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2009年8月25日 (火)

演劇:利賀フェスティバル2009・劇評編「リア王」

 演出   鈴木忠志
 原作   W・シェイクスピア
 美術   戸村孝子

 出演   老人(リア王)  ゲッツ・アルグス(独)
      ゴネリル     エレン・ローレン(米)
      リーガン     チャン・イジュ(韓)
      コーディリア   大桑茜
      グロスター    蔦森皓祐
      エドガー     石川治雄
      エドマンド    カメロン・スティール(米)
      看護婦1     久保庭尚子  他

 会場   新利賀山房
 公演   2009年8月15・21・28・29日
 鑑賞   2009年8月21日 17:00~18:45

 「鈴木忠志演出のリア王」は、1984年12月、豪雪の利賀山房にて初演、もはや伝説であろう。私が初めて「鈴木のリア王」を観たのは1989年の利賀フェスティバル、利賀山房であったと記憶する。ピークは過ぎていたと思うが、まだまだ旧SCOTが、そして利賀村が元気だった頃である。以来、両手で数えるほどの舞台を観てきた。日本人役者による、米国人役者による、日米混成役者による。男性役者のみによる舞台も少なくなかった。吉行和子が看護婦を演じたこともあった。最後に観たのが何時だったかは定かで無いが、恐らく1990年代末であったろう。

 久しぶりに観た「鈴木のリア王」、精神病院にいる孤独な老人すなわちリア王、そしてリア王の回想あるいは空想として物語が展開するというコンセプトに変化は無い。しかし個々の場面は以前に比べて具象化されていると感じた。今回を新版、以前を旧版とすれば、両者の変化は何時からか。上演時間は旧版が60分程であったと思うが、新版は100分を超える。

 今回の「リア王」で特筆すべきは独・米・韓・日の俳優による上演形式であろう。各々の俳優の台詞は母国語で、舞台袖に翻訳が表示された。その場に居合わせないと奇妙な印象を抱くだろうが、台詞回しにまったく違和感はない。ただし役者は大変であったろう。Kによれば「最初は頭が痛くなるほどであった」とのこと。

 ゲッツ・アルグス(リア王)は力強い表現で、精神病院にいる老人との印象は稀薄であった。それが個性か、外国のテキストを演じることによるものかは定かでない。そのような表現を求めないのかも知れない。しかしリア王は弱者である。老人の寂しさや悲哀さが漂わないと、物語の意図は鮮明にならないように思う。
 かっては蔦森皓祐がリア王を演じたことがある。蔦森には飄々とした感じがあって、老人の寂しさや悲哀さを感じたものである。

 エレン・ローレン(ゴネリル)は米国における鈴木メソッドの体現者であり、伝道者であろう。久しぶりに観たが、その印象がくずれることはない。

 チャン・イジュ(リーガン)は抑制されてはいるが表情豊かな役者だ。彼女一人で韓国演劇界の現状が知れるわけでもないけど、アジアは広い。ホームでの彼女を観てみたいものだ。

 全体的には「怒りのリア王」である。背信も憎しみも怒りで表現される。世界は怒りに満ちている。「政権選択か、命の洗濯か」、明るい世の中になって欲しい。

 音楽について触れておく。旧版では「ヘンデル・ラルゴ(オンブラ・マイ・フ)」と「チャイコフスキー・スペインの踊り(白鳥の湖より)」が使われていて実に印象的であった。
 新版ではこれに「ライバッハ・KRST(BAPTISM)」と「中田章作曲・吉丸一昌作詞・早春賦」に加わった。早春賦はともかく、ライバッハは現代曲だろうが何も知らない。付け加わった2曲は知る知らないでなく、印象が薄い。どのような意図があるのだろうか。

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コメント

 >全体的には「怒りのリア王」である。背信も憎しみも怒りで表現される。世界は怒りに満ちている

なんとなくわかるような気がしますね。
ゲッツさんの[オイディプス王]を見たことがありますが、
その身体から発せられる強大なエネルギーに、圧倒された記憶があります。
利賀での「リア王」、一度は観てみたいと強く思います。
ただ、私は外国語と日本語の入り混じった舞台は苦手なので、
出来ることなら、日本語だけ、あるいは外国語だけでの上演を観てみたいと思ってしまいます。

投稿: salala | 2009年8月25日 (火) 14時20分

 四カ国語による上演形式は実験的であると思います。私はあまり抵抗はありません。回を重ねれば慣れると思います。どこまでの意義があるかはこれから私なりに反芻してみます。
 私は初めてですが、ゲッツ・アルグスは既にSPAC(多分)の舞台を踏んでいるのですね。力強さが全面にでていました。他の役者も少なからずそういう傾向があるように感じます。別の表現も大いにあるでしょうね。探してみます。

投稿: F3 | 2009年8月25日 (火) 18時06分

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