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2009年9月 1日 (火)

白想:政治家の言葉

 追って政権交代が現実のものとなる。今回の選挙は何の要因で与野党逆転したのだろうか。積極的な政権選択がなされた結果だろうか。

 いずれマスコミ等で吟味されるだろうが、私は、有権者の政権与党に対する細かい負の思いの積み重ねが、小選挙区比例代表並立制で増幅されたと思う。先の郵政選挙と同様の現象が与野党逆に生じただけであろう。いずれも結果は劇的であったが。

 有権者の細かい思いの積み重ねとは何か。要約すれば、明るい未来の希求というよりは、まずは鬱屈した現実からの脱出。有権者は決して最善の選択ができたとは思わない。最善の選択ができない理由は、最善の選択枝が用意されないから。

 「偉大とは、人々に方向性を与えることだ」とは先哲の言葉。今回の選挙で明確な方向性は提示されただろうか。否。とすれば次善の選択しかなされない。負の印象のより少ない候補者・政党を選択するということ。今後も含めてそれが現実だろうか。

 選挙に限定したわけではないが、政治家の言葉の貧困化が進んだように思う。政治家が有権者の心底共感を得られる言葉を持たなければ存在は危うい。いや定数があるから一定数は常に存在するのだが。
 そればかりでなく、粗雑な、あるいは有権者を小ばかにしたような言動も少なくない。私は多少の漢字の読み間違いなど大した問題でないと思う。程度問題ではあるが。もっと根底の意味を注視すべきだ。

 今回の選挙演説で麻生総理は「責任力が大切だ。政治は博打じゃない。ちょっとやらしてみようかって、それ違うって。まったく事の優先順位が分かっていない人が多すぎると思う」と言った。この短い句の表層が判らないわけでないが、吟味すれば問題だ。

 「責任力」とは何か、まず言葉の定義がない。政権党ならばここ4年間の言動に照らして責任力を定義すべきであろう。私は言動一致していたとは思わない。よって空虚に響く。

 「政治は博打じゃない。ちょっとやらしてみようかって、それ違うって」とは何を意味するか。政権交代が博打であって、政権継続が博打で無いとは何を根拠とするか。それを理路整然と説明されれば納得しない訳でも無い。唐突にいわれたって。

 「まったく事の優先順位が分かっていない人が多すぎると思う」とは本当にそうであろうか。郵政選挙の時は優先順位がわかっていて、今回の選挙で急に判らない人が増大したのだろうか。そんな訳は無い。

 麻生首相の敗戦の弁、「そういったもの(マニュフェスト)に関して、きっちり対応していただける民主党の勝利というものを祝福申し上げると同時に期待も申し上げております」はさわやか。多少の皮肉を含まないわけはないだろうが、それでも素直に受け止めた。

 政治家の空疎な言葉の羅列は有権者の胸を打たない。その言葉を元にした行動は国民を幸せにはしない。活き活きとした言葉を駆使し、それを実行すること、有限実行こそが政治家に切望される。そんな格好良いものではないかな。
 有権者は大きな学習をした。これからが大切だ。

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