行程。およそ30分で西鉄大宰府駅に着きます。

 天満宮参道の裏道を進んで光明禅寺へ、鎌倉時代創建のようです。前庭は大きな石が配された石庭。裏庭は苔・玉砂利・木々の緑、本堂から見ると明暗の対比が限りなく美しい。陰翳も礼賛したい。
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 九州国立博物館の月曜休館は承知済み。外観はうねる波を思わせ、ガラスを大量に使用した現代建築。帰りの飛行機上からも容易に確認できました。天満宮に向うアプローチ(本来は逆だと思います、写真は以前撮影したもの)は虹を思わせる淡い照明が美しい。熱海MOA美術館のアプローチを思い出させます。
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 天満宮には韓国語が響き渡っていました。韓国からの団体客が何組もいて、ガイドが声高に説明していました。そこそこの人出ですが、でも日本人の方が少ないと思えました。
 本殿等は美しく、学問の神様・菅公への厚い信仰を伺えます。樹齢1000年超と言われる飛梅も見事な枝ぶり。花の時期に見てみたいものです。「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」ですね。吉田玉男の 遣う管相丞、蟄居閉門の場面を思い出します。
 参道は賑やか、梅が枝餅・抹茶もおいしく頂きました。
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 観世音寺方面に向う観光客は数えらるほど。というより殆どいません。大宰府天満宮参詣で大宰府散策を終えてしまうかな。大きなお世話かも知れませんが、もったいない。

 観世音寺の完成は746年、七堂伽藍を備えた西日本随一の規模だったそうです。しかし火災や台風のために諸堂を失い、再建されるも現在は講堂と金堂が残るのみです。
 ただし、再建以降に造立された諸仏等。全て重文指定、16・7体の仏像と他の仏教美術品が現存、実に見事で往時の栄華を忍ばせます。仏教美術に興味あるならば、観世音寺を見逃せば大宰府に来た意味の大半を失うと思います。南都諸寺に比しても見劣りしません。
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 すぐ隣に戒壇院、元は観世音寺に含まれていたそうですが今は別寺。鑑真が帰化後、初めて授戒を行った場所だそうです。奈良東大寺、下野(栃木県)薬師寺(現存しない?)と合せて天下の三戒壇。格子越しに堂内を見れば、本尊は重文の盧舎那仏。
 山門前の戒壇石に「不許葷酒肉入境内」、「葷酒肉を帯びたものは境内に入るを許さず」でしょう。「禁葷酒入山門」は方々で見ましたが意味するところは同じでしょう。少し離れて見る戒壇院は、風雪に耐えている感じがします。朝から曇っていてましたが既に雨中、晴れていたらより美しく感じるでしょう。
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 暫らく歩けば都府楼址、大宰府政庁跡。ただの草原と思えばそこまで、「遠の朝廷」と言われた広大な条坊の中心と思えば想像は広がります。広場中央に石碑が3基、その中央に「都督府古址」と刻んであります。
 広場の傍らに小野老「あおによし奈良の都は咲く花の にほふがごとく今盛りなり」の石碑、望郷の念が色濃く漂っています。奈良から筑紫は世界の果てのように思えたことでしょう。調べると、万葉集における筑紫歌壇の占める位置は小さくないようです。
 都府楼址を知ったのは大昔に読んだ「松本清張・時間の習俗」の中。カメラ・フィルムのトリックを使ったアリバイ崩しに迫る内容でした。ディジタル・カメラでは成立しない、時は流れています。
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 出来れば水城まで足を延ばしたかったのですが、予定時間に近づいたこと、雨が降っていたこともあって、早めに西鉄都府楼駅に向いました。
 九州国立博物館を参観するならば、2時間ほど余計に時間が必要です。筑紫万葉のふるさと 太宰府 観光と史跡散策 が大いに参考になります。

 大宰府天満宮参道を出てしまうと食事する場所も見つかりませんでした。ハイシーズンなら状況は異なるかも知れませんが、要注意です。以前散策した時は、JR水城駅から太宰府天満宮に向いました。時間的には昼過ぎに大宰府天満宮付近に到着するので、食事の心配は不要になります。

  (2010年4月30日記録)

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2010年4月28日 (水)

演劇:青年団リンク 口語で古典「武蔵小金井四谷怪談」

   作・演出 岩井秀人(青年団演出部・ハイバイ)

   出演   武蔵小金井四谷怪談
          良子 ------ 荻野友里(青年団)
          太郎 ------ 古谷隆太(サンプル・青年団)
          父 -------- 猪俣俊明
          直美 ------ 端他新菜(青年団)
        落語 男の旅 大阪編
          山内健司(青年団)
          石橋亜希子(青年団)
          猪俣俊明

   会場   こまばアゴラ劇場
   公演   2010年4月17日(日)~4月29日(木)
   鑑賞   2010年4月25日 14:30~16:15

 

・武蔵小金井四谷怪談

 鶴屋南北・東海道四谷怪談の口語訳上演を予想させるけれど、その思いは外れる。時代を現代に設定した軽い感じのコメディ風だが、実は。

 良子と太郎が良子の父の前に現れ、意味深な様子で良子が立ち去る。残された太郎に、父は良子と付き合うなと言って立ち去る。憤慨した太郎はあらぬ方向に石を投げる。が、なぜか石は父に当たり、父は死んでしまう。
 進行に合せて、底本の現代語訳された短い言葉がプロジェクトされる。

 これがテーマの大筋で、そしてヴァリエーションが始まる。両者の差は視点が変わること。テーマは太郎の、バリエーションは良子の。

 音楽ならテーマとヴァリエーションは何も珍しくはないけれど、演劇では記憶にない。その展開に怪談の秘密が内在していた。笑いの中に怖いものが潜んでいた。
 東海道四谷怪談は香りだけ。テンポも良いし、充分に楽しんだ。俳優は皆達者。

 既存メディアに対して、インターネットを基盤にしたフリーライターの情報発信が盛んになっている。ある事柄に対する解釈が大きく異なる場合も少なくない。現代でも怪談ネタはありそう。などと思うのは考えすぎか。

 

・落語 男の旅 大阪編

 現代版廓八景のうち、というと感じか。何か底本があるわけでもないようだが。三人のうぶな男が風俗店に繰り出す様を描く。笑いはしきりに起きるが表層的な表現に対してであって、深い意味があるわけではない。

 仕掛けは三人の出演者が随時、役割を交代すること。ある瞬間にAを演じていた役者が、Bを演じ始める。こちらも達者な役者ばかりだから、それはそれで面白いがそこまでに留まる。しっかりしたテキストで演じたらどうなるか、などと言わずに楽しめば良いのだろう。

  (2010年4月28日記録)

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2010年4月26日 (月)

随想:この人・百話一芸 第8回(2010年4月24日)

 この人・百話一芸は、横浜能楽堂講座と銘打った企画。NHK番組・芸能花舞台司会などを担当する葛西聖司アナウンサーが様々なゲストを迎え、前半で歩んだ道を聞き、後半で至芸を披露してもらう構成。今までに見聞きしたい講座もあったのですが都合がつかず、初めて出かけました。

 今回のゲストは桂春團冶、いわずと知れた上方落語の名人。今まで、その芸に接したことはありませんが、名前は充分に承知していました。

 当日のプログラムは次のとおりです。

  14:00 第1部(40分) お話
  14:40 休憩 (10分)
  14:50 第2部(55分)
       落語 笑福亭喬若
          桂春團冶
       芸談
  15:45 終演予定

 お話で登場した春團冶は薄い灰色の和服。商売物とは言え粋な色です。
 正面、中・脇正面からも顔が見えるように能舞台に緋毛氈を斜めに敷き、その中央に写真投影用のスクリーン、向って右に春團冶、左に葛西アナウンサー。

 

 話題は、初代、二代目の春團冶に触れてから、三代目・現春團冶に移ります。きちっとメモを取れなかったのですが、次のよう話題が耳に残りました。

 浪商を卒業してサラリーマンをしたこともある。落語家になる気はなかった。急に高座に上がったが、修行していないので20分話したら立てなくなった。その後、父である二代目春團冶に入門、その日から師匠と呼ぶ。

 二代目は昭和28年に亡くなり、昭和34年29歳で三代目を継ぐ。その頃、森繁久弥主演の映画がヒットしていて、丁度良いからと襲名を薦められた。29歳にして大きいものを背負ったと思った。(芸のためなら女房も泣かすという)歌のとおりかと言われた(ただし三代目のことではない)。

 当時、上方落語家は8人ほど、そのなかに笑福亭松鶴、桂米朝、桂小文枝などがいた。弟子などはいなかった。ネタを譲り合った。現在、上方には200人ほどの落語家がいて夢のようだ。

 名古屋から東はうけなかった。言葉の違い、反応の速さ。最近は上方のことが判っていて、聴いてやろうという気がある。

 所作の美しさ、踊りはお客さんへのサービス。仕草にも役立っている。若い者に習っておけと言うが、やらないので仕草がばらばら。舞台に出てから入るまでが芸。

 出囃子は野崎、黒門町の文楽も同じで兄弟かと。まくらは振らない。今の若いのはまくらではなく世間話、雑談・漫談になってしまう。

 

 出し物は、笑福亭喬若が「牛ほめ」、桂春團冶が「野崎参り」。聴いたことはありませんが、内容からしてこれであっていると思います。

 生の落語を聴くのは初めての経験ですが、11年目と言う喬若もなかなか達者だと思いましたが、評価の基準は私にはありません。

 春團冶は黄色味が少し入ったかのような白の和服に着替えて登場。話し始めて少しして羽織を後ろに落としますが、この所作がまた粋。
 野崎観音のある慈眼寺へ参詣するのは大阪から船で上ったそうですが、その際に土手行く参拝者と罵り合って競り勝てば幸せを得られるとか。そのような光景が浮かび上がってきます。
 春團冶の芸を云々することなどできる訳がありません。ただ恐れ入って聴くだけでした。落語に限らず極めた芸は、極めた客にしか判らないだろうと思いました。

 芸談は、楽屋にいる囃し方を舞台に呼んで短い解説。演奏で客を送り出してくれました。生の囃し方というのも何と贅沢なことでしょう。

 

 多少長くなりましたが二時間ほどを楽しく過ごしました。ただ、会場がライブのためか、話の聞き取りにくい部分もありました。能楽堂ですから仕方ないでしょう。

 

 次回は7月3日14時~、琉球音楽・三線奏者の照喜名朝一です。詳しくは横浜能楽堂HPを参照願います。私は既にチケットを入手しました。これからは欠かさず出かけようと思っています。

  (2010年4月26日記録)

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2010年4月25日 (日)

音楽:神奈川フィル第262回定期演奏会

  指揮   金聖響

  独唱   波多野睦美(Ms)
  女性合唱 神奈川フィル合唱団   音楽監督  近藤政伸
  児童合唱 小田原少年少女合唱隊  代表・指揮 桑原妙子

  演奏   神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目   マーラー:交響曲第3番ニ長調

  会場   横浜みなとみらいホール(1階C29列24番)
  公演   2010年4月23日19:05~20:45

 

 10-11年度最初、そして金聖響の常任指揮者就任2年目の最初の定期演奏会。今年はマーラー生誕150周年の記念年、10-12年の神フィル定期でほとんどの交響曲が演奏されるそうです。

 最初に取り上げられたのが交響曲第3番、あらゆる交響曲のなかで最も演奏時間が長いと言われ、当日は休憩なしで100分。

 独唱・合唱は最初から登場、児童合唱は第3楽章の途中でオルガン前に登場。オーケストラは大編成でステージ一杯という感じ。

 

 生のマーラー演奏を初めて聴きます。演奏するほうもそうでしょうが、聴くほうだって長いこと緊張を要求されます。しかし、終えてみれば実に感動的な演奏でした。少なくとも私はそう思いました。強いて言えば、第4楽章以降(第6楽章まであります)がより素晴らしかった。以下に気付いた点を。

 

 第3楽章の中間部のポストホルン演奏を楽しみにしていました。弱音器付きトランペットで演奏される場合もあるようですが、ポストホルンが使われました。不安定な楽器のようですが、特に気になる点はありませんでした。演奏者はステージ脇で吹いていたようで、終演後の挨拶に呼ばれて判りました。

 第4楽章でようやく独唱が。1フレーズ聴いて実に魅力的な声だと思いました。ほとんどビブラート無しのしみじみとした歌唱が、実に印象的でした。ソロ・コンサートに行きたいと思ったほどです。いずれ。

 第5楽章でようやく女性合唱と児童合唱が加わります。合唱はこの楽章だけで、ご苦労様といいたいほどです。

 第6楽章はたゆたうような弦楽合奏を主体に進行します。神フィルの弦楽はマーラーの美しさを存分に引き出しました。最後をきちっとしめた感じです。

 

 次回のマーラーは定期ではなく、5月29日14時~、神奈川県民ホールにおける神フィル創立40周年記念演奏会における交響曲2番ハ単調「復活」です。既にチケット入手済で楽しみにしています。

   (2010年4月24日記)

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2010年4月24日 (土)

美術:ランキングで楽しむ石橋美術館(2010年4月18日)

  会場    石橋美術館(福岡県久留米市)
  会期    2010年1月5日(火)~2010年4月18日(日) 終了
  休館日   月曜日
  開館時間  10:00~17:00、入館は16:30分前まで
  入場料金  一般:500円
  鑑賞日   2010年4月18日
  公式HP  http://www.ishibashi-museum.gr.jp/

 第13回久留米つつじマーチ第ニ日20kmコース完歩後、ひと休みして石橋美術館に向いました。会場から徒歩5分ほど、西鉄久留米駅からでも徒歩10分ほどです。

 石橋美術館は、石橋文化センターの中心となる施設。ちなみに東京・京橋のブリヂストン美術館とともに、財団法人石橋財団の運営下にあるそうです。

 石橋文化センターは、(株)ブリヂストンの創業者・石橋正二郎が、1956年、郷土久留米市に寄贈した公共福祉と文化向上のための施設群。美術館の他に石橋文化ホール、石橋文化会館、日本庭園。その他、市民図書館、視聴覚ライブラリーや文化センター共同ホールなどが設置され、一帯は市民の文化や憩いの場になっているようです(写真は美術館正面および背面、背面のほうが実際の色に近い)。
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 当日は企画展の最終日でした。かって実施した来館者へのアンケート結果などにもとづき、石橋美術館のコレクションをランキング形式で楽しんでもらおうという趣旨でした。これが実に興味深かった。

 例えば、作品ランキングのベストテンは以下のとおりです。

   1.針仕事・黒田清輝
   2.海の幸・青木繁
   3.放牧三馬・坂本繁二郎
   4.水浴の前・岡田三郎助
   5.麗子像・岸田劉生
   6.コルトヌリ(靴屋)・佐伯祐三
   7.横たわる女と猫・藤田嗣治
   8.瀑・中丸精十郎
   9.天平の面影・藤島武ニ
   10.素朴な月夜・古賀春江

 私は静謐な感じのする作品が選ばれていると思いましたが、如何でしょうか。久留米市民(とは限りませんが)は静かな作品を好むと思いました。収蔵品の傾向も反映しているのでしょう。

 画家のランキングは以下のとおりです。

   1.青木繁
   2.坂本繁二郎
   3.黒田清輝
   4.佐伯祐三
   5.古賀春江
   6.藤田嗣治
   7.藤島武ニ
   8.岡田三郎助
   9.高島野十郎
   10.岸田劉生

 作品ランキングと似るのは当然かもしれません。青木繁は住んだ家が、坂本繁二郎は生家が、久留米の筑後川沿いにあります。知りませんでしたが古賀春江(男性です)も久留米生まれ、多くの作品が展示されていました。
 回れませんでしたが、美術館後方に坂本繁二郎アトリエがあります。移築されたようです。

 青木繁の部屋では「このはたのいろこの宮」などを、坂本繁二郎の部屋では新収蔵の「能面と鼓の胴」を観ました。
 日本近代洋画主体の収蔵品から、未来へ向かう心を大きく揺さぶられるものはありません。しかし、静かに過去を振り返る、こういう時代を経て今に至ったことなどを思えば、これらもまた重要な宝ものと感じました。温故知新などは、こういうときに用いる言葉と思えます。

  (2010年4月24日記)

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2010年4月23日 (金)

路上観察:柳川の川下り(2010年4月17日)

 第13回久留米つつじマーチ第一日20kmコース完歩後、会場で一休みしてから柳川の散策に向いました。西鉄久留米駅から西鉄柳川駅までは特急で20分弱。

 柳川と言えば、川下り、北原白秋、テニスの柳川高校、うなぎ・どじょう、と限られた知識しか持ち合わせがありません。まずは散策というか川下り。

 川下りを業とする企業はいくつもあるようですが、西鉄柳川駅構内に案内所のあった某社を利用しました。コースは、白秋生家近くの沖の端まで4.5km、所要時間約70分、料金大人1500円。案内所前で待つとやがて自動車で近所の松月乗船場へ送ってくれました。
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 14・5人が乗り合ったドンコ船。船べりを背にして足を投げ出した格好で、左右交互に座ります。川下りと言いますが、水路中に自然の川の部分はわずかで、残るは人工の掘割りとの説明がありました。乗船場あたりの水深は1mほどでしょうか。

 乗船場から少し進むと自然の川・二ツ河に突き当たり左折。暫らく進むと右手に城堀水門が見えます。城堀水門は場内に入る唯一の水門。名前から判るように、これ以降、柳川下りは柳川城防御の堀割りを進みます。

 左写真のドンコ船は城堀水門から二ツ河に出てくるところ、右写真二枚は城堀水門に接近したところ。
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 石積の手前に縦の溝が彫ってあることに気付いたでしょうか。ここに板を嵌めて、河のどこかの堤防を切ると、場外だけ水浸しになって外敵の侵入を防げるそうです。
 城堀水門の橋は幅、高さともに大きいほうです。この後いくつもの橋を潜りますが、ドンコ船一艘が通れる幅、客が頭を少しかしげるようなところもあります。

 ゆったり川を下ります。左右から樹木がせり出すなかS字型に蛇行、極めて美しい部分。
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 柳川高校脇を通り過ぎます。テニスコートから元気な声が響いていました。
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 端午の節句の幡が靡いていました。
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 作家・壇一雄の記念碑もありました。残念ながら読んだことがありません。女優・壇ふみの父親といった方が通りが良いでしょうか。
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 殿様・姫様の乗船場。ここを上れば城内なのでしょう。
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 下船場付近、右手に水天宮が見えます。進行方向、堀の突き当たりる数十m先が北原白秋生家です。
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 北原白秋生家は造り酒屋、当時は立派な佇まいであったことがうかがえます。その後、変遷はあったようですが。
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 下船後、自動車で駅まで送ってくれるサービスもありました。私たちは、堀に沿って歩いて戻ることにしました。乗船している時とは異なる風景が展開して一興でした。壇一雄碑の前を通りました。碑面はどういう意味でしょうか、寂しさを感じます。
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 多少、道に迷いながら西鉄柳川駅前に戻りました。駅前の店で、柳川鍋と奮発して特上うなぎ蒸篭蒸し、各一人前を二人で分けて。それとビール。美味。

  (2010年4月23日記録)

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2010年4月22日 (木)

路上観察:筑前の小京都・秋月(2) (2010年4月16日)

 杉の馬場に突き当たるとそこは中間辺り、右折(南向き)。すぐに秋月城址の石垣、城址には秋月中学校。
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 進むにつれて、秋月城の正門であった瓦坂、裏手門として使用されていた長屋門、黒門が現われます。黒門は、秋月の背後にあった古処山城の搦手門から秋月城の大手門、そして今の場所に移されたようです。黒門の後ろに続く石段を上ると秋月藩初代藩主長興の200周忌を迎えるにあたり神霊を祀った垂裕神社。
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 500mほど一直線に続く杉の馬場を戻るようにしてバス通りに向います。両側は、明治38年ごろに植えられた桜並木、花盛りは見事と想像に難くありません。今は葉桜、人影もまばらで「静寂」という言葉がしみじみと感じられます。こういう感覚は久しくありませんでした。

 立ち寄りませんでしたが、秋月郷土館(稽古館跡)や秋月美術館、土産店が左右に並びます。もちろん、そこも人影はまばらです。

 目鏡橋が架かる野鳥川の上流に架かる野鳥橋を渡るとバス通り、野鳥橋バス停。目鏡橋バス停から途中に秋月バス停を挟んで野鳥橋バス停、この間が700mほど。

 バス通りを左折(西向き)、少し先の角を右折(北向き)すると、進行方向に寺院の固まった一角が広がります。全ては回れませんでしたが。

 長生寺、さして広くない境内で子どもたちが、鐘楼の基壇をゴールにしてサッカーをしていました。大らかな感じです。
 山門を潜る時、右側の「立春大吉」の札に気付きました。立春の日の朝、禅寺ではこの札を門に掲げるとのこと、鎌倉の寺院を回ったのですが見つかりませんでした。そのような訳で、この札を見つけて嬉しくなりました。左側には「鎮防火燭」の札が。これは知りませんでしたが、火難を防ぐ意で清明節に貼り付けるようです。
 すなわち立春貼付と清明貼付。季節を感じ、注意喚起する工夫だったのでしょう。山門だけでなく、本堂、庫裏にも掲げてありました。
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 古心寺、黒田家菩提寺。奥手に塀で囲まれた黒田家墓所があります。歴代藩主たちの立派な墓が並んでいます。秋月は黒田家の支藩、福岡にある黒田家墓所よりは全体的にこじんまりしていますが、それでも殿様の権勢を知ることができます。
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 実際は回り順を間違え、この後に武家屋敷久野邸に行きました。道ですれ違ったおばあさんに「そこを上がってみないさい」と言われたのが時櫓跡。小さな社があるだけですが、少し高みで秋月の町が見渡せます。
 秋月藩として栄え、今再び静かな秋月に戻りつつあるようです。広場と見える所は、境界が田畑にしては不釣合いな立派な石垣であることから、武家屋敷跡と知れます。
 左写真の後ろに見える山々の中央辺りが山城のあった古処山だと思います。
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 目鏡橋バス停に戻り、甘木行きのバスを待つ間、前の売店でコーヒーを頂きます。「静かなところですね」「寂しいところですよ」、旅人と住人の差です。そして、現実と小説世界を行き来した半日でした。「葉室燐著・秋月記」をもう一度読み直そうか。

 バスを西鉄甘木駅で下車、西鉄甘木駅から西鉄久留米駅は30分ほどでした。

  (2010年4月22日記録)

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2010年4月21日 (水)

路上観察:筑前の小京都・秋月(1) (2010年4月16日)

 第13回久留米つつじマーチ参加のため前日の06時過ぎに横浜の自宅を出発、筑前の小京都・秋月経由で久留米に向うことにしました。福岡空港~JR博多駅~JR基山駅~甘木鉄道・甘木駅を経由し、甘木観光バスで秋月に12時40分到着。

 秋月は全国に散在する小京都の一つ、以前読んだ小説「葉室燐著・秋月記」の舞台。惹かれるものがあり機会あれば訪れたいと思っていました。

 秋月の町を南北に分けるようにバス通り。町中にバス停は三つありますが、甘木から向えば最も手前(西寄り)の目鏡橋下車、ここを散策の起点・終点にしました。なお三つ目のバス停までの距離は700mほど、徒歩10分ですから町の大きさの見当はつくと思います。

 

 バスを下車すると目の前が目鏡橋。眼でなく目で正しいのですが、1810年に架けられた石橋。洪水にも壊れない丈夫な橋を架けるために長崎から技術者を招聘したそうです。「秋月記」に架橋の様子が描写されています。史実と小説が交錯します。
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 バス通りを少し進んで右折、少し歩くと西念寺。門前の案内に「本殿裏には、藩校稽古館の教授を務め監視人としても知られる原古処、その娘采蘋などの墓がある」と記されています。それ以上の案内はなく、一基づつ墓碑銘を確認します。一番高みにありました。二人は「秋月記」の登場人物。左写真は中央奥が古処、手前が采蘋の墓。右写真は古処の墓。
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 元の道を進んで突き当たりを左折、秋月城址方向に向います。
 途中、少し脇に折れると、秋月藩藩医にしてわが国種痘の創始者である緒方春朔邸跡の案内(のみ)。
 あるいは武家屋敷・久野邸。高級武士と説明がありますが、実に立派な家構え。一部二階、離れがあり、庭に水を引き込んだ小川。開け放ったふすま越しに奥庭の赤いつつじ。陰影礼賛、日本間の美しさを堪能できます。残念ながら写真なし。

 道を進めば、やがて桜の名所杉の馬場に突き当たります。
 杉の馬場は秋月城址の堀に沿って南北に延びます。城まで続く直線道路は武士たちの登城や馬術の稽古に使用されたそうです。江戸時代には杉並木だったため「杉の馬場」と呼ばれるようですが、今は桜並木。花見時は大層な人出で混雑するそうですが、当日はひっそりしていました。
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  (2010年4月21日記録)

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路上観察:第13回久留米つつじマーチ・第2日

1.年月日  : 2010年4月18日
2.コース  : 20Km・高良山城・北麓コース(正味21.5Km)
3.所要時間 : 4時間23分(8時30~12時53分)、休憩40分を含む
4.通過地点 : 久留米市中央公園~石橋文化センター~久留米森林つつじ公園~
        久留米百年公園~久留米市中央公園

5.案内   :

 第2日も20Kmコース参加です。今日も良い天気、夜になって天気が崩れるような天気予報でしたがマーチングに影響はないでしょう。スタート・ゴール地点は第1日と同じ久留米中央公園。

 8時30分、久留米陸上自衛隊のブラスバンドに送られてスタート。今日も一団の後方に付きます。
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 歩き始めて5分ほど過ぎたところで石橋文化センター前を通過。
 石橋文化センターは1956年、(株)ブリジストンの創立25周年を記念して創業者・石橋正二郎が久留米市に寄贈した施設。石橋美術館、文化ホール、日本庭園などがあり市民憩いの場となっています(ゴール後に改めて散策しました)。

 このあと著名なポイントは高良山の久留米つつじ公園。市街地から住宅街、農耕地を通過して高良山南麓に進みます。
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 急な坂を登って高良山のチェックポイントを目指します。所々で見事に咲いているつつじを見かけますが、全体的には5・6分咲きといった感じ。チュックポイントは展望台下に設けられていて視界が開けません。
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 高良山には南北朝のころ山城が築かれたそうですから、展望台からは筑紫平野の一望できると思います。筑紫次郎の雄大な流れが確認できるでしょう。残念ながらコースはチェックポイントから山を下ります。

 長い坂を下り、北麓の農耕地から住宅地、市街地を通過してゴールを目指します。途中、筑後国府跡の石碑を見かけましたが、周囲は野原のままで発掘された様子はありませんが、あるいは発掘してから埋め戻したか。
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 ゴール直前の河川敷に久留米百年公園が広がり、つつじ祭りの人出で賑わっていました。12時53分ゴール。
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 所要時間4時間23分は、昼食時間を考慮すると第1日とほぼ同じです。しかし、標高300mほどですが山の上り下りが含まれることを思うと、第1日よりは少し早いと言えそうです。まあ早いことは自慢になりませんけど。
 運営は第1日同様、申し分ありません。二日間、気持ちよく歩かせて頂いたことに感謝。

  (2010年4月21日記録)

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2010年4月20日 (火)

路上観察:第13回久留米つつじマーチ・第1日

1.年月日  : 2010年4月17日
2.コース  : 20Km・日本三大火祭鬼夜・大善寺コース(正味20.6Km)
3.所要時間 : 4時間16分(8時30~12時46分)、休憩25分を含む
4.通過地点 : 久留米市中央公園~寺町~筑後川堤防~梅林寺~
        全国総本宮・水天宮~御塚・権現塚古墳~久留米商業高校~
        久留米市中央公園

5.案内   :

 ≪地球を歩こう!≫をテーマにした第13回久留米つつじマーチ、第1日は20Kmコース参加です。朝のTVニュースで東京・横浜は雪が降っているとか、しかし久留米は快晴。雨もまた自然、雨仕度もしていますが、それでも天気は良いほうが嬉しい。

 スタート・ゴール地点の久留米中央公園は西鉄久留米駅から徒歩10分ほどの距離。誘導のボランティアさんと挨拶を交わしながら公園に向かいます。二日間を通して知ることになりますが、公園周辺には文化施設やスポーツ施設があり、さらには河川敷の百年公園まで連続して市民憩いの空間になっているようです。

 

 参加手続きを終え、ゼッケンをつけて準備完了。全員でストレッチ、激がとんで8時30分にスタート。 いつものことながら私達夫婦は遅れない程度に会場に向いますので、列の後尾近くに着きます。初めのうちは市街地を団子状態で進みます。
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 2Km付近で寺町通過。山門から見る境内の緑が美しい。多くの寺が並びます。そのうちのひとつが遍照院、高山彦九郎の墓があると案内されていますが、残念ながら通過です。
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 3Km過ぎの筑後川つつじ公園。この後も各所でつつじを見かけましたが、ここは満開。筑後川沿いの広々とした空間と相俟って実に美しい風景です。
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 タイヤメーカー・ブリジストンは久留米が発祥の地、その広大な久留米工場脇を進みます。

 5Km付近の梅林寺。久留米藩歴代の菩提所。見事な彫刻の施された唐門を見て、境内を通過します。この付近に画家・坂本繁二郎生家があるのですが、残念ながらコースから外れています(10kmコースは通過)。
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 6Km手前の水天宮。筑後川に接して鎮座します。ここは全国総本宮、平たく言えば全国水天宮の元締。筑後川水運と関係していると思うのですが、縁起などは目につきませんでした。
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 11km過ぎの御塚・権現塚古墳。近づきすぎて全体を確認できません。広場で子ども達が太鼓をたたいて歓迎してくれました。
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 17km手前の久留米商業高校。高校野球でその名を知りますが、前庭に休憩所が設置されています。接待のぜんざいは実に美味、少し疲れた身体に元気が蘇ります。昼食が配布されましたが、ゴール後に食べることにして休憩のみで出発。
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 12時46分、久留米中央公園にゴール。
 例によってビールで喉を潤し、手に提げてきた弁当で遅い昼食。ステージでは市民モデルによる久留米がすりを素材にしたファッションショーなどが催されています。
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 所要時間4時間16分は早すぎます。以前より歩行速度が上がっていることもあります。コースは起伏がほとんどなく、寺町を過ぎたころから集団が崩れて早めにマイペースで歩けたことも影響していそうです。

 コースは、市街地と農業地域を6対4ほどの感じで通過しました。休憩所は久留米商業高校を含め数ヶ所あって、飴や飲料の接待がありました。要所要所のコース誘導も的確でした。いつものことながら歩かせて頂いているとの思いを強くします。

  (2010年4月20日記録)

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2010年4月19日 (月)

太宰府にて

太宰府にて
太宰府を巡っています。
光明禅寺、天満宮を拝観。これから都府楼址に向かいます。
写真は天満宮です。

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2010年4月18日 (日)

久留米つつじウォーク第二日番外

久留米つつじウォーク第二日番外
会場から五分ほど歩いた所にある石橋美術館に寄りました。
青木繁の「海の幸」「このはたのいろこの宮」はここの収蔵品です。

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久留米つつじウォーク第二日

久留米つつじウォーク第二日
12時55分ゴール。20km完歩。
写真は会場のテント村、特産品などを販売しています。

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久留米つつじウォーク第二日

久留米つつじウォーク第二日
11時15分過ぎ、15km手前で休憩・昼食。
写真は8km付近、高良山山中にて。

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久留米つつじウォーク第二日

久留米つつじウォーク第二日
今日も快晴。出発式開催中。8時半、20kmを歩き始めます。

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2010年4月17日 (土)

久留米つつじウォーク・番外

久留米つつじウォーク・番外
柳川に足を延ばしています。久留米から西鉄特急で二十分ほどです。
舟の艫を打つ波の音が何とも美しい。

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久留米つつじウォーク第一日

久留米つつじウォーク第一日
12時45分、ゴール。20km 完歩。

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久留米つつじウォーク第一日

久留米つつじウォーク第一日
11kmすぎ、小休憩。

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久留米つつじウォーク

久留米つつじウォーク
快晴。つつじウォーク20km参加、これからスタアト。

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2010年4月16日 (金)

筑前の小京都・秋月より(2)

筑前の小京都・秋月より(2)
黒門、周りの深緑との対比が鮮やかです。
桜の時期は大変な人出だそうですが、今は静かさに包まれています。

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筑前の小京都・秋月にて

筑前の小京都・秋月にて
今朝横浜を出発、只今筑前の小京都・秋月に到着しました。所要六時間半。
これから散策、まずは目鏡橋です。眼でなく目だそうです。

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2010年4月13日 (火)

随想:ゆく春を惜しんで(201年04月13日)

 俳句・短歌に代表される短詩型文学を鑑賞すると、言葉少ないがゆえか、自分の思いの広がることがあります。もちろん、それ以前に打ちのめされてしまうことのほうが多いのですが。

 ふと読み返した「歌仙の愉しみ(*1)」の「鞍馬天狗の巻」の最後の三句に、なにか懐かしい思いのする春を見つけました。

   春     だいじに摘んだ萌ゆる早蕨     信
   春(花)  西行のえにしの寺の夢しだれ     乙
   春     大和へゆくと切符買う春      玩

 これは連句という短詩型、長句(五七五)と短句(七七)を交互に連ねます。しりとり遊びは、前の語の最後の音を次の語の先頭につけて続けます。が、連句は前の句の雰囲気を見定めて、物語を紡ぐように次の句を展開します。

 早蕨から志貴皇子「石激る垂水の上の早蕨の 萌え出づる春になりにけるかも」に繋がります。実際に詠まれた場所を知りませんが、私は大和・飛鳥の小さなせせらぎが思い浮かびます。

 西行のえにしの寺とは近つ飛鳥の弘川寺(ひろかわでら)、西行終焉の地、辞世「「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」や「ほとけには 桜の花をたてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば」が思い浮かびます。
 関西居住のころ、四月初めに何回となく訪れました。桜には少し早いのですが、それだけに人は少なく、静寂さに包まれました。(写真は、弘川寺と西行墓、2002年3月31日)
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 吉野へは二度出かけました。奥千本の西行庵まで行きましたが、二度とも四月下旬で桜の盛りには少し遅かった記憶があります。今、吉野は中千本の桜が満開とか。時間的には自由になりましたので、今すぐにでも切符を買って旅立ちたい思いがします。ただ、別の旅行を計画しているので今年は無理です。

 今春は、気温がジェットコースターのように急上昇・急下降、あるいは冬に戻ったかのように変化しました。それでも咲き誇る桜をあちらこちらで見ました。でも今ひとつ堪能した気持ちから程遠いものがあります。

 横浜の春はそろそろ終わりです。ふと読み返した本の中に屈託のない春を見つけました。鬼が笑うかも知れませんけど、来年四月は吉野行だと早くも決めました。

  *1 引用 「歌仙の愉しみ」大岡信・岡野弘彦・丸谷才一、岩波新書・赤1121
  *2 参考 「連句入門 芭蕉の俳諧に即して」東明雅著、中公新書508

 

 以下は連句に関する受け売りです。興味があれば先に進んでください。

 歌仙は、長句と短句を36句続ける形式。他に50句続ける五十韻、100句続ける百韻などがあります。連句を作ることを巻くと言いますが、一人で巻くのが独吟、二人が対吟、三人が三吟。通常は複数。

 引用は歌仙の名残の裏、31~36句目から。歌仙の場合、懐紙二枚を二つ折にして束ね、一枚目が初折、二枚目が名残の折。各々表裏があり、1~6、7~18、19~30、31~36句を記します。実際の折り方はもう少し細かいようですが。

 最後の句が挙句。「挙句の果てに」の語源です。すなわち、巻くのが楽しくて、37、38句とはみ出してしまうこと。
 ちなみに、最初の句が発句、後にこれが独立して俳句に至ります。

 連句を続けるためのルールが式目。その一つが、歌仙の場合はニ花三月。花を詠み込んだ句を二つ、月を詠み込んだ句を三つ、特定の場所で出すこと。展開に変化をもたせる工夫でしょう。連句における最も華やかな部分。
 ちなみに「花を持たせる」の語源。すなわち、華やかな部分であるゆえ、お客様や長老にその場所を譲ること。

 見たところ連句と全く同じ短詩型に連歌があります。連句とは俳諧味を帯びた連歌のこと。俳諧とは、こっけいとか、面白みを帯びたという意。
 確か大岡信の著書中に「これを知って目の上のうろこが落ちた」と書いてありました。それを見た私も目の上のうろこが落ちました。随分と前のことです。

 私は実作したこともなく、底は浅いのですが、それでも時々鑑賞して楽しんでいます。もしこれ以上に興味をもたれた方は参考文献やインターネットでいろいろ調べて下さい。

  (2010年4月13日記録)

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2010年4月11日 (日)

横浜掃部山、今春見納めの桜

横浜掃部山、見納めの桜

 散歩途中。今春、何回となく掃部山の桜を見にきました。でも、今年は今日で最後でしょう。お花見の人がちらほら。 

 「木のもとに 汁も膾も 桜かな  芭蕉」、と言う感じです。

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読書:最近の読書から(2010年4月11日)

1. 『思い出袋』
    鶴見俊輔著、岩波新書・赤1234、760円+税

 短い後書きから、7年間にわたり「図書」に連載されたエッセーの集成と判る。思い出袋から取り出された話題は、長い年月の間に繰り返されるものもある。より深い思いがあるのだろう。

 碩学の思いを受け留めて、今後、自分の考えるよすがとしたい。念のため二箇所を引用して、記憶に残すこととする。

 『イラクの戦争被害をやわらげにいった三人の日本人が、現地で人質になり、やがて開放されたが、日本政府に迷惑をかけたという声が高くなり、国会では、「反日分子」として追及する議員が出た。・・・・・
 なぜ、日本では「国家社会のため」と、一息に言う言い回しが普通になったのか。社会のためと国家のためは同じであると、どうして言えるのか。国家をつくるのが社会であり、さらに国家の中にはいくつもの小社会があり、それら小社会が国家を支え、国家を批判し、国家を進めてゆくと考えないのか(P51~P52)』

 『勤め先の広島で原爆にうたれ、歩いて故郷の長崎にもどってそこでふたたび原爆を落とされて生き残った人は、「もてあそばれた気がする」と感想を述べた。この感想から日本の戦後は始まると私は思うが、その感想は、国政の上では、別の言葉にすりかえられたままである(P163)』

 反日分子とされないために、もてあそばれない為に、変わらなければならないの国民か、それとも国家か。人質になったTさんらは、私(あるいは多く)の到底及ばない立派な活動をしていると思っているのだが。

  (2010年4月11日記録)

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2010年4月10日 (土)

舞踊:Crackers boat「flat plat fesdesu」

  出演   Crackers boat

  会場   駒場アゴラ
  公演   2010年4月7日(水)~4月13日(火)(日によってA・B・Cプログラム)
  鑑賞   2008年4月8日19時30分~21時20分(休憩15分)

 駒場アゴラの2010-2011会員になりました。公演ごとにチケットを購入するより廉価ということもあるのですが、それより選択せずに多くの公演を観ようとの思いが強くあります。

 今回公演の内容詳細を確認しませんでしたが、会場には若い女性が随分多い。何となく場違いなところに来ている思いもしましたが、そんなの関係ない。

 開演して理由はすぐに判りました。ヒップホップ系等のダンスが繰り広げられました。当日はBプログラム、次のユニット、ソロが出演しました。

 

1. CRUSH THE TYMKS 「all OK,far from OK」

 女性3人、ヒップホップ系。若くて弾んでいる様子。技術・構成を伝える言葉を持たないのですが、強いて言えば多少ラフかな。

2. 牧宗孝「unknown」

 男性1人、モダン系?。女装、何か知的な印象を受けました。知りませんが、既に実績ある方のようです。

3. 田畑真希×大江麻美子 「3,の回」

 女性2人、モダン系?、うまいと思いました。どういうところがと言われると答えに窮するのですが、まあ舞台慣れしているというか。二人も既に実績あるようです。

4. Paniyolo

 本日唯一の音楽。最初と最後がソロで、途中3曲がギターのサポート一人。打ち込み音源とギター(エレクトリック、アコウスティック持替え)あるいはピアニカ使用。穏やかなメロディ、ヒーリング音楽なのか。私は、強く興味惹かれることはありませんでした。

5. KENTARO!!「夕べのこと」

 男性1人、ヒップホップ系。シャープであり、随分と手馴れた踊りと思えました。それがいやみっぽく思える部分もありましたが。今回公演のアイディアを創った方です。

 

 正確に計時していませんが各々20分前後。この時間は長いのでは、いくら若くてもきついでしょう。内容的に休んでいるのではないかと思われる部分もあります。普通、どの位の持ち時間で踊るのでしょうか。

 内容を予想せずに出かけたのですが、結構楽しめました。ライブは良いです。
 これらを映像で観るとしたら、私は耐えられないと思います。映像は何かを取りこぼしてしまうのでしょう。映像を否定するわけではありませんが、それなりの尺度をライブで作っておかないと、判断を間違えるように思えました。若者文化しかり、政治しかり。って、判ったようなことを言っていますが。

  (2010年4月10日記録)

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2010年4月 8日 (木)

演劇:M.M.S.T『女中たち』

   演出   百瀬友秀

   原作   ジャン・ジュネ

   音楽   加藤里志(サクソフォン)

   配役   (女中・クレール) -------- 豊田可奈子
        (女中・ソランジュ) ------ コロ
        (奥様) ------------------ 田中秀彦

   会場   横浜美術館レクチャーホール
   公演   2010年4月6日(火)~4月7日(水)
   鑑賞   2010年4月6日 19:00~20:30(休憩なし)

 

 開演前、舞台中央で女二人が動き回っている。部屋の片付けのようだ。

 三分割した黒幕が舞台後方に下がっている。各中央に長方形の切欠き、人が充分通過できる大きさ。下手切欠きでは赤い漢服風の衣装の男が化粧している。上手切欠きにはサキソフォン奏者。

 飾り気のない額縁が舞台前方の中空に浮かぶ。部屋奥の窓。すると中央黒幕の切欠きは部屋の出入口。部屋の主の手がかりは見当たらない。

 開演。会話から女二人は奥様と女中。奥様は白、女中は黒の漢服風の衣装。名前の言い間違えから、奥様がクレール、女中がソランジュ、女二人は芝居していると判る。さらに奥様は赤いドレスを着るとの話から、下手切欠きの男が真の奥様と知れる。
 ただし配役は明記されておらず、私が当てはめた。原作より錯綜しているようだ。

 

 会話が始まった途端に鈴木忠志風の演出と判る。
 原作が話劇の様相を呈するので台詞回しが特に重要。物を食べながらだったり、部分的に早口の言い回しがあったりする。重厚感はあるし声量も充分。ただし鮮明さが不足する。台詞が充分に伝わらない。原作を理解していないとつらい。

 真の奥様が最初から登場しているのはクレールの分身か。台詞と演技の分担のように思えるが、理由は後で判る。化粧の様子から「Dumb Type・S/N」の古橋悌二が思い浮かんだ。

 

 真の奥様が中央に登場。顔に異形の化粧。クレールに向って「頬紅など付けて」。真の奥様とクレールが重なる。「書き物机の鍵、誰かいじった」。咎めるでもないが皮肉の込もった会話。やがて旦那が刑務所から保釈になるとの電話のあったことを伝えられる。タクシーを呼んで、旦那の待つ場所へ出かける。

 真の奥様の登場で、二人の行ないが実は芝居だったことが明白になる。それは憂さ晴らしであり、彼我の格差への抵抗でもあるようだ。 
 

 
 終わりに近づいてクレールが紙片(手紙?)を読み上げる。「支那」「四書五経?」など中国に関係する言葉、ただし意味を理解できなかった。原作にない、恐らくここがポイント。出演者の漢服風の衣装がここに通じるのだろうが、肝心なところが判らなかった。
 それとも聞き間違いか。鈴木忠志風の演出ゆえに、別の世界の見立てと思えば聞き間違いでも無さそうだ。肝心のところを聞き漏らした。

 音楽。セミフォーマルの衣装、ソプラとテナー?のサキソンフォン持替え。
 演奏曲は「ランダムなフレーズ」「イムジン河」「オッフェンバック:天国と地獄・序曲より」「?」「バッハ;無伴奏チェロ組曲第1番プレリュード」「賛美歌・いつくしみ深き友なるイエスは」「愛の賛歌」。
 多分これで網羅。デフォルメされて演奏、選曲に意味はあるか。背景音楽と認識したが、とすれば台詞にかぶって聴き取りにくい部分もあった。「more dolce please」。

 

 この戯曲に鈴木忠志風演出は如何か。軽やかな演じ方もあるように思う。台詞がしっかり伝わることが第一。出演者はみな達者なのだから。

  (2010年4月8日記録)

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2010年4月 7日 (水)

音楽:みなとみらいクラシック・クルーズ (2010年4月6日)

  「みなとみらいクラシック・クルーズ」とは、横浜みなとみらいホール主催の小さな音楽会です。小さなとは、演奏時間が40分ほどであること、価格が800円であることの形容です。内容は、40分の制約の下でとても充実したものです。会場は大ホール。

   正確に言うと、12:10~12:50の「ランチタイム・クルーズ」と14:30~15:10の「ティタイム・クルーズ」があって、各回が800円、通し券は1400円とさらに割安です。

   と力んでみても、「みなとみらいクラシック・クルーズ」に出かけたのは初めて。以前より認知していましたが、今まで出かけるタイミングを逸していました。

   私が聴いたのは「ランチタイム・クルーズ」で、神奈川フィルの弦の首席奏者たちとピアの組み合わせで、プログラムは次のとおりでした。

     1.J.S.Bach 無伴奏チェロ組曲第6番より
        (プレリュード、サラバンド、ガボット)    山本裕康(vc)

     2.シューマン おとぎ話の挿絵   柳瀬省太(va)、諸田由里子(p)

     3.ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」
        (第2楽章を除く)   石田秦泰尚(vn)、諸田由里子(p)

  神奈川フィル演奏会で各々を認識していますが、ソロ・室内楽を聴くのは初めて。
  チェロ、生で聴くのは良い。朗々と響いて何で3曲なのと思いました。
  ビオラ、目立たない楽器、そのせいでもないでしょうが誠実な演奏と思いました。
  ヴァイオリン、ソロコンサートマスターは実に繊細だと思いました。天候不安定ですが、音楽の「春」は実にクリアでした。コンマスは時々、独奏があるので多少承知していますが。

  今後の予定は次のとおりです。詳しくはみなとみらいホールホームページを参照願います。クラシックコンサート未経験の方、まずはコンサートデビューにいかがでしょうか。

     5月13日  都響のメンバー×ギター 弦が奏でるコラボレーション
     6月01日  女流ヴァイオリニストシリーズ
     7月08日  N饗メンバーをはじめ室内楽の名手たちによる名曲の数々
     8月04日  クラリネットのしなやかな音色を堪能できるラインナップ

  お客さんの入りは、全部寄せれば1階席は完全に埋まると思うので、1000人以上でしょう。模様替えの時に、山本裕康が短時間話したのですが「神奈川フィル定期よりお客さんが多い」、半分冗談・半分本気と思いました。ガンバレ神奈川フィル。

    (2010年4月7日記録)

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2010年4月 5日 (月)

常識って!?:若林元農相の不正投票に関する疑問

 若林元農相の不正投票は既に過去のことになったような感じですが、私には疑問が残ります。

 

 asahi.com によれば、投票行動は『本人が着席し「氏名標」という自身の名前が書かれた立て札を立てると、ボタンが押せる』となっています。しかし『本人が着席し』と『自身の名前が書かれた立て札を立てる』は間違いでしょう。なぜって、本人が着席していないのに投票できた訳ですから。

 ゆえに「氏名標を立てると、ボタンが押せる」とすべきで、本人等は必要はありません。

 

 投票動作は「氏名標を立てる」と「ボタンを押す」の二動作です。ここが疑問のポイントです。

 すなわち
  (1) 若林元農相は「氏名標を立てて」「ボタンを押した」のでしょうか。
  (2) 「氏名標は既に立っていて」、若林元農相は「ボタンを押した」だけなのでしょうか。

 (1)の場合、若林元農相個人の意志で不正投票したと言えそうです。
 (2)の場合、氏名標の本人が離席しても氏名標が立っていた。すなわち暗黙裡に若林元農相の不正投票が要請されたと思うことも可能です。

 

 10回の不正投票にどの位時間を要するか判りませんが、ちょっと離席した程度の時間で済んでしまうものでしょうか(参議院HPに議事録はまだ未掲載)。
 氏名標を倒すのは誰が行うのでしょう。本人が倒すのであるならば、離席しているのに氏名標が立っていること自体がおかしい。

 (1)の場合、疑義は解消しそうです。(2)の場合、ベテランと言えども本人の氏名標の倒し忘れも有得る(そんなこと無いとも思えますが)ので、誘引があったうえでの若林元農相の不正投票であるか否か、明確にはなりません。

 国会も、報道も、あっさりと収束したかのようです。つつけば深みにはまる、それを避けたと勘ぐる思いがある訳ではありませんけど。

  (2010年4月5日)

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2010年4月 4日 (日)

路上観察:横浜市中桜巡り(2010年4月3日)

 掃部山公園、今は日米修好通商条約締結を進めた幕末の大老・井伊掃部守直弼を記念する場所です。普段は人も少なく、一段低い遊具のある広場で子ども達が遊んでいますが、桜の下では。
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 京浜急行日之出町駅から右側歩道を伊勢崎町方面に向かい、最初の橋の手前の道、右折してすぐの所に「長谷川伸生誕の地」の碑があります。川は大岡川で、詳しくは次に続きます。
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 大岡川は、横浜市南部の磯子区氷取沢町に端を発し、市中を流れJR桜木町付近で横浜港に注ぎます。下流部は桜並木が続きます。
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 横浜根岸の森林公園は、街中に残された憩いの場です。先に梅の便りを届けましたが、桜も見事なものです。普段も運動したり、休息したりする人がそこそこにいますが、桜の時期は。
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 横浜本牧の丘陵地に広がる本牧山頂公園、普段より少し多い人がいるように思えました。しかし他に比べていつもの静寂を保っています。良い公園ですが近所の人が散歩にきているような感じです。
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  (2010年4月4日記)

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2010年4月 3日 (土)

路上観察:横浜・石崎川の桜(2010年4月1日)

 横浜駅付近で東京湾に注ぐ帷子川、その支流である石崎川沿いの数百mは隠れた桜の名所と言えます。

 目印は戸部警察署、管内に横浜駅西口・東口、みなとみらい地区を含みます。戸部警察署は、国道一号線を下り、横浜駅東口を過ぎ、左折すれば伊勢佐木町方面に向う高島町交差点を過ぎて数100m先右手です。石崎側はその裏側を流れます。

 かってこの川沿いに旧国鉄官舎、その後のJR社宅が一直線上に並んでいました。さらに時代を遡ると東海道本線が走っていました。なんて見てきたようなことを言っていますが、下図(出展:加藤祐三編『横浜 いま/むかし』横浜市立大学、1990年)の大正4年の位置に相当します。
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 かって車窓から桜が見えたか見えないかは定かでありません。桜の木はかなり古そうですが、100年以上の樹齢があるか否か、それはわかりません。まあ写真ですが、何となく因縁のありそうな花見を楽しんでください。

 写真左、戸部警察署裏の橋上から西向きに撮影、電車は京浜急行、正面のマンションは、かってJR社宅が建っていました。写真右、少し位置を変えて。
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 写真は戸部警察署裏の橋上から東向きに撮影、右手のマンションは、かってJR社宅、新幹線乗務員用だと聞きました。正面の橋は敷島橋、開港当時、東海道神奈川宿と開港場を結ぶ横浜道上にかかっています。正面赤いビルの右手が高島町辺り、2代目横浜駅遺構が見られます。マンション工事で発掘されたようです。
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 写真は敷島橋を反対側から撮影。左手のマンションは上の写真に写るマンション。
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  (2010年4月2日記)

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2010年4月 1日 (木)

随想:フィットネスクラブ入会

 自宅から徒歩10分ほどの距離にあるフィットネスクラブに入会しました。19時からオリエンテーション、基礎代謝量などの基本データ測定や3ヶ月後の目標設定など。

 目標設定は40Kmウォーキング(7月の田沢湖一周を想定)完歩としました。現在の実力は30Kmなら何とか完歩出来ます。実績は50Km強ですが、過去の栄光など何の役にたつ訳でもありませんからもう一度鍛えなおそうかと思っています。

 間接目標として5Kgの減量、リタイアしてから9ヶ月の増量分に相当します。如何に一生懸命に仕事をしていたかが判りますね?
 1年過ぎたら今のスーツが着れなくなるほどスマートになるつもりです。

 だけど待てよ。今日は時間がなかったのでオリエンテーションの後、時速7Kmのウォーキングを30分少々行って帰って来たのですが、食欲旺盛になってしまって。
 1年過ぎたら今のスーツが着れなくなるほど恰幅良くなっていたらどうしましょう。

  (2010年4月1日記録)

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