読書:最近の読書から(2010年4月11日)
1. 『思い出袋』
鶴見俊輔著、岩波新書・赤1234、760円+税
短い後書きから、7年間にわたり「図書」に連載されたエッセーの集成と判る。思い出袋から取り出された話題は、長い年月の間に繰り返されるものもある。より深い思いがあるのだろう。
碩学の思いを受け留めて、今後、自分の考えるよすがとしたい。念のため二箇所を引用して、記憶に残すこととする。
『イラクの戦争被害をやわらげにいった三人の日本人が、現地で人質になり、やがて開放されたが、日本政府に迷惑をかけたという声が高くなり、国会では、「反日分子」として追及する議員が出た。・・・・・
なぜ、日本では「国家社会のため」と、一息に言う言い回しが普通になったのか。社会のためと国家のためは同じであると、どうして言えるのか。国家をつくるのが社会であり、さらに国家の中にはいくつもの小社会があり、それら小社会が国家を支え、国家を批判し、国家を進めてゆくと考えないのか(P51~P52)』
『勤め先の広島で原爆にうたれ、歩いて故郷の長崎にもどってそこでふたたび原爆を落とされて生き残った人は、「もてあそばれた気がする」と感想を述べた。この感想から日本の戦後は始まると私は思うが、その感想は、国政の上では、別の言葉にすりかえられたままである(P163)』
反日分子とされないために、もてあそばれない為に、変わらなければならないの国民か、それとも国家か。人質になったTさんらは、私(あるいは多く)の到底及ばない立派な活動をしていると思っているのだが。
(2010年4月11日記録)
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