路上観察:第18回いぶすき菜の花ウォーク・道中編2
小京都と呼ばれる町は全国に50箇所あります(*1)。北から付番すると50番目が知覧、すなわち最も南に位置する小京都です。知覧の小京都らしい風景は武家屋敷、正確には武家屋敷群とその一帯ですが。特攻平和会館を訪れた後に武家屋敷を散策しました。
武家屋敷は東西900m、南北200mの範囲、一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
武家屋敷の中央を通る道を進むと、江戸時代はこうであったろうと、何か納得させられる雰囲気を感じます。武家屋敷は石垣の上に意匠を凝らした生垣で囲まれています。脇道から二本差しの侍がふっと出てきそうな気がします。写真は、左側が東向きで後方の山が母が岳、右側が西向き。
武家屋敷が全部で何軒あるか判りませんが、公開されているのが7軒、飲食を供しているのが1軒、移築された二ツ家という構造の民家1軒を確認しています。公開されているのは建屋でなく庭で、多くの庭は母が岳を借景にしています。
武家屋敷を道から見たのが次の写真です。突き当たりのT字路に位置している1軒なので配置が良く判ります。中央が土蔵、その左手に母屋、後方に庭。
公開されている武家屋敷は全て屋根のある門構えだったと思います。その一つの門を正面から見たのが次の写真です。袖屋根を持つ門は本家筋を示すそうです。正面には奥を遮るように石垣・生垣が設けられています。
門の脇だった思いますが、どこにも注連縄を張った神域がありました。鬼門鎮護でしょうか。次の写真はもっとも美しいと感じたものです。美しいばかりでなく張り詰めた感じも受けました。
公開されている武家屋敷の庭は、1軒が泉水式、他は枯山水式でした。規模は大きくありませんが質実、寺院庭園とは異なる武家の庭であることを強く感じました。寒い一日でしたが梅が咲き始めています。本来は暖かい土地なのでしょう。
武家屋敷一帯は往時の雰囲気を良く残していると感じました。小京都を冠した理由はどこにあったのでしょうか。庭でしょうね。私は、小江戸を冠するのも良いかなと思いました。武家の醸し出す雰囲気からです。他にも小江戸を冠する町はいくつかあるようですが、でも拠所となる江戸の存在しないところが弱点ですね。
私が散策した時間帯は、観光バス客の一群と短時間交錯しましたが、その後は個人客がちらほら、辺り一帯を独り占めにした感じです。初めて訪れても何か懐かしさを覚える町、恒久平和を祈念する町、鹿児島に出かける機会がありましたら少し足を延ばして知覧に立ち寄ってみませんか。お奨めします。
*1 「小京都と京都ゆかりのまち」全国京都会議発行資料、京都を含む、2009年2月20日現在
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コメント
まずはお帰りなさい、でした。
武家屋敷の辺りは整然とした佇まいで、本当にいつ武士が門から出てきても不思議ではないような雰囲気でした。
庭木を山に見立てて剪定しているんですよね。
私が行った時もあまり人が多くなかったように思います。
ツアーのグループが何組か、といったところでしょうか。
知覧は色んな意味で心に残る町でした。
投稿: strauss | 2010年1月30日 (土) 22時08分
本当に心に残る町ですね。派手なものは何一つありませんけれど、こころに染込んでくる多くのものがありました。
次の機会があれば、隅から隅まで歩きたい、そのような思いが残りました。
投稿: F3 | 2010年1月31日 (日) 08時24分