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2009年7月 8日 (水)

演劇:ふたりの女 ~唐版・葵上~

 演出   宮城聰
 原作   唐十郎
 美術   戸村孝子

 出演   六条、アオイ   たきいみき
       光一        永井健二  ほか

 会場   静岡舞台芸術公園・野外劇場「有度」
 公演   2009年6月20、27日、7月4日
 鑑賞   2009年7月4日 20:00~21:40

 「SIZUOKA 春の芸術祭 2009」のスローガンは「帰りなんいざ古典へ!世界まさに荒れなんとす!」。
 「唐十郎・ふたりの女」は1979年の発表、劇団・第七病棟(緑魔子・石橋蓮司主宰)により初演。事実を認識するもののその場に居合わせていない。この戯曲は ~唐版・葵上~ と明記されているように能・葵上が底本。だから古典、いや30年を経て「ふたりの女」が古典になった。

 

 『伊豆の砂浜に建つ精神病院。アオイとの結婚をひかえた医師光一は、六条という名の患者に突然「あなた」と声をかけられ、アパートの鍵を渡されてしまう。光一がアオイと藤サーキットでレースを観戦していると、そこに化粧品販売をはじめたという六条があらわれ、光一に髪油を渡す。アオイはこの髪油をつけてときから、次第に六条に取り憑かれていくようになる・・・・。(パンフレットより)』

 

 光一を中にして対峙するかに見えるふたりの女、六条とアオイ。アオイはやがて六条に同化して逝ってしまう、なぜだろう。新興宗教まがいの集団にありそうな情景。演劇は現実世界に追い越されたか。なぜだろう。
 容易には判らない。判らないけど思考を停止させてはいけないだろう。

 舞台後方のホリゾントは有度の森。床には長方形の木枠を隙間無く敷き詰めてある。柱を横にして積み上げた三日月状の構造物は左右から高さを増して中央で人の背より高い。中央部から後方に向って枝分かれ、枝は森の闇に繋がる。

 耳を劈くようなロック系音楽で始まる。一気に焦燥感が込み上げる。続いてマーラー・大地の歌、厭世観が広がる。パットブーン・砂に書いたラブレターは「On a day like today / We passed the time away / Writing LoveLetter in the sand・・・」、過ぎにし時間。追い討ちをくわせるように、クラベス(サンバなどで使われる拍子木)、電子音が時を刻む。

 全てが不安定のなか、周囲から切り離されたかのように行動する光一。やがてアオイを自死に追い込み、六条は自らが首を絞める。淡々と演じて永井健二は腺病質な光一を浮かび上がらせた。
 首を絞められてなおしな垂れかかる六条。たきいみきは、六条、アオイの二役を妖しく美しく演じた。存在感を感じさせる。
 全体にシュールでありながら滑稽さを内在していた。それが光一とアオイ、六条の関係をより鮮明にした。

 

 疲れた。しかし見ごたえがあった。
 雨具とクッション必携の野外劇場。数日来の様子から雨を覚悟の観劇だったが幸い雨粒一滴すら落ちず。

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コメント

本当に、終演後は慌しかったですね。きちんとご挨拶もできなくて残念でした。
SさんもStraussさんもそうでしたが、
バス利用の観客はまるで追い立てられるように乗車を促されて、
観劇の余韻を味わう暇もなかったのではないかと思います。
また、全体的に早く観客を送り出してしまおうという空気も感じられるので、
もう少しこの余韻の中に留まりたいなと思っても、それができません。
いつも残念に感じていることです。
当然、利賀のような訳にはいかないことはわかっていますが、
でも、もう少しアフターシアターを楽しませてもらえたらなって思います。

野外劇場、幻想的でしたね~。
背後の幽玄の森と、人工的な舞台装置の対比が見事だと感じました。
生と死、正常と異常、男と女、等々、
さまざまな対比がちりばめられていたような気がします。
そんな不安定な仕掛けの中で、
女の情念としたたかさだけは、くっきりと太線で描き出されていました。
アオイと六条というのふたりの女の間の確執よりも、
六条の、光一への執着に焦点が絞られていたように思います。
最終的に絞殺されながらも、
六条の身体にはこの瞬間を待ち望でいたような歓びが感じられました。
光一の背中に絡み付く腕が、官能的でせつないラストシーンでした。

劇中の音楽も印象的でした。
おかげで、気になっていたタイトルが判明しました。
もう一曲はなんだったのでしょうか。調べてみたいと思います。

アングラという手法を用いて、俳優さんたちの身体能力の高さを見せつけるような、
力技を感じる演出でしたよね。
見応えありました。

投稿: salala | 2009年7月 9日 (木) 21時52分

 終演後の慌しさは百年の恋もさめるような感じです。毎回、宮城聡が入口脇に立って迎えてくれることはなかなか出来ないことと感心しているのですが、終わりがいけません。利賀もバス利用で民宿に戻る場合は似たようなものだと思います。幸い、歩いて戻れる民宿だから気ままにできますが。

 野外劇場は初めてでした。かなりきっちりと出来ていて、その分、野趣が減殺されていると感じました。演じやすいでしょうね。中央後方席でしたが、前方席の方が余計なものが目に入らないような気がしました。

 難しい内容でした。30年前はそのような感じがもっと強かったでしょうね。役者も良くトレーニングしていると感じます。

 音楽はもう一つありましたか。最近、目の前に居る人の名前を忘れていたりするので、驚くことはないのですが。

 最後に。さららさん、SPACサポータとしてブログを立ち上げたらいかがですか。いや、立ち上げなさい!!! 

投稿: F3 | 2009年7月10日 (金) 09時34分

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受信: 2009年7月 8日 (水) 16時18分

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