随想:この人・百話一芸 第8回(2010年4月24日)
この人・百話一芸は、横浜能楽堂講座と銘打った企画。NHK番組・芸能花舞台司会などを担当する葛西聖司アナウンサーが様々なゲストを迎え、前半で歩んだ道を聞き、後半で至芸を披露してもらう構成。今までに見聞きしたい講座もあったのですが都合がつかず、初めて出かけました。
今回のゲストは桂春團冶、いわずと知れた上方落語の名人。今まで、その芸に接したことはありませんが、名前は充分に承知していました。
当日のプログラムは次のとおりです。
14:00 第1部(40分) お話
14:40 休憩 (10分)
14:50 第2部(55分)
落語 笑福亭喬若
桂春團冶
芸談
15:45 終演予定
お話で登場した春團冶は薄い灰色の和服。商売物とは言え粋な色です。
正面、中・脇正面からも顔が見えるように能舞台に緋毛氈を斜めに敷き、その中央に写真投影用のスクリーン、向って右に春團冶、左に葛西アナウンサー。
話題は、初代、二代目の春團冶に触れてから、三代目・現春團冶に移ります。きちっとメモを取れなかったのですが、次のよう話題が耳に残りました。
浪商を卒業してサラリーマンをしたこともある。落語家になる気はなかった。急に高座に上がったが、修行していないので20分話したら立てなくなった。その後、父である二代目春團冶に入門、その日から師匠と呼ぶ。
二代目は昭和28年に亡くなり、昭和34年29歳で三代目を継ぐ。その頃、森繁久弥主演の映画がヒットしていて、丁度良いからと襲名を薦められた。29歳にして大きいものを背負ったと思った。(芸のためなら女房も泣かすという)歌のとおりかと言われた(ただし三代目のことではない)。
当時、上方落語家は8人ほど、そのなかに笑福亭松鶴、桂米朝、桂小文枝などがいた。弟子などはいなかった。ネタを譲り合った。現在、上方には200人ほどの落語家がいて夢のようだ。
名古屋から東はうけなかった。言葉の違い、反応の速さ。最近は上方のことが判っていて、聴いてやろうという気がある。
所作の美しさ、踊りはお客さんへのサービス。仕草にも役立っている。若い者に習っておけと言うが、やらないので仕草がばらばら。舞台に出てから入るまでが芸。
出囃子は野崎、黒門町の文楽も同じで兄弟かと。まくらは振らない。今の若いのはまくらではなく世間話、雑談・漫談になってしまう。
出し物は、笑福亭喬若が「牛ほめ」、桂春團冶が「野崎参り」。聴いたことはありませんが、内容からしてこれであっていると思います。
生の落語を聴くのは初めての経験ですが、11年目と言う喬若もなかなか達者だと思いましたが、評価の基準は私にはありません。
春團冶は黄色味が少し入ったかのような白の和服に着替えて登場。話し始めて少しして羽織を後ろに落としますが、この所作がまた粋。
野崎観音のある慈眼寺へ参詣するのは大阪から船で上ったそうですが、その際に土手行く参拝者と罵り合って競り勝てば幸せを得られるとか。そのような光景が浮かび上がってきます。
春團冶の芸を云々することなどできる訳がありません。ただ恐れ入って聴くだけでした。落語に限らず極めた芸は、極めた客にしか判らないだろうと思いました。
芸談は、楽屋にいる囃し方を舞台に呼んで短い解説。演奏で客を送り出してくれました。生の囃し方というのも何と贅沢なことでしょう。
多少長くなりましたが二時間ほどを楽しく過ごしました。ただ、会場がライブのためか、話の聞き取りにくい部分もありました。能楽堂ですから仕方ないでしょう。
次回は7月3日14時~、琉球音楽・三線奏者の照喜名朝一です。詳しくは横浜能楽堂HPを参照願います。私は既にチケットを入手しました。これからは欠かさず出かけようと思っています。
(2010年4月26日記録)
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