読書:最近の読書から(2009年5月)
1.『多読術』
松岡正剛著、ちくまプリマー新書106、800円(税別)
2.『「戦地」派遣』
半田滋著、岩波新書・赤1175、780円(税別)
3.『裁判官はなぜ誤るのか』
秋山賢三著、岩波新書・赤809、700円(税別)
4.『法とは何か・新判』
渡辺洋三著、岩波新書・赤544、780円(税別)
1.『多読術』
1300夜まで進んだ(2009.5.29現在)「松岡正剛の千夜千冊」を参照しても、質量ともに私の及ぶ世界ではない。しかし多少でも私の読書をより良くするヒントがあるか。
「読書は大変な行為だとか崇高な営みだとか思いすぎないこと」、これは自信あり。「読書って二度するほうがいいんです」、最近そう思うようになった。幼児期・青年期の環境はその後に大きな影響を与えるだろうが、私にはいまさらどうしようもない。
「理解できるかどうかわからなくとも、どんどん読む。読みながらチェンジ・オブ・ペースを発見していく。敵ながらあっぱれだと感じるために本を読んだっていい。むしろそういうことをススメたい」、そういう方向性は多少持っているように思う。
まね出来ないことが多いけど、既に実行したのが鉛筆によるマーキング。2mm太のシャープペンを2本購入、携行している。心情的に本に書込みしたくはないが、鉛筆によるマーキングが他に比べて手っ取り早いのは確か。
読書好きは自分なりの方法を持っていると思う。しかし、たまには寄り道して他人のそれを覗き見るのも面白い。私の及ぶところではないと再確認するのみだが、それでも読書をやめようとは思わない。
2.『「戦地」派遣』
自衛隊の海外活動は1991年の掃海艇ペルシャ湾派遣から始まる。2004年イラク特措法を根拠に戦火くすぶるイラクに陸上自衛隊が派遣された。
著者は東京新聞勤務、1992年から現防衛省取材を担当。海外活動に至る政治的駆け引きや現地での活動を描き出す。
例えば、活動地域がサマワに選定された理由を、①フセイン政権に捨て置かれ、支援を受け入れる下地があった、②サマワ総合病院は日本のODAで建てられ、日本との関わりが深かった、③クウェートから近く、補給の心配がなかった、と分析する自衛隊幹部の見解。こうした事情から「人道復興支援活動」がイラク復興のためではなく、米国に対するアピールとして居続けることに目的があったことは明白だろう、と言う。
現地では迫撃弾・ロケット弾攻撃にさらされた基地、襲撃された陸自車両。陸自撤収後の航空自衛隊の空輸活動は、その後エスカレートしている。
報道により断片的な情報を認識するが、ここに書かれたことは概ね真実だと判断する。「バクダッド空港と言う非戦闘地域」などという為政者。無理が通れば道理が引っ込む図式を認識しない。いや認識したうえでの発言だろう。読了しての総括である。多くの人に読んで頂きたい。主義主張は脇において、事実確認が始めになければならない。
3.『裁判官はなぜ誤るのか』
裁判員制度は「国民の視点、感覚が、裁判の内容に反映され、その結果、裁判が身近になり、国民のみなさんの司法に対する理解と信頼が深まることが期待される」ということ。素直に解釈すれば、現状は国民の視点、感覚とかけ離れた判決に至ることもあり、その結果、国民の司法に対する理解と信頼は深まらない場合もあるということか。究極は誤判・冤罪か。
26歳から50歳までを裁判官、1991年に退官して弁護士を始めた著者が、誤判・冤罪の背景に何があるかを探る。前半で裁判官と市民の距離、選任・要請システム、刑事裁判官の立場と悩みなどに触れる。エリートゆえに世間から遠い世界に住む裁判官の話は興味深い。
中半以降、徳島ラジオ商殺し、袴田再審請求、長崎(痴漢冤罪)事件に触れる。なぜ冤罪が生まれるか。その背景に納得がいく。職業裁判官や検察官はどう思うのか。対峙する見解があれば知りたい。
最終章、「裁判で証明されるべき事実とは何か」「疑わしきは被告人の利益に」「市民井開放された司法は実現できるか」「職業裁判官に対する十戒」。
裁判関係者は、誤判・冤罪を生み出さないために、社会正義の発露を前提にしなければならない。裁くも裁かれるも同じ国民。多くを学んだ。
4.『法とは何か・新判』
冒頭の一文を読めば、本書を貫くものが何か判る。「法の精神とは、一言で言えば、正義である。それゆえ、法と何かという問いは、正義とは何か、という問いに置きかえられる。・・・だから、法を学ぶ者は、正義を求め、正義を実現する精神を身につけなければならない」。
構成は、「法とは何か」「法の歴史的変動」「現代日本の法システム」「国家と人権」「法の解釈と裁判」「国際法と国内法のはざまで」と広範だが、法を概観するには最適だ。文書の端々から正義が滲み出ている思いがする。
本書は1979年出版の「法とは何か」を1998年に改めて「新版」としたものである。それも10年を過ぎた。例えば、「日本は、国民が裁判に参加していない、めずらしい国である」と指摘するも、裁判員制度に言及されているわけでない。著者の裁判員制度に関する見解を聴きたいが、それは適わない。
裁判員に選ばれる可能性は低くない。あるいは、意に反して容疑者になることだって有り得ないことではない。法の精神は正義、心に留めよう。
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