読書:最近の読書から(2010年3月6日)
1. 須賀敦子全集・1より『ミラノ 霧の風景』
須賀敦子著、河出書房新社、4800円+税
人は二度死ぬと言う。初めの死は肉体が滅びる時、二度目の死は一緒に生きた人たちの記憶が滅びる時。これを肯定するならば、二度目の生を描く十二編の随筆と言える。ミラノ時代の友人たちへの慈しみ深い回想。はるか彼岸に渡っていった友人たちへの追憶。過ぎ去った日々を淡々と描写、そこに美辞麗句はない。
例えば『遠い霧の匂い』。
夕食に招いたローザを弟のテミが迎えに来るはずだった。テミがアルプス山麓までグライダー乗りに出かけた帰りに寄ることをローザは言わない。窓を開け、霧の流れる外気にあたりながら、テミの車の来る方角をいつまでも見透かしていた。私たちは、急に都合がわるくなったと平気な顔でなぐさめて、彼女のためにタクシーを呼んだ。
翌日の新聞で、私たちはテミ操縦のグライダーが山に衝突して墜落、行方不明になったことを知る。生存の可能性はなく、雪が深くて春まで現場に登れない。
「ミラノに霧の日は少なくなったというけれど、記憶の中のミラノには、いつもあの霧が静かに流れている」と結ぶ。
イタリアで過ごした日々の光景、友人たちと共有した多くの出来事。友人たちの死も彼方に過ぎ去る。いっそ激しい言葉でもあれば容易に訣別できそうだ。静謐な言葉でつづられるとより深く胸に迫る。永遠の別れ、国を異にする別れ。年を重ねるとは、いくつもの別れを一つづつ納得し、次の一歩に踏み出すことか。
十数年前に読んだ時よりは深い味わいを感じた。若ければ若いなりに、年取れば余計に、生きることの何たるかを教えてくれる気がする。何たるかを凝縮すれば、誠実に行き当たる。
イタリアの文学・歴史・宗教などに素養があればより深い味わいがあるだろう。須賀の足跡が残る地名に興味を覚え、いつか訪れたい気にもなる。次に読む機会までに多少でも前進できていれば幸いだ。
『ミラノ 霧の風景』は「いまは霧の向こうの世界に行ってしまった友人たち」に捧げられている。
(2010年3月6日記録)
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