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2009年8月 4日 (火)

最近の読書から:『世代を超えて語り継ぎたい戦争文学』

『世代を超えて語り継ぎたい戦争文学』

    澤地久枝・佐高信著、岩波書店、1700円(税別)

 

 

 戦争を知るには努力が要る。それは判るとして、如何なる努力すれば良いだろうか。

 「戦争をまったく知らない戦後世代が多数派になった今、戦争が個々人にとってどんなものであったか、知ってもらいたいと思う。知って判断する習慣の確立ということもある。
・・・
 忘れられて埋没してしまいそうな戦争についての文学者の証言。その作品を読むことから、若い人たちに戦争を直視し考える姿勢が生まれることを望む」と澤地は言う。

 これで本書の狙いは明白である。あとは二人が戦争文学を順に炙り出す。『五味川純平の章』『鶴彬の章』『高杉一郎の章』『原民喜の章』『大岡昇平の章』『幸田文の章』『城山三郎の章』、そして『取り上げたかった作家たちの章』。

 『五味川純平の章』で「人間の条件」に触れる。
 「人間の条件」が訴えようとしたことは、戦争下、良心に従いよりよく生きたいとする人間に、その余地があったか否かということだろう。かって「人間の条件」は大ベストセラーであった。その訴えを社会が受けとめようとした証だろう。

 残念ながら五味川純平は既に忘れられた作家だと言う。今の社会には作者の訴えをうけとめようとする雰囲気がなくなったということだろうか。二人の対談は、作品の背景や作者の思い出にも触れながら戦争下の人間を明かしていく。

 『幸田文の章』で「父・こんなこと」に触れる。
 これは戦争文学とは言い難いと。しかし、戦場での体験などが戦争文学の大きなテーマだけれども、それは戦争の全体ではない。留守宅でどういう生活があったか、それから八月十五日を境にして一応戦争は終わった。けれども、実はそれで終わらなかったのが戦争だ、との理由による。

 最近は後方支援を戦争と切り離して考える風潮があるが恣意的なものだろう。後方支援も戦争の内である。多方面からの戦争の認識が、より客観的な理解に繋がるだろう。

 寡読な私は、この中で五味川純平・大岡昇平しか戦争文学作者として認識しない。その二人でさえ多くを知らない。最近、原民喜が広島で被爆していることを知った。戦争文学に対する私の知識はその程度である。

 既に今年も八月。六日、九日、十五日もすぐである。避けられなかったのか、避けられたようだ。なぜ行動が伴わなかったのか。
 本書は戦争文学への道案内である。道をたどることで、それらのことも鮮明になるかも知れない。末尾に本書で取り上げられた本の一覧がある。7ページに及ぶが、一冊でも多く読んでみよう。

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コメント

戦争文学の概念を変えなさい
 過去の戦争と近未来の戦争とは、その原因も方法も災禍のレベルも、まったく異にしていることは常識である。ところが戦争文学だけは、過去戦を描いたものだけに集中して論じられる。それはポストモダン文学を肯定している人までやる盲点であって、未来戦争となると、SFの世界だけだと決め付ける。だから、戦争文学論だけは、いつまでも陳腐で、失礼ながら、ここに記載の論考もその域を出ていない。
 私は最近、『日本の、次の戦争』と題する長編小説を読んだ。警鐘作家を自称する濱野なんとかという無名の作家だが、正直、この力作には、芯から感動した。主人公は内閣法制局長官で、彼は日本政治の流れが、改憲以降おもわしくなく、正式に軍隊となった自衛隊が、日本軍として国連の手下つまりアメリカの手先にされて、中東に出動する近未来に、日本が、国内テロを次々誘発させ、やがて防衛だけでなく、金融、食糧、エネルギーのすべてにわたって瓦解していくさまを描いている。この過程で、作者はドストエーフスキーのように、主人公の言葉で戦前・戦中・戦後の思想とイデオロギーの評価を綿々と行う手法で、まさに大作なのです。
 戦争とは、そのメカニズムが問題なのであって、過去の様相にばかり拘泥する戦争文学では、不十分この上ない。以上、多言多謝。

投稿: 屋代人比子 | 2009年8月16日 (日) 19時23分

 コメントありがとうございます。
 戦争文学をどのように定義するか、そこに視点の相違があるようです。

 『日本の、次の戦争』を私は読んでおりませんが、ご指摘の「すべてにわたって瓦解していく」ということについて、多分そうなるものと思います。戦争のメカニズムが変化することを否定するものでもありません。

 視点を個人・家族・友人など、一人ひとりの生き方、一人を取り巻く人間関係に移すとどうなるでしょうか。過去の戦争も、世界の各地で現在継続する戦争も、あるいは未来に発生するかも知れない戦争も、その結末は決して異なるものではないように思います。戦闘員・非戦闘員を問わず、一人ひとりに理不尽な生き方が強制される、時には死さえ強制されることに相違ないと思います。誰が強制するのか。

 一人ひとりに尊厳のある生き方が保障される社会であって欲しいと願います。そのために戦争の悲惨さ・非人間的な生き方を伝える手段として戦争文学があるとすれば、いつになっても過去の戦争を主題として取り上げることが陳腐化することはないように思います。

 私の文書に舌足らずのところがあったと思います。
 本書は戦争をメカニズムあるいはオペレーションから捉えた作品を取り上げているわけではありません。そうではなく、戦争下における人間の生き方に焦点をあてた作品に言及したものです。そのような観点から、私は大いに触発されるものがありました。

投稿: F3 | 2009年8月17日 (月) 12時26分

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