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2009年10月16日 (金)

講演:越後妻有アートトリエンナーレの報告(後半)

2.清水報告:

 男性。講演会開催案内から氏の略歴を転載。美術家、Play Art Laboratory(PAL)プロデューサー、m-SITE-r/design 代表。1999年にジェームス・タレルの光の館の実施設計に関わって以来、様々ななかたちで大地の芸術祭と関わりを持つ。

 JR?駅に(越後妻有トリエンナーレの)ポスターが貼られていたのは驚き。(越後妻有行きの)ツアーが(企画され)案内されたのは驚き。

 作品紹介。「家の記憶:塩田千春(*2)」「最後の教室:ボルタンスキー(*3)」「脱皮する家:日本大学芸術学部(*4)」「絵本と木の実の美術館:田島征三(*5)」「川西・西倉(?)」「鉢(?)」「ぬかの目(?)」。

 これまでの10年:そもそもは1996年の新潟県による地域政策「ニュー新潟の里創プラン」が発端。北側フラムに相談して「越後妻有アートネックレス整備構想(*6)」  1.写真と言葉による素敵発見、2.六市町村をつなぐ「花の道」、3.地域の核となるステージ施設建設、4.三年大祭-大地の芸術祭  が生まれる。

 (越後妻有トリエンナーレが)有名な国際展と異なるところは、地域創生が根底にあること。2000回の行政機関等行脚。地域のミーティング、次は課長、次は市町村長、ふたたび地域、話さなければならない場が多い。それでも理解されなかった。コンセプトが伝わりにくい。4年間、説得し続けたが実らないうちに2000年を迎える。

 1999年に「こへび隊(*7)」、100名予定で60名ぐらいが集まる。話をしてもわからない地元に対して合宿に出かける。環境は悪く、滞在するのも困難であった。2回目以降の集会にはそこそこの人が集まり、徐々に増えていった。活動しているうちにボランティアの名称はいやと感じた。サポータも同様。多数決でこへびに決定。成長するためには脱皮しなければならない、との意がある。

 こへび隊は東京で生まれる。2000年春、こへび隊は越後妻有へ。地域住民はそのようなイベントは知らない、私たちには難しすぎる、成功するわけはないと。めげずに活動。こへび隊が来ていることも早く広まる。庭先のお茶会に招かれたりするようにもなる。今だからこそ言える話。

 2000年7月20日第1回開催:地元議会承認は6月であった。一か八かで準備を進めた。200箇所位ある集落のうち、賛同したのは5~10集落。作品は(個人所有でない)公有の場所に作った。34カ国、108組、波乱もあったがこへび隊が変えていった。アーティストも。

 「音楽、踊り:ダニュエル・ビュレンヌ(?)」「E=MC**2:金守子(?)」「アイタクシー:陸根丙(?)」「木製ステージ:アングラハム(?)」「月光を捉えるプロジェクト:逢坂卓朗(?)」「今を楽しめ:シモンビール(?)」」「観測所:牛島達治(*8)」「HERE-UPON ここにおいで time place:景山建(?)」「SCAPING OBJECTS:LUX (?)」「かかしプロジェクト:大岩オスカール幸雄(*9)」「棚田:カバコフ(*10)」。

 カバコフ作品に良く棚田を使わせたと思った。棚田を維持していくのも大変だからオーナーはやめようと思っていたが、会期が終わった時にオーナーが棚田を続けていく決意をした。

 「リネン:ボルタンスキー(?)」「川はどこへいったの:磯部行久(?)」「光の館:タレル(*11)」「夢の家:マリーナ・アラモビッチ(*12)」。

 マリーナ・アラモビッチは以前の作品「骨を磨く」で骨を磨き続けた。その後肉が食べられなくなった、と住民とのふれあいで素直に語った。好感を抱かれた。

 16万人の観客が来た。オープニングに1000人が集まったが、その後客足がいったん途絶えた。少しやばいと思ったが、お盆が過ぎた頃、夏休みの後半から客足が伸びた。結果、お金が落ちた。作品のある地域には経済効果があって万々歳。来た人は面白がったが、地域行政はまだ信じていなかった。

 2001年:「スカイワーク:ジャフリーマティス(?)」、2002年「天空散華・花埋:中川幸雄・大野一雄(*13)

 2003年:約50集落が参加した。3つのステージ、「十日町のキナーレ(*14)」「松代の農舞台*15)」「松之山のキョロロ(*16)」。「自然と出会う公園:ポルヘ・イマス・ロドリゲス(?)」「ポチョムキン:カサグランデ&リンターラ建築事務所  (*17)」。ポチョムキンでは壁を立てることに反対があった。

 「かささぎたちの家:キム・クーハン(*18)」「ある視点:フタボンコ(?)」「ホワイトプロジェクト:新町和成(?)」「信濃川はどこへ行ったの:磯部行久(?)」「夏の旅:ボルタンスキー(?)」。観客20万人突破。

 間をつなぐ「10Days」。2004年10月23日、中越大地震発生。おおへび隊発足。

 2006年:大地にまつわる三つのテーマ「民家」「土」「植物」。大きな変化として「空家プロジェクト」が始まった。「?」、「バスツアー」。観客35万人。バスツアーのガイドはこへび隊が担当した。初めは不評だったが、後半になって評判に。ガイドはよく勉強していた。

 2009年:9年10年かけて街が変わっていった。街の人もアーティストもがんばった。今は各地で類似のイベントが開催されるようになった。足を運ぶのも大事だが、日頃から考えることが大事ではないか。


 注:()内数字は私の作業確認用ですから意味はありません。公式HPで確認できた作品にはリンクを張りました。ただし当日使用したものとは異なります。既に作品が存在しない、あるいはもともと後に残せない作品は公式HPに記録されていないと感じました。追って私が撮影した一部作品の写真を公開したいと思っています。

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コメント

最後まで追いかける、さすがです。
今回初めての越後妻有、ほんのさわりだけでしたが、考えることは色々ありました。
地元住人とアートの関係が深まればそれが一番だと思っていますが、集客と経済効果はそれとはまた違った微妙な側面がありますね。
個人的には車で回っている人から歩きでは大変ですねと言われたことにこだわっています。
狭い範囲しか歩けませんでしたが、やっぱり田圃の緑を見ながら風に触れながら歩いて良かったなと思いました。
F3さんから聞かなければその存在も知らないでいたままだったでしょう。
良い体験をさせてもらいました。

投稿: strauss | 2009年10月20日 (火) 23時55分

 昨日(もう一昨日だ)、川上弘美×高橋源一郎の対談を聞いてきました。なかなか興味ある話でした。ただいま整理中です。サインすると言うので「真鶴」購入、ちょっとミーハーしてしまいました。

 最近、人の話を聴きに出かけようと思っています。越後妻有もその一つです。若い人が一生懸命にやっていて感心します。一点欠落していたと思えるのは、既開催の4回に横串挿すような視点ですが、それは仕方ないことですね。既に10年を経ているから。

 越後妻有と直島スタンダード展の写真を整理し始めています。HPの見直しも平行しているので時間がかかりますが、完成の暁には見てください。

投稿: F3 | 2009年10月22日 (木) 01時28分

川上弘美と高橋源一郎とは、なかなか内容が濃そうな対談でしたね。
またお話聞かせて下さい。
写真の整理が終わるのを楽しみに待っています!

投稿: strauss | 2009年10月23日 (金) 00時25分

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