演劇:ヘンリー六世(第三部)・薔薇戦争
作 ウィリアム・シェイクスピア
翻訳 小田島 雄志
演出 鵜山 仁
美術 島 次郎
照明 服部 基
音響 上田 好生
衣装 前田 文子
アクション 渥美 博、他多数
出演 浦井健治 王ヘンリー六世
中嶋朋子 王妃マーガレット
ソニン 皇太子エドワード
渡辺徹 ヨーク公
今井明彦 エドワード、マーチ伯、後にエドワード四世
岡本健一 リチャード、後にグロスター公、他多数
会場 新国立劇場
公演 2009年10月27日(火)~11月23日(月・祝)、複雑につき詳細は要確認
鑑賞 2009年11月19日 18:35~21:50(休憩15分)
公式HP http://www.atre.jp/henry/
しきりに様相を変える舞台。戦いに次ぐ戦いは、暗転、スモーク、大きな布を敷いたり被せたり、あるいは吊り下げて表現される。
思わず痛いと呟いてしまいそうな激しいアクション。惨殺されたヨーク公の顔に縦一文字の血糊が浮かび上がるメイク。役者は客席を含むあらゆる場所から登場して広大な大地を感じさせる。
ロンドン塔でリチャードに殺された王ヘンリーは、リチャードが大きく足をあげて踏み降ろすと同時に、奈落の底に落ちていく(形容でなく床が開いて本当に落ちる)。はっとする展開であり、後の場面へ円滑に繋がった。
スピーディにして迫力を併せ持ち、かつ場面ごとに変化する舞台、それを可能にした美術と照明は讃えられて良い。役者だけで舞台は成り立たない。当たり前のことだが強く印象に残った。
浦井健治は淡々と演じて、理想に生き、世間知らずで優柔不断な王ヘンリーを浮かび上がらせた。乱世に生きなければならなかった王の悲哀さが良く伝わる。
中嶋朋子は王ヘンリーに取って代わり、自ら甲冑に身を固める猛女である王妃マーガレットをヒステリックに演じた。それはそれで納得できる。が、真の恐ろしさは感じられなかった。庶民出のジャンヌダルクとは異なる、冷徹なイメージが私の中にはある。
今井朋彦は王妃マーガレットと対峙しながら王エドワードに登りつめる道筋が良く判る。岡本健一のリチャードには狂気が篭っていて怖いくらいである。
若きシェイクスピアは何を言いたかったのか。一つの答えは第二幕五場にあろう。
戦場の片隅の小さな丘に腰を下ろした王ヘンリーの長い独白。「・・・妃のマーガレットばかりか、クリフォードまでが私を叱りつけ、戦場から離れていろと言った、私などいないほうが勝てる、と言い張るのだ。・・・ああ、神よ!私にはどんなにしあわせに思えることか、貧しい羊飼いにすぎぬ身の上で暮らすことが! ・・・」。浦井健治が淡々と演じてきたからこそ、君臨する統治者の悲哀、寂寥感を浮き立たせて、胸を打つ。
続いて、父親を殺してしまった息子がその死体をかかえて登場。「・・・おや、この男は?ああ!この顔はおやじじゃないか、そうとは知らずさっきの戦いで殺しちまった。なんてひどい世の中だ、こんな目に会わせるとは!・・・」
さらに、息子をころしてしまった父親がその死体を抱えて登場。「・・・待てよ、この顔は、これは、敵か?ああ、ちがう、ちがう、ちがう、おれのたった一人の倅だ!・・・なんて凶悪な、酷薄な、非道な、人間として許されぬ恐ろしい行為のかずかずを、この忌まわしい戦争は毎日生み出していることか!・・・」
これらの言葉が胸を打つ。二十代半ばのシェイクスピアが到達していた境地、いまだ繰り返されていることに人類の悲哀を感じる。
王妃マーガレットの女として、母親として、あるいは統治者としての生き方も悲しい。
ヨーク公の末子を惨殺、血に染まったハンカチを突きつけながらヨーク公を罵倒する。一方、息子である皇太子エドワードをリチャードに殺され「おまえたちに子供があれば、あわれをもよおしただろう」と矛盾した心境を吐露する。これもまた人の悲哀さの究極であろう。
ヘンリー六世を3回に分けて観劇した。合計9時間超は決して短い時間ではない。途中で端折れば良いのにと思うこともあった。しかし終えてみれば、小田島訳のテキストに沿った上演(細かく確認したわけではない)、したがって原作に忠実な上演の何と素晴らしいことか。
言葉の重みが良く理解できる(こう言い切るには不勉強であることの気恥ずかしさを伴うが、それなりに理解できたと思われたい)。つくづくそう思った。短縮上演や翻案による上演を否定する気などさらさらないし、素晴らしい舞台も多くあるが。
演出・鵜山仁に触れてこなかったが、これが新国立の最後だそうだ。いろいろあったようだが最後の意地を見せたと言って良いだろう。芸術家は作品で評価されるべきであり、そのことが妥当ならば今その地位を去る必然性はないだろう。
特異な演出が第三部にあった。一つは蓄音機が登場して「オーバー・ザ・レインボー」を奏でたこと。ヨーク家側の勝利の場面にミラーボールが登場して鮮やかな色彩を輝かせたこと。古典が現代に繋がる瞬間であろう。人類は剣を鉄砲に変え、ミサイルに変えても同じ愚を繰り返している。
王ヘンリーが宙吊りで天井から現われる場面もあった。一人蚊帳の外にいる存在が強く感じられた。
終幕、白い雲が浮かんだ青空がホリゾントに映し出され、悲惨な戦争を終えて明るい未来が暗示されるかのようである。
王エドワード、王妃エリザベス、誕生した王子を抱いた乳母。従者たちは王を取り囲み、忠誠を誓う。こうして血で血を洗う悲惨な薔薇戦争は終わりを告げる。が、傍らでリチャードは早くも次の王座を奪取することを自らの心に誓っている。
従者たちはフード付きマントを着けているが、フードを外して観客に挨拶をする。第一部から役を変えて登場・退場していった顔がごちゃまぜになって一堂に会し、まるで亡霊が蘇ったような気がした。意図したか否かは定かでないが私には印象深い幕切れであった。
いつまでも拍手したかったが、22時近くでもありあっさりと挨拶は終わった。通しの観劇ならば事情は少し違うだろうか。もう一度見たいと思うがチケットは無いようである。総じて入りは良かった。心地よい疲れを感じながら帰路についた。
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