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2009年11月

2009年11月27日 (金)

路上観察:事業仕分け参観(2009年11月27日)

 11月26日、短時間ですが東京・市ケ谷の国立印刷局市ケ谷センター体育館で開催されている事業仕分けを参観しました。

 事業仕分けの様子は連日のようにTV報道等で耳目にします。しかし、極端な場面ばかりが報道されているのではないか、実際に目のあたりにしたら印象は変わるものか。それと、政権交代後の大きな変化を一目見たい。そのような思いで出かけました。

 13時15分過ぎに会場着、持ち物検査と金属探知器検査を受け、待つこともなしに入場できました。午後の事業仕分け対象のレジュメが配布されます(ダウンロードもできます)。

 三つあるワーキンググループ(以下、WG)のいずれも参観可、途中で他WGへの移動も可。私は13時30分から少し遅れて始まった第3WGの「備品、被服、銃器類・弾薬のコスト(防衛省)」を参観しました。田島要衆議院議員、蓮舫参議院議員が仕切るWGです。この事業については14時30分過ぎに終わりました。

 私の参観した範囲内で、感じたところを列記します。

 ・1時間は長くないと思いますが、短くもないと感じました。
 ・被仕分け人の吟味不足と説明不足が多分にあると感じました。
  例えば、60百万円節減との説明だけで、節減率あるいは総額の質問に即答できない。まあ質問以前の内容だと感じました。
  例えば、有事の際に供給不安定になるので国内調達とのこと。しかし、ほとんど国内一社調達、有事に国内調達が保障できる根拠、需要増大に安定供給できる根拠は吟味はされていないと感じました。
 ・対案は考えられていないように感じました。
 ・厳しい質疑があったとは思えませんが、一部を切り取ると激しく聴こえそうだと思われる部分はあると感じました。
 ・丁々発止のやり取りがあると思いましたが、そうでもありませんでした。
 ・席が少なく、座れなかったので長時間はつらいしメモも取れませんでした。しかし今回は仕方ないと思いました。
 ・予算案制作にどのくらいの時間をかけているのでしょうか、聴きたい気がしました。
 ・とにかく面白いです。私が退場するときには入場待ちの列ができていました。

 

 話題は少し離れます。スーパーコンピューターの業務仕分け結果に対して、日本の碩学から「歴史の法廷に立つ覚悟ができているのか問いたい」との批判が起きているようです。

 しかし、歴史の法廷に立つ覚悟は予算要求する側にも求められそうです。不確実性を加味しながらも、しっかり吟味した予算になっているか。と、一人の凡人は思うのです。スーパーコンピューターに限りませんが、とにかく膨大な借金があるのですから。

 

 今回参観した印象とTV報道等から私なりに判断すると、被仕分け人の準備不足・説明不足が結構あると思いました。

 写真は順に、会場内、報道席(2階部分)、仕分け結果を記録する方、入場待ちの列、駐車場にはTV中継車。
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2009年11月26日 (木)

音楽:歌劇「椿姫」の公演間近(2009年11月26日)

 12月は次のコンサートのチケットを手配してあります。

    6日  ヘンデル・歌劇「リナルド」    東京オペラシティ
   13日  ヴェルディ・歌劇「椿姫」     静岡グランシップ

 チケットを手配はまだですが、次のコンサートにも出かけたいと思っています。

   19日  ヘンデル・オラトリオ「メサイア」 ミュウーザ川崎
   23日  バッハ・「ゴールドベルグ変奏曲」 東京文化会館小ホール 

 

 11月は新国立・ヘンリー六世(1~3部)と関連企画で演劇月間みたいなものでした。一転、12月は音楽月間になるかも知れません。毎日のように出かける人もいるようですが、私の場合はこのぐらいで多く出かけるほうです。

 6日、19日のヘンデルはいずれも、指揮/鈴木雅明、演奏/バッハコレギュームジャパン、バッハは小林道夫のチェンバロ演奏によるものです。

 ベルディは、指揮/飯森範親、ヴィオレッタ/中丸三千繪・アルフレード/佐野成宏、ジェルモン/堀内康雄、合唱/藤原歌劇団合唱部、演奏/東京フィルハーモニー交響楽団、助演/SPAC、ダンス/Noism1(振付/金森穣)。そして演出・照明・衣裳デザイン/鈴木忠志ですが、どんな「椿姫」になるのでしょうか。出演者・スタッフ共に豪華ですね。

 

 11月25日の飯森範親ブログに練習の話題が掲載されています。練習は既に始まっているようです。まだ先のことかと思っていましたが、後2週間と少しですから。いずれも多少のにわか勉強をしておかなければいけません。

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2009年11月25日 (水)

路上観察:横浜の酉の市(2009年11月25日)

 11月24日は二の酉の日です。夕食を済ませてから散歩かたがた参拝に出かけました。毎年出かけるでもなく、その時の気分次第です。横浜居住の私は、お酉さんと言えば横浜市南区真金町のそれです。ちなみに落語家・桂歌丸さんは真金町の出身・在住だそうです。

 公共交通機関の最寄り駅は横浜市営地下鉄・坂東橋駅で、地上に上がって人波に歩みを合せれば自然に社前に導かれます。京浜急行・黄金町駅からでも遠くありません。

 夜店が左右に連なります。随分と人出は多いようですが、それでも私の経験の中で今年は少し少ないように感じました。

 社前には参拝待ちの善男善女が100mほども列をなしていました。奉納された提灯が長く高く連なっています。
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 社前を過ぎて暫く夜店が続きますが、角を曲がると恒例の熊手を売る店が屋台を連ねています。大小の熊手が飾ってありますが、大きな熊手にも既に売約済の札が下げられています。不景気だからこそ縁起物を飾って商売繁盛を願いたい気持ちはわかります。熊手を買った方が頭上に掲げて人波の中を移動していくのも、下町の美しい風物詩の一つです。
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 我が家には飾る場所もないので飾り気の少ない小さな熊手を買ってきました。暫くすれば師走、年越し。勢いをつけて良い年を迎えましょう。

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2009年11月24日 (火)

路上観察:横浜野毛山公園から山下公園へ(2009年11月23日)

 自宅を出て自宅に戻る正味3時間半ほどの散歩をしました。経由地は、野毛山公園、黄金町スタジオ、長谷川伸生誕の地碑、伊勢佐木町旧野沢松坂屋、ベイスターズ通り、日本大通り、山下公園、みなとみらい21地区です。多少マニアックな所に足を踏み込んでいるかな。
 一般的にはJR桜木町駅あるいは京浜急行日の出町駅を起点・終点にすれば良いでしょう。

 

 野毛山公園の中村汀女句碑には「蕗のたう おもいおもいの 夕汽笛」が刻まれています。昭和5年から4年間ほど横浜に住んでいたようです。視線を句碑から180度回すとランドマークタワーが。
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 すぐそばにラジオ塔があります。 ラジオ塔とは何か、解説を丸写ししておきます。
 「このラジオ塔はラジオの聴取契約者が百万人を超えた記念に日本放送協会が昭和七年に全国の著名な公園や広場に建てる計画がすすめられ昭和七年度から昭和八年度中に四十一カ所が完成してその中に野毛山公園も選ばれ建塔されたものです。/正式名 公 衆用聴取施設/全高 三メートル/建塔 昭和七年十一月十九日」。今思えば想像を絶する出来事ですね。
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 少し歩けば野毛山動物園正面、少し歩くと横浜市水道局野毛山排水地。私もこの配水地を経由した水を飲んでいます。近代水道は横浜に始まりますが、傍らに近代水道の父、H.S.パーマーの像があります。
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 このあたりは小高い丘の頂上部になりますが、東向きの眺望の中央の電波塔が目に付きます。間近で銘板を探せば「ラジオ関東開局の地」と刻まれています。現「RFラジオ日本」の前進で、昔はここに局舎がありましたが、現在は「野毛山無線基地」のようです。
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 東南の方向に下っていくと京浜急行黄金町駅付近。久しぶりに黄金町スタディオに寄りましたが、一部屋で制作していましたが、他はひっそりしていました。

 目の前の大岡川に沿って下っていくと、京浜急行日之出町駅至近に、「長谷川伸生誕の地」碑があります。「ご恩になった姉さんに/せめて見てもらう駒形の/しがねえ姿の土俵入りでござんす」と、一本刀土俵入りの一節が刻まれています。

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 伊勢佐木町通りに入って旧野沢松坂屋の工事用壁に描かれた「ゆず」。

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 横浜市庁前のベイスターズ通りに入ってすぐに優勝記念モニュメント。もう10年以上前だよ、新しいのつくりたいね。って、どこのファンでもないですけど。

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 この後、日本大通り、山下公園、みなとみらい21地区を経由して自宅に戻りました。B・C級横浜名所ですが、興味ありましたら辿ってみて下さい。興味ないって。写真だけでも見て下さい。

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2009年11月21日 (土)

美術:「原三溪と美術-蒐集家三溪の旧蔵品」展

  会場    三渓記念館(横浜三渓園内)
  会期    10/31(土)~11/30(月)
  入園時間  9時~17時(入園は閉園の30分前)
  入場料金  700円(他に入園料500円)
  鑑賞日   2009年11月20日
  公式HP  http://www.sankeien.or.jp/

 

 三渓園は横浜名所の一つ、生糸輸出などで財をなした原三渓(本名富太郎)の旧宅です。内苑と外苑からなり、古くから一般に公開されています。今は面影すらありませんが、南西側は海に面した風光明媚な場所でした。現在、南西側一帯の海は埋め立てられて工場地帯になっていますが、園内は良く手入れされて変わることなく憩いの場所になっています。

 原三渓の実業家以外の側面として、園内に古建築を移築したり、近代日本画家の若い時代を支援したり、美術品を収集もしたりしていました。今回の企画展はタイトルからも判るとおり、かって原三渓が所有し、今は三溪園を離れた名品の数々をふたたび三溪園に集結させるものです。

 三溪園には何度も訪れていますが、原三渓の美術品収集家としての側面を知りませんでしたから足を向けた次第です。私には渋い内容でしたが、真の美術品収集家とは斯くあるべきと、そして原三渓の業績をおぼろげに知ったような感じです。

 展示作品の中で、東京国立博物館蔵「国宝・孔雀明王像」は見たことあるように思います。五島美術館蔵「志野茶碗・銘梅が香」は見たことがあります。いずれも印象的な作品です。沢山ある中から特定できるかと問われれば自信などありませんが。他の作品は見たこと無いようでした。

 作品リストを見ているとあちらこちらに散らばっています。作品を愛する人の下に移っていくことは作品として幸せなことでしょう。美術館等も多いのですが。

 見終えてから閉園真際の園内を散策しました。人も少なく、聴こえる音は水鳥の羽ばたき、こんなに遅い時間に園内にいたことはありません。一日を終えようとする三溪園も美しいと思いました。特に昼の短い今頃が素敵だと思います。
 渋い美術展ですが、三溪園散策を兼ねて出かけて見ませんか。
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演劇:ヘンリー六世(第三部)・薔薇戦争

   作     ウィリアム・シェイクスピア
   翻訳    小田島 雄志
   演出    鵜山 仁

   美術    島 次郎
   照明    服部 基
   音響    上田 好生
   衣装    前田 文子
   アクション 渥美 博、他多数

   出演    浦井健治   王ヘンリー六世
         中嶋朋子   王妃マーガレット
         ソニン    皇太子エドワード
         渡辺徹    ヨーク公
         今井明彦   エドワード、マーチ伯、後にエドワード四世
         岡本健一   リチャード、後にグロスター公、他多数

   会場    新国立劇場
   公演    2009年10月27日(火)~11月23日(月・祝)、複雑につき詳細は要確認
   鑑賞    2009年11月19日 18:35~21:50(休憩15分)
   公式HP   http://www.atre.jp/henry/

 しきりに様相を変える舞台。戦いに次ぐ戦いは、暗転、スモーク、大きな布を敷いたり被せたり、あるいは吊り下げて表現される。

 思わず痛いと呟いてしまいそうな激しいアクション。惨殺されたヨーク公の顔に縦一文字の血糊が浮かび上がるメイク。役者は客席を含むあらゆる場所から登場して広大な大地を感じさせる。

 ロンドン塔でリチャードに殺された王ヘンリーは、リチャードが大きく足をあげて踏み降ろすと同時に、奈落の底に落ちていく(形容でなく床が開いて本当に落ちる)。はっとする展開であり、後の場面へ円滑に繋がった。

 スピーディにして迫力を併せ持ち、かつ場面ごとに変化する舞台、それを可能にした美術と照明は讃えられて良い。役者だけで舞台は成り立たない。当たり前のことだが強く印象に残った。

 

 浦井健治は淡々と演じて、理想に生き、世間知らずで優柔不断な王ヘンリーを浮かび上がらせた。乱世に生きなければならなかった王の悲哀さが良く伝わる。
 中嶋朋子は王ヘンリーに取って代わり、自ら甲冑に身を固める猛女である王妃マーガレットをヒステリックに演じた。それはそれで納得できる。が、真の恐ろしさは感じられなかった。庶民出のジャンヌダルクとは異なる、冷徹なイメージが私の中にはある。
 今井朋彦は王妃マーガレットと対峙しながら王エドワードに登りつめる道筋が良く判る。岡本健一のリチャードには狂気が篭っていて怖いくらいである。

 

 若きシェイクスピアは何を言いたかったのか。一つの答えは第二幕五場にあろう。

 戦場の片隅の小さな丘に腰を下ろした王ヘンリーの長い独白。「・・・妃のマーガレットばかりか、クリフォードまでが私を叱りつけ、戦場から離れていろと言った、私などいないほうが勝てる、と言い張るのだ。・・・ああ、神よ!私にはどんなにしあわせに思えることか、貧しい羊飼いにすぎぬ身の上で暮らすことが! ・・・」。浦井健治が淡々と演じてきたからこそ、君臨する統治者の悲哀、寂寥感を浮き立たせて、胸を打つ。

 続いて、父親を殺してしまった息子がその死体をかかえて登場。「・・・おや、この男は?ああ!この顔はおやじじゃないか、そうとは知らずさっきの戦いで殺しちまった。なんてひどい世の中だ、こんな目に会わせるとは!・・・」

 さらに、息子をころしてしまった父親がその死体を抱えて登場。「・・・待てよ、この顔は、これは、敵か?ああ、ちがう、ちがう、ちがう、おれのたった一人の倅だ!・・・なんて凶悪な、酷薄な、非道な、人間として許されぬ恐ろしい行為のかずかずを、この忌まわしい戦争は毎日生み出していることか!・・・」

 これらの言葉が胸を打つ。二十代半ばのシェイクスピアが到達していた境地、いまだ繰り返されていることに人類の悲哀を感じる。

 

 王妃マーガレットの女として、母親として、あるいは統治者としての生き方も悲しい。
 ヨーク公の末子を惨殺、血に染まったハンカチを突きつけながらヨーク公を罵倒する。一方、息子である皇太子エドワードをリチャードに殺され「おまえたちに子供があれば、あわれをもよおしただろう」と矛盾した心境を吐露する。これもまた人の悲哀さの究極であろう。

 

 ヘンリー六世を3回に分けて観劇した。合計9時間超は決して短い時間ではない。途中で端折れば良いのにと思うこともあった。しかし終えてみれば、小田島訳のテキストに沿った上演(細かく確認したわけではない)、したがって原作に忠実な上演の何と素晴らしいことか。

 言葉の重みが良く理解できる(こう言い切るには不勉強であることの気恥ずかしさを伴うが、それなりに理解できたと思われたい)。つくづくそう思った。短縮上演や翻案による上演を否定する気などさらさらないし、素晴らしい舞台も多くあるが。

 

 演出・鵜山仁に触れてこなかったが、これが新国立の最後だそうだ。いろいろあったようだが最後の意地を見せたと言って良いだろう。芸術家は作品で評価されるべきであり、そのことが妥当ならば今その地位を去る必然性はないだろう。

 特異な演出が第三部にあった。一つは蓄音機が登場して「オーバー・ザ・レインボー」を奏でたこと。ヨーク家側の勝利の場面にミラーボールが登場して鮮やかな色彩を輝かせたこと。古典が現代に繋がる瞬間であろう。人類は剣を鉄砲に変え、ミサイルに変えても同じ愚を繰り返している。
 王ヘンリーが宙吊りで天井から現われる場面もあった。一人蚊帳の外にいる存在が強く感じられた。

 

 終幕、白い雲が浮かんだ青空がホリゾントに映し出され、悲惨な戦争を終えて明るい未来が暗示されるかのようである。
 王エドワード、王妃エリザベス、誕生した王子を抱いた乳母。従者たちは王を取り囲み、忠誠を誓う。こうして血で血を洗う悲惨な薔薇戦争は終わりを告げる。が、傍らでリチャードは早くも次の王座を奪取することを自らの心に誓っている。

 従者たちはフード付きマントを着けているが、フードを外して観客に挨拶をする。第一部から役を変えて登場・退場していった顔がごちゃまぜになって一堂に会し、まるで亡霊が蘇ったような気がした。意図したか否かは定かでないが私には印象深い幕切れであった。

 

 いつまでも拍手したかったが、22時近くでもありあっさりと挨拶は終わった。通しの観劇ならば事情は少し違うだろうか。もう一度見たいと思うがチケットは無いようである。総じて入りは良かった。心地よい疲れを感じながら帰路についた。

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2009年11月19日 (木)

路上観察:オペラシティーのクリスマス・ツリー(2009年11月19日)

 「演劇・ヘンリー六世」観劇と関連企画の「シェイクスピア大学校・連続講座」聴講で、11月になってから新国立劇場へ既に6往復しました。11月4日が最初で、本日19日の「ヘンリー六世・第三部」観劇で最後、計7往復です。

 隣のオペラシティに大きなクリスマス・ツリーが飾られていますが、確か12日に点灯式、当日は昼に来たので点灯式を見ることができませんでした。

 昨18日、灯りの点ったクリスマス・ツリーを見ることが出来ました。昼間だってクリスマス・ツリーですが、灯りの点った方が何層倍も素敵です。形・大きさは昨年と変わらないようです。が、下部のどこかに触れると頂部の鐘がゆれて音を出しています。
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 オペラシティーに入って行く階段も、光の階段に変貌しています。
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 10日ほどで師走、何かをしても何かをしなくても時間は過ぎます。2009年はどうだったでしょうか。追い込みで辻褄あわせをしなくてはいけないかな。

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2009年11月16日 (月)

路上観察:2009横浜国際女子マラソン大会観戦(2009年11月15日)

 昼前からヘリコプターの音が自宅に響いてきました。第1回横浜国際女子マラソンのTV中継用のそれだろうと、見もせずに決めていました。コースの1/3は良く歩きますし、1/3はたまに歩きます。残りも知らない訳でありません。私の行動圏内にコース設定されたマラソン、興味はあります。

 昨日までは山下公園付近まで出かけようと思っていましたが、結局はTV観戦。3周目の周回がみなとみらい地区を進む頃、自宅を出ました。観戦場所は旧東横線高島町駅付近、国道一号から関内・伊勢佐木町方面に左折する所、自宅から徒歩10分ほどです。

 頃合をみて出かけたはずですが、観戦場所に着く頃には先頭が近づいていました。良い位置取りなどの余裕はなく、反対車線の歩道側から見るのがやっと。選手が速いのか、私の行動開始が遅いのか。

 先頭のアビトワ選手がしっかりした足取りで通過、暫くしてから嶋原選手が通過していきました。残り距離は8~9Kmくらいだと思いますが、追いつくのはかなり苦しいだろうと感じました。それから一人、また一人と通過していきます。やがて市民ランナーと思われる選手が通過していきます(写真は中ほどを走る選手です)。
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 少し観戦して帰るつもりでしたが、惹きつけられて最後の選手まで見てしまいました。優勝を争うトップアスリートからは力強さとたくましさを、市民ランナーからは自からに挑戦する真剣さが感じられました。

 一月半が過ぎるとこの辺りは箱根駅伝の選手が通過します。学生の走る姿は子供の頃から見ていますが女子マラソンを見るのは初めて。マラソンと駅伝、男性と女性、条件は異なります。しかし女性が42.195Kmを駆け抜けるたくましさを感じました。そして美しい。最後まで観戦してしまった理由はそこにあります。

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2009年11月15日 (日)

音楽:神奈川フィル第258回定期演奏会

  指揮  マルティン・トゥルノフスキ
  独奏  フランシス・グトン(チェロ)
  演奏  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目  ウェーバー       歌劇「オベロン」序曲
      ドボォルザーク     チェロ協奏曲
      マルティヌー      交響曲第4番

  会場  横浜みなとみらいホール(2階5列12番)
  公演  2009年11月14日14:00~15:45(途中休憩15分)、入りは6割程

 

 マルティヌーを聴くのは録音を含めても初めてです。指揮者、独奏者、ゲスト・コンサートマスター長原幸太も初めてです。定期会員でなければ会場に足を向けないプログラムですが、広く音楽を聴くとの観点に立てば定期会員になって良かったと思います。選好みせずに何でも聴いてみることも結構大事と思うようになりました。

  

 チェロ協奏曲と言えばドボォルザークのそれが最初に思い浮かびます。要所の印象深い旋律に興趣を感じ、朗々と響かせて欲しい思いがします。
 グトンの独奏チェロは少し大人しいように思いました。オーケストラに埋もれて、いまひとつ浮き出てこない思いがしました。録音で聴くような独奏チェロの明瞭さは難しいかも知れませんが、でも協奏曲ですからそれを期待してしまいます。特に独奏チェロは朗々と響かせる、それが始まりでしょう。

 

 マルティヌーは暗譜で指揮されました。編成にピアノが含まれていて、打楽器的に使われているように感じました。不協和音のようなもやもやっとした部分があったりして、現代に近づいている印象を受けました。初めて聴く曲で細かいことまで判りませんが、でも面白い曲と感じました。気が緩むことなく聴きました。名前のみ知る作曲家でしたが、そのうちCDを手に入れて繰り返し聴こうと思いました。新しい発見をしたような感じです。

 

 神フィルの演奏を聴くのは5回目になりますが、本日は少し控えめのように感じました。艶が少し不足していたかな。ドボォルザークもマルティヌーも悪くないと思いますが、過去4回と少し違うような気がします。指揮者、独奏者、コンサートマスタなどとのとの相性もあるのかも知れません。繰り返し聴くのはそういうことが判ってくることかも知れません。

 次回の259回定期はベートーベン/ミサ・ソレムニス、来年のことになります。来年も神フィルを聴きます。

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2009年11月11日 (水)

演劇:ヘンリー六世(第二部)・敗北と混乱

   作     ウィリアム・シェイクスピア
   翻訳    小田島 雄志
   演出    鵜山 仁

   美術    島 次郎
   照明    服部 基
   音響    上田 好生
   衣装    前田 文子
   アクション 渥美 博、他多数

   出演    浦井健治   王ヘンリー六世
         中嶋朋子   王妃マーガレット
         中嶋しゅう  グロスター公
         村井国男   サフォーク公
         勝部演之   枢機卿ポーフォート
         菅野菜保之  ソールズベリー伯
         上杉祥三   ウォリック伯
         渡辺徹    ヨーク公
         立川三貴   ジャック・ケード、他多数

   会場    新国立劇場
   公演    2009年10月27日(火)~11月23日(月・祝)、複雑につき詳細は要確認
   鑑賞    2009年11月10日 14:05~17:10(休憩15分)
   公式HP   http://www.atre.jp/henry/

 

 上手の池に赤薔薇・白薔薇の花が浮かんでいる。第一部後半に(確か)ジャンヌダルクが投げ込んだ薔薇の枝から離れたものだろう。物語は切れることなく続く。

 

 王座・王妃座が並ぶ王宮。王ヘンリーの名代として婚儀をすませたサフォークは、王ヘンリーの下にマーガレットを案内する。グロスターは、サフォークが取り結んだ和議が屈辱的な条件であると嘆き、サフォークの忠誠を疑う。

 一方、枢機卿ボーフォートらはグロスター追い落しをたくらみ、ヨークらはグロスターに味方する。両者の闘いが始まるなかでヨークは王位略奪を口ばしる。

 何事が起きても優柔不断な王ヘンリー、王をないがしろにする貴族たち。貴族たちのいがみ合い、闘い。王妃とサフォークの不倫。グロスター公妃の野望。その間にジャックケードの反乱が挟まる。

 

 多くの出来事に複雑さはなく、展開によっては単調に流れかねないだろう。スピーディな展開、歯切れの良さがそれを感じさせない。

 出演者の力は言うまでもないが、スタッフの力を強く感じない訳にいかない。シンプルな舞台に王宮・公爵邸・戦場などを浮かび上がらせる照明。モノトーンの簡素なフード付き外套ながら荘厳さも失わない場面など、要所ではっとする美しさを感じさせる衣装。舞台狭しと立ち回り、戦いの空しさ・残忍さを伝えるアクション。豪壮な空間、荒涼たる空間、意外な場所から出演者が登場する舞台を作り上げた美術(ロビー展示の舞台模型写真、左が全体像、右は下手前方から上手後方)。

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 愛人サフォークと結託して権勢を増大しようとする王妃マーガレット、中嶋朋子はTVでもじっくり見たことはなかったが、王ヘンリーを尻に敷く悪女を見事に演じている。私の根拠ないイメージを覆した。
 王ヘンリー六世の浦井健治は、権勢欲渦巻く中で主体性の無い王を良く感じさせる。市井の人なら穏やかな生活を送れただろうと思わず同情させる。
 グロスター公の中嶋しゅう、サフォーク公の村井国男、枢機卿ポーフォートの勝部演之等の諸卿は、各々に個性の強い役を良く感じさせる。ヨーク公の渡辺徹もTVでしか知らなかったが、舞台に良く映える。
 ジャック・ケードの立川三貴は、全体の流れと異質な場面で存在感を感じた。この場面が単調ならば全体の単調さに繋がるだろう。

 

 戦いはひとまずヨーク派の勝利で終わる。後にリチャード三世、狂気のリチャードが現われた。第三部につながっていくだろう。

 

 「統帥権干犯」、その意味を突き詰めたことはないけれど、グロスター公追い落としの場面でふと思い浮かんだ。イングランドを中心にした歴史劇ではあるが、その普遍性を確認した瞬間である。統治者の権謀術数の下で苦しむ庶民、何時の時代も、どこでも似たようなものだろう。舞台の面白さが、舞台に現われない悲劇を余計に感じさせた。

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2009年11月10日 (火)

演劇:ヘンリー六世(第一部)・百年戦争

   作     ウィリアム・シェイクスピア
   翻訳    小田島 雄志
   演出    鵜山 仁

   美術    島 次郎
   照明    服部 基
   音響    上田 好生
   衣装    前田 文子、他多数

   出演    浦井健治   王ヘンリー六世
         中嶋朋子   マーガレット
         渡辺徹    プランタジネット、後にヨーク公
         村井国男   サフォーク伯
         ソニン    乙女ジャンヌ
         木場勝己   トールボット卿、他多数

   会場    新国立劇場
   公演    2009年10月27日(火)~11月23日(月・祝)、複雑につき詳細は要確認
   鑑賞    2009年11月9日 14:05:00~17:05(休憩15分)
   公式HP   http://www.atre.jp/henry/

 
 

 王座が光の輪の中に浮かび上がり、間もなく後方に倒れて先王・ヘンリー五世の崩御を暗示する。グレイのフード付き外套を着装した葬列が下手後方から舞台中央に進む。王冠を抱いた従者が白布で覆われた柩の上に王冠を置く。やがてベッドフォードが重々しく語り始める。簡素だが重厚さを秘めて物語は始まる。

 

 舞台は客席に随分と張り出している。奥から手前にかけて傾斜、上手後方はめくれ上がった感じで小山に登っていくような。全体に四角い床材を張り詰めたようで、上手前方に本水の池、下手前方に崩れた扉や残骸が敷き詰められた印象。全体は黒近い色、荒涼とした原野を思わせる。

 場面転換はシンプルでスピーディだが、想像力を湧き立たせるに不足は無い。天井に吊り上げられた二つ見張り台を池の上に降ろしたり、舞台中央に降ろしたり。戸板を並べて城壁。幾度となく大きなシート状の布を掲げたり、巻きつけたり。舞台後方壁には空や雲の映像が投影される。上方からの照明・映像は原野を城内を一室に変え、中央に四角形に挿された二本づつの赤薔薇・白薔薇が未来を暗示する。

 役者は舞台後方、舞台脇、客席後方など様々な場所から登場する。舞台後方からの登場は顔から見えて、まるで原野の小山の影から馳せ参じる思いがする。なかなか面白い。

 

 勇壮にして剛毅、真の武将トールボットを好演した木場勝己は第一部のMVPか。
 清楚にして凛々しく、時におきゃんな乙女ジャンヌを演じたソニンも印象深い。ただ声の聴き取りにくい部分があった。
 タイトルロール、王ヘンリー六世を演じた浦井健治は、老獪な貴族とは対照的な世間知らずで屈託のない王を表現した。
 ヨーク公を演じる渡辺徹は舞台映えするが目覚しいシーンはまだない。。
 サフォーク伯を演じた村井国男、マーガレットを演じた中嶋朋子はまだ顔見世程度。

 

 百年戦争から薔薇戦争に至る歴史劇、その各場面が深みに至る訳ではない。しかし長い年月に渡って繰り返される権謀術数・殺戮の繰り返しは、権力者の本質を深く暴き出しているように思えた。若きシェイクスピアの作品、小田島訳に忠実に展開されている、私の印象では。

 「新国立へ行け」、シェイクスピアの楽しさがこの年になって判ってきた。

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2009年11月 9日 (月)

随想:CMに使用される音楽について

 TVから流れる音楽はさまざまです。大抵は聞き流すのですが、最近、?と思うことがありました。その中からかなり気になっていることを。

 

 数秒間ですが、「J・S・バッハ:マタイ伝による受難曲」の最後の合唱の一部を使用したCMがありました。それは『toto BIG「もうすぐ閉幕」編』。

 この合唱曲をCMに使用していけないルールは無いでしょう。著作権関係をクリアすれば何の問題も発生しないでしょう。しかし、キリスト経者に対する精神的・倫理的な面からどうかと思いました。

 J・S・バッハの全作品中の最高峰に位置づけられ、クラシック音楽の全てのジャンルを通して最高傑作とさえ言われます。私は過去4回、この生演奏に接し、CDを何回も聴いています。非キリスト者である私でさえ最後の合唱は威儀を正します。

 そのような私の思いもあって、この曲をCMに使用することがかなり気になっています。映像との関係も気になります。宗教的な場面は慎重に対処する必要がある、と私は考えます。

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2009年11月 7日 (土)

路上観察:横浜・放送ライブラリー(2009年11月6日)

 

 横浜情報文化センターが神奈川県庁の斜め前にあります。情文センター内には、日本新聞博物館放送ライブラリー、その他が入居しています。

 日本新聞博物館は、新聞の歴史や新聞がつくられるまでの紹介、企画展示、新聞の製作体験、全国の主要紙を閲覧できる「新聞ライブラリー」などで構成されているようです。先日、企画展示「心をひとつ ふるさと復興展~新潟県中越地震から5年~(2009年11月29日まで)」をかなりしっかり見ました。私はまだこの一度しか出かけていません。

 

 放送ライブラリーは、「放送法に基づくわが国唯一の放送番組専門のアーカイブ施設」だそうです。NHKや民放局のテレビ・ラジオ番組、コマーシャルのライブラリー、体験型常設展示コーナーがあります。視聴覚ライブラリー・フロアでは、個別ブースでライブラリーの鑑賞が可能です。私は時々出かけてライブラリーを視聴しています。

 視聴覚ライブラリー・フロアには、1~3人用のTVブースが60台、100席が設置されています。検索端末で視聴したいライブラリーを特定して申し込むと、指定されたTVブースで視聴が可能になります。ダビングはできません。

 どのようなライブラリーが収蔵されているかはホームページで検索できます。興味あればどうぞ検索して下さい。

 私は最初、演劇関係のライブラリーを視聴しようと思ったのですがヒットしませんでした。著作権等の絡みもあるでしょう。ターゲットが狭かったり特殊だったりすると収蔵されていないようです。そこで収蔵されているものから興味あるものを選択するとの方針を変更しました。現在は「文楽」のキーワードでヒットする約40本弱を見尽くそうと思っています。10本ほどを見終わりました。

 先日視聴したライブラリーは、「極める・匠と至芸の世界 無我・情の語りべ(人形浄瑠璃文楽・太夫/四世竹本越路太夫)・TV東京・1987年」と「芸能花舞台 上方の人形振り・NHK・1993年」。

 越路太夫の至芸を充分に理解できるわけでありませんが、それでも素晴らしいと思いました。ライブラリーに残っているだけでも幸せです。もう接する機会もないのですから。

 人形振りは大変に面白かった。人形振り、すなわち人間が人形の真似をして踊ることです。文楽人形が人間を真似した仕草を追求して、人間がその文楽人形を真似して踊る。文楽の八百屋お七、色物の三人奴、日舞の八百屋お七を対比して人形振りを解説しています。

 八百屋お七は、火の見櫓に登る前に長い髪を前後に大きく振る仕草を行います。膝を曲げて腰を下ろした状態で跳ねるように前に進みながら、髪を振ります。文楽では4拍子の1・3拍で前後に、2・4拍は状態継続するのに、日舞では二拍子の1泊で前へ、2泊で後ろへと間断なく髪を振ります。各々の特質に沿った構成なのでしょう。櫓の上に登ってから叩くのは文楽が鐘で、日舞が太鼓。

 いくつか苦言を。TVはブラウン管タイプで反射光が写り込んで醜い(席の差があるかもしれない)。音量調整のボリュームの位置によって片側が聞こえない席がある。1回に1本のライブラリーしか見られないので、検索・申し込み・視聴を繰り返し、文楽はオンライン化されていないようでセットするのに5分ほど必要となる。新しいライブラリーの収蔵、収蔵の範囲を拡大をお願いしたい。
 それでも貴重なライブラリーが見られるのは有り難いと思っています。一度出かけてみませんか。

 付け足しですが、県庁前の銀杏並木が色付き始めています。

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2009年11月 4日 (水)

講演:青山七恵×原武史(対談編)

講演:青山七恵×原武史(対談編)

  名称  明治学院大学 2009年度公開セミナー
      「知」の現場から 第4回 文学2
  場所  明治学院大学横浜キャンパス
  日時  2009年10月27日 16時45~18時15

  講演者 青山七恵・原武史

 作家は作品で評価されるのだが、それにしても26歳は若い。そのようなところから対談が始まりました。以下その記録ですが、私が受け止めた内容であって、両人が必ずしもこのように言ったとの保障はありませんので承知願います。

 

H: 26歳、公開セミナーの最年少になると思う。作家としては既に大きな仕事を成し遂げている。(「窓の灯」で第42回)文藝賞、(「ひとり日和」で第136回)芥川賞、(短篇「かけら」で)川端賞を受賞している。これからますます期待される。お会いするのは初めてではない。「ひとり日和」受賞後に対談させて貰った。大変楽しく、このセミナーに是非呼びたいと思った。作品もさることながら、その背後に迫りたい。
A: 5月から3ヶ月間、フランスに行った。お金がたまったらフランスへ行きたかった。語学学校に行った。
H: 83年、埼玉生まれ、利根川を挟んで群馬という場所。図書館情報大学が筑波大学に統合され、卒業は筑波大学。旅行会社に勤務、その間に芥川賞受賞、今年になって退職、専業になった。その決意とフランス行は繋がるか。
A: 仕事を沢山やることになると思って、その前にフランスへ。行けなくなるかもしれないので。
H: 前後で大きな違いはあるか。仕事があって、その後で集中して書く。それが無くなった。時間はたっぷりあって、そこで書く。海外に長くいてフランス語に囲まれていた。その変化は。
A: 時間の使い方。行く前に2ヶ月、すごく時間がある。沢山書けると思ったが、時間があっても前と同じ位。フランスで規則正しい生活、早寝早起きは素晴らしい。7時半から11時半(23時半)、パターンが出来てきた。昼間は休んで集中して書く。
H: ~(芥川賞)、その対談で、小説は高校か。
A: 大学。
H: 手書きだと小説に見えないが、活字になると見え方が違う。縦横でも違う。自分もこだわるが横か縦か。
A: 小説は縦。エッセイは横。
H: 自分は依頼されると何字何行とか、それが気になる。確認したことはあるか。
A: 確認はしないが枚数はなるべく合せる。
H: 最後の行は何字位か。
A: こだわらない。出版者が調整しているかも知れない。
H: それがきれいだ。視覚的にきれいに終わる。
A: 考えたことはない。
H: 川上(弘美)とは仲が良い。緊張している。川上は平仮名が多い。やわらかいイメージ。青山は、これは平仮名、書く字の基準はあるか。
A: あるが、作品に合せて使い分ける。
H: 川上ほどではないが、こだわりを感じる。それを含めて構成か。
A: 気にしている。笑わす言葉でもいくつかから選ぶ。
H: 最初の一行はスーッと出てくるか。最後まで行って戻るか。
A: スムーズに出てくる。最後にいって見返すが、直すことは少ない。
H: 一行目、スーッと入っていけるか。青山を形作っている。最初に心を動かされた「ひとり日和」、この小説の舞台は京王線のある駅が見える家。春から春までの移り変わり。小さな駅を選んだことに惹かれた。首都圏に大くの駅がある。その中でこの駅に良く着目した。小説だから全部フィクションではない。あるブログで「馬鹿じゃないの」。鉄道マニアが、笹塚も出てくるがそこから元八幡駅へ。あそこから出るのは京王新線。この特急に乗ると接続しないと。
A: そこまで見てくれるのは嬉しい。
H: 対談の時もそこまで行った。100%フィクションではないが、加味しだされる雰囲気が好き。そのマニア、「何々~府中」、「府中本町から何々」(細かいことを言っているが)意味無いじゃん。
A: 私も知っていた。武蔵野線でいっては駄目。
H: ぴたり静止している空間が必要。季節が流れ、最後に戻ってその空間に来たことがぐっとくる。ドラマティックなことは無い。日常的なことが淡々と。そこに誰も気付かないことを掬い出す、その能力。
A: 何か心に引っかかるような文を書いてみたい。イメージが曖昧なので、それを言葉にしようと思って。
H: それがスキッと書かれている。私は大学に属して文を書く。この世界は分量で脅かすところがある。「かけら」3つの短編で川端賞。短編に対して、短編は長編より難しいか。
A: 私は短編が好き。
H: 「かけら」を読んですごく惹かれる。あの短さに凝縮。「ひとり日和」は1年間の変化をゆっくり。これって川ですよね、幼少期の影響か。「かけら」は1日、バスですよね。
A: バス。
H: 対談で(テーマを)聞いていたがこういう形でまとまるとは。バスにも、貸切があったり色々。本学に来るのは江ノ電の路線バス。他方で貸し切りバス。小学生の遠足、会社の旅行は最初から知り合いが乗る。「かけら」が貸切だが、「さくらんぼ狩りとビーナスライン」、目的は一致するが、以前は知らないが赤の他人でもない。父が遅れてあやまりながらバスに戻る。赤の他人で無いから謝るような関係。小説で設定した父と娘、母と娘で無いような関係が響きあっている。
A: 私も友達と?へ行った。満杯だったがおやつを分け合うでなく、サービスエリアで知った顔に見ると避けてしまう。この小説のような感じはある。
H: 初めは自分でなく友達から聞いたのですね。
A: はい。その後、自分でも行った。
H: 新宿で乗った父と娘。その二人だけが実の親子だが、他人からそう見て貰えるかどうか。5人で行くのと2人で行くのと。娘に課題。「かけら」ではカメラを持って。金物屋の看板。
A: 時々ありますよね。
H: そういう視点、青山本人。
A: 自分にもある。
H: 中央高速、少し早く着く。主人公が、父の日頃見ない光景を見る。おばあさんがころぶのを助ける。そのために遅れる。娘には話さない。よそよそしい関係。ゼミの話題で、父に対してつめたいのではないかと。
A: つめたい。
H: 確かにそうだが、助ける。さくらんぼ狩は背が高くて便利。皆に採ってあげる。その視線がクール。
A: 父にさくらんぼを渡すために待っている。やさしい伏線もある。
H: その後、ビーナスライン。ビーナスって何、調べたこともある。休憩、丘。
A: 丘の方に行って鐘が見える。娘が行ったら見えない。ビーナスの前。
H: 行ったらなくて怒り、集合に遅れる。焦点はビーナスライン。「かけら」はみんな、お父さんがみんな細かいことをつないで行く。ここで父の姿を見た感じ。カント哲学だ。現象しか見えないが、背後にあるものか。純粋理性だ。
A: 娘の影で、旅人でいるかも。
H: あそこで一気に娘に変化が。ビーナスラインで一気に。帰りは寝たりしているが、そこにそういうものを読者に感じさせる。言葉を選んでいるが、背後にふくらみを意識。
A: 娘と父の話を。展開を考えているうちに、後で感じることもある。自分も仕組みはわからない。
H: 「かけら」は、父と娘の大きな関係が描かれている。父の人格。
A: 大きく考え、書きながら、ぼんやりしたホール。そこに向けて書く。
H: 最後は。
A: 大体はある。娘が自販機の横で写真を見る。そこにどうしたら行けるか。
H: うまくいく場合といかない場合が。
A: うまくいかない場合もある。「かけら」も1日のことを書いたので、数日後に写真を見ている所が難しい。取って付けた様にならないか。
H: さくらんぼ狩で父の姿が写っている。
A: 父の視線が斜めに横切っている。それがきれいに。
H: 自分の視点から外れられない。直してこれが筋かな、自信が無いと最初が良かったと。
A: 迷うこともあるが「かけら」はうまく行った。場合によっては書き直す前が良い。
H: 短編は言葉が少ない。
A: 集中する。全体把握できない。
H: (先週のセミナーで)川上が詩を書きなさいと言っていたがどうですか。
A: やってみたい。友人が短歌をやっている。短い制限で言葉の力をだすのが全て。短歌とかやってみたい。
H: 新天地に行ける。歴代天皇は短歌を詠むのが仕事。明治天皇は九万首。それ位詠めば勲章。青山は書いていて目標はあるか。
A: 2007年、会社をやめるのを迷っていて、3篇書いたらやめていいと目標を。
H: なかなかできることではないが、青山は違う。
A: がんばった。中編3本。これから短編を集中して書きたい。2008年10本ぐらい書いた。今年は長いものを。
H: コンセントレーションが高まっているか。
A: 短編は集中、高まったような。
H: フランスで規則正しい生活。寝食を忘れるか。
A: 寝食は忘れない。3時4時までやることもある。働いている時の習慣。
H: 立花隆~~~。
  大学のこういう場(公開セミナー)は初めての経験。青山は、綿矢りさや金原ひとみと同世代。新進気鋭の作家が増えているが自分にとっとどうか。
A: 年齢は気にしていない。同い年ということは意識した。そういう人がいるのはラッキー。
H: 同世代の同業者は意識。(日曜日の原武史参加の公開討論会に触れて)似たような意識はする。綿矢、金原は学年は違う。賞はプレッシャーになるか。
A: プレッシャーでなく、はげみになる。会社のように保険がついていないので、孤立している。税金など一定額の支払いはある。大変だ。川端賞は会社をやめた直後に頂いた。良かったと思った。
H: 後に平成の小説として引用されるだろう。文学は、その時の背景と切り離せない。青山(の小説)は情景がくっきり浮かび上がる。時代を現している。100年後にそう言う人が出てくる。
A: サザエさんを見て、昔はこういうものを使っていたんだとか思う。
H: 小説は(外国に)翻訳もされる。社会科学、人文は残らないし、後世に残るのは羨ましい。青山の本も翻訳されるだろう。

 

 会社勤務を保険がついているとの話題はほほえましい。作家という職業はそれほど大変なことなのでしょう。務めをやめて収入がなくなっても社会的費用等の支出はなくなりません。それを大変だと思っているようです。26歳にして確固たる基盤ができているように思うのですが、26歳から先も相当に長いことは事実。
 先週の川上弘美はオリのようなものを書いていると言いましたが、青山は何を。これから注目します。

 質疑編は追って掲載予定です。

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路上観察:横浜・スカイウォーク(2009年11月3日)

 鮮やかな青空、風は強く、遠望できる予感がしたので、横浜・スカイウォークに出かけました。12時前に到着、もっと早い時間のほうがみなとみらい地区のビル群の光の回り具合が良いのですが、まあぎりぎりでした。

 スカイウォークは、横浜ベイブリッジの東京側主脚下にある展望施設です。ベイブリッジ下の遊歩道を歩いて陸地から300mほど離れた、海面から約50m高のスカイラウンジに到達します。(写真は、スカイラウンジ遠景、スカイラウンジ内からみなと未来地区方面およびベイブリッジ下)
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 みなとみらい地区のビル群の遥か彼方に富士山、その手前に丹沢山塊が見えました。鮮明さにはやや欠けますが、見ることができたのでまあ良し。
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 反対側に視線を移せば、やや逆光のなかに白亜の横浜港新ビルタワーが目に入ります。本日は大型船は見られませんでしたが、小さな船は結構行き交っていました。房総半島も意外と近いです。
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 様子を見て、夕景・夜景を撮りに行きたいと思っています。

 時間制限はあるようですが、首都高大黒町パーキングから歩いていけるそうです。横浜港客船入港予定で確認して、大型船の入出港に合せて訪れるのも良いと思います。
 私もファインショットを狙って時々出かけたいと思います。

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2009年11月 3日 (火)

随想:「維新派・ろじ式」と「つげ義春・ねじ式」(2009年11月1日)

 「維新派・ろじ式」を観て「ろじ式」とは何か、気になりました。
 「ろじ」が「路地」に通じることは、舞台上で繰り広げられるパフォーマンスで判ります。しかし「式」は何を意味するでしょうか。

 朝日新聞(2009年10月26日夕刊)劇評に『「ろじ式」は、つげ義春のマンガ「ねじ式」と街の路地に由来する』とありました。「ろじ」が「路地」であることは私の認識と一致します。

 しかし『「ろじ式」は、つげ義春のマンガ「ねじ式」(と街の路地)に由来する』とは、私には理解不能です。「つげ義春」「ねじ式」という記号の意味が判らないからです。もちろん「つげ義春」が漫画作家であること、何かに引用された数コマから絵の調子は何となく判ります。しかしそこまでです。

 維新派の「ろじ式」を振り返る、あるいは来年予定される「<彼>と旅をする20世紀三部作の第三部」への理解を深めるには、「つげ義春」「ねじ式」を少し掘り下げておく必要があると思いました。

 近所の図書館に出かけ、「つげ義春」で検索したら10件ほどヒット、1件はビデオテープで残りが書籍。先頭が「復刻版・月刊ガロ増刊号つげ義春特集・1・2巻」でした。漫画も収蔵かと思いましたが、重要な作品であるがゆえに収蔵しているのだろうと思い返しました。

Garo1 Garo2

 

 

 

 

 

 

 1・2巻を借り出し、2回づつ読んで次のような点がポイントになりそうだと思いました。

  1.「ねじ式」単独ではなく、「ねじ式」で代表する前後の作品群が関係。
  2.作品群に通底する主なものは旅。作品年代から戦後のまだ貧しい時期。
  3.旅は、精神的・生活的に追い込まれた状況下での。物見遊山ではない。

 「ガロ」の他に「「ねじ式」夜話・権藤晋著」を借り出し購読中読み始めています。少しづつ背景が判ってくると思いますが、維新派とつげ義春には類似の思想が潜在していることは既に感じています。追って整理するつもりです。

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