読書:最近の読書から(2010年2月5日)
1.『和歌とは何か』
渡部泰明著、岩波新書1198、780+税
先達を頼りに古典の世界に入り込むことは楽しい。偏っていても、入口をさまようだけでも。半歩前に進めるならば楽しさはより増す。本書は確実に後押ししてくれる。
「和歌は言葉による演技である」が底流となる考え方。「あくまでも仮のものにすぎない」とは言うものの。「序章 ---- 和歌は演技している」で明確にされる。
例えば、事実を詠むと見なされることの多い現代短歌。
『「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日』
有名な俵万智の一首。類似の経験はあったが、褒められたのは「カレー味のから揚げ」、「七月六日」でもなかった。その時に自分の感じた思いを表すためにかえって嘘をつく、サラダを食べさせる女性を演じることで自分の体験を取り戻すと言う。
「Ⅰ.和歌のレトリック」、どんな言葉でも誰かと声を合せて口に出すと、日常と異なる空間が出現する。何かを演じているように思えるだろう。和歌のレトリックは、言葉でそれを可能にする装置なのであるとも。
宮中歌会始の披講で近い感覚を味わった。
「Ⅱ.行為としての和歌」、儀礼空間の中で和歌は生きてきたので、言葉だけでなく、和歌にまつわる人間の行為のあり方も、和歌を知るうえで不可欠と言う。
和歌は自分の気持ちの発露、しかし与えられたTPOの下で詠むことも多かったろう。的確なロールプレイイング、名手の必須条件と言えそうだ。
「終章 ---- 和歌を生きるということ」では、「歌を作る作者」は、「現実の作者」が「作品の中の作者」に転じる転換点に位置すると言う。
抽象的だ。作者・演出家・俳優を当てはめて理解を進めた。多重な役割を一人で実行すると言える。
参考文献の多数紹介、主要索引の用意も有り難い。あとがき末尾に「かって演劇に目を開いてくれた、野田秀樹・高部幸男両氏ら、旧・夢の遊眠社の仲間達に、深謝」とある。
(2010年2月5日記)
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