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2010年3月27日 (土)

随想:利賀フェスティバル・1982

 

放送ライブラリー(横浜市)に初期の「利賀フェスティバル」関連の映像記録があったので、過日、閲覧しました。

 

 「利賀」「利賀村」をキーワードに検索すると7タイトルがヒット、そのうち「利賀フェスティバル」に関係しそうなものは次の2タイトルです。

(1) NNNドキュメント’82 “TOGA”世界を演じた小さな村

 1982年(昭和57)夏、人口わずか1200人という日本でも有数の過疎の村で開かれることになった世界演劇祭の模様を追うドキュメント。◆“TOGA”とは、没落した平家の落人の伝説で知られる大自然の情趣に満ちた山里、富山県五箇山の利賀村である。1976年(昭和51)、日本の前衛劇の旗手といわれる鈴木忠志氏の早稲田小劇場(現SCOT)がここに拠点を移した。

 放送日:1982.10.10、分数:50、放送局:北日本放送

(2) 古代に問う 神託がよみがえる二つの村

 平家の落人伝説で知られる富山県の過疎の村、利賀村、そしてヨーロッパ文化の精緻、ギリシャのデルフィ、この2つの村の交流のきっかけをつくったのは、10年前、活動の拠点を東京から利賀村に移した劇団SCOTである。姉妹提携をした利賀とデルフィで開かれる世界演劇祭で、SCOTはギリシャ悲劇を演じる。大自然の中で、土に生きる農民たちが支えてきた2つの村の歴史が、今、演劇を通じ、現代社会に新たによみがえる。

 放送日:1986.06.30、分数:50、放送局:北日本

 

 前者。白石加代子・トロイアの女、雪に埋もれた合掌造りのカット。鈴木忠志のインタビュー、「?年2月10日前後、猛吹雪、3~4mの積雪、点々と黒っぽい合掌造りが見えた。男性的、自然と闘っている建物に出会わなければここ(利賀村)でやってなかった」。
 利賀村阿別当の野原こと(67)、「利賀村の澄み通った自然の中、1~2時間働いて帰って来ると、また働きに行こうかと思う。働くことを苦にしない」。村民は勤勉だ。

 女性が歌う、「人多くして土地狭き 我が日本の悩みをば 我らが腕もて拓かなん いざ赴かん新天地 五箇の闘魂火と燃えり」。分村で昭和30年代から過疎が進む。高度経済成長は人ばかりでなく山の仕事を奪った。

 S55年、利賀山房建設、過疎脱却の夢、シンボルである。以後、6カ国のカンパニーを招請して第一回利賀フェスティバルが開催されるまでの様子と村の変化を追う。

 後者。遠く離れたギリシャの村の人たちと利賀村の人たちの考え方は良く似ている。
 「金銭の世、神様が遠ざかる。都会は歳をとると惨め。年寄り若いを別に大地に足を付けているものは奢らない。そこに神様がいる。自然は油断無く見ている」という利賀のおばあさん(前者と同一人?、追って再確認)の話は重みがある。
 デルファイ市との友好関係締結、演劇が取り持つ縁。

 

 私は1988年から20回ほど夏の利賀フェスティバルに通い、いつからか利賀村の変化も薄々見てきました。演劇は過疎化を止めはしなかったと思います。しかし何らかの変化は残しているでしょう。

 利賀村だけでなく日本の各所で起こっている過疎化と、一対となる過密化を自分なりに考える契機になると思いました。各地で開催される演劇祭あるいは芸術祭は何をしてきたか、しなかったのか。もともと関係ないのか。あるいは行政のマスターベーションか。
 初期の利賀フェスティバルの様子を知りたいと思って探した映像ですが様々のことを考えさせてくれます。

 30年を経た最近の様子もドキュメンタリにまとめてくれないかな。対比して検証も。報道の気骨も見せてくれないかと思いました。

  (2010年3月27日記録)

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