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2009年12月15日 (火)

音楽:ヴェルディ「歌劇・椿姫」

    作曲       : ジュゼッペ・ヴェルディ
    台本       : フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ
    演出・照明・
    衣裳デザイン : 鈴木忠志
    指揮       : 飯森範親

  ヴィオレッタ   : 中丸三千繪(S)
  アルフレード   : 佐野成宏(T)
  ジェルモン    : 堀内康雄(Br)
  フローラ     : 向野由美子(Ms)
  合唱       : 藤原歌劇団合唱部

  助演       : SPAC
  ダンス      : Noism1(振付/金森穣)
  管弦楽      : 東京フィルハーモニー交響楽団

  会場       : グランシップ中ホール・大地
  公演       : 2009年12月11・13日
  鑑賞       : 2009年12月13日14時~16時50分(休憩20分) 1階7列26番
  公式HP     : http://www.spac.or.jp/09_autumn/camille

 

 「客席への挨拶を終え、指揮者が指揮棒をやわらかく振り下ろして前奏曲が始まる。物語を暗示する悲しげな響が、第二幕第一場のアルフレードとの別れを暗示するメロディーに移る。やがて幕が上がれば、そこはパリのビオレッタのサロン。華やかなパーティが繰り広げられている」となる筈だが、鈴木忠志の演出はそうならない。

 舞台下手に大きな机が置かれ、一人の男が書き物をしている。もう一人の男が現われて「ジュゼッペ、まだ幻を見ますか?」、書き物をしている男が「いいえ、前ほどでは」。演劇の一場面を思わせる。そして書き物をしている男は「ジュゼッペ・ヴェルディ」と知れる。直後に前奏曲が始まる。

 

 前奏曲が終わって舞台が明るくなる。上手に数10Cm高の台、その上に大きめのスツール2脚とサイドボード(名称は自信なし)が置かれ、なお周囲に人が動き回れる余裕がある。舞台後方には合唱の大半が座れるほどの肘掛け付き椅子が並ぶ。上方には大きな長方形の枠が様々な高さで無数に吊り下げられている。
 第二幕前半だったか、大きな長方形の鏡が下がってきてヴィオレッタがその姿を写したのが大きな変化。全幕を通して場面転換はなかった。

 ヴィオレッタの衣装は白いロングドレス。第一幕・第二幕途中までは丈の長い赤色の上着、第二幕後半に黒の上着と小さな丸縁のサングラスを掛け、第三幕ではロングドレスのみだったと思う。上着の色は内面の投影だろう。
 女性は暗い色のロングドレスに白地に模様の長いショールをはおり、男性は黒の丈の長いコートを着用。

 ヴィオレッタは上手の台を降りることはほとんど無い。スツールに身体を横たえたり、手のひらを内向きにして両手を顔の前にかざして泣く表現をするが、演技はかなり抑制されている。
 アルフレード、実はヴェルディが歌う時は中央に出るが、ほとんど直立で大きな演技を伴うことはない。脇役も合唱も同様で大きな演技を伴うことはない。

 第二幕後半のアルフレードがヴィオレッタを侮辱する場面、アルフレード、実はヴェルディとは別のアルフレードが出て、歌と演技は分離された。

 全体的に演技は極端に抑制されていた。普通のオペラからは想像できない。だから普通のオペラで無いとも言える。ただ悲劇とはいえオペラに華やかさを求めるならば、ネガティブな印象をもたれるかも知れない。

 なお第二幕後半のジプシー女の合唱の場面、女性1、男性4のNoism1の踊りが加わり、大きな場面変化。実にシャープで美しい動き。

 

 中丸三千繪の名前は以前から承知していたが聴くのは初めて。簡素ながら美しいヴィオレッタになった。最初は少し声が太いように感じたが、私が明確な尺度を持ち合わせないので感じだけ。最後の死を迎える場面、指を細かに前方に這わせやがて崩れ落ちていった。演出か、実に細かい。

 佐野成宏のアルフレード、実はヴェルディは一途な青年が伝わってきた。声も美しい。出ずっぱりで大変だったろうが、演技の負担は軽減したのか、反って緊張したのか、聴いてみたいところ。

 オペラにおいて合唱が良くなければ、タイトルロールも脇も引き立たない。第二幕後半のスペインの闘牛士の合唱は裏の舞台で歌っていたのだろう、恐らく初めての経験だろうな。合唱は多くないけれど、全体が良く響いた。

 飯森範親は以前、現代曲を何回か聴いたが、オペラを聴くのは初めて。東京フィルも初めて。演出に視点が向いてしまうが、気になることは何も無い。今度はシンフォニーを聴きに行こう。

 

 ヴィオレッタの死で幕が降りるところだが、ここでも鈴木忠志の演出はそうならない。やがてヴィオレッタはゆっくり起き上がり舞台後方に向って歩き出す。

 舞台後方は可動壁を境にして静岡芸術劇場の舞台と背中合わせに接している。その可動壁を開いたので静岡芸術劇場の舞台と一体(オペラはグランシップ中ホール・大地で)になり、さらに後方には静岡芸術劇場の無人の客席も見える。

 ビオレッタはさらに奥へ。此岸から彼岸へと進むようだ。この間、頭上から紙吹雪が舞い続ける。雪、いやヴィオレッタを癒す散華と思った。アルフレード、実はヴェルディは相変わらず机で書き物をしている。

 ヴイレッタが歩き出し、意識は和洋折衷。再び音楽が鳴り響いているのだが耳が留守になっていた。恐らく第一幕の前奏曲の繰り返し。客の多くは、この場面を心に留めたであろう。唐突さは否めないが、この場面だけをとれば実に美しい。

 

 スタンディングオーベーション。オペラファンと鈴木忠志ファンのどちらが多いのか、ちょっと興味を持ったが判ることはないだろう。各々で評価は微妙に異なるように思えた。

 実はこの公演、「グランシップ開館10周年記念」と銘打って、祝祭の意味合いが込めてられている。とかく芸術は常日頃から風当りが強いようだ。10年は長かったのか短かったのか。慰労の意味合いも込められていると思った。

 最初と最後の場面、私はオペラとして唐突さを感じないわけでも無い、特に他劇場で再演することを思えば。本体部分は必要最小限の演技が、簡素ながらも様式美を感じさせて美しいオペラになった。とって付けたような演技より何層培も良いと思った。

 私は見聞きした範囲でまとめました。演出意図に興味あればお手数ですが調べて下さい。

 なお会場で、建築家・磯崎新さん、ファッションデザイナー・山本寛斎さん、指揮者・井上道義さん、作曲家・細川俊夫さんを見かけました。見間違いはないと思いますが。

   (2009年12月15日記)

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コメント

 先日は、来静くださってありがとうございました。
何のおもてなしも出来ず、失礼いたしました。
 本当に、ロビーやホワイエには様々な有名人がいらっしゃって、
華やかでしたよね。
初日の金曜日にも、俳優の辰己拓郎さんや音楽家の三枝成明さんを見かけました。
また、静岡県の川勝知事夫妻の姿もあって、県の出資による公の事業であることを改めて感じました。

 オペラを観たはずなのに、時間の経過と共に演劇の印象が濃くなってきています。
構成も演出も、鈴木演劇スタイルが貫かれていたからでしょうか。
賛否は分かれるかもしれませんが、私はオペラと演劇の良いとこ取りの、鈴木オペラとして成功していたと感じました。

投稿: salala | 2009年12月17日 (木) 23時56分

 いろいろお骨折り頂きましてありがとうございました。オペラは大概神奈川県民ホールの三階席から見下ろして観るのですが、久しぶりに良い席から水平に観ることができました。

 オペラの範疇を多少逸脱していると思わないでもありませんが、皆さんの熱狂ぶりを見れば成功していたと言って良いと思います。おっしゃるように、鈴木演劇を多くを見ているsalalaさんは演劇との区別が付きにくくなるでしょうね。

 だって、演劇にも多くの音楽が使われていますから。椿姫のシラノか、シラノの椿姫か。ナイアガラの火の粉が降りしきる中去って行くシラノ。ご存じない方は何を言っているか判らないでしょうね。

 私はコンチネンタル・タンゴの「ヴィオレッタに捧げし歌」が浮かびます。叔父がタンゴを好んで聴いていたので自然に耳に入りました。まだSP盤でした。その頃は椿姫など知りませんでしたが。

 春になったらまたお邪魔します。

投稿: F3 | 2009年12月18日 (金) 01時25分

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