路上観察:横浜公園・岩亀楼の石灯籠
横浜ベイスターズの本拠地・横浜スタジアムは横浜公園内にあります。その横浜公園に小規模ながら池泉回遊式の日本式庭園のあることに気付きました。
何百回となく公園を通り過ぎていますが、最近まで全く気付きませんでした。恐らく横浜市役所側から公園内に入り、中華街方面か県庁方面に出るか、その逆の道筋を辿ります。よって、道筋の間にある日本式庭園に気付かなかったのです。
なぜそれを知ったかと言うと、立ち読みしていた何かの本で、横浜公園内に岩亀楼の石灯籠が残っているとの記述を目にして、それを探し回ったからです。石灯篭の背後は小山の向こうが横浜スタジアムです。
石灯籠脇の碑文から次のようなことがわかります。
横浜公園一帯は江戸時代末期までは入海で、安政三年(1856年)に埋め立てられ大田新田、横浜開港にともないさらに埋め立てられて港崎町(みよざきちょう)と命名された。その中に岩亀楼などが開業し、国際社交場として栄えた。しかし慶応二年(1866年)の大火で港崎町一帯は消失、跡地に日本最初の洋式公園(横浜公園)が誕生した。岩亀楼も類焼し、以後、二転三転した後に明治17年(1883年)に廃業。
碑文では国際社交場としていますが、岩亀楼は遊郭だったそうです。一軒だけであったのか町を形成していたかは不明です。
横浜公園関連でもう一つ。古図を見ると開港前の横浜は現在の山手の方から突き出た砂嘴だったことが判ります。先日のNHK番組「ブラタモリ・横浜」でも紹介されていました。横浜公園から日本大通を港に向って歩くと、わずかな上り勾配、それから下り勾配になって海岸に至ります。埋め立てで無い自然の地形の証でしょう。横の浜、横浜の語源を感じて頂けるかも知れません。(写真は横浜公園から港方面を望む)
横浜開港150周年の記念年である2009年も残り数日で終えようとしています。最近、古い横浜、と言っても開港前後ですが、に興味を抱いて気が向いたときに調べたりしています。150年間の移り変わり、悲喜こもごもの話題など、見つけましたらまた紹介します。
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コメント
「ブラタモリ」は時々観ています。
横浜もちらちら横眼で。
夜景もきれいですね~
さて、今年も残すところ一日となりました。
どうぞお身体大切に、
良いお年をお迎え下さい。
来年も変わらずよろしくお願い致します。
投稿: strauss | 2009年12月30日 (水) 20時41分
お忙しいようでね、ご自愛のほどを。既に帰省されたでしょうか、年末年始をゆっくりと過ごせるとよろしいですね。
私はのんびりしています。帰省される方を羨ましくも思い、大変だとも思いますが、生まれも育ちも横浜の私は帰省がありません。
相変わらずですが、来年もウォーキング、舞台鑑賞、ブログ・HP更新をささやかに継続したいと思います。
今しがた録画した歌舞伎・石切梶原を見終わりました。舞台鑑賞に歌舞伎を加えようと知識を吸収しています。Straussさんの行動力には及びもしませんが、刺激を受けながら色々とやりたいと思います。
どうぞ皆様で良いお年をお迎え下さい。
投稿: F3 | 2009年12月31日 (木) 00時47分