講演:川上弘美×高橋源一郎(対談編)
名称 明治学院大学 2009年度公開セミナー
「知」の現場から 第3回 文学1
場所 明治学院大学横浜キャンパス
日時 2009年10月20日 16時45~18時15
講演者 川上弘美・高橋源一郎
第1回、第2回で使用した930教室(定員300名)からより大きな7号館大教室に移動した。定員は500名程か。第一回(内田樹×高橋源一郎)は入れなかった人がいたようだ。今回も席は9割がた埋まっている。大した人気です。
カジュアルな服装の川上は街中ですれ違ったら気付かないと思った。高橋のリードは硬さは微塵も感じさせず砕けた雰囲気を作り出す。予め用意した質問をとびとびに1時間、その後に30分の質疑応答。
メモの取れなかった部分、自分で書いた字が読めなくて再現できない部分もある。それでも雰囲気は感じ取れるだろう。
なお私が受け止めた内容であって、両人が必ずしもこのように言ったとの保障はありません。承知願います。
T: 高橋から川上への質問形式で進行する。昨夜、30の質問を用意した。川上をWikipediaで調べた。最初に質問21。Googleで検索すると頻度順の最初に離婚、少し後に結婚が出てくる。
K: 結婚を何回かすると多くなるのでは。こういう場では初めて話すが4月に離婚した。小説の中に離婚が多いからか。こわいから自分のことは検索しない。テーマに離婚が多いからだろう。
T: 今日は何をしたか。
K: 新聞小説連載を読み、風呂に入り、湘南ラインで会場に来た。
T: どんな手順で小説を書くか。
K: 新聞、本を読む。小説を書く。食事をしてからまた書く。9時から17時。
T: Wikipediaの川上弘美によれば旧姓山田、・・・・。質問3、アメリカに住んでいた頃、大きな出来事は。
K: 自動車事故にあった。ケネディ暗殺の翌日にディズニーランドに行ったら空いていた。翌年、オーストラリアにも行った。
T: 最も記憶に残った言葉は。
K: 最初の一年はしゃべれなかった。相手の言葉をまねしてごらんと言われた。バナナを持っていった時に「Hiromi is a monkey.」と言われたことを最初に覚えた。つらいとは思わなかった。色々な人が居るのでいじめとは思わない。バナナを持っていると誰でも言われる。
T: 小3の病気の時は何をしていたか。
K: 小説を読んだ。病気がなければ小説は書いていなかったかも知れない。世界名作全集、児童文学は豊か、高校まで読んでいた。大人も読めるファンタジーを「朝日新聞」に連載(七夜物語)。最も書きたかったものかも知れない。他も楽しいが、(七夜物語を書けるのが)嬉しい。
T: デビュー作は嬉しい。子供も中心にした作品。初めて、漠然とでも小説を書くようになったきっかけは。
K: 大学のSFクラブで5枚くらい書いた。その後半商業的な。SF出版に行ったとき褒められた。
T: 雙葉中学校・高校、お茶の水女子大学。New-wave SF。なつかしい。「女は自ら女を語る」という座談会に参加。山野何とか、競馬評論家と。(?)
K: とんがった感じ。嵐山孝三郎、?、松田正剛。
T: 小川項名義、累々とは何、双翅目とは何。
K: 森の中に変な顔がいる。それを膨らませる。双翅目は説明できない。滅びの美学。3・40枚。高橋は習作があるか。
T: 僕もその頃書いたものがあるが見せたくない。
K: 今に通じるか。
T: 通じるものがある。「女は自ら女を語る」。ラディカル。
K: マーシュラルゲイン(?)、ケイトヘルムについて(?)。
T: 大学で生物学を専攻したのは。
K: 卒論は書いていない。発表して後から書くと言ったがそのままに。北杜夫、ドクトルマンボウが好きだったが、医者にはなれそうもないので。皆はやる気まんまん、自分は図書館に。書こうと思っていた訳でない。精神医学、ケインとかは、やっていた。文学部に行かなかったのは100枚の卒論が必要と言われていたが、それは無理だと思った。
T: SFを好きに。
K: トマス・ディッシュ「歌のつばさに」、コードウェイナー・スミスの一連の作品。若い頃は平明なものが書けなかった。若い時は尖っていた。哲学書を読むのは好きだが、最後がわからなかった。モリヒロシ、わかる言葉表現が理解できた。
T: 難しいものが価値ある時も。
K: そう、ねじくれているのが意味ある。
T: 教員生活は面白かったか。
K: その時スランプ。双翅目が書けた小説で、その後が書けない。教員を4年。前後10年が書けなかった。
T: 10から12年の空白が。
K: 書きたかったが書けない。勤め、結婚。5枚ぐらい書いた。そこそこのものが。文体が無い。新聞小説を要約して毎月配布していた。月刊・大の国、大の国が好きだったから(その名前を付けた)。(内容は)朝日新聞記事にコメントを付ける。3年続けた。朝日新聞に送ったら取材があった、秦野の主婦が。記事に2行のコメントを付けたり、今日亡くなった人。文体ができた。それから4年。号外も。「政権交代(細川内閣)」。
T: 何を発見したのか。
K: 生活したからか。大の国で削いだ文章が書けるようになった。オリのようなものが無いと書けない。主婦したり、レジがこわかったり。親類付き合い。大人になるのにその位掛かった。
T: 20代、30代は空白、何を書いたか判らない。書いたら超つまらない。
K: 書いてみると次が書けるでしょう。
T: 応募しようとして封筒に入れる前に読んだら超つまらない。
K: 直後は駄目だが、2年ぐらいたつと良いと思うようになる。その時はその時の書き方。駄目だけど最後まで書く。自分を慰める。
T: 遡っては書けない。小説と認識したのは何時か。
K: 最近、高橋は。
T: 「さようなら、ギャングたち?(デビュー作)」
K: 小説は判らない。
T: 無からどのように生まれるか。
K: 言葉を一つ書くと、次が出てくる。最初の一行、次の一行。
T: 最初の一行はどこから。
K: 布団に入ると。高橋は。
T: 作品によって。あるシーン、あるキャラクター、あるシチュエーション。作品によってばらばら。
「七世物語」はどこから来たのでしょう。
K: 私の中にずっとあった。こんな人物、こんな考え(が私の中に)住んでいた実感はある。他にもいそう。
T: その人たちは成長したり、死ぬか。
K: そう、今の主人公は変化無い。
T: 納得できた最初は。
K: 「神様」、書きたいことがあって、それが書けた。
T: 納得できない作品は。
K: とってある。絶対出版しない。そのうち。
T: 「先生の鞄」、主人公は還暦過ぎか。SEXしたのか。わかれたのか。本当はどうか。
K: 最後で一回、はっきり書いているのは。
T: 教室で聞いたら受け止め方は様々であった。僕が呆けていたのでは無い。「これでよろしくて?」の登場人物はガールズトーク。絶対負けたと思った。何をしたかったか。
K: 婦人公論連載だが、婦人公論は嫁姑問題を最初に取り上げた。女の人の悩みを投書する雑誌。恋人とSEXする時、脱いだパンツをどこに置くか、という様なことも。女同志の結論のない話題を書きたかった。穂村弘(?)は、学生まではボーイズトーク有りと。ガールズトークは何時までか。女性性は無くして話している。
T: インターネットはガールズトークが?
K: インターネットは嫌い。たまにネットショップを。自分の悪口が一杯ありそうで見ない。パスカル短編賞はパソコン通信の時代。(議論に)筒井康隆が応答するとさらに炎上したりしたので、避けている。携帯メールは3日に一度くらいしか見ない。
T: 電話は・・・(1・2フレーズ欠落)
T: 「七世物語」。子供を主人公にした小説は。
K: 16才を。
T: 子供をどう考えるか。
K: すごい。正しいことをしようとする。子供の方が純粋、体力がある。帰って来て話をすると、元気になるエキスを貰う。
T: 子供は影響を与えるか。
K: 「神様」の中の子供は書けなかった。
T: 「七世物語」の子供は。
K: 昔から(自分の中に)住んでいた。
T: ~に進出しているか。
K: 俳句は10何年やっている。詩は~と同時に書いている。200部。小説に反映する。言葉の一つ一つが重い。
T: (自分は)詩が書けない。
K: (周りから)わーわー言われると書ける。高橋も。
T: ~
K: 河野多恵子も。小説の書ける人はできる。
T: 小説と詩の差は。
K: 時間が違う。書いてみると気持ちが良い。短い詩、完成した喜び。
T: 最近面白いものは。
K: 映画、「是枝裕和・空気人形」すごくきれい。(一言で言うと。)一言で言っちゃうと駄目なのではないか。
T: 幸せと思う時は。
K: 原稿を書き、一仕事終わってお酒を飲む時。
T: 書きたい小説は多々あるだろうが、何となく書いて見たいぼんやりしているものは。
K: 年代記。「楡家の人」みたいなもの。まだ書けない。筋肉ができていない。高橋は「魔の山」とか書いて下さい。
T: 近代文学に~しているので。いずれ年代記を、最後に、妙に変な質問を。ところで僕に質問は。
K: (多少の間)小説はどうして書けるの。
T: それがわからないで書いている。人間が作った最も素晴らしいものであることを証明したい。
K: 私もそうかな。私は読んできたものによって書かされている。さっき筋肉て言ったが、アイススケートが好きだが、真央ちゃん、美しいものを表現しようとしているからではないか。
(質疑は追って)
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