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2009年10月

2009年10月31日 (土)

路上観察:横浜・伊勢佐木町ブルース歌碑

 伊勢崎町商店街を、関内駅から遠ざかるようにして10分ほど歩くと、左手に「伊勢崎町ブルース」歌碑があります。今は亡き「青江美奈」が歌って伊勢崎町の名前を全国にしたと言われます。

 ピアノをモチーフにした碑、下部のボタンを押すと歌が流れます。碑の裏面には横浜を歌いこんだ4・50ほどの曲名が刻まれています。碑の後方には大きなパネルがあります。
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  「伊勢崎町ブルース」の発売は1968年初だそうですから既に40年前のこと、知らない人も多いでしょう。

 若い方に伊勢崎町と言えば「ゆず」でしょう。「ゆず」がその前で良くストリートパフォーマンスをしたという松坂屋(以前は野沢屋)も既に閉店しました。松坂屋の屋上に「ゆず」のパネル(?)があったそうですが、私はそれほど興味なかったので写真ストックを作っていません。今になればちょっと残念。

 私が子供の頃は伊勢崎町商店街が横浜の繁華街でした。古い話ですが。先日、商店街を歩いていて世の移ろいをそこはかとなく感じました。

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2009年10月30日 (金)

映画:1000年の山古志

   プロデューサ 武重邦夫
   監督     橋本信一

   鑑賞     横浜黄金町 ジャック&ベティ
   上映     ~2009年11月6日(金) 10:00~12:10
   公式HP   ジャック&ベティ
          1000年の山古志
          日本新聞博物館

 今から5年前のこと、新潟県中越地方で発生した大地震は多くの地域・人びとに大被害を与えました。なかでも全村崩壊と言える山古志村の被害は、メディアを通して私の知るところとなりました。

 山が崩れ、崩れた土砂は川を埋め、埋まった川は水位を高めて人家を水没させました。また田や鯉の養殖池は崩れて水が抜け、牛舎は倒壊して牛は生き埋めになりました。道路に書かれたSOS。翌日、全村避難命令が発令され、村民は自衛隊のヘリコプターで長岡市に避難しました。

 「もう、山古志村には戻れないかも知れない」、ヘリコプターの窓から見える村の惨状を確認して人々はそう思ったそうです。

 定かではありませんが、遠い祖先が山古志に住み着いたのは1000年ほど前だそうです。今に至る間に幾多の困難を乗り越えてきたことかと、旧村民たち(2005年4月1日、長岡市に編入合併)は思いました。
 2006年春から徐々に避難解除され、旧村民たちは復旧のために村に通いながら昔の山古志に戻すことではなく、新しい山古志を創り出す取組みを始めました。
 ただし、30%の旧村民は後ろ髪を引かれながらも他の地域で新しい生活を始めることになります。それでも故郷は山古志だと。

 この映画は中越地震以降の山古志を記録したものです。被写体は選択されても記録された内容は事実、その事実に対して涙を禁じえません。一部は悲惨な状況に直面した旧村民たちへの同情かも知れません。が、残る大半は新しい山古志を創り出そうとする旧村民たちへの共感と賞賛だと思います。

 

 この後、「心をひとつ ふるさと復興展 ~新潟県中越地震から5年~」に向いました。神奈川県庁の斜め向かいにある日本新聞博物館に於いて、2009年11月29日(日)まで開催中です。新潟日報紙面による中越地震の記録です。

 新しいメディアが駘蕩するにしても、新聞が確固たるメディアであることに揺らぎはない。この企画展を観て再確認した。

 

 多少の時間を割いて「1000年の山古志」「ふるさと復興展」に足を向けませんか。私を含めて多くの皆さんが明日直面することかも知れません。

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2009年10月29日 (木)

美術:ニュータウン・ピクニック ~遺跡をめぐるアート~

  会場    横浜市歴史博物館、大塚・歳勝土遺跡公園、都筑民家園
  会期    10/11(日)~11/7(土)
  開館時間  一部を除いて制限なし(?)
  入場料金  無料
  鑑賞日   2009年10月27日
  公式HP  http://www.yaf.or.jp/artsite/archive/2009/group/grp5.html

 

 「都筑アートプロジェクト2009」の一つか全てかは判りません。横浜市北部(市営地下鉄センター北駅)のニュータウンの一角にある大塚・歳勝土遺跡公園一帯を会場とする屋外美術展。遺跡と現代美術がマッチするか、そこが見もの。横浜アートサイト参加企画です。

 私が訪れた目的は、横浜歴史博物館「横浜開港150周年記念特別展 陸の道と海の道の交差点 江戸時代の神奈川」の鑑賞でした。東海道53次第3番目の宿場町で、近代横浜が胎動し始めた場所を、当時の資料で再現する試みです。なかなか興味深いものでしたが、ここでは先に進みます。

 博物館の屋上から大塚・歳勝土遺跡公園に通路が延びています。公園には復元された弥生時代の竪穴住居や高床倉庫があります。背景に真新しいビル群が見え、住居内外に作品が点在し、子供が遊びまわっているのもなかなかシュールです。

 全体で20数作品の2/3ほどを観ました。作品は若手制作者の手になるものと思えます。ドキッとさせられるものはありませんでしたが、にやっとするものがいくつか。  

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 会期はもう暫くありますので、 ご近所の方は散歩がてら出かけてみませんか。

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2009年10月28日 (水)

映画:未来の食卓

   監督    ジャン・ポール・ジョー

   鑑賞    横浜黄金町 ジャック&ベティ
   上映    ~2009年10月30日(金) 16:45~
   公式HP   http://www.jackandbetty.net/         ジャック&ベティ
         http://www.uplink.co.jp/shokutaku/staff.php 未来に食卓

 「オーガニック(有機農法)とは何?」「自然のままです。」
 冒頭、収穫祭(?)のためにブリオッシュを売りに来た子供に問いかける老人と子供の会話。この映画は、南フランスの小さなバルジャック村で芽生えた、学校給食と高齢者のための宅配給食をオーガニック食材に変えるという試みのドキュメンタリー。

 ユネスコ会議での「あなたの周りに癌や糖尿病にかかった人はいますか。」との研究者の問いかけに、出席者の大半の人が挙手する場面。フルフェイスの防毒マスクを装着しての農薬散布の場面。オーガニックと化学農法の土壌の違いを見せる場面。刺激的な場面と対比しながら1年間にわたるオーガニック食材による給食の取組みを追います。

 これを成し遂げたのは、村長の「先に費用を心配するな。相談は、自分の良心とする。」という強い決意無しには成り立たないでしょう。疾病が減るなど、総合的に判断すれば決してコスト高にならないという考え方も強固です。オーガニック食材は生産者から購入するだけでなく、学校の農園で育てたものも使います。反対意見が無いわけでもありませんが、この試みを後退することなく定着させようとの意志が画面から遺憾なく伝わります。

 

 必ずしも中立の視点でドキュメンタリーが制作される訳ではないでしょう。しかし、ここでなされる主張は抵抗なく受け入れられます。
 他に感じたことは、200食ほどの給食に対して数人あるいはもっと多いかも知れない調理師。個々の生徒を把握しながらサービスする給食。給食も教育の一環との考え方。うがった視点で見れば、小さな村だからこそ可能になったと思えます。

 しかし、特異な例であるといってしまうには大きな問題提起です。どのようなモデルが可能か判りませんが、草を生やした休耕田が少なくないことなどに思い至れば、日本だって解決策はあるように思います。多くの方に見て頂き、食生活を考えるきっかけとして頂ければ良いのではないかと思いました。「今日食べることが先だ」という考えも否定できないのですが。

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講演:川上弘美×高橋源一郎(質疑編)

 

 対談編の続き。会場からの質問に主として川上弘美が答えた。約30分。 

 

Q: 「日本語が滅びる時」を読んだか、どう思うか。
K: 英語が共通語になったとき、英語で話せる人が日本語の美を見出せるか。日本語の体系がしっかりしているのでそれをベースにという、真っ当な論ではないか。
Q: 本を読んでいて途中でやめる基準はあるか。読む時は誰の視点か。
K: 読者視点、感情移入がしやすいもの。(途中でやめるのは)文章にひんが無いとき、言葉を大事にしない時。ひんの無いことを書くのは別。
Q: 2冊(センセイの鞄、古道具中野商店)しか読んでいないが、その中でお手洗いの場面がポイントか。前後で主人公の気持ちが変化するような気がする。何回も出る。
K: 物を食べるものが好き。食べたら出す。(?)ではさやさやとおしっこをする。無意識な部分をつかれた。排泄に目をつぶってはいけない。
Q: 小説を書き上げて知り合いにオリジナリティを否定された。書かされていると言っていたが。
K: オリジナリティは無いと思った。一時期、書評をやっていたが、書いたその人の文体になってしまう。純粋なオリジナリティは他人が判らない。
T: 純粋にマネも出来ない。違うものが出来てくれる。
Q: スランプの時期、書いていないことの距離、全く考えていないか。
K: 恐怖であった。きっと書くと思っていたが、生活していることが忙しかった。夜寝る時に、このまま終わるかと思った。
T: 恐怖。書けないと、書けることが想定できないわけで。
K: 時間がないと書けない。
T: スランプはある。新陳代謝、時々来る。時が来るまで待つ。
K: 書けていないけど、絶対書けると思う。なるようにしかならない。
Q: デッサンのような小説を書きたいが、他者を書けない。
K: 書いたらよいのではないか、とにかく。
T: よく言われるが、皆勝手。本当の他者は書けない。影みたいなものが書ければ。
Q: 「神様」では、見えないものが見えているのではないか。
A: そう思って頂けるのは小説が成功している証拠だと思う。皆同じものを見ていると思って、違うものを見ている。
Q: 女性同士の恋愛。私は好きでないが、女性同士も良いと思う。
K: 恋愛には気持ちとSEX。私くらいの年になると友愛。多くの人が好きになる。SEXを含めて男同士、女同士がある。
Q: 「神様」は子供がいなければ書けなかった。それはどこか。
K: 育てているときに書いた。「神様」は長男、「夏休み」は次男。好きなものでデビューできたのはラッキー。

 

 1958年生まれだから41歳。ラフな格好をしていたから隣のお嬢さんといった雰囲気だが、話を聴いていると大家の予感。既読は4・5冊だが、ゆるゆると読んでいこうと思った。小説家の話を聴くのは初めてだが、良い時間になった。

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2009年10月27日 (火)

演劇:維新派公演 「ろじ式」~とおくから、呼び声が、きこえる~

   作・演出  松本雄吉

   音楽    内橋和久
   美術    柴田隆弘
   照明    吉本有輝子
   音響    佐藤武紀
   映像    山田晋平
   舞台監督 大田和司

   出演    維新派

   会場    にしすがも創造舎
   公演    2009年10月23日(金)~11月3日(火)、27日休演
   鑑賞    2009年10月26日 19:00~20:45(休憩なし)
   公式HP   http://www.ishinha.com/index.php

 維新派の特徴は良く表現されたが、主張は稀薄であった。そこに伏線がありそうだが。
 本公演は、来年公演が予定される「<彼>と旅をする20世紀三部作」の第三部(タイトル未定)に向けてのエスキース。楽しみを来年まで延ばす繋ぎである。

 関西地方中心に公演する維新派の2003年(ノクターン-月下の歩行者-・新国立劇場)以来の東京公演。公演に接したことのない方も多いだろうから見逃す手は無い。野外公演という、場の力を最大限に取り込む維新派に元中学校の体育館はいささか窮屈であろうが。

 地下鉄・都営三田線西巣鴨駅を下車して地上に出るとすぐに、にしすがも創造舎。元校庭にバラック建ての飲食店の通りが出来ている。雨で下はぬかっていたが足場板が敷いてあった。奥に広場とライブステージ、男女ペアーが私には判らない音楽を演奏していた。腹ごしらえしながら聴く。残念ながら焚き火が無い、開演前・終演後に暖を取る。東京で焚き火は無理だろうな。

 会場は元体育館を長手方向に二分して舞台と客席に。客席は仮設の階段席、3・400人位は入れそうだ。場内は骨格標本が多数並んでいる。舞台には 6・70Cm角の中空の立方体が縦横に積まれている。各立方体の中心に紐で吊るされた骨格標本が。舞台周囲に固定した立方体の壁。中央部の移動可能な立方体は組み替え、配置換えしながら進行する。

 骨格標本は大半が本物で、しかも自分たちで制作したそうだ。いくつかは京大から借用、正面左右の類人猿状の骨格標本は作り物。骨格標本に意味は無いかも知れない。あるいは生きとし生けるものが積み重ねてきた歴史の提示かも知れない。
 立方体を組み替え、配置換えした隙間に路地が出現する。

 出現した路地で演技が展開する。いや演技と言うのは正確ではない。群舞あるいはパフォーマンス、そして群唱。類語、反語、意味のなさそうな言葉の羅列。大阪弁で韻を踏んだ群唱が耳に心地よい。切れ目なく続く10場面構成。舞台を観ていれば雰囲気が伝わるところもある。多少外していると思われるところもあったが、大した問題ではない。5・60人のメンバーが繰り広げる「じゃんじゃんオペラ」を存分に楽しむべきであろう(最近はじゃんじゃんオペラと言わないの?)。

 冒頭に戻るが、「じゃんじゃんオペラ」はコーラスばかりで、アリアが無かった。胸のすくようなアリアを来年に期待したい。
 蛇足だが本公演が悪いという訳でない。昨年の琵琶湖公演があまりにも素晴らしかったから、控えめに感じるというだけである。恐らく、初めて見る方は圧倒されるだろう。

 ところで「ろじ式」の「式」って何。路地が何かを生み出す方程「式」?。それが伝承されなくなっているような気がする。

 約40分のポスト・トーク(松本雄吉×タニノクロウ)があった。メモしたので気合が入れば整理して掲載します。

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2009年10月26日 (月)

講演:川上弘美×高橋源一郎(対談編)

  名称  明治学院大学 2009年度公開セミナー
      「知」の現場から 第3回 文学1
  場所  明治学院大学横浜キャンパス
  日時  2009年10月20日 16時45~18時15

  講演者 川上弘美・高橋源一郎

 

 第1回、第2回で使用した930教室(定員300名)からより大きな7号館大教室に移動した。定員は500名程か。第一回(内田樹×高橋源一郎)は入れなかった人がいたようだ。今回も席は9割がた埋まっている。大した人気です。

 カジュアルな服装の川上は街中ですれ違ったら気付かないと思った。高橋のリードは硬さは微塵も感じさせず砕けた雰囲気を作り出す。予め用意した質問をとびとびに1時間、その後に30分の質疑応答。

 メモの取れなかった部分、自分で書いた字が読めなくて再現できない部分もある。それでも雰囲気は感じ取れるだろう。
 なお私が受け止めた内容であって、両人が必ずしもこのように言ったとの保障はありません。承知願います。

T: 高橋から川上への質問形式で進行する。昨夜、30の質問を用意した。川上をWikipediaで調べた。最初に質問21。Googleで検索すると頻度順の最初に離婚、少し後に結婚が出てくる。
K: 結婚を何回かすると多くなるのでは。こういう場では初めて話すが4月に離婚した。小説の中に離婚が多いからか。こわいから自分のことは検索しない。テーマに離婚が多いからだろう。
T: 今日は何をしたか。
K: 新聞小説連載を読み、風呂に入り、湘南ラインで会場に来た。
T: どんな手順で小説を書くか。
K: 新聞、本を読む。小説を書く。食事をしてからまた書く。9時から17時。
T: Wikipediaの川上弘美によれば旧姓山田、・・・・。質問3、アメリカに住んでいた頃、大きな出来事は。
K: 自動車事故にあった。ケネディ暗殺の翌日にディズニーランドに行ったら空いていた。翌年、オーストラリアにも行った。
T: 最も記憶に残った言葉は。
K: 最初の一年はしゃべれなかった。相手の言葉をまねしてごらんと言われた。バナナを持っていった時に「Hiromi is a monkey.」と言われたことを最初に覚えた。つらいとは思わなかった。色々な人が居るのでいじめとは思わない。バナナを持っていると誰でも言われる。
T: 小3の病気の時は何をしていたか。
K: 小説を読んだ。病気がなければ小説は書いていなかったかも知れない。世界名作全集、児童文学は豊か、高校まで読んでいた。大人も読めるファンタジーを「朝日新聞」に連載(七夜物語)。最も書きたかったものかも知れない。他も楽しいが、(七夜物語を書けるのが)嬉しい。
T: デビュー作は嬉しい。子供も中心にした作品。初めて、漠然とでも小説を書くようになったきっかけは。
K: 大学のSFクラブで5枚くらい書いた。その後半商業的な。SF出版に行ったとき褒められた。
T: 雙葉中学校・高校、お茶の水女子大学。New-wave SF。なつかしい。「女は自ら女を語る」という座談会に参加。山野何とか、競馬評論家と。(?)
K: とんがった感じ。嵐山孝三郎、?、松田正剛。
T: 小川項名義、累々とは何、双翅目とは何。
K: 森の中に変な顔がいる。それを膨らませる。双翅目は説明できない。滅びの美学。3・40枚。高橋は習作があるか。
T: 僕もその頃書いたものがあるが見せたくない。
K: 今に通じるか。
T: 通じるものがある。「女は自ら女を語る」。ラディカル。
K: マーシュラルゲイン(?)、ケイトヘルムについて(?)。
T: 大学で生物学を専攻したのは。
K: 卒論は書いていない。発表して後から書くと言ったがそのままに。北杜夫、ドクトルマンボウが好きだったが、医者にはなれそうもないので。皆はやる気まんまん、自分は図書館に。書こうと思っていた訳でない。精神医学、ケインとかは、やっていた。文学部に行かなかったのは100枚の卒論が必要と言われていたが、それは無理だと思った。
T: SFを好きに。
K: トマス・ディッシュ「歌のつばさに」、コードウェイナー・スミスの一連の作品。若い頃は平明なものが書けなかった。若い時は尖っていた。哲学書を読むのは好きだが、最後がわからなかった。モリヒロシ、わかる言葉表現が理解できた。
T: 難しいものが価値ある時も。
K: そう、ねじくれているのが意味ある。
T: 教員生活は面白かったか。
K: その時スランプ。双翅目が書けた小説で、その後が書けない。教員を4年。前後10年が書けなかった。
T: 10から12年の空白が。
K: 書きたかったが書けない。勤め、結婚。5枚ぐらい書いた。そこそこのものが。文体が無い。新聞小説を要約して毎月配布していた。月刊・大の国、大の国が好きだったから(その名前を付けた)。(内容は)朝日新聞記事にコメントを付ける。3年続けた。朝日新聞に送ったら取材があった、秦野の主婦が。記事に2行のコメントを付けたり、今日亡くなった人。文体ができた。それから4年。号外も。「政権交代(細川内閣)」。
T: 何を発見したのか。
K: 生活したからか。大の国で削いだ文章が書けるようになった。オリのようなものが無いと書けない。主婦したり、レジがこわかったり。親類付き合い。大人になるのにその位掛かった。
T: 20代、30代は空白、何を書いたか判らない。書いたら超つまらない。
K: 書いてみると次が書けるでしょう。
T: 応募しようとして封筒に入れる前に読んだら超つまらない。
K: 直後は駄目だが、2年ぐらいたつと良いと思うようになる。その時はその時の書き方。駄目だけど最後まで書く。自分を慰める。
T: 遡っては書けない。小説と認識したのは何時か。
K: 最近、高橋は。
T: 「さようなら、ギャングたち?(デビュー作)」
K: 小説は判らない。
T: 無からどのように生まれるか。
K: 言葉を一つ書くと、次が出てくる。最初の一行、次の一行。
T: 最初の一行はどこから。
K: 布団に入ると。高橋は。
T: 作品によって。あるシーン、あるキャラクター、あるシチュエーション。作品によってばらばら。
「七世物語」はどこから来たのでしょう。
K: 私の中にずっとあった。こんな人物、こんな考え(が私の中に)住んでいた実感はある。他にもいそう。
T: その人たちは成長したり、死ぬか。
K: そう、今の主人公は変化無い。
T: 納得できた最初は。
K: 「神様」、書きたいことがあって、それが書けた。
T: 納得できない作品は。
K: とってある。絶対出版しない。そのうち。
T: 「先生の鞄」、主人公は還暦過ぎか。SEXしたのか。わかれたのか。本当はどうか。
K: 最後で一回、はっきり書いているのは。
T: 教室で聞いたら受け止め方は様々であった。僕が呆けていたのでは無い。「これでよろしくて?」の登場人物はガールズトーク。絶対負けたと思った。何をしたかったか。
K: 婦人公論連載だが、婦人公論は嫁姑問題を最初に取り上げた。女の人の悩みを投書する雑誌。恋人とSEXする時、脱いだパンツをどこに置くか、という様なことも。女同志の結論のない話題を書きたかった。穂村弘(?)は、学生まではボーイズトーク有りと。ガールズトークは何時までか。女性性は無くして話している。
T: インターネットはガールズトークが?
K: インターネットは嫌い。たまにネットショップを。自分の悪口が一杯ありそうで見ない。パスカル短編賞はパソコン通信の時代。(議論に)筒井康隆が応答するとさらに炎上したりしたので、避けている。携帯メールは3日に一度くらいしか見ない。
T: 電話は・・・(1・2フレーズ欠落)
T: 「七世物語」。子供を主人公にした小説は。
K: 16才を。
T: 子供をどう考えるか。
K: すごい。正しいことをしようとする。子供の方が純粋、体力がある。帰って来て話をすると、元気になるエキスを貰う。
T: 子供は影響を与えるか。
K: 「神様」の中の子供は書けなかった。
T: 「七世物語」の子供は。
K: 昔から(自分の中に)住んでいた。
T: ~に進出しているか。
K: 俳句は10何年やっている。詩は~と同時に書いている。200部。小説に反映する。言葉の一つ一つが重い。
T: (自分は)詩が書けない。
K: (周りから)わーわー言われると書ける。高橋も。
T: ~
K: 河野多恵子も。小説の書ける人はできる。
T: 小説と詩の差は。
K: 時間が違う。書いてみると気持ちが良い。短い詩、完成した喜び。
T: 最近面白いものは。
K: 映画、「是枝裕和・空気人形」すごくきれい。(一言で言うと。)一言で言っちゃうと駄目なのではないか。
T: 幸せと思う時は。
K: 原稿を書き、一仕事終わってお酒を飲む時。
T: 書きたい小説は多々あるだろうが、何となく書いて見たいぼんやりしているものは。
K: 年代記。「楡家の人」みたいなもの。まだ書けない。筋肉ができていない。高橋は「魔の山」とか書いて下さい。
T: 近代文学に~しているので。いずれ年代記を、最後に、妙に変な質問を。ところで僕に質問は。
K: (多少の間)小説はどうして書けるの。
T: それがわからないで書いている。人間が作った最も素晴らしいものであることを証明したい。
K: 私もそうかな。私は読んできたものによって書かされている。さっき筋肉て言ったが、アイススケートが好きだが、真央ちゃん、美しいものを表現しようとしているからではないか。

(質疑は追って)

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2009年10月24日 (土)

路上観察:横浜・舞岡ふるさとの森

 舞岡ふるさとの森を散策しました。以前から存在は認識していましたが、初めて行きました。そして驚きました。良く管理された里山が広がっていたからです。もっと早い機会に来ていても良かったと思いました。のんびり散策するも良し、ボランティアに参加するも良し。もちろん子供連れでも楽しく遊べると思います。

 横浜市営地下鉄ブルーライン・舞岡駅下車、案内に従って改札口から地上に進むと、そこはもう舞岡ふるさとの森。舞岡公園、舞岡ふるさと村が接しています。それらを合せると南北におよそ2Km、東西におよそ0.6Kmほどの細長い小判型で、山谷が入り組んだ地形が広がっています。舞岡駅は北東端に位置します。周囲には営農地もあってより広く感じられます。詳しくはふるさと舞岡ぶらりマップを参照して下さい。

 多少は細道に入りながらも主要な道を南端まで進み、そこから西側の尾根道を上り下りしながら元に戻りました。ゆっくり歩き、多少の休憩を取って含めて3時間ほどでした。

 歩き始めるとすぐに舞岡神社があります。村の鎮守とはこういう風景だろうと思いました。ここで蜂にまとわりつかれましたが、先日の勉強どおりじっとしていました。蜂からみれば私が侵入者です。顔にもとまったのですが刺されることはありませんでした。自然との付き合いにも慣れないと。
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 幼稚園児が芋ほりを終わったところに出くわしました。道端のかわいい花を激写。まだ刈り取っていない黄金の実り。案山子コンクール開催中です。
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 かやぶきの古民家があります。随分と太い柱、いまはこんな立派な柱を使えるのはよっぽどのお大尽ではないかと。古い什器や教科書なども飾られていて、ちょとした社会勉強ができます。
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 沼のほとりで河童が相撲をとっています。その脇でおじさんたちの撮影会、レンズの先は鳥のようです。尾根道を歩いて戻りました。
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 何となく雰囲気が伝わったでしょうか。横浜市内の貴重な自然です。週末に出かけてみませんか。私もこれから足繁く通って季節の移ろいを感じたいと思っています。

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2009年10月20日 (火)

文楽:「三十三間堂棟由来・本朝二十四孝」

 演目   1.解説
      2.卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)
       休憩
      3.吉田清之助改め五世豊松清十郎襲名披露口上 
      4.本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)

 会場   神奈川県立青少年センター
 公演   2009年10月19日 昼・夜の部
 鑑賞   2009年10月19日 昼の部(14:00~16:50)

 

2.卅三間堂棟由来より、平太郎住家より木遣音頭の段

 お柳、実は那智の滝近くにそびえる柳の大木の精、平太郎と結婚して息子・緑丸がいます。
 後白河法王の病気平癒祈願のため卅三間堂建立となり、その柳を棟木に使うことになります。切り倒されれば柳の精であるお柳は生きられません。斧が打ち込まれるたびに身もだえし、やがて姿を消します。
 切り倒された柳は木遣り音頭で引かれていきますが、ある場所で突然動かなくなります。一目母の姿を見せたいと平太郎は緑丸と共に後を追っていました。そこで緑丸に柳を引かせたいと懇願します。緑丸が引けばびくともしなかった柳は動きだします。緑丸は「かか様」と木にすがって泣きます。

4.本朝廿四孝より、十種香の段・奥庭狐火の段

 長尾(上杉)謙信館の謙信の娘・八重垣姫、許婚の武田勝頼の死を聞かされ回向の日々。ところが勝頼は花作りの蓑作と名乗り館に潜入。蓑作を見て勝頼と気づいた八重垣姫はすがりつきます。勝頼は、上杉が返さない武田家伝来の諏訪法性の兜を持ち出して欲しいと八重垣姫に頼みます。
 蓑作の正体に気付いた謙信は、蓑作に塩尻への使いを命じ、討手に後を追わせます。八重垣姫は諏訪湖を渡ってこの危機を蓑作に知らせたいのですが湖面は氷に覆われ船で渡れません。されば諏訪法性の兜にすがろうと、祭壇から持ち出します。八重垣姫が池の傍に立つと水面に映る白狐、これぞ諏訪明神の助力と確信、燃え立つ狐火に守られながら飛ぶように駈けて行きます。

 粗筋は以上のようですが、通し上演ではなく、下地も少なくすっきり理解できたわけではありません。通し上演だから理解できる保証もないのですが。早めに入場してプログラム購入、付焼刃で予習するだけでも理解は大いに進むのですが、今回は準備不足でした。
 しかし、早変わりあり、文楽ならではの奔放な演出ありで楽しめます。また親子の情、男女の情、自然崇拝などは時代が変わっても不変の筈、古典に教えられます。

 

 文楽地方公演を観るのは初めて。会場は歩いて15分ほどの距離、10分前に到着して当日券購入、C席1500円。国立文楽劇場よりは一回り大きい会場ですが後方のC席で充分。と言うより他の席は残っていませんでした。多少空席が確認できる程度、和服姿のご婦人が結構いました。

 太夫の座る床は仮設、舞台で気になる所はありません。やや情緒に欠けるのは仕方ないこと。

 中堅・若手主体の公演で人間国宝が多く出演する文楽劇場での公演のようなわけにはなりません。しかし文楽の楽しさは充分に伝わりますし、三十・四十では若手と言われる文楽の奥深さも反って感じられます。

 ただ襲名興行のためか、十種香の段では吉田蓑助(腰元濡衣)、桐竹勘十郎(蓑作、実は武田勝頼)が、奥庭狐火の段では八重垣姫(豊松清十郎)の左を桐竹勘十郎が遣って花を添えていました。文楽は実力の世界、ビッグネームは何かが違う、その何かはまだ指摘できないのですが。

 

 最近、文楽を観たくて観たくて。関西在住中は時々、大阪の国立文楽劇場に出かけたのですが、横浜に戻ってからはご無沙汰。7年ぐらい遠ざかっています。今回公演で少し思いが晴れたと言うか、反って募ったと言うか。国立文楽劇場11月公演は「心中天網島」、出かけたい~~。

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2009年10月16日 (金)

講演:越後妻有アートトリエンナーレの報告(後半)

2.清水報告:

 男性。講演会開催案内から氏の略歴を転載。美術家、Play Art Laboratory(PAL)プロデューサー、m-SITE-r/design 代表。1999年にジェームス・タレルの光の館の実施設計に関わって以来、様々ななかたちで大地の芸術祭と関わりを持つ。

 JR?駅に(越後妻有トリエンナーレの)ポスターが貼られていたのは驚き。(越後妻有行きの)ツアーが(企画され)案内されたのは驚き。

 作品紹介。「家の記憶:塩田千春(*2)」「最後の教室:ボルタンスキー(*3)」「脱皮する家:日本大学芸術学部(*4)」「絵本と木の実の美術館:田島征三(*5)」「川西・西倉(?)」「鉢(?)」「ぬかの目(?)」。

 これまでの10年:そもそもは1996年の新潟県による地域政策「ニュー新潟の里創プラン」が発端。北側フラムに相談して「越後妻有アートネックレス整備構想(*6)」  1.写真と言葉による素敵発見、2.六市町村をつなぐ「花の道」、3.地域の核となるステージ施設建設、4.三年大祭-大地の芸術祭  が生まれる。

 (越後妻有トリエンナーレが)有名な国際展と異なるところは、地域創生が根底にあること。2000回の行政機関等行脚。地域のミーティング、次は課長、次は市町村長、ふたたび地域、話さなければならない場が多い。それでも理解されなかった。コンセプトが伝わりにくい。4年間、説得し続けたが実らないうちに2000年を迎える。

 1999年に「こへび隊(*7)」、100名予定で60名ぐらいが集まる。話をしてもわからない地元に対して合宿に出かける。環境は悪く、滞在するのも困難であった。2回目以降の集会にはそこそこの人が集まり、徐々に増えていった。活動しているうちにボランティアの名称はいやと感じた。サポータも同様。多数決でこへびに決定。成長するためには脱皮しなければならない、との意がある。

 こへび隊は東京で生まれる。2000年春、こへび隊は越後妻有へ。地域住民はそのようなイベントは知らない、私たちには難しすぎる、成功するわけはないと。めげずに活動。こへび隊が来ていることも早く広まる。庭先のお茶会に招かれたりするようにもなる。今だからこそ言える話。

 2000年7月20日第1回開催:地元議会承認は6月であった。一か八かで準備を進めた。200箇所位ある集落のうち、賛同したのは5~10集落。作品は(個人所有でない)公有の場所に作った。34カ国、108組、波乱もあったがこへび隊が変えていった。アーティストも。

 「音楽、踊り:ダニュエル・ビュレンヌ(?)」「E=MC**2:金守子(?)」「アイタクシー:陸根丙(?)」「木製ステージ:アングラハム(?)」「月光を捉えるプロジェクト:逢坂卓朗(?)」「今を楽しめ:シモンビール(?)」」「観測所:牛島達治(*8)」「HERE-UPON ここにおいで time place:景山建(?)」「SCAPING OBJECTS:LUX (?)」「かかしプロジェクト:大岩オスカール幸雄(*9)」「棚田:カバコフ(*10)」。

 カバコフ作品に良く棚田を使わせたと思った。棚田を維持していくのも大変だからオーナーはやめようと思っていたが、会期が終わった時にオーナーが棚田を続けていく決意をした。

 「リネン:ボルタンスキー(?)」「川はどこへいったの:磯部行久(?)」「光の館:タレル(*11)」「夢の家:マリーナ・アラモビッチ(*12)」。

 マリーナ・アラモビッチは以前の作品「骨を磨く」で骨を磨き続けた。その後肉が食べられなくなった、と住民とのふれあいで素直に語った。好感を抱かれた。

 16万人の観客が来た。オープニングに1000人が集まったが、その後客足がいったん途絶えた。少しやばいと思ったが、お盆が過ぎた頃、夏休みの後半から客足が伸びた。結果、お金が落ちた。作品のある地域には経済効果があって万々歳。来た人は面白がったが、地域行政はまだ信じていなかった。

 2001年:「スカイワーク:ジャフリーマティス(?)」、2002年「天空散華・花埋:中川幸雄・大野一雄(*13)

 2003年:約50集落が参加した。3つのステージ、「十日町のキナーレ(*14)」「松代の農舞台*15)」「松之山のキョロロ(*16)」。「自然と出会う公園:ポルヘ・イマス・ロドリゲス(?)」「ポチョムキン:カサグランデ&リンターラ建築事務所  (*17)」。ポチョムキンでは壁を立てることに反対があった。

 「かささぎたちの家:キム・クーハン(*18)」「ある視点:フタボンコ(?)」「ホワイトプロジェクト:新町和成(?)」「信濃川はどこへ行ったの:磯部行久(?)」「夏の旅:ボルタンスキー(?)」。観客20万人突破。

 間をつなぐ「10Days」。2004年10月23日、中越大地震発生。おおへび隊発足。

 2006年:大地にまつわる三つのテーマ「民家」「土」「植物」。大きな変化として「空家プロジェクト」が始まった。「?」、「バスツアー」。観客35万人。バスツアーのガイドはこへび隊が担当した。初めは不評だったが、後半になって評判に。ガイドはよく勉強していた。

 2009年:9年10年かけて街が変わっていった。街の人もアーティストもがんばった。今は各地で類似のイベントが開催されるようになった。足を運ぶのも大事だが、日頃から考えることが大事ではないか。


 注:()内数字は私の作業確認用ですから意味はありません。公式HPで確認できた作品にはリンクを張りました。ただし当日使用したものとは異なります。既に作品が存在しない、あるいはもともと後に残せない作品は公式HPに記録されていないと感じました。追って私が撮影した一部作品の写真を公開したいと思っています。

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2009年10月15日 (木)

講演:越後妻有アートトリエンナーレの報告(前半)

 表題の報告会を聴講しました。2時間半、休憩無しに続きました。聴講者は30名ぐらい、地域のイベントに関係しているような方も少なからず居たようです。冒頭、越後妻有に行ったことのある方はおりますかと確認しましたが、大半の方が行ったことあるようでした。

 木村は、彦坂尚嘉の近くで見聞きしたことを中心にした話題でした。制作者と鑑賞者のインターフェイスの役割を担っているようです。
 清水は、越後妻有の第1回から制作側の立場で関わって来たようですが、第1回の準備段階からの経緯を概観しました。

 前半・後半の2回で概要をまとめます。なおインターネットを利用した映像投影も多かったので、私が調べた参考リンクを追記しました。異同があるとは思いますが参考まで。

 

   タイトル  TAEZ! のトリエンナーレ学校第1回
         大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレの報告

   報告者   清水玲(美術家)
         木村静(メディアアーティスト)

   会場    ZAIM本館1階 交流サロン
   開催日   2009年10月10日 14時00分~16時30分

 

1.木村報告

 女性。氏のブログから略歴を以下に転載。メディアアーティスト。フリーアナウンサー。ボイストレーナー。音声・映像・紙などさまざまな媒体での情報発信の企画・制作に関わる。活動テーマは、メディアによる市民コミュニケーション網の構築。

 今は東京在住、今後横浜に拠点を移す予定。それ以前は北海道に住んでいた。会期末近くの横浜トリエンナーレに来場、カッコいいと思った。越後妻有トリエンナーレは10日間ほど訪れた。「開会式、ツアー映像(*2)」。なぜか取材に同行したくなった。きっかけは横浜トリエンナーレかも知れない。もっと芸術に親しみたいと思った。

 「彦坂尚彦(*3)」は70年代頃から自宅でラテックスを塗るような作品を制作していた。「越後妻有の制作風景(*2)」。自分の足許を見つめるために2回目から田麦集落に住民票(戸籍と言っていたが)を移した。地元産品によるトマト蕎麦(筆者も食した)なども販売した。地元サポータの入れ替わりは激しい。「沸騰する床(*4)」。大テーマは、派遣切りなどから間引きした樹に繋がっていった。捨てられてしまうものの再利用。制作時映像を多くの人に見てもらいたい。

 開会式は十日町ステージの「越後妻有交流館・キナーレ(*5)で行われた。建築とアートの接点を探索することが目的の3泊4日のツアーに参加した。ガイドブックに載っていない面白いものを探した。「スネークパス:グラハム(*6)」予告編。見て映像をUPする。初めての経験だった。「十日町駅名品ツアー(*2)」。思ったより沢山の人に見てもらえたのが楽しい。「建具ノイエ:山本惣太郎(*7)」。

 毎晩、「(建築系?)ラジオ(*8)」用にテープを編集した。ガイドブックに掲載した作品が未完となった「こたつの問題(*9)」など、いろいろな議論が起こっていることを紹介した。

 越後妻有には初めて行った。自然の中のアートが面白かった。「三省ハウス(*10)」にも泊まった。短期間の訪問では判らないことが、ボランティアに携わることで何か判ったような気になった。「ARTSCAPE(*11)」、「彦坂作品(*12)」。

  *1 木村静   :http://channelp.exblog.jp/
  *2 名品ツアー :http://video.mapion.co.jp/search?kw=%E6%9C%A8%E6%9D%91%E9%9D%99
  *3 彦坂尚嘉  :http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/
  *4 沸騰する床 :
  *5 キナーレ  :http://www.echigo-tsumari.jp/art/059.html
  *6 スネークパス:http://hikosaka2.blog.so-net.ne.jp/2009-07-30
  *7 建具ノイエ :http://sustena.exblog.jp/12325017/
    *8 建築系ラジオ:http://tenplusone.inax.co.jp/radio/
  *9 こたつ問題 :http://search.twitter.com/search?q=%23kotatsu
  *10 三省ハウス :http://www.tsumari-artfield.com/sansyo/
  *11 ARTSCAPE  :http://artscape.jp/study/npo/1209088_2185.html
  *12 彦坂作品  :http://channelp.exblog.jp/10872296/

 

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2009年10月13日 (火)

路上観察:横浜オクトーバフェスト2009 in 赤レンガ倉庫

 台風の影響で遅れていたオクトーバフェストが次の要領で開催されます。

   会期 :2009年10月12日(当初9日)~18日
   時間 :12時~21時(平日)、11時~21時(土/日/祝)
   場所 :横浜赤レンガ倉庫イベント広場
   入場料:200円

 大変な混みようで去年までは敬遠していましたが、ものは試しで12日に行ってきました。先日までは横浜開港博の土産売り場だった場所が、大型テントと屋外のテーブル席に変身しています。

 20種類以上のビールやワイン、ドイツ風おつまみの売店が出展しています。テント内の舞台ではドイツのシュプライスラー楽団が雰囲気を盛り上げています。

 少し涼しいですが、夜景を見なが ら飲むビールもおつなものです。ただし、人が多いので空席を探すのも大変だし、買出しも大変、多少の割高感もあります。でも賑やかな雰囲気を楽しみたい方にはうってつけでしょう。0023
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 静かな雰囲気でお酒を楽しみたい方は、外から雰囲気を感じて周辺のショットバーなどへ向うことも良いと思います。
 いずれにしろ、秋の横浜を楽しみに足を向けませんか。

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2009年10月12日 (月)

音楽:横浜ジャズプロムナード2009

 17年目を迎えた横浜ジャズプロムナードが10月10・11日に開催されました。10日、私は横浜ZAIMに於いて開催された「越後妻有アートトリエンナーレ報告会」に参加(整理中、追って掲載)したので、11日だけでしたが昼過ぎから21時までジャズに浸りました。

 徒歩でみなとみらい地区に入ったら、「港よこはまツーデーマーチ」の参加者に出くわしました。背中のゼッケンを確認したら20Kmコースの方もいました。スタート後3時間で19Km辺りを歩いているので時速6Km、早いな。ジャズプロムナードと日程が重なっているので参加不可能。どちらかずらして欲しいな、って無理ですよね。

 私が選択したプログラムは次のとおり。

  1,前田憲男・KANKAWAによる「美空ひばりの世界」    みなとみらいホール
  2.ベニー・グッドマン生誕100年記念
   奥田英人・ブルースカイオーケストラ、八代邦義(dr)、藤家虹二(cl)、
   谷口英二(cl)クインテット、ペギー葉山(vo)     みなとみらいホール  
  3.板橋文夫(p)エリントン生誕110年記念オーケストラ  関内ホール(大) 

 

 「美空ひばりの世界」、上手に置かれたスクリーンにひばりの映像が。「りんご追分」「車屋さん」「港街13番地」を歌っている。舞台正面のパイプオルガンでKANKAWAが「川の流れのように」、前田が「りんご追分」を弾く。みなとみらいホールのパイプオルガンで初めて聴く本格的な演奏が美空ひばりの楽曲というのは想像つかない出来事でした。前田はバッハ風(?)、重厚な演奏でした。

 その後、KANKAWA(舞台上の電子オルガン)他7名のコンボによる演奏。途中、KANKAWAが前田憲男(p)に交代、話を交えたりして進行。「美空ひばりの世界」がどう展開したか、演奏曲を列記します。
 「?」「愛燦燦と」「港街13番地(みんなで歌えと)」「A列車で行こう」「テネシーワルツ」「恋人よ、我にかえれ」「真っ赤な太陽(vo 五十嵐晴美)」。アンコールで「酒は涙かため息か(前田(p)+KANKAWA(ピアニカ?)」。

 私は美空ひばりを積極的に好む訳ではなく、TV・ラジオでその歌唱を耳にしただけです。でも大半の曲名が判るのですから偉大な歌手だったと思います。

 

 ベニーグッドマンは、ビッグバンド、コンボ、ビッグバンド+ジャズプレイヤーの編成で進行。途中、八代邦義、藤家虹二、ペギー葉山が加わったり。演奏曲は「国境の南」「A列車で行こう」「Air Mail Special」、2ドラムで「ドラムブギ」。ペギー葉山はビッグ・コンボで各2曲、「Will be Together」「君去りし街」「Memories of You」「素敵な貴方」。最後は3ドラムで「Good by」。その他。
 ビッグバンド、大型コンボは聴く機会が少ないですけど良いものです。古いジャズも良いですし、クラリネットも愛すべき音色です。

 

 エリントンはフリースタイルで演奏されるから、始まってすぐに退出される方もいくらかいました。大音量の雑音と思えなくもありません。大半は曲名が判りません。判った一曲が「A列車で行こう」、本日三回目です。名曲なのでしょう。バリトンサックスがリードしましたが、これは進行が比較的良く判りました。昨年も参加していましたが村井祐児(cl)、クラッシック音楽のビッグネームですが、ジャズを演奏しているのも素敵です。

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2009年10月10日 (土)

音楽:神奈川フィル第257回定期演奏会

  指揮  湯浅 卓雄
  独奏  渡辺 克也(オーボエ)
  演奏  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

  曲目  エルガー        序曲「コケイン」
      ヴォーン・ウィリアムス オーボエ協奏曲
      ブリテン        6つの変容よりⅥ:アレッサ(独奏アンコール)
      エルガー        交響曲第1番

  会場  横浜みなとみらいホール(2階5列12番)
  公演  2009年10月8日19:00~21:00(途中休憩15分)、入りは5割程

 

 全てイギリス人作曲によるプログラム、そして録音を含めて全て初めて聴く曲。ヴォーン・ウィリアムスなら「グリーンスリーヴスによる幻想曲」、エルガーなら「威風堂々」「愛の挨拶」、愛すべき作品です。しかしその他の曲はなじみがありません。

 序曲「コケイン」。開始前にオルガン席が明るくなっていました。視線が舞台に行っていたので気がつきませんでしたが、オルガンも演奏に加わっていたようです。耳が悪いな。曲は印象的な部分がほとんどありませんでした。全体に力が入っているような感じがしました。

 オーボエ協奏曲。ソロと弦楽合奏、全体を通してオーボエが響き渡ります。湯浅のプレトークでも触れられましたが、終わり近くに「庭の千草」で知られるメロディが引用されます。ただし小学唱歌として知るメロディーとは大分異なりますが、この部分は印象的です。歌い継がれてきた民謡は宝ですね。
 独奏アンコールは上昇下降音型が繰りかえされる印象的な小品でもう一度聴いてみたい。CDを探しましょうか。

 交響曲第1番。ティンパニーのロール打ちが2回続いて、低声部弦楽器がメロディを始めます。印象的な始まりですが全体にご馳走が連続しているようで、反って印象を薄めているように思います。

 

 曲目による面もあるでしょうが、演奏はキラキラ輝いている感じで、交響曲1番では圧倒されてしまいます。指揮は丹念に指示を出しているように思えました。オーボエ協奏曲における弦パートのみの演奏は美しく、オーボエの特色ある音色がそのうえをさすらうようでした。

 私にはなじみ無いプログラムで、定期会員でなければ足を向けたとは思えません。定期会員になれば多少の特典もありますが、そのような一面より何が何でも付き合うということが本質のように思います。とは言うものの、256回定期をうっかりしてすっぽかしてしまいました。まだ惚れ方が足りないな。

 それと基準ができると良いと思っています。感想のようなものを書いていますが、しっかりした基準を持ち合わせているわけではないので。神フィルを基準に、難しいことですけど。

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2009年10月 8日 (木)

白想:生・内田樹(2009年10月6日)

 明治学院大学横浜キャンパスにおける2009年度公開セミナー、統一テーマは『「知」の現場から』で全10回。電車のチラシで見かけ、ホームページで確認して第1回目に出かけました。

 第1回目のテーマは「哲学」、講演者は「内田樹(神戸女学院大学教授、哲学者)+高橋源一郎 (国際学部教授)」ですが、話し手が内田、聞き手が高橋。およそ講演60分+質問30分。300人位入れそうな教室は満室、立っている人もちらほら。

 二人はお互いを良く知っていいるようで、ため口で話が進みます。内田は背広着用、武道家でもあり、それを感じさせる精悍さとシャイさを併せ持つような印象を抱きました。高橋は学生みたいないでたち、帰りがけにディパックを背負う姿は大学教授に見えませんでした。格好など気にしていない感じ、逆に気にした結果かも知れませんけど。

 話題は哲学に直接迫るものではありませんでしたが味わい深く、また楽しく進みました。若い人が生きるうえで大切なことをさりげなく話していること、それが真の哲学かも知れません。

 メモは取ったのですが全体をうまく再現できません。それ承知の上で以下を読んで下さい、もし興味があれば。

 

 初めに高橋がWikiPediaの内容に沿って内田を紹介。「高校は、学園紛争の嵐が吹き荒れる中」との表現に対して「一人で吹き荒れようとしていた」、「リアルタイムのビートルズファンであったという主張」に対して「誰が調べたんでしょうか」との突っ込み有り。二人は同時期に京大受験に失敗、成功していたらもっと早く知り合っていただろうと言う。

 21世紀に「佐々木敦・ニッポンの思想」がブレーク、00年代は茂木健一郎・佐藤雄一郎(?)・内田樹。あらゆることを話し、めちゃくちゃ。(養老孟司の忘年会に呼ばれる、茂木・内田・甲野善紀・・・・、その基準は野蛮人。)共通点は書く、しゃべる。00年代、三人がブレークしたのは皆おじさん。佐藤は政治、茂木は脳科学、内田は仏文。内田は何故はやったか。

 「ためらいの倫理学・内田樹著」の後、怒涛のように書く。しかし同じようなものばかり。普通なら色々考えるが、内田は同じようなものばかり。SFCCで(SFファンクラブ)の時は、書いたものをマイ・ガリバンで刷って友達に送り続けた。書くのが好きだ。余り知られなかったが、5人ぐらいは好いてくれる人がいた。

 ブログは今2200万ヒット位で、そのまま本にしている。自分でスクロールして3・4時間読みふけることがある。後で読んで面白いもの。自分向け。突っ込みどころがないように書く。自分が厳しい読み手。自分が納得できるように書く。判りたいから書く。自分に説明できて、腑に落ちるまで書く。難問などはぐるぐる書く。

 (著書の題名を挙げて)何を考えているか。思想が現われているかいないか判らない。00年代に何故読まれているか。隙間産業だから。80年代、学術系で売れて、神戸女学院大学に移ったら、東京の出版社は見向きもしなくなった。忘れ去られた。「ためらいの倫理学」は売れそうもないから出版費用半分を持つと言った。(?)はいいと言った。良い男だ。最初の1年で2000部ぐらいしか売れなかった。読んだ人から次々に伝播した。その後、急に依頼が増えた。自分のどこが社会の認識にかかったのか。

 自分は体系無しに見たり読んだり。広く薄く。広さと薄さは自分の取得。薄い知識を掘り下げて考え出す状況が。引き出そうとするとずるずる出てくる。物書きは特異な人間がなると思われるが、凡庸な考えをまとめるのも良い。00年代に受けた理由ではないか。過激な民主主義。レビナスは凄く難しい。世界で3人位しか判らないようなものと皆が判ることの繋ぎをつけているのではないか。レビナスについての知識、判るとすれば底まで降りていって判るか。日常苦労している人が判らなければ本物ではない。戻すと、内田は教育家、教育の現場にいる。

 大学は何のためにあるのか。学校はミステリーを中心にすべきで、こうやれば判るということでは存在理由がない。理由はわからない。無いと即決して、それから学校に戻った。高校は檻と考えるか、プロテクションと考えるか。17は檻。
 ルールある格闘技。学校の本質はプロテクション。子供は弱い。馬鹿だから、ある程度までは囲っておく。どうして生きるかを養っていく。フィジカルな暴力に屈服して自分を曲げるのはいや。武道にて自信を付けさせて。教育的発想。1年半後に大学を退職したら道場を作りたい。

 大学に入る時、目標がはっきりしている奴は駄目。何だか判らないけど始めたのは続く。何を習おうかが判らない奴は、どこに意味があるのかを探す。そういうマインドがあると成長する。何が自分をここにいさせたか判らないのは大事。

 グローバリゼーションとか専門化の波には20年ぐらいの歴史がある。社会はそう変わっているのに大学は遅い。専門4年間は使い物にならなかった。1・2年教養、3・4年専門に戻した。専門特化は自分に報酬がなければ成り立たない。経済合理性で教育は成り立たない。金で動く部分もあるが、ある程度以上はやめてしまう。努力と報酬の関係を示されても動かない。努力の報酬は意外な所から来る。それは贈与。

 一番漢感心したことは「先生は偉い」ということ。師弟関係がダイナミックで得するのは弟子である。人は学びたいことしか学ばない。師には無尽の知識があると思えば良い。(落語・こんにゃく問答を例に引く)。学びの構造を表している。ここで得したのは旅の僧であって、自分で悟りを開いてしまった。落語はおせっかいと勘違い、学ぶことに付いて語ったものが多い。教育の本質はおせっかい。ここでは勘違いが成立している。

 先生のやることは判らないから良い(夏目漱石の先生像を引く)。(高橋は)教授になってから卒論を指導してくれと言われ、自分は書いたことが無いけれど何とかなる。学生が調べて自分でやる。小中学校の先生は大変で大学の先生は簡単。

 卒業年次が高くなると教師を尊敬する度合いが高まる。大学時代の意味が判ってくる。教師は定点にいる必要がある。先生が(所属場所を)移りすぎるのは良くない。教育は4年間で完結しない。その後の目印になるためにも定点にいる必要がある。。

 弟子の思い込みは重要、意味の無いことをやらせる。例えばトイレ掃除。その意味は自分で考える。この学部に来たのはご縁である。先生を尊敬する。惚れて惚れて惚れぬく。あばたも笑窪と思うほうが楽しい。

 教育はプロテクションである。その囲いの中に入れない人が増えているように思われるが、社会の役割は何か。

 ルーティン業務だって面白がってやれば楽しくなる。人間は二重底になっていて、下方は判るが、上方は判らない。能力はあるだけでは駄目で、それを起動させるための能力を如何に活性化するかが重要。一番有効なのことは上機嫌であること。気持ちが暗い時はうまくいかない。機嫌が良いと言うことは、健康や色々なことが含まれる。そうであることが難しい。

 

 5問ほどの質疑応答は省略。楽しい90分でした。しかし、人の話を聞くのは難しく、自分の底が浅いとつくづく思いました。いまさらどうなるものでもありませんが、時間調整して残るテーマも聞きたいと思っています。

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2009年10月 6日 (火)

美術:横浜美術館「大・開港展」

  会場    横浜美術館
  会期    2009年9月19日(土)~11月23日(月・祝)
        休館は毎週木曜日(祝日を除く)、祝日開館の場合はその翌日
  開館時間  10時~18時、企画展開催中の金曜日は20時まで
        (入館は閉館の30分前まで)
  入場料金  一般 1000円
  鑑賞日   2009年10月5日
  公式HP  http://www.yaf.or.jp/yma/index.php

 

 横浜開港150周年記念・横浜美術館開館20周年記念と銘打ってあり、副題は「徳川将軍と幕末明治の美術」。ご祝儀物ではありますが興味深い展示になっています。

 一人の人間が150年を生きることは不可能です。しかし一世代30年とすれば、150年は五世代前のこと、歴史ではまだまだ昨日のことかも知れません。ざっと一周しただけですが、そのような思いを強くしました。

 大きくは「第Ⅰ章 徳川時代」「第Ⅱ章 開港の時代」「第Ⅲ章 明治時代」の三部構成。各々はさらに細分されています。
 時代区分にない「開港の時代」を設けたのは企画主旨に沿うのでしょうが、日本の玄関として横浜が大きく変化した時代を明瞭にする意味で面白く感じました。

 徳川時代では、徳川末期将軍の写真は意外に思えました。日頃考えもしませんが既にそういう時代であったことを再認識させられます。
 篤姫や和宮の持物はさすがに美しい仕上がりです。興味ある方には小説等と事実を一致させるかけがえのない展示のように思えます。

 開港の時代では、「御開港横浜之全図・歌川貞秀」に惹きつけられました。神奈川沖から西方を望むかなり大振りな鳥瞰図です。今とは異なる横浜が描かれています。それを発展と言いますが、随分と自然を損なってきたことも良く判ります。中央右上に「牢屋」の記述がありますが、私が卒業した中学校辺りで刑場だったようです。

 明治時代では、「美人(花魁)・高橋由一」に惹かれました。確か今年になって、三度、この絵にお目にかかっています。美術史上で重要な位置にあるのでしょう。近代洋画の起点になっているかも知れません。
 「新たな美術の庇護者、横浜の原三渓」では元三渓所蔵の大観、観山、紫紅などの絵が観られます。時代に横串を挿すような見方をしてきませんでしたが、これからはそういう見方も覚えたいと思いました。

 

 展示作品が多くて一つ一つを良く観られていませんが、会期もまだありますからこの後何回か出かけるつもりです。横浜開港150周年記念事業はいくつもありましたが、私は「大・開港展」を地味ながら優れた企画だと思いました。

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2009年10月 4日 (日)

路上観察:第2回多摩川ウォーキングフェスタ

 10月3日、朝起きたら前日の天気予報を覆して良い天気でしたから、第2回多摩川ウォーキングフェスタに出かけました。

 途中から東京・神奈川県境を流れる多摩川の東京側の土手を下流に向ってひたすら歩きます。ゴールはガス橋緑地、東海道新幹線鉄橋から2Kmほど下流側になります。

 スタート地点は歩く距離で異なります。最も長距離の50Kmは青梅線羽村駅付近の羽村取水堰玉川兄弟像前、30Kmは南武線矢川駅付近の矢川上公園、17Kmは京王相模原線京王多摩川駅付近の多摩川児童公園、8Kmは東急田園都市線二子玉川駅付近の兵庫島公園です。

 私は家族と一緒でしたので17Kmを選択、9時40分に歩き始めました。
 この頃から本格的に雨が降り始め、1時間以上は雨中を歩きました。雨が上がったら雲の切れ目から鮮やかな青空が見え、夏を思わせる強い日差しに少々うんざり。その後また雲が多くなってゴール近くになって小雨がぱらつきましたが雨具を着るまでには至りませんでした。
 13時過ぎにゴール。歩行時間3時間20分、休憩無しでしたから平均時速は5Kmほどです。
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 途中、川向こうに新川崎のビル群が見えます。7・8年前に大阪淀川河口から梅田のビル群を見ることがありました。個々のビルの形もその数も異なりますが、何だか似ていると思いました。コンクリートとガラスで構成される高層ビルは、遠目には同じように感じます。
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 私はおよその目安を次のように考えて、ウォーキングイベントに参加します。

 およそ5Kmの歩行速度で歩きます。軽い上り下りがあっても平均すればこの程度です。これに休憩・昼食の時間を15%程度が加わりますので4Km強の平均速度。距離20Kmならば4.5時間、30Kmならば7時間程度で歩ききります。このペースで歩けば各チェックポイントを余裕持って通過できるでしょう。

 ただし決して早くはありません。私の感じでは全体の真ん中より後ろ、2/3よりは前ぐらいの位置になります。皆さんは歩くのが結構早いので、それに惑わされず自分のペースを維持するのが完歩のコツでしょうか。

 そうそう、ウォーキングイベントには参加費が必要です。今回の当日参加費は1500円で少々高いとも思いました。各地のウォーキングイベントは2日間ないし3日間で2000円から2500円でしょうか。事前申し込みすれば多少安くなります。
 今後の開催予定は日本ウォーキング協会HPなどを参考にしてください。

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2009年10月 3日 (土)

路上観察:横浜中華街国慶節パレード

 10月1日、中国北京では第60回国慶節の盛大な軍事パレードが虚構されたようです。たびたび報道される地方の疲弊と対比して、国家の威信と個人のささやかな幸福の関係を考えさせられてしまいます。日本も50歩100歩なのかな。

 横浜中華街でも国慶節のパレードが行われました。愛国の思いが滲み出ていると感じましたが、少数民族の衣装を着けた一団もあったりして全てが平和的でした。そして随分多くの人たちが住んでいるのだと感じました。

 パレードは獅子舞や竜舞、五星紅旗を掲げた一団、ブラスバンドやバトントワリングなどの長い列が、山下公園から中華街に進んでいきました。
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 しゃがんで写真を撮っていたら獅子に頭を噛まれました。良いことがあるかな。中国でも獅子は頭を噛むのでしょうか、それとも日本の獅子の真似たものでしょうか。

 10月10日は中華民國建国の雙十節パレードは中止だそうです。8月8日に台湾を襲った大水害の義捐活動中心の行事を行うようです。

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