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2010年4月22日 (木)

路上観察:筑前の小京都・秋月(2) (2010年4月16日)

 杉の馬場に突き当たるとそこは中間辺り、右折(南向き)。すぐに秋月城址の石垣、城址には秋月中学校。
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 進むにつれて、秋月城の正門であった瓦坂、裏手門として使用されていた長屋門、黒門が現われます。黒門は、秋月の背後にあった古処山城の搦手門から秋月城の大手門、そして今の場所に移されたようです。黒門の後ろに続く石段を上ると秋月藩初代藩主長興の200周忌を迎えるにあたり神霊を祀った垂裕神社。
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 500mほど一直線に続く杉の馬場を戻るようにしてバス通りに向います。両側は、明治38年ごろに植えられた桜並木、花盛りは見事と想像に難くありません。今は葉桜、人影もまばらで「静寂」という言葉がしみじみと感じられます。こういう感覚は久しくありませんでした。

 立ち寄りませんでしたが、秋月郷土館(稽古館跡)や秋月美術館、土産店が左右に並びます。もちろん、そこも人影はまばらです。

 目鏡橋が架かる野鳥川の上流に架かる野鳥橋を渡るとバス通り、野鳥橋バス停。目鏡橋バス停から途中に秋月バス停を挟んで野鳥橋バス停、この間が700mほど。

 バス通りを左折(西向き)、少し先の角を右折(北向き)すると、進行方向に寺院の固まった一角が広がります。全ては回れませんでしたが。

 長生寺、さして広くない境内で子どもたちが、鐘楼の基壇をゴールにしてサッカーをしていました。大らかな感じです。
 山門を潜る時、右側の「立春大吉」の札に気付きました。立春の日の朝、禅寺ではこの札を門に掲げるとのこと、鎌倉の寺院を回ったのですが見つかりませんでした。そのような訳で、この札を見つけて嬉しくなりました。左側には「鎮防火燭」の札が。これは知りませんでしたが、火難を防ぐ意で清明節に貼り付けるようです。
 すなわち立春貼付と清明貼付。季節を感じ、注意喚起する工夫だったのでしょう。山門だけでなく、本堂、庫裏にも掲げてありました。
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 古心寺、黒田家菩提寺。奥手に塀で囲まれた黒田家墓所があります。歴代藩主たちの立派な墓が並んでいます。秋月は黒田家の支藩、福岡にある黒田家墓所よりは全体的にこじんまりしていますが、それでも殿様の権勢を知ることができます。
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 実際は回り順を間違え、この後に武家屋敷久野邸に行きました。道ですれ違ったおばあさんに「そこを上がってみないさい」と言われたのが時櫓跡。小さな社があるだけですが、少し高みで秋月の町が見渡せます。
 秋月藩として栄え、今再び静かな秋月に戻りつつあるようです。広場と見える所は、境界が田畑にしては不釣合いな立派な石垣であることから、武家屋敷跡と知れます。
 左写真の後ろに見える山々の中央辺りが山城のあった古処山だと思います。
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 目鏡橋バス停に戻り、甘木行きのバスを待つ間、前の売店でコーヒーを頂きます。「静かなところですね」「寂しいところですよ」、旅人と住人の差です。そして、現実と小説世界を行き来した半日でした。「葉室燐著・秋月記」をもう一度読み直そうか。

 バスを西鉄甘木駅で下車、西鉄甘木駅から西鉄久留米駅は30分ほどでした。

  (2010年4月22日記録)

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