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2009年7月20日 (月)

最近の読書から:『漢詩』

『漢詩』
松浦利久著、岩波新書・赤768、780円(税別)、2009年6月

 

 本書で言う「漢詩」は中国古典詩形式の作品全体を指し、漢代の詩を特定するわけでない。しかし「第1章 詩人とその詩境」で取り上げるのは、陶淵明・李白・杜甫・白居易。うしろ3名が唐代の詩人であることからわかるように唐詩が重みをなす。

 「第2章 主題とそのイメージ」「第3章 詩型とその個性」「第4章 詩跡(歌枕)の旅」「第5章 「文語自由詩」としての訓読漢詩」。

 第5章は30頁に満たない。しかし、副題「日本の定型詩(和歌・俳句)との相補性」が示すように、日本の定型詩との比較において、異国の文学である漢詩が古くから親しまれてきた理由を掘り起こして興味深い。
 5年ほどを経ての再読。前回はあっさり通り過ぎてしまった第5章、そこに気付いたことが再読の手柄あるいは年の功である。

 日本の「文語定型詩」が日本人の詩情や感性を育てたことは衆知である。それと並行あるいは雁行して訓読漢詩の作品群が「文語自由詩」として日本人の詩情や感性を育ててきたとの指摘である。

 五言絶句や七言律詩を中国古典定型詩と認識して親しんだつもりである。しかし、私を含む多くの方が訓読漢詩で親しんできたことは事実であろう。そのことを「従来はほとんど指摘されてこなかった」と言う点が新鮮である。当たり前過ぎることはなかなか気付かない。

 文語自由詩としての訓読漢詩のポイントを次のように抽出し、例を挙げて説明する。

  1. 「視覚的・観念的」には原詩としての定型性を保ちつつ、
    「聴覚的・音声的」には和文詩歌としての自由律リズムを
    生んでいる。という「二重性」を具えている。
  2. 日本語定型詩における対句表現の乏しさを「訓読漢詩」が
    きわめて有効に補ってきた。
  3. 訓読してリズムの整わない作品は、日本漢詩の名作にはほ
    とんどまったくない。
  4. 最初に覚えた訓読詩句が深く体質化され、別の訓読に強い
    違和感を感じやすい。
  5. 「訓読漢詩」が「文語自由詩」として他では表しえない独
    自のリズム感を相補的に表出している。

 何となく親しんできた漢詩、その理由を指摘されたような思いがする。私の場合はリズム感が大きな位置を占めているような気がする。これまでよりは少し親しみの度合いが増すだろう。言及しなかったが「第4章 詩跡(歌枕)の旅」は旅心を誘われる。

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